裏稼業探偵

アルキメ

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case6 ブラインド・ボイス

1 狩猟

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 ――夕桜(ゆざくら)市の都市郊外に、『江ノ神(えのがみ)レジデンス』というアパートがある。

 ほとんど廃れかけた、古い建物だった。鉄筋コンクリート造りの五階建てで、中央は口の字形に全層を貫く吹き抜けになっているという、独特な構造である。

 アパートとしては大型の部類に属するが、近年は住人の数が乏しく、ところどころコンクリートの壁がひび割れていたり、電灯が点かなくなっていたりするのも放置され、半ば廃墟も同然の状態だった。

 そして今、このアパートを根城にしている集団がいる。男ばかり、三十名ほどの柄の悪い連中で、残り少なかった他の住人は彼らを恐れ、短期間に次々と転居していった。アパートに残ったのはその集団のみで、事実上、そこは彼らの城となっている。

 彼らの正体――それは『スケアクロウ』と名乗る、殺しもいとわぬ過激な強盗団だった。表沙汰にできないような商売をしている組織を狙って襲撃するため、警察にも未だその存在を知られてはいない、アウトサイダー集団。つい先日にも、とある密輸組織が擁する事務所の一つを襲い、六人を殺害した上に八千万円もの大金を強奪していた。

 時刻は午後の十時半。強盗団はアパート内で複数の階、複数の部屋に居座っており、一階の103号室にはそのうちの五人が集まっていた。

「――なぁ、次はどこを襲うんだよ? クサいとこの目星は付けてんだろ?」

 リビングの隅に座っている三人が、花札でオイチョカブをしながら話している。

「焦んなよ。まだ前回から間が開いてない。しばらくは大人しくするってみんなで決めたろ」
「つまんねーなぁ」
「へへ、お前はただ人殺しがしたいだけだろうがよ」
「だってよぉ。この間はあっという間に終わっちまったから、暴れたりねぇんだよ」
「次襲うなら、女のいるとこにしようぜ。俺、一度試してみたいことがあってさ。ヤりながら殺したらどうなるかってやつ」
「うはは、趣味わるぅ」

 三人とは別に、一人はリビングのソファに座って携帯ゲームをしていた。ガタイの良い長髪の男だ。長髪はゲーム画面から顔を上げ、「ふーっ」と一息つく。鼻炎のために赤くなった鼻を手でこすってから、

「よぉーし、やっと敵将の前まで辿り着いたぜ。――おい、なんか飲み物取ってくれ」

 ソファ横のキッチンでカップラーメンを食べていた口髭の男へ向かって言う。口髭は不機嫌そうに返した。

「そんくれー自分で取れよバカ」
「お前が一番冷蔵庫に近いじゃねーか。俺はここのボスを倒すので忙しいんだよ」
「おー。じゃ、俺の分も頼む。ビールでいいぜ」

 隅にいる三人のうち一人が便乗して口髭へ言った。

「チッ……なんで俺が……」

 口髭は不満そうにしながらも箸を置いて椅子から立ち上がり、冷蔵庫へ向かう。部屋のチャイムが鳴らされたのは、そのときだった。

「あー? 誰だ? こんな時間に」

 口髭は冷蔵庫からビールを二缶取り出しつつ言う。

「あーーっ!? クソっ!」

 長髪が大きく頭を振りながら叫ぶ。

「こいつ一パーセントしかねぇのに必殺出しやがった! アリかよそんなの! あと一発で倒せてたのに!」
「おめぇはゲームごときでいちいちうるせーんだよ!」

 口髭はソファに座る長髪へビールを放り投げる。

「一区切りついたんなら、誰が来たのかちょっと見てこいや」
「ったくよぉ、またリセットかよ。てごわすぎてやってらんねぇぜ……」

 愚痴を漏らしながら長髪はソファを立って、部屋から廊下へと出る。玄関へ向かい、扉の覗き穴を覗くと、そこから異様な光景が見えた。

「女……?」

 白いカチューシャ、レースの付いたチョーカーとエプロン、膝丈のスカートに黒のニーソックス――メイド服を着た、黒髪ロングヘアの美人だった。体格は細身で小柄。かなり若く、成人しているようには見えない。

