裏稼業探偵

アルキメ

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case4 ターゲット・サイティング

6 不器用な人々

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 禊屋こと志野美夜子は、学生食堂を出たところのベンチに一人座って、ため息をついていた。

 今日はなんだか、調子が悪い。体調は万全のはずなのに、いまいち集中できないというか……モヤモヤするというか……。そのせいで、危うく取り返しのつかないミスを犯すところだった。反省……。

 ……今回の事件には、まだ不明な点が多く残っている。先ほど支社のほうから入ってきた報告では、キバの持ち物などを調べた結果、依頼主と連絡を取るのに使っていた携帯が出てきたらしい。架空の名義で登録された、いわゆる飛ばし携帯というやつだ。その通話履歴には一つの電話番号が残っていたが、その番号は既に廃棄されていた。持ち物からキバの自宅を特定し、調査班が家捜しを行ったものの、他に手がかりらしい手がかりはなく、キバから依頼主を辿るのは不可能に近いとのことだった。予め、その依頼主が自分に繋がる証拠を残さないようキバに徹底させていたのだろう。おそらくは、キバ以上に用心深い相手……。冬吾を抹殺しようとした、その目的も含めて……まったく姿が見えてこないというのが不気味な存在だ。

 それに、あの警告メールの差出人についても未だに不明のままだった。アリスが調べてもわからなかったということは、徹底した偽装が施されていたということだ。わざわざこちらへ警告してきたことから考えて、敵ではないのだろう。実際、あの警告メールがなければキバによる冬吾の暗殺はいとも容易く成功していたはずだ。――が、味方と断じて良いのかも微妙なところだ。暗殺の依頼があったことをリークできる立場にいるということは、暗殺の依頼主とも接点がある人物だと考えられる。その依頼主についての情報はまったく書かれていなかったことを考えると、まだどちらの味方につくかを見定めている段階なのかもしれない。だとすれば、今後やはり敵に回る可能性もあるということだ。限られた情報しか渡せない、別の事情があったとも考えられるが……。今手元にある情報では、推測するにも限界がある。

 それとは別に気になるのは、冬吾のことだ。今回は幸いにして誰も犠牲にしてしまうことはなかったが、このままの状態が続くとしたら……また同じような事態が起こらないとも限らない。また、彼の大切な人が傷つけられるようなことがあるかもしれないのだ……。もしもそうなってしまったら、自分は冬吾に対してどう振る舞えばよいのか、美夜子にはわからない。それになにより、彼自身のことが心配だ。戌井冬吾は、このままこちらの世界にいるべき人間ではない。

 ……そうだ、取り返しがつかなくなってからでは遅い。冬吾を巻き込んで、この危険な世界に引き入れるきっかけを作ってしまったのは自分だ。それならば、彼が元通りの生活に戻れるようになんとかしてやるのが筋ではないのか……。前々から考えていたことではあるが、美夜子は今回さらにその思いを強めた。

 しかし……どうすればいいのだろう? 冬吾がナイツに入ったのは、美夜子を助けるため彼が伏王会の構成員を殺してしまったことが原因だ。そのことを伏王会の実質的なトップである神楽(かぐら)という女に押さえられた。神楽は構成員殺害を不問とする代わりに、ナイツへ身を置くことを冬吾に約束させたのである――その約束を破れば、冬吾の妹を殺すと脅迫までして。神楽にとっては何の利益にもならない約束だ。彼女は冬吾を裏社会へ放り込んで、それを観察して面白がろうとしただけなのか、それとも何か別の目的があるのか……それはわからないが、神楽と話をつけない限りは冬吾を解放することはできない。かといって、あの神楽を交渉のテーブルにつかせるのは至難の業だろう。それに、こちらに交渉の材料は……なくは、ないが。それは美夜子自身の目的のためにも、最後の手段としておきたい。

