裏稼業探偵

アルキメ

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case5 夕幽奇譚

3 新聞部と美術部

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「――あぁー、あれね。あの、夜のね。首のない……あれね! 見たよぉ、見た見た」

 用務員のおじさんは、十香たちの質問にうんうんと頷きながら答えた。やや怪しい感じのするチョビ髭と、妙に甲高い声が特徴的だ。

 昼休み、昼食を終えて新聞部の部室へ向かう途中で偶然見かけたので、話を聞いておくことにしたのだ。廊下でいきなり呼び止めてしまったのだが、おじさんは気前よく話に応じてくれた。

「ちょーど、一階下の廊下を見回りしてるときだったんだよねぇ。なーんか、ゆらゆら揺れてるのが奥に見えるなぁっと思って近づいてみたら、あれだもん。そりゃ、驚くよねぇ。血がべっとり付いてるしさぁ。オジサン思わず懐中電灯落としちゃったもん。それ拾ってたら、いつの間にか消えちゃってるしねぇ、うん」
「そのことなのですが」

 薔薇乃が尋ねる。

「幽霊を目撃されたのは、廊下の二年A組の教室があるあたりだったと伺っております。A組教室の一つ向こうには階段があったはずですが、幽霊はそこに移動して隠れたとは考えられないでしょうか?」

 昨日、薔薇乃と美夜子が推理していた仮説だ。おじさんは少し考えるような仕草をしてから、頷く。

「あー、言われてみれば……そうだったかもしれないねぇ、うん」
「他にお気づきになられたことはありませんか? 同じ用務員として」
「同じって言われても、あんまりそういう感じしないけどねぇ。オジサンはちゃんと首あるし」

 そりゃそうだろ……。

「作業着も長いこと着てないし。うちの学校じゃ規定とかで決まってないから、いっつも私服なんだわ」

 たしかにおじさんはセーターに厚手のズボンという服装で、首なし用務員のようにわかりやすい見かけ上の特徴はない。薔薇乃が顔を知っていなければ声をかけることもなかっただろう。
 
「あとは、うーん……そうねぇ……気づいた……ってのとはちょっと違うけど」

 おじさんは顎を撫でつつ言う。

「あの幽霊ねぇ……そんなに悪いやつじゃないと思うんだよねぇ、うん」
「どーしてそう思うんですか?」

 今度は美夜子が尋ねる。

「だって、今までに何度か目撃されてるみたいだけど、誰かを怪我させたって話もないでしょう、ねぇ? オジサンが見つけたときもすぐにいなくなっちゃったし、怖い見た目だったわりには臆病なイメージあるのよ。だから……こう、あんまり騒ぎ立ててやらないほうがいいんじゃないかなぁ、なんて、思うのよねぇ」

 悪いやつじゃない……そういう見方もあるか。誰かのイタズラだったとすれば、人を脅かしているという時点で良いやつでもなさそうだけれど。

「じゃあおじさんは、首なし用務員さんのこと怖くないの?」

 美夜子が続けて質問する。

「いやぁ、そりゃ怖いことは怖いよぉ? 落ち着くまでしばらく休みたいくらいだよぉ、うん。でもオジサン、春頃にも腰をやっちゃって長いこと休んじゃったからねぇ。頑張るしかないってワケ」
「そーなんだー」

 美夜子のやつ、適当に相づち打ってないか……?

「それじゃあ、そろそろオジサン、行ってもいいかなぁ? 視聴覚室の電灯、取り替えるように言われてるんだよねぇ、うん」
「お時間をいただき、ありがとうございました」

 薔薇乃が丁寧に一礼する。おじさんは傍らに置いていた脚立を肩に担ぎ直して向こうへ行きかけたが、ふと思い出したように立ち止まる。

「そういえば君たち……屋上への階段のほうから出てきたみたいだったけど、屋上行ってたの?」
「げっ……」

 十香はぎくりとする。北校舎屋上への鍵は、十香が勝手に拝借しているものだ。バレたら没収とお説教は免れないだろう。

「い、行ってないっす。そもそも、あそこ鍵かかってて入れないし。階段のとこで飯食ってただけで……な!」

 と、美夜子と薔薇乃へアイコンタクトを送る。二人とも察したようで、頷いてくれた。おじさんは笑って、

「あ、そう。そうだよねぇ。鍵、かかってるもんねぇ。いやぁ、あそこの鍵、オジサンが管理任されてるんだけど、見回りのときについドアに挿しっぱにしちゃうんだよねぇ。ちょくちょく失くしちゃうんだわ」