 女がなぜここに? しかも、その恰好はなんだ? 長髪は軽く困惑しながら玄関の扉を開いた。

「ええっと……あんたは?」

 尋ねると、相手は眩しいばかりの満面の笑みで答える。

「こんばんはっ! 『快楽天使』から来ました、ナツメでーす。今夜はよろしくね?」
「あ……? 快楽……? ナツメ……?」
「はい。……えっと、さきほどお電話、くださいましたよね?」
「で……デリヘルかよ? どっかと間違えてねぇか?」
「えー? そんなはずは……ここって聞かされてたんですけど、違いましたか?」

 ナツメはメイド服のポケットから一枚のメモ用紙を取りだして、長髪に見せた。たしかに、ここの住所が書かれている。部屋の号数まで一致していた。

 ……部屋の誰かが頼んだのか? でも電話していたやつなんていなかったし、頼んだのなら俺が玄関へ行く前に教えたはずだ。俺が勝手に追い返しちまうかもしれねぇんだから。

 じゃあ誰かのイタズラか? このアパートに前住んでいたやつの嫌がらせとか?

「なにか、連絡の行き違いがあったみたいですねぇ……で、どうします?」
「あ? どうしますって?」
「せっかくここまで来たんだし、私のこと買ってくれません? お安くしときますよ、うふふ」
「うっ……」

 ナツメは妖しく微笑んで長髪を誘惑する。これほどの上玉、並みの風俗ではまずお目にかかれない。やや目元がキツい印象を受けるが、それが却って男の本能を刺激するような感じだ。もう長いこと女を抱いていないし、ここまで言われたら我慢はできなかった。

「ま、まぁそうだな。ナツメちゃん……だっけ? せっかくだからお願いするわ。あっ……でも、この部屋は邪魔な奴らがいるから、どっか別の部屋に移動しよう」
「あっ、お友達がいらっしゃるんですか? 何人くらい?」
「俺の他に四人だけど……」
「私は大丈夫ですよ。体力ならありますし」

 ナツメはそこで男へ耳打ちするように小声で言う。

「……それに、好きなんです。……沢山の男の人にされるの」
「ま、マジかよ……そんじゃ、とりあえず中へ……」

 長髪は興奮しつつ、ナツメを部屋へ招き入れる。

「ナツメちゃん若いよね。何歳なの?」
「十六です」
「へぇ、じゅうろ……十六ッ!?」

 ナツメは口の前で人差し指を立てて笑う。

「うふふ、秘密ですよ? お店にバレたら色々面倒なんで……ね?」
「お……オーケーオーケー。俺、口は堅いから安心して」

 長髪はどぎまぎしつつナツメへ背を向けた。ナツメが玄関で靴を脱ぐのを待ちつつ、照れを誤魔化すように首筋を掻く。

「いやぁ、でもナツメちゃんすごくかわいいから緊張しちゃうな」
「えへへ。私、そんなにかわいいですか?」
「かわいいかわいい! あとは胸が大きかったら完璧……なんつって」
「胸が……」

 背後でナツメのしゅんとした声がした。長髪は慌てて取り繕おうとする。

「ああいや、冗談! じょーだんだよ! 気にすることないって、きっとナツメちゃんもこれから大きく――あがっ」

 男がナツメのほうへ振り向くのと同時に、彼の口へ、黒くて硬い何かが突っ込まれた。男は一瞬何が起こったかわからなかったが、すぐにそれが何なのかを理解する。

「んん……ッ!?」

 男は喉の奥から恐怖の声を上げるが、くぐもった音にしかならない。

 ――銃だ。ナツメの手に握られた拳銃の銃口が、口の奥深くまで突っ込まれていた。

 どこから……!? 服に隠していたのか!? それより、なんでこんなものを持って……!?