 ともかく、今は冬吾を狙って殺し屋を送り込んできた何者かを見つけ出すことが先決だ。神楽について考えるのは、その後からでも遅くはないだろう。

「――禊屋さん」

 横から声をかけられ、美夜子は思考を中断する。振り向くと、夕莉が立っていた。

「あっ……夕莉さん。もう戻ってたんですね」
「ああ。冬吾と少し話をしてきた。……隣りに座ってもいいかな?」
「もちろん! どーぞ!」

 美夜子はベンチを少し横にずれて、そのスペースに夕莉が座った。

「本当にすまなかったね。面倒なことに巻き込んでしまって」

 夕莉が言う。美夜子は思わず「それはこっちの台詞です」と口走りそうになったが、ぎりぎりで踏みとどまった。

「いえいえ、あたしは全然いーんですけど……夕莉さんこそ、大変でしたよね」
「ああ、まぁね……でも、今日は得るものも多かった」夕莉は言う。「あなたのことを知ることができたのも、その一つなんだ。禊屋さん」
「あたしですか?」

 夕莉は頷くと、悪戯っぽく笑って言う。

「念のために言っておくけれど……私と冬吾は、色だの恋だのという関係では全くないよ。だから私のことは気にしないでおくれ」
「は……はいっ!?」

 突然妙なことを言い出す夕莉に、美夜子は面食らってしまった。いきなり何を言い出すの、この人?

「え、ええ……っと。どーしてそれをあたしに言うんでしょー……?」
「おや? 私はてっきり、二人はそういう仲なのかと思っていたのだけれど」
「そ、そういう仲って……。――あ、もしかして最初お会いしたときにあたしが食堂の中で言ったことですか? あはは、やだなー、あれは戌井君をからかうための冗談で……」
「ふふふっ……私、鼻は良いほうでね?」

 夕莉は得意げに笑いながら、自分の鼻を指す。

「へ? 鼻……?」
「冬吾からあなたの香水の匂いがしたよ」
「んにゃっ……!?」

 きっと、あの時だ。あのロッカーの中に二人で隠れている間に、彼の衣服に匂いが移ってしまったのだ。どうしよう……!

「あー、ははは……それはですねー……えっと……たぶん……そのぅ……な、なんでだろうー?」

 こ、困りすぎるー……! その場のノリであんなことするんじゃなかったぁー……!!

「あーあー、そう狼狽えなくてもいい、いい!」

 夕莉は朗らかなまでに笑いながら言う。

「私はね、君たち二人なら応援したいくらいの気持ちなんだよ?」
「だ、だからですねっ。それは誤解で――」
「まぁ、冬吾はあれでかなり鈍感なところがあるからね。伝えたいことがあるなら、ときにはズバッと言ってやる必要があるんだよ。うん、それもなるべく、急いだほうがいいかもね。あんまりもたもたしていると……」

 そこで、夕莉はややトーンを落とした声になる。

「私が彼を取ってしまうかもしれない……からね?」
「えっ」

 その直後、夕莉は「くくっ」と噴き出すように笑って美夜子の肩を叩く。

「あはははっ! 冗談、じょーだんだよ! そう驚いたような顔をしないでおくれよ」
「うう……」

 い、いったいどこから冗談だったんだろう……。というか、なんかテンション高くない? いいことでもあったのかな……。

「――ま、冗談はともかく」夕莉は改めるように言う。「どうか、今後も冬吾と仲良くしてやってくれると嬉しい」
「…………」

 今後も……か。

 約束はできない、と思った。冬吾がこの世界から足を洗うことができたとしたら、たぶん、もう二度と会うことはないだろう。そもそも会う理由が無いし、また余計なことに巻き込んでしまわないよう、会わないほうが賢明だ。別離の辛さがないと言えば嘘になるだろうが……じきに慣れる。忘れることも、ないのだろうけど。

「……夕莉さんはどうして、そんなに戌井君のことを気にかけるんですか?」

 夕莉への返答を誤魔化すために、別の質問を投げかけた。夕莉はどこか遠くを見つめるようにしながら、話す。

「昔から近所付き合いしている、弟のような存在だから――と言いたいところだけど、それだけではないのかもしれないね。……私は冬吾に、罪悪感を感じている部分があるんだと思う」

 これは少し意外な返答だった。

「罪悪感……ですか?」
「……四年前にね。彼の父親が亡くなったんだ。それは彼から聞いている?」

 美夜子は「はい」と頷く。

「それから間もなく、彼の妹が病気に倒れてしまった」
「灯里ちゃんですね」
「そう。厄介な病気でね。灯里ちゃんはそれから一年ほど入院生活を送ったんだけど、その間、冬吾もとても大変な思いをしていたんだ」