 常習犯だったのか……なんというか、そんなんでいいのかよ。まぁ、あたしが言えた義理じゃないケド……。





 用務員のおじさんと別れてから、十香たちは新聞部の部室を訪ねた。

「よーっす……って、また一人か?」

 十香は部室に一人でいた新聞部部員、井手川杏に声をかける。杏は机で何やら書き物をしていたところらしい。新聞の記事内容でもまとめているのだろうか。

「あっ、こんにちは」

 杏は手元のメモ用紙の上にペンを置いて立ち上がり、十香たちを出迎える。

「東先輩はまた生徒会のお仕事だよ。やっぱり引き継ぎで色々と忙しいみたい。新聞の今月号のことで打ち合わせがあるから、もう少ししたら来ると思うけど」

 そう言いながらわざわざ薔薇乃の前に立って、今度は恭しく挨拶をする。

「岸上さんも、こんにちは。今日もお綺麗ですね……」
「ふふっ、ありがとうございます」

 薔薇乃の返しも慣れたものだ。

「あ、そうだ。どうでした? 夜の見張りは?」

 杏が思い出したように言う。

「残念ながら……成果はありませんでした」

 ――昨夜遅くに、美夜子の携帯にメールが来たという。送ってきた相手は伸司で、夜の学校を巡回した報告が添えられていた。機械警備が作動する十時近くまで粘ったようだが、結果として、首なし用務員は現れなかったそうだ。ちなみに、美夜子はまだ返信を出していないらしい。――まぁ、わだかまりを解消するのは直接会ってからでもいいだろう。

「そうですか……でも、一昨日に岸上さんが首なし用務員を目撃されたんですよね。そう連日は、現れないということなんでしょうか?」
「わたくしの話をお聞きになったのですか?」
「あ、はい。東先輩から。まだざっくりと聞いただけですけど……」
「そうですか……たしかに、毎日現れるとは限りませんものね」

 そう都合良くはいかないということか。美夜子は机の上をしげしげと見て、尋ねる。

「杏ちゃん、何書いてたの?」
「今度の新聞で使う見出しを考えてたとこ。こう、びしーっと来るのが思い浮かばないんだよねぇ……」

 見出しといえば、新聞記事の最初に来るあれのことか。

「そういや、ちょっと訊きたいことがあんだけど」

 十香は杏に向かって言う。

「美術室で変なもん見たって話、知らないか?」
「美術室? 知らないけど、どんな話?」
「知り合いが言ってたんだけど……」

 といっても、十香が直接聞いたわけではない。昨夜美夜子に送られてきた、伸司からのメールに書かれてあったことだ。美術室で、首のない人影を目撃した……誰が、というのまではわからなかったが、どうにもそんな噂があるらしいことを伸司は聞きつけたらしい。

「――ふぅん。それは知らなかったよ」

 杏は話を興味深そうに聞いてから、そう言った。

「そういえば……美術部に東先輩のお友達がいてね。最近昼休みはいつも美術室にいるみたいだから、話を聞いてみるといいかも。私はここで東先輩を待たなきゃいけないから、一緒には行けないけど……」
「どういうやつなんだ?」
「えっとね。三年の園崎(そのざき)って人。頭は良いんだけど、ちょっととげとげしいっていうか……偉そうな感じ?」

 げぇ……あたしの一番苦手なタイプだ。話を聞くのは薔薇乃に任せよう……。

「結構すごい人なんだよ。美術の全国コンクールが毎年二回あるんだけど、今年の春の大会で大きな賞取ったってね。うちの美術部では何年かぶりの快挙なんだってさ。うちの新聞でも記事を書いたんだよ」
「あー! そんな話あったねぇ」