「残念ながら、胸は大きくならないんだよねぇ。まっ……当然だな」

 それまでとは打って変わって、トーンの低い声でナツメは言う。銃を構えたまま、もう一方の手をメイド服の襟口から入れて、胸元から何かを取りだした。二枚の胸パッド。ナツメはそれを床へ放りながら、ニヤリと笑う。

「――だって俺、男だからさ?」





 右手に構えた45口径の自動拳銃――デトニクス・コンバットマスターを長髪の男の口腔内に押し込んだまま、ナツメは廊下を前進する。男もそれに合わせて後退した。

「ら……らんらんら(なんなんだ)、おふぁえ(おまえ)……」
「俺? そうだな……地獄の使者、ってとこ? 冥土(メイド)だけに。いひひ」

 ナツメは笑うが、一方男は恐怖に睫毛を震わせる。

「あれ、面白くなかった?」
「ひ、いえ……」
「ふーん……」

 ナツメの冷たい視線に、男は怯えたような声を出す。ナツメはそれを馬鹿にしたように笑い、

「ま、いいや。お前らさぁ、ちょっと暴れすぎなんだよ。バカだねー、まったく。お前らが余計なことしなけりゃ、俺もこんなめんどくせぇことしなくて済んだのに」

 そこでナツメは顎をしゃくって奥を指し示す。

「扉開けてくれる、おにーさん? あ、ゆっくりお願いね。急に動かれると、びっくりして引き金引いちゃうかもだから」
「あ、あふっは(わかった)……」

 男は慎重な動きで、後ろ手にリビングへの扉のノブを掴み、開いた。

「おう遅かったな……って……なんだ、お前っ!?」

 正面奥のキッチンにいた口髭が驚いてテーブルから立ち上がる。右手側の壁近くには三人の男が座っていて、全員ギョッとしたような表情でナツメのほうを見ていた。メイド服を着た侵入者によって、仲間の一人が口内に銃を突っ込まれているとなれば驚愕しないわけがない。

 ナツメは銃を構えたまま、瞬時に部屋の状況を確認する。

 キッチンのテーブルにはコルト・ガバメントが一丁――口髭が手を伸ばせばすぐに届く位置。右の三人も銃を持っている可能性はある。とりあえず、この部屋には他に誰かが隠れている気配はない。口髭との距離は約四メートル、十度右にずれた位置。右の三人は三メートル半、右に七十度というところ――。

「クソッ!」

 口髭がテーブルの銃に飛びつく――それを予測していたようにナツメは銃を長髪の口に突っ込んだまま口髭の方向へ向け、引き金を引いた。

 耳をつんざく発砲音。

 長髪の左頬を貫通して発射された弾丸は、銃を手に取ろうとしていた口髭の左側頭部へ撃ち込まれる。

 長髪が火傷と銃弾貫通の激痛から悲鳴を上げるのと、口髭の身体が崩れ落ちるのはほぼ同時だった。

 右の三人のうち、一人が中腰になってズボンの腰元に挟んでいた銃を抜こうとする。しかしナツメはそれより速く――銃を男の口から引き抜いて、三人の頭部を連続かつ正確に撃ち抜いた。壁に三つ、血の花が咲く。

 ――躊躇のない、研鑽された技術と経験から行われる殺戮。ほんの数秒のうちに四人を殺したナツメは、頭のカチューシャとカツラを鬱陶しそうに外し床へ投げ捨てた。長い横髪を手ぐしで簡単に整えてから、足下にうずくまっていた長髪の男の頭を蹴る。

「喜べよ。お前は生かしておいてやる。色々訊くこともあるからな」
「こ、こんな……」

 穴が開き、どくどくと血を垂れ流す左頬を押さえながら、長髪は言う。

「こんな真似して、ただで済むと思ってんのか……! 銃声を聞いた仲間が大勢、すぐにやってくる。お前一人なんか簡単に……」
「俺一人なんか簡単に殺せるって? ハッ、甘いんだよなぁ」