 母はおらず、一家の柱である父を亡くした矢先に、残った一人の肉親である妹まで重病に倒れてしまった。当時の冬吾の心境は推し量ることしかできないが、想像を絶するような辛苦があったに違いない。

「私は、彼になにか声をかけて励ましてやりたがったが、なんと言ってやればいいのかもわからなかった。安易な言葉は、彼を余計に疲弊させてしまうだけのような気がしたから。でもある日、公園に一人佇む彼を見つけて、どうしても放っておけなくて、声をかけた。会話のきっかけとして、近くの屋台で売ってた鯛焼きなんか買ってきてね。今思うと、少しあからさますぎたかな」

 夕莉は思い出したように言って、小さく肩をすくめる。

「私は冬吾に言ったんだ。灯里ちゃんのためにも、君は何があっても絶対に折れてはならない……と。それが、残酷なほど厳しい言葉であることは私も理解していた。それでも、彼を立ち直らせるきっかけになればと思って……。あの時、彼に声をかけたあの選択が間違っていたとは思いたくない。でも、私の言葉は今でも冬吾を縛り続けているのかもしれない。彼を見ていると……そう思って、時々不安になることがある。私は彼の生き方そのものに、ある種の呪縛をかけてしまったのではないかと」

 夕莉は思い詰めるように目を伏せた。それが、彼女の言う罪悪感なのだろう。

「そのときに、私なら相談に乗るよって、お姉さんぶって言ったんだ。それから彼はよく私を頼ってくれるようになったし、微力ではあるものの、助けてやることもできた。……でも、これから先もずっとこのままでいられるかはわからない。いや……もしかしたらもう、昔とは変わってしまっているのかもしれないね」

 そう言って、夕莉は美夜子のほうを見る。

「私の知ってる、戌井冬吾って男の子はさ……。大変な時でも、何でも一人で抱え込もうとするから……心配なんだよ。彼が本当に助けを必要とする、そのとき……私がそばにいてやれるかどうかは、わからないから」

 夕莉は深くため息をつくと、疲れたように笑った。

「まったく、これでは……人に向かって妹バカだなんて、言えないな」

 今度は声をひそめるようにして、美夜子へ言う。

「今の話は、冬吾には内緒にしておいてくれ。くれぐれもね」
「……わかりました、言いませんよ」
「くだらない話を聞かせてしまって、悪かった。私が話したいから話しただけなんだ。忘れてくれても、構わないから」

 美夜子は「いいえ」と答える。

「くだらなくなんか、ないですよ。夕莉さんの気持ち、すごく伝わってきました。戌井君のこと、どれだけ大切に思っているのかってことも。その気持ちが、くだらないなんてことは絶対ありません」
「……そうか」
「あたしも、あるんです。昔、何もかも嫌になって、もうどーでもいいー……ってなっちゃったことが。でもそのとき、ある人がくれた言葉のおかげで、あたしは救われた気がしたんです。きっと、それと同じで……あなたみたいな人がいてくれたことは、戌井君にとって救いだったんじゃないでしょうか?」
「……!」

 夕莉は少し驚いたような顔で美夜子を見た。美夜子は笑って言う。

「――って、あたしは思いますよ!」
「……ありがとう」夕莉は微笑む。「やっぱり私は、今日あなたに会えて良かったと思う」
「あたしもですっ! ……んふふっ。でもでもー、最初はあたしのこと、ちょっと邪魔だなーとか、思ってませんでした?」
「えっ?」

 夕莉は不意を突かれたように声を上ずらせた。

「そんなことはないけど……どうしてそう思ったんだい?」
「んー……だって、夕莉さん。戌井君から聞いてたほどのあがり症とは、とても思えないんで。近くに居れば平気だっていう戌井君も、ここにはいませんし。その理由を考えると……ね?」
「……ああ、そういうことか」

 夕莉は笑いながらベンチから立ち上がると、三歩ほど歩いてから、大きく背伸びをした。美夜子は好奇心に任せ、夕莉の背中へ語りかける。

「で、どーなんです実際のとこ? あたしの読み、当たってますか?」
「ふふっ……」

 夕莉は顔だけ美夜子のほうへ振り返ると、口元の前にゆっくりと人差し指を立てて、言う。

「それもまた、機織り部屋の鶴――ってね」

【終】
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