 美夜子が両手を打って言う。

「ありましたね」

 と、薔薇乃も頷いた。

 春って、もう半年前じゃないか。二人とも、よくそんなこと覚えてるよな……あたしは全然思い出せないぞ。美術コンクールの話題なんて、気にしたこともないからだけど。

「それでは、とりあえず美術室のほうに行ってみましょうか。急がないと昼休みが終わってしまいますし……」

 薔薇乃はそう話しながら部室の中を物色するようにふらふらと歩いていたが、ふと気がついたように声を上げた。

「あら……?」

 薔薇乃は机の上から、杏の書いていたメモ用紙を手に取った。

「あっ……それ、まだ下書きですから見ちゃダメですよぉ」

 杏は慌てて止めるが、薔薇乃はメモを離そうとしない。

「すみません、でも少しだけ――ふふっ。これは……」

 薔薇乃がそれを見てなにやら面白そうに笑うので、十香と美夜子も横から覗き込んだ。杏は記事に使う見出しの内容を考えていたと言っていたが、それがどういうものなのかは少し気になる。メモには三つほど、見出し文の案らしきものが並んでいた。

『怪奇! 夜の学校に出没する幽霊の正体は!?』
『首のない怪物、恐怖の闊歩!』
『首なし用務員、四たび現る! 新たな目撃者はいばら姫』

「新聞は新聞でも、スポーツ新聞とかそっち系だなこりゃ……」

 十香は苦笑する。

 まぁ、ニュースがニュースなだけにそういうのもありか。『いばら姫』とは薔薇乃のことだろう。薔薇からいばらを連想したのか……なかなか洒落た言い回しをする。薔薇乃の学内でのポジションを考えれば、姫というのもあながち間違いじゃないかも知れない。

「ん……?」

 見出しの案とは別に、メモ用紙の下側に小さく何かが書いてあるのに気がつく。『名前・SB』と書いてあるようだ。これは、何の意味があるのだろう……? 名前、SB……誰かのイニシャルだろうか?

「ダメですってば!」

 杏はすっかり顔を赤くして、メモを取り返そうとする。

「ふふ、失礼しました。記事の執筆、頑張ってくださいね」

 そう言って、薔薇乃は杏へメモを返した。杏はほっとしたように言う。

「えへへ、はい……。東先輩のためにも、今回は特別気合いを入れるつもりですから」
「東さんのために?」
「あっ、いえ、変な意味じゃなくって。その……次の号を発行したら、東先輩は部活引退ですから。先輩にとって最後の新聞だし、私も頑張らないと」

 そうか……文化部の部活動は大抵、秋の大会や文化祭を節目に三年引退となるが、新聞部の場合は十月号の発行がそのタイミングとなるわけだ。

「そうだったのですか……東さんもそのお気持ちを知ったら喜ばれることでしょう」
「そ、そうですかね?」

 照れる杏に、美夜子が言う。

「杏ちゃん、新聞部のこと大好きなんだね」
「……そう思う?」
「杏ちゃんの話し方聞いてればわかるよー」
「あは、そっか。まぁ、そのとおりなんだよね。私、中学校でも新聞部に入っててさ。その流れで高校でも新聞部に入ったんだ。さすがに、部員が私含めて二人だけってのには驚いたけど!」

 杏は苦笑しながら続ける。

「でも、先輩はすごく良い人で色々教えてくれるし、新聞書くのも楽しいよ。この部活選んで、良かったと思う。だから……」
「……? だから、なに?」
「あっ、いや、なんでもない! 気にしないで」

 慌てて両手を振って、杏は何かを誤魔化した。少し気にはなるが、今はまず美術室の噂のほうを優先するとしよう。十香は杏へ向けて軽く手を上げて言う。

「じゃ、また放課後に顔出すよ」
「またねー」

 ――新聞部の部室を退出して、美術室へ向かう。美術室は南校舎の一階、東端に位置している。北校舎三階の新聞部部室からは一番遠い位置だ。美術室のドアの前まで来たところで、美夜子が言う。

「そういえば、先生はいるのかな? 今の美術の先生って、話したことないんだよね。あたし音楽選択だし」

 十香も書道選択だったので美術の教師はよく知らない。たしか……かなり歳のいったおじいさんじゃなかっただろうか? 教師が在室なら、気難しいという園崎ではなくそちらに話を訊いてもいいかもしれない。

「とにかく、入ってみましょう」

 薔薇乃が美術室のドアを開けると、中には教師の姿はなく、男子生徒が一人いるだけだった。彼は新聞紙を敷き詰めた作業台に向かっていたが、ドアの音を聞いて薔薇乃たちに気づいたようでこちらを振り向いた。男にしては髪が長く、神経質そうな目をしている。

「……なんだ、君たちは? 美術部の人間じゃないな。邪魔だから出ていってくれないか」

 いきなり取り付く島もない。普通、何の用事かくらい訊くもんじゃないか……?