 ナツメは嘲笑する。

「お前さぁ、ほんとに俺一人で来てると思ったワケ?」
「え……?」
「――ま、お前らなんて俺一人でもラクショーだったけどさ」

 ナツメはチョーカーの内側に隠していた咽喉装着型の無線マイクを手で押さえて、通信する。

「こちらナツメー。103号室は押さえたから、カザマ、上のほうはよろしくー」




 
 ――ナツメが103号室を制圧したのと同じ時間。アパート内、三階の階段の陰に、スーツ姿の男が屈んで身を隠していた。

 男のコードネームは「カザマ」。筋肉質な身体つきをしているが、顔立ちはホスト風の優男というところ。両耳にはピアスまで付けている。

 カザマは左眼を片手で覆いつつ、もう片方の手で首元のマイクを押さえ、話していた。

「――こちらカザマ。了解。下のほうは頼んだわよ。手抜かりないようにね、ナツメ。アンタは遊ぶ癖があるから」
『はいはい。わかってますよー』

 右耳の無線イヤホンから鬱陶しそうな声が返ってくる。カザマは「やれやれ」、と肩をすくめた。

 通信を終えると、カザマは立ち上がる。そして、左眼を覆っていた手を離した。――その左眼には、青い瞳の義眼が輝いている。

 いつもそうだ。仕事の前には、昔に受けた古傷が疼く。身体中の血がざわつく。長年の間に身体へ染み付いた殺戮の記憶、内なる獣が鎌首をもたげる。その暗い衝動に飲み込まれてしまわぬよう、カザマは常に冷静さを保つことを心がけていた。

 深く深呼吸をして、顔を上げる。

「――さぁてと。じゃ、こちらもいきますか」

 カザマが動こうとしたとき、中央廊下のほうから男たちの声が聞こえてきた。

「なんだ、何があった!?」
「下から銃声だ! この前のヤツらの報復かもしれねぇ! 武器持って下へ向かえ! 上のヤツらにも伝えろ!」

 中央廊下はアパートの中心部で口の字の形になっており、一階から五階までを貫く吹き抜け構造だ。コンクリート製の欄干から下を覗きこむようにすれば、下の階の様子も窺える。

 一階での銃声は、上の階まで届いただろう。今の男たちの声は一階下の二階からのようだったが……おそらく、この三階にも何人かいるはずだ。

 カザマが扉を開け中央廊下に出ると、ちょうど左側の通路から男が一人飛び出してきたところだった。

「だ、誰だてめぇ!?」

 男は持っていた自動拳銃をカザマへ向けて構える。カザマは余裕の表情で返した。

「悪いけど、三階から上は私の担当でね。下へは行かせないわよ」
「下のやつの仲間か!? くそっ……!」

 男が右手に持った銃を発砲――カザマはそれを、前屈みになって回避する。そのまま一気に男への距離を詰めると、相手の右手首を左手で掴んだ。続いて右手で逆手に握った得物を、相手の右前腕部へと突き刺す。

 人体を裂き、貫き、抉るのに特化する、屈曲した刃を持つ武器――大型のカランビットナイフが、カザマの得意とする道具だった。

「あっ……がぁっ!」

 男の悲鳴。カザマは瞬時にナイフを前腕から引き抜くと、今度は男の首筋を刺突。喉から発せられた悲鳴は一瞬で止まり、代わりに鮮血が噴き出す。男はふらふらと欄干の上に突っ伏すように倒れ、銃はフロア下へ落下した。

「ああああああああッ!」 

 カザマの後方から、もう一人の男が現れ襲いかかってくる。振り返り見ると、男の右手には、中南米で広く普及している大型の鉈(なた)――すなわちマチェットが握られていた。

 男が右手のマチェットを振り上げるのに合わせて、カザマはその懐へ潜り込む。その動きの俊敏さに、男はまったく反応できない。

 カザマは逆手に構えたナイフで右から男の腹を一閃――戻す動作に合わせて手首を返し、左膝を刺し抉った。
 
 膝へのダメージで男は体勢を崩す。男が膝をつく直前にカザマは左手で相手の顎を押さえ込んだ。男は為す術なく仰向けに倒れ込む。

 そのとき、後方の通路から新手が出てくるのをカザマは視界の端に捉えた。今度は二人。一人は大振りのサバイバルナイフ、もう一人は金属バット。もたつく暇はなさそうだ。

 仰向けに倒した男の首にナイフを突き入れ、トドメを刺した。すかさず後ろの二人が襲いかかってくる。

「死ねやおらぁああああっ!」

 まず向かってきたバット男に対し、振り向きざまに、遠心力を乗せた後ろ蹴りを打ち込む。

「ぐあっ」

 相当な威力で胸を突くように蹴られ、バット男が大きくのけぞった。

 次にサバイバルナイフを持った男の横斬りをくぐるように躱し、そのまま男の左側にすり抜ける。

 すれ違いざまに男の背後、腰から背中にかけてを右手のナイフで三度突き刺す。左手で男の後頭部の髪を掴むと、それを思い切り引っ張って吹き抜けの欄干へ頭を勢いよく叩きつけた。追い討ちにナイフで喉元を裂く。

 一人を処理したところで、バット男が再び向かってくる。両手に握った金属バットで、大振りな上段への攻撃。

 金属同士がかち合う音――カザマは右手のナイフで容易くバットを受け止めた。同時に左手の拳で相手の顎へ目がけてフックを打ち込む。

 並みの男なら脳を揺らされ、それだけで気を失ってしまいかねない威力のフック――しかし攻撃はそれだけでは終わらない。

 顎打ちから流れるように、拳の小指側を使っての打撃――すなわち拳槌によって相手の鼻を叩き折る。

 激痛に耐えかね、男が反射的にバットから左手を離し鼻を押さえる。カザマは左手でバットの持ち手部分を逆手に掴むと、相手がバットを握る右手の手首を外側へ捻るように動かして、それを奪い取った。

 逆手に握ったバットのグリップエンドで、相手の腹を深く、そして勢いよく突く。身体を突き抜けるような衝撃で男の肉体は軽く浮き、そのまま前屈みになった。

 頭の下がったところで、バットで左から側頭部を殴りつける。素早く順手に持ちかえると、左右交互に腰と膝を狙って滅多打ちにする。鳴り響くバットの金属音。

 男が体勢を崩したところで顎を下から打ち上げ――最後に、渾身の力でバットを振り下ろし、頭蓋を破壊する。

 これで四人、まずは順調――カザマがそう思いかけたときだった。

「――ッ!」

 銃弾の雨。廊下の角を挟んだ右斜め前方から、サブマシンガンによる攻撃を受けたのだ。

 咄嗟にバットを顔の前へ掲げて銃撃を防御しつつ、すぐに欄干の下へ身を隠す。相手の銃はイングラムM10。オート連射時のブレが激しく命中率は高くない銃だが、毎分一千発以上の連射速度は脅威だ。

 さて、どうするか。穴だらけになったバットを床へ放りながらカザマは考える。スーツは防弾仕様になっているから、露出した頭部にだけ気をつけていれば強行突破も可能といえば可能だが……いまいちスマートさに欠ける。

 最初に倒した男が持っていた拳銃は、下に落ちてしまったから使えない。そもそも銃を使った殺しは、カザマ自身のポリシーに反した。

 敵は銃の扱いに関しては素人と見て間違いない。欄干の下へ隠れた相手へ向かっていつまでも連射を続けているのがその証拠だ。装弾数の少ないサブマシンガンではあっという間に弾切れを起こす。

 ――案の定、すぐに銃声は止んだ。すかさずカザマは倒した敵の一人が落とした、マチェットを拾い上げる。

「ちょっと借りるわよ」

 マガジンを入れ替える音――反撃するなら今しかない。

 廊下の角まで移動されたら、次は遮蔽物のない真正面から撃たれる――その前に仕留めなければ。

 カザマは欄干から顔を出し、サブマシンガンを持った男目がけてマチェットを投げつけた。

「がぁっ!?」

 男の右肩を投擲されたマチェットが斬りつけて、男が倒れた。

 カザマは欄干の上に飛び乗ると、そのまま踏み切って空中を跳ぶ。足場のない中央部を跳んで、廊下を斜めに移動したのだ。

 斜め前方の欄干へ上手く着地すると、その勢いのままもう一度跳んで、倒れていた男の胸にナイフを突き立てた。男は呻き声を上げて絶命――これで五人。

 ――簡単すぎる。所詮ただのチンピラではこの程度か。これならたとえ百人を相手にしようとも完勝できる。

 前方すぐ近くの通路の扉が開いて、新手が走り出てくる。新たに現れた長ドスを持った男はカザマを見つけると、すぐさま突進してきた。

「死ねぇっ!」

 右手に持った長ドスを突きだしてくる。カザマは難なく右側へ避けつつ相手の右手首を左手で掴むと、ナイフを振り下ろして相手の前腕部を抉り斬る。そのまま相手の胸元へ刃を走らせ真一文字に切り裂く。