 薔薇乃は動じずに話を切り出していく。

「三年の園崎さんですね。わたくしたち、新聞部の東さんからのご紹介でここへ参りました。少々、伺いたいことがあるのですが」

 東の紹介で――というのは嘘だが、まぁ問題ないレベルの嘘だろう。しかし、園崎の反応は芳しくなかった。

「東の? 新聞部……ではないようだが、手伝いか?」
「そのようなところです」
「……二週間後に秋コンクールの締め切りなんだ。つまり今忙しい。悪いが後にしてくれるか」

 園崎はまた作業台に向かう。彼が取り組んでいるのは彫刻らしい。サッカーボールくらいの大きさの白い石材に彫刻刀を入れ、ごりごりと音を立てている。

「……後というと、いつ頃に?」
「知らん」

 ひえー……こいつは手強いぞ。どうする薔薇乃……。

 十香は不安に思い薔薇乃のほうを見たが、彼女はとくに狼狽えた様子もなかった。それどころか不敵な笑みを浮かべ、却って堂々と言ってみせる。

「では、都合がつくまでここで待たせていただきます」
「む……」
「わたくしどもは特に予定もありませんので、急がれなくても結構ですよ。園崎さんは春のコンクールで大きな賞を取られたと聞き及んでおります。そのお手並みをここでじっくりと見学させていただくことにしましょう」
「むぅ……」
「それは、アラバスターですね? ああ、質問しているわけではないので無視してください。わたくしが勝手に独り言を呟いているだけの、トゥイッターですので」
「とぅ……?」
「アラバスター、日本語では雪花石膏と呼ばれるものですね。その名が示すとおり純白の石肌に冷たい質感、真珠のような光沢を併せ持ち、石材としての加工の容易さもあって古来より多くの彫像その他の美術・工芸品に用いられてきました。代表的なものでは古代エジプトで香油入れとして用いられた陶器、アラバストロンがあります。ギリシア美術においてもはじめは工芸品に、ヘレニズム文化の芽生えて以降は彫刻にも用いられてきましたが、ローマ時代以降は窓ガラスの代わりとして用いられるようにも――」
「ぐ……ぬああああっ!」

 園崎は彫刻刀を乱暴に机へ叩きつけた。

「真横でぺちゃくちゃぺちゃくちゃと……集中できんだろうがっ! わかったよ! 質問には答えてやるから、手短にしてくれ……」
「ご厚意、感謝致します」

 薔薇乃がにこりと笑い頭を下げる。意外とすんなり質問権を獲得することに成功した。薔薇乃の嫌がらせ――もとい説得がそれだけ効果的だったということか。

 薔薇乃は園崎に、伸司のメールに書かれてあった噂について尋ねた。

「――美術室で、首のない人影を、ね。……まぁ、心当たりがないわけじゃない」
「ほんとに!?」

 美夜子が興奮したように言う。

「君らの望むような答えじゃないと思うぞ。まぁ、こっちへ来てみろ」

 園崎に連れられて、隣の美術準備室へ移動する。

「あっ……!」

 十香は思わず声を上げてしまった。美術準備室の壁際には、腰ぐらいの高さになる棚が置かれてある。その上に、石膏で作られた像が並べられていた。胸像、首像、幾つかの種類があるようだが、その中の一つに、胴体だけで顔のない像があった。

「いわゆる、トルソーというやつだな。手足と首のない彫像のことだ。ここの像はどれもスケッチの題材によく使うから、隣りに移されそのまま放置されてあることも多い。おそらくこの像を見た誰かが勘違いして、そんな噂を流したんだろう。馬鹿馬鹿しいことだが、例えば夕方の薄暗い頃に窓の外から見たのなら、不気味な人影に見えるということもあるかもしれん」
「なんだ、そのしょーもないオチ……」

 明らかにハズレだ。首なし用務員とは関係ありそうもない。もしかしたらその生徒も、首なし用務員の噂に影響されてそんな見間違いをしてしまったのかもしれないが。

 やれやれ……とため息をついていると、薔薇乃が美術準備室の中をあちらこちらと物色するように眺めていることに気づいた。

「どしたー、薔薇乃?」
「いえ……今調べていることとは関係ないのですが、少し気になったことが」
「なんだよ?」
「ほら、昨日、東さんがおっしゃっていた七不思議。あの中に、美術室の絵画である『影の国』をずっと見ていると、絵の中に引きずり込まれる……というものがあったでしょう? それなのに、隣の美術室にも、この準備室のほうにもそれらしき絵は見当たりません」