 左手を相手の後頭部へ回し、引き寄せて膝蹴りを入れると、よろめいたところで首筋へ向かってナイフを突き刺す。またカウントを追加だ。ナイフを引き抜こうとすると、カザマの身体はいきなり後ろへと引っ張られた。咄嗟に首を絞められ、ナイフを手放してしまう。

「くっ――!」

 雑魚相手だからと、気を抜きすぎたか――背後にもう一人いたのだ。ちょうど廊下の角――欄干に身を隠しつつ密かに近づいてきたのだろう。

 その男は右腕をカザマの首へ回すのと同時に、左の脇から左腕を通し十字に固め首を絞めていた。

「うっ……ぐ……!」

 拘束を逃れようと首へ回された腕へ手をかけるが、男の腕はますます強くカザマの首を絞め上げる。ならば――と、カザマは拘束されていない右肘で、背後の男の脇腹を突いた。腕の可動域の限界まで振りかぶり、渾身の力で連打する。

「がふっ……!」

 右肘を三発入れたところで男が息を漏らし、拘束が緩んだ。すかさずカザマは両手で相手の後頭部をがっちりと掴み、両足でジャンプしその反動で――勢いよく、前方へ男を投げる。男の身体は回転しつつ宙を舞い――ちょうど欄干へと叩きつけられ、その背骨が粉砕された。

 スーツの襟元を正す間もなく、両サイドの通路から男が一人ずつ現れる。左側には大型のダガーナイフを持ったドレッドヘアの男。反対の右側には、武器は持っていないが屈強な身体つきをした上半身裸の男。

 武器を手にする暇はない。このまま徒手空拳で相手をするしかなさそうだ。

 まぁ、それもいいだろう。カザマは内心、興奮しつつあった。

 ――身体中を心地よい高揚感が巡っている。いけない。落ち着かないと。それはわかっている。だから、楽しむのは少しだけ――。

「好き勝手やってくれたようだが、ここまでだ」半裸の男が睨みを利かせて言う。「ぶち殺す……!」
「――やれるものなら、どうぞ」

 カザマは薄く笑うと、左右それぞれへ手招きして挑発した。それを合図としたかのように、両サイドの男たちはほぼ同時にカザマへ向かって突進してくる。カザマはまずドレッドヘアの男へ向かい走った。

 男がダガーナイフを振り下ろす。その右手首をカザマは上段で両手に受け止め、左手を抜いてから相手の右脇に突き入れる。男が怯む。

 今度は右手で掴んだ相手の右手首を捻りつつ、壁にナイフの刃をぶつけさせた。握力が緩んだところへの衝撃で、相手はナイフを手から落とす。男は落としたナイフへ視線を動かした――そこへすかさず左の裏拳を顔面へ叩き込む。鼻を折るつもりだったが、男が咄嗟に顔を逸らしたので入りは浅い。

 男がそのままカザマから僅かに距離を離した。そして――右脚が動く。目線は上段。

 ハイキック――それを読んだカザマは、瞬時に男の左膝を蹴り飛ばした。軸足を失った男は前のめりに転ぶ。

 ドレッドを転ばせるとほぼ同時に、半裸の男が迫る。後ろからのパンチをくぐって躱す。更に、カザマが躱した先へ狙いすましたかのように左のミドルキック――これをカザマは右腕で防ぐ。

 こちらは身のこなしからして格闘技の経験がありそうだ。おそらく――キックボクシングか。防いだ右腕が僅かに痺れる。何度もまともに受けるのは危険だ。

 半裸男はニヤリと笑うと、勢いに任せパンチを連打する――が、その動きは単調だ。カザマはすべてを捌ききると、連打の打ち終わりを見定め、男の顎目がけて左の拳を打ち込む。続けて首筋へ右の手刀打ち。男の身体がぐらりとよろめく。