 それを聞いて、園崎が反応する。

「『影の国』……? 俺は一年の春からずっとこの美術部にいるが、そんな絵の話は聞いたことがないぞ」
「……昔に作られた七不思議とのことですから、既に絵はどこかへ移されてしまったのかもしれませんね」

 まぁ、そういうこともあるだろう。

 ……そういえば、美夜子の姿が見当たらない。そう思って隣の美術室へ戻ってみると、美夜子はテーブルの上に置かれてあったチラシを見ていた。

「なんじゃそりゃ?」

 十香が横から覗き込んで訊く。

「んー、彫刻展の案内だってさー」

 チラシによると、近くの美術館で彫刻の作品展が行われるらしい。開催日は次の土曜日から、気鋭の彫刻家たちの作品が集まる一大イベント……というような旨のことが書かれている。

「なに? そーいうの興味あんの、お前?」
「いや、そーいうわけじゃないケド。置かれてあったからなんとなく見てただけー」

 すると、園崎が準備室から戻ってきて言う。

「お……なんだ。君ら、その彫刻展に興味があるのか?」
「いや、だからないって……」

 十香の言葉は聞こえていないようで、園崎は勝手に続ける。

「なかなかない機会だから、ぜひ観に行くといい! 俺も少し前から放課後に立ち寄って、設営の手伝いをさせてもらっていてな。プロの作品を近くで見れるし、良い勉強になっているぞ」
「……ふーん」

 ま、どーでもいいや。

「――そういえば君ら、東の手伝いで来てたんだったな。あいつ、どんな調子だった?」

 園崎はいくらか表情を軟化させて言った。

「ええっと……」

 そう言われても、昨日の昼休みに会ったきりなんだけどな……しかしその時の様子で言うなら、

「わりと気合い入ってたように見えた……かな?」

 落ち着いた口ぶりではあったが、首なし用務員のスクープに内心胸を躍らせているような印象は受けた。園崎は納得したように頷く。

「だろうな。こんな派手で妙なニュースは滅多にないし、校内新聞のネタとしては上等だ。まぁ校内新聞なんて、行事の記録や部活動の活躍をちょろっと書くくらいで、毒にも薬にもならないようなものでいいだろうと俺は思うんだが……。東は違う考えだったようだ。部活を引退するまでに、一度は全校生徒から注目されるようなスクープ記事を書いてみたい――時々、そんなことを言っていたよ」
「それはまた……少し、意外な気もしますね」

 いつの間にかこちらに戻っていた薔薇乃が言う。ちゃっかり話を聞いていたらしい。

 まぁたしかに、東の性格からするとらしくない。どちらかというと、そういうことを考えるのは杏のほうだというような気がする。園崎は真面目な口調で続けた。

「……俺が思うに、責任を感じてるんじゃないか。新聞部はうちの学校では古参の部活動で、それなりに歴史があるらしい。しかしその新入部員は去年入った一人だけで、危うく今年、東の代で廃部になるところだったからな。自分がもっとみんなから関心を持たれるような面白い新聞を書けていれば、もしかしたら新聞部の部員が今より増えていたかもしれないと考えたのか……。もっとも、部員の数なんて、東の努力だけでどうにかなった問題ではないと俺は思うけどな」

 新聞部の部員が少ないことに、東は責任を感じていた……それから転じて、みんなから注目されるような面白い新聞を書きたいと考えていた……なかなかに難しい問題だ。例えば今回、首なし用務員の特集記事が注目されたからといって、それで部員が増えるというわけでもないだろう。まずは部活動が広く認知されれば、それで充分なのかもしれないが……。

 十香たちは園崎にそれぞれ礼を言ってから、美術室を退出した。

「――ところで、二人にお伝えしようと思っていたことがあるのですが」

 廊下に出るなり、薔薇乃が突然言い出した。

「昨日、調べてわかりました。一昨日の夜、九時過ぎから――ほんの十五分ほどですが、ここら一帯ににわか雨が降ったようなのです。気象庁のウェブサイトで確認したので間違いありません」
「雨……? ……それが、どうかしたのか?」

 十香が尋ねる。雨……そういえば――今日は昼過ぎから雨になるという予報だったか。さっき屋上で昼食をとっている間も、既に雲行きが怪しい感じだった。いや、問題は今日の雨ではなく、一昨日の雨か。……何かあっただろうか?

「おわかりになりませんか?」

 にこにこと笑って、薔薇乃は十香を試すように問いかける。

 ええっと、待てよ? 一昨日の夜九時過ぎっていったら……そう、薔薇乃が首なし用務員を目撃した頃だ。その時間に短い間だが、雨が降っていた……だから、どうなるというのだろう?

「薔薇乃ちゃん……もしかして……?」

 美夜子が何かに気づいたように言う。

「美夜子はわかったようですね」
「うん……実はあの人のことで、さっきのアレもちょっと気になってたんだよね」
「ああ、アレですね! やはり美夜子もおかしいと思いましたか、さすがです」

 薔薇乃は感銘したように言った。美夜子は眉間を指でこするようにして考えながら、

「二つを合わせると、かなり怪しい……けど、百パーセントじゃない。もしかしたらただの思い過ごしかもしれないし……どうしたらいいんだろう?」
「あるかどうかもわからない証拠を探すよりは、本人に直接問いただしてみたほうが早いかもしれませんね。もっとも、正直に話してくれるとは限りませんから、こちらも小細工を用いることにしましょう」
「なるほど……んふふっ。それ、いいかもね!」

 薔薇乃と美夜子は、なにやら一つの結論に辿り着いたらしかった。

「あのさ……ちょっといいか?」

 十香の声に、勝手に盛り上がっていた二人が振り返る。十香は呆れたように続けた。

「あたしにもわかるよーに話してくれないかね? キミたち……」





 ――放課後。伸司は昨日の約束通り、学校中庭の東屋を訪れていた。実紗希を連れて河嶋の家へ行くので、その待ち合わせだ。東屋は目立つので待ち合わせにはぴったりだし、中庭から少し歩けば駐車場へも出られる。

 昼過ぎから降り出していた雨の中を歩いて東屋に到着するが、実紗希の姿はまだ見えない。伸司は傘をたたんで、東屋の中で待つことにする。

 ……この雨では誰も見ていないだろうし、一本くらいならいいか。伸司は腰掛けに座して、胸ポケットから煙草の箱を取りだした。

 一服始めたところで、伸司は東屋を支える柱のそば――腰掛けの端のほうに、紙が置いてあるのに気がつく。小石で重しがしてあるのは、風で吹き飛ばされないように、ということだろう。

 近寄って見てみると、紙にはボールペンらしき字で、縦に一文だけが書かれていた。

『先生へ 少し遅くなります。ごめんなさい』

「これは……」

 実紗希からの伝言か。紙の裏を見てみると、数学の計算問題が書かれている。プリントの裏面を書き置きとして流用したのだろう。それから五分ほどして、学生鞄を持った実紗希が傘を差しながらやってきた。