 顎を打ち抜いた左手をそのまま相手の左耳の下へと伸ばし、首筋を掴むと、一気に男の身体を引き寄せて腹へ膝蹴りを入れる。男は嘔吐するときのような声を上げた。

 カザマは男を押しのけつつ、相手の顔面目がけて前蹴りを打つ。靴底が男の鼻柱を折り、男は鼻血を出しながら仰向けに倒れた。

 視界の端に、ドレッドが再び襲いかかってくるのが見えた。振り返り相対してすぐ、相手の左ジャブを右手でいなす。

 続いて右のストレートが飛んでくる。カザマはそれを左へ身体を逸らして回避――同時に相手の右上腕へ右手をかけると、自分の右肩を相手の腕へ下から押し当てるようにして肘を曲げさせた。そうして相手の体勢を崩しつつ引き寄せ、左の手刀で顔面を打ち飛ばす。ドレッドは壁へぶつかって倒れかけたが――

「ぁああああああああっ!」

 シャウトしながら立ち上がり、また向かってくる。

 大振りな動きで突き出された左拳を右腕で受け止めつつ、左の猿臂(えんぴ)――すなわち肘打ちを相手の顎へ叩き込む。そのまま身体を半回転させつつ相手の懐へ潜り込むと、今度は右の後ろ猿臂で相手の右脇腹を突く。男から吐き出すような声が漏れる。カザマは身体を更に半回転させ相手の背後へ回り込み、足払いをかけて転ばせる。

 そして転んだ相手の胸ぐらを掴み上げ無理やり引き起こすと、相手の右側頭部を押さえてコンクリートの欄干へ、渾身の力を持って叩きつけた。叩きつけられた周囲のコンクリートがひび割れる。続けて一度、二度、三度――男の頭を欄干へ叩きつけると、最後に膝蹴りを加え完全にそれを叩き潰す。男の頭だったものは、壁に勢いよく投げつけられたトマトのようになった。

 直後――不意を突くように、左側面から半裸の男が跳び蹴りを放ってくる。右足を突きだした前蹴り。しかしカザマは既にその動きを視界に捉えていた。男の右脚を空中で掴むと、男はバランスを崩しそのまま上半身から床へ落下する。カザマはそのまま男の顔面を踏みつぶしにかかるが、男はギリギリで身をよじって回避。続けてカザマの足を蹴りつつ後ろへ転がり、立ち上がった。

 二人の距離は二メートルほど。カザマと半裸の男は互いに構え、睨み合う。半裸の男のほうは必死に呼吸を整え、一方カザマは――笑っていた。

 僅かな静止の後、まず相手が動く――右の下段回し蹴り。カザマは左脚を上げて回避しつつ、中段、上段と二連続で蹴りを打つ――が、相手はそれを右腕でガードする。

 カザマが左足を戻す一瞬の隙を狙って、男が右ストレートを打つ。速い――が、カザマの眼に捉えられぬほどではない。顔を逸らし紙一重で拳を躱す。その手首を右手で掴み、左の猿臂を相手の右肘へ打ち込んだ。

「ぅがあっ!?」

 骨の砕ける音。カザマの一撃で男の右腕はへし折られたのだ。男の表情は恐怖と苦痛に歪み、もはや使い物にならなくなった右腕を左手で押さえる。

 すかさずカザマは無防備な男の顎目がけてジャブを打つ――クリーンヒットし、男が呻く。

「うっ……くっ……」

 脳を揺らされよろめいて、男は欄干へもたれかかった。それを見て、カザマは追い討ちをかける。

 左脚でまず相手の腹を蹴り、顔が下がるとその顔面も蹴り上げた。最後に身体を捻りつつ跳び、宙で一回転した勢いを乗せて蹴りを――旋風脚を繰り出す。

 空気を切り裂き放たれた左脚が、斧の一振りが如き威力で男の顔面へ突き刺さる。その身体は欄干を乗り越えて吹っ飛ばされ――そして落下した。

 重い物が墜落する音が、三階まで響く。

 カザマは欄干から下を覗き込んで死体を確認すると、今度は上を見上げた。先ほどの攻防を一つ上の四階フロアから見ていたらしい男がびくりと反応する。カザマはそれを見て小さく笑った。