「よぉ」

 伸司は軽く手を上げて言う。

「ご……ごめんなさい、先生……待った?」
「いや、今さっき来たとこだ。……おいおい、大丈夫か?」

 駆け足でここまで来たらしく、実紗希は息を切らしていた。彼女は傘をたたんで、伸司の向かい側に座る。

「うん……大丈夫。あ、煙草……学校の中は、ダメなんだよ?」
「うっ……。そ、そうか。わりぃ」

 吸いかけの煙草を携帯灰皿の中に押し込んだ。やれやれ……。

「これがここにあったってことは、先に来てたんだろ? 何か用事でもあったのか?」

 と、伸司は書き置きの紙を見せて尋ねる。

「うん。ちょっと保健室にね。病院の診断書を提出するように言われてたの。ついでに保健室の先生とちょっとお話しすることになってたから、長くなるかもと思って……」

 だから、予めここに書き置きを残してから保健室に行っていたのか。

「病院の診断書って……。お前、どこか身体が悪いのか?」
「あ……うん。ちょっと、心臓がね。生まれつき弱いんだ」

 実紗希はそう言って、自分の胸に手を当てる。

「それで定期的に、病院で検査を受けてるの」
「……そうなのか」

 外見からはわからなかったが……その身体のことで、色々と苦労をしてきたのかもしれない。

「えっと……もう、河嶋先生の家に行けるの?」
「ん……ああ、さっき連絡しておいた。そろそろ出発するか」

 伸司と実紗希は東屋を出て、伸司の車を停めてある駐車場へ移動した。

 実紗希を助手席に乗せ、河嶋邸まで車を走らせる。十五分ほどで着く予定だ。その途中、伸司は実紗希へ、ずっと気になっていたことを尋ねてみた。

「なぁ……いい加減、教えてくれてもいいんじゃないか? お前どうして、十三年前の美術部の名簿なんて探してるんだ?」
「…………」

 実紗希は気まずそうにうつむいてしまう。

「ダメ……か」

 伸司が諦めかけたとき、実紗希が言った。

「……ある人からの、頼みなの」
「ある人?」
「すごくお世話になってて……一番、大事な人なんだ。だから……」
「頼みを聞いてあげたってことか。しかしその人はなんでまた……?」
「その人も昔、夕桜中央に通ってて……美術部だったんだ」
「もしかして、十三年前の部員だったのか?」

 実紗希は頷く。

「同じ美術部に、とっても仲の良い友達がいたらしくてね。でも……途中で転校しちゃってそれっきりみたいで。どうしてもその人ともう一度、話をしたいんだって」
「だから、美術部の名簿を?」
「うん……」

 少し前なら卒業アルバムに連絡先が載っていたこともあったが、転校したのならそれもなかったのだろう。

「……いや、待てよ。それ、おかしくないか? だって、その友達はどっか別の場所へ転校しちまったんだろ? 当時の名簿に載ってるのは古い連絡先のはずだ。その名簿を見つけても、連絡は取れないと思うぞ」
「ううん、違うの。名簿を探してたのは、連絡先を知るためじゃなくて……」
「……?」

 ……わからなくなってきた。

「どういうことだ?」
「その転校した友達の名前……もう思い出せないって、言ってた。だから名簿を見てまず名前を思い出してから、その後で今の連絡先を調べるつもりでいるみたい。名前さえわかれば、どうにかなるだろうって」
「思い出せない、か……」

 十三年前に別れたきりというのなら、そういうこともあり得る……かもしれない。しかし、名前を忘れてしまうような相手に、そうまでして連絡を取ろうとするだろうか? ない、とは言い切れないが……。

「どうしてその人は、十三年前に別れた友達と、今になって話をしたいと思ったんだ?」
「ずっと、心のどこかでその友達のことが引っかかっていて……もう一度話ができれば、その引っかかりが消えてくれそうだからって……そう、言ってた」

 なんというか、随分と曖昧な感じだ。

「その……お前に名簿を探すように頼んだ人の、名前は?」
「遠宮……遠宮椿姫(とおみやつばき)」
「遠宮? 同じ名字か。お前とはどういう関係だ?」

 普通の家族という口ぶりではなかったような気がする。実紗希は少し考えるようなそぶりをしてから、

「ええっと……保護者、かな?」

 疑問形で言うなよ……。

「その……本当のお姉ちゃんみたいな人なの」
「……そうか」

 色々と事情がありそうだが、実紗希は椿姫のことを相当信頼していると見える。

 ――話をしているうちに、河嶋の家に到着していた。住宅街に並ぶ、平凡な――しかし多くの者にとっては手の届かない――二階建ての一軒家だ。

 伸司は車を路肩に停め、傘を差しつつ外へ出る。それから、門の横にあるインターホンを鳴らした。スピーカーから『はい』と女性の声が返ってくる。

「どうも。先ほどご主人へお電話差し上げた、鳥居と申しますが」
『ああ、鳥居さんね。はいはい、主人から聞いております。どうぞお入りください』

 と、機嫌の良さそうな声で招かれた。

「よし、じゃあ行くか」

 実紗希へ向かって言うと、彼女は緊張したような面持ちで頷く。

「大丈夫だよ。大体のことは俺のほうから説明するし、それに、電話した感触では優しそうな先生だったぜ?」
「う、うん……」

 実紗希は少しだけ勇気づけられたように、微笑んだ。





「――では、何かあったら言ってくださいね。ごゆっくり」

 河嶋夫人がお茶を運んできた御盆を片手に、居間から出ていく。

「遠宮……か。まさか今になってその名前を聞くとは思わなかったよ」

 河嶋登(かわしまのぼる)はソファに座ったまま、深くため息をついた。痩せていて、白髪頭も薄くなりかけた男だった。その姿は失礼ながら、疲れきった老人そのものだ。彼の後ろ側の窓を雨が打っている。その音だけが部屋に響いていた。

 伸司と実紗希は、テーブルを挟んで河嶋の向かい側のソファに座っている。伸司は紅茶を一口飲んでから、カップを置いた。

「遠宮椿姫さんのことは、覚えていらしたんですね」
「ああ。忘れたことなど、一度もないよ。この十三年間……一度もね」

 河嶋の言葉には、なにか含みがあるように思えた。

「……遠宮さんは、当時のご友人に連絡を取りたがっているそうです。しかし、問題がありまして……」

 伸司は車中で実紗希から聞いた、椿姫の事情についてを河嶋に話して伝える。

「――友達の名前を……思い出せない? そのために、名簿を?」
「ええ。河嶋さんなら思い当たりませんか? 当時の彼女が、美術部内で特に仲良くしていた人物について」
「特にもなにも……遠宮は美術部の連中とは殆ど話をしておらんかったよ。一人を除いてはな。その子とは、親友同士だったんだろう」
「一人だけ、ですか……。遠宮さんのご友人は転校されたというふうに聞いていますが、その方もそうでしたか?」
「転校……いや、そうではなかった。彼女は……退学になったんだ。二年生の、夏休みに入る前だったな」
「退学、ですか? ……なぜ?」
「ある事件を起こしてしまってな……そのせいで」

 退学と転校の違いがあるとはいえ、友人らしい付き合いをしていたのがその一人だけだったということは、椿姫の探している友達が、その退学になった人物である可能性は高そうだ。

「……その事件については、後ほどお伺いしようと思います。まずは教えてください。その方の名前は?」

 河嶋はテーブルの上に置いていた古い紙箱を開ける。蓋の部分には、ちょうど十三年前の年度が記されていた。

「美術部関係の資料はこんなふうに、年度ごとにまとめて保管してある。名簿も、写真もあるぞ」

 河嶋は紙箱から名簿のファイルを取りだして、テーブルの上で開いた。ずらりと並ぶ名前を上から指でなぞりながら探していき……。

「ええっと……あったあった。この子だ。この子が、遠宮椿姫の親友だった子だよ」

 河嶋がファイルをこちらへ向けて、その名前を指さす。伸司が見るより先に実紗希が飛びついて、その名前を読み上げた。

「……水鏡優月(みかがみゆづき)さん?」

 ――雨の音が、一際大きくなったような気がした。身体が急速に熱くなっていくのを感じる。

「ま……待ってくれ。今……今、なんて?」

 伸司は動揺する気持ちを押さえながら言った。実紗希が答えるより先に、河嶋の手からファイルをひったくるように取って、彼が指していた名前を確認する。

 水鏡優月――本当に、書いてある。何度も、何度も見てきた名前。十三年前に高校生……? ……年齢は、一致する。

「写真……写真はありますか!? 彼女の……」
「あ、ああ。たしか、一枚だけあったはずだ。三年が引退するときに、全員で撮った写真がある。……ほら、これだ」

 河嶋から写真を受け取る。美術室で撮影された集合写真だ。

「一番後ろの左端が遠宮で、その隣が水鏡だ」

 ……写真に映る優月は、左隣の少女に寄り添いながら顔の横でピースサインを作っている。記憶にあるものよりも幼いが、間違いなく……“彼女”の笑顔だった。

 伸司は片手で顔を覆って、深く息を吐いた。

 なんて……なんて巡り合わせだ。こんな偶然が……本当にあるのか?

「あの……先生?」

 実紗希は急に様子が変わった伸司を、不安と疑問がない交ぜになったような表情で見つめていた。

「水鏡って人……知り合いなの?」
「…………ああ。そんなもんかな」
「それって、すごい偶然だね……。あっ、じゃあ……連絡先も、わかる!?」

 伸司は黙って、ゆっくりと首を横に振った。実紗希は落胆したように言う。

「……連絡先は、知らないの?」
「そうじゃない……そうじゃないんだ」

 伸司は感情を無理やり押し殺すような声で、静かに言った。

「水鏡優月は…………もう、この世にはいないんだよ」
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