「さて……あと何人くらいいるのかしら?」




 ――五階フロアの中央廊下。通路から、男が一人出てくる。赤ら顔で、短パンにシャツ一枚という恰好からすると、深酒して今まで寝ていたようだ。

「あーもー……ったく、何の騒ぎだよ。おちおち寝ても……って」

 男の顔がみるみる青ざめていく。吹き抜けになった中央廊下には、無数の死体が転がっていた。五階フロアだけではない、下に見える四階、三階も惨憺たる有様だ。建物全体が血の臭いでむせ返りそうになるほどだった。

 男は狼狽して、欄干から身を乗り出すように下を覗き込む。

「な……なんだよこれ……どうなって――ぐぇ」

 男の声が途切れる。その喉元には、大型のカランビットナイフ。新手を警戒し、欄干の向こう側に張りつき隠れていたカザマが、男が欄干から身を乗り出したのに合わせてナイフを突き刺したのだ。

 ナイフを引き抜くと、それに合わせて男の身体が前のめりに倒れた。欄干を乗り越え、喉元から血を噴き出しながら回転、そして落下していく。男の落下した位置そばの柱には五階から一階まで縦にまっすぐ、赤い線が引かれたようになった。

 カザマは欄干を飛び越え床に着地すると、喉元のマイクを押さえて通信する。

「こちらカザマ。上の方はあらかた片付いたわよ」



「――りょーかい。こっちも全員やっつけたかな」

 ナツメはデトニクスを片手に通路を歩いていた。上層フロアほどではないが、こちらにも死体が転々としている。

『まさか全員殺したんじゃないでしょうね? アンタのほうで一人は生け捕りにするって話だったはずよ』
「心配すんなって。ちゃんと一人、この部屋に捕まえて――うわっ!?」

 ナツメが部屋の扉を開けようとしたとき、中から男が飛び出してきた。ロープで縛っておいたはずの、長髪の男だった。男の両手は後ろで固定されたままだったが、足の拘束が解けている。ロープの縛りが甘かったようだ。

「あっ……!」

 男はナツメを見て驚いたように表情を引きつらせたが、そのまま、一目散に玄関の方向へ向かって駆けだす。

「あっ、おいっ! 待てこの野郎!」

 ナツメは咄嗟に銃を構えたが、撃つより前に男は通路の角を曲がってしまう。

『ナツメ、どうかした?』

 カザマが尋ねてくる。

「くそったれ! 逃げられた! ――わりぃアキ。一人そっち行ったから、止めてくれ。殺さないようにな!」

 ナツメ、カザマに続く三人目――男の低い声で、応答があった。

『了解』

 ナツメは長髪の男を追って急いでアパートの外へ出る。男は、玄関を出てすぐのところに倒れ、うずくまっていた。

「ちくしょう……ちくしょう……」

 男は苦しむように呻いている。両膝から血が出ているところを見ると、撃たれたのだろう。先ほどナツメによって撃たれた頬の傷もある、死んではいないが満身創痍だ。

「へへっ、足だけ綺麗に撃ち抜いてやがる。相変わらずイイ仕事すんねぇ」

 ナツメは愉快そうに笑って言う。

 うずくまっている男のそばには、また別の男が立っていた。スーツを着た、かなり背の高い、顎髭を生やした男。仲間であるナツメも正確な年齢は知らないが、おそらく二十代後半というところだろう。

 男の右手にはサイレンサーを取り付けた自動拳銃H&K USPが握られている。アパートの外へ逃げ出そうとする者を待ち伏せして仕留める――それが男の役割だった。 

「金は見つかったのか?」

 顎髭の男が尋ねる。

「ああ。部屋に金庫があった。多少目減りしてるかもしれねぇけど、それで幾らかは回収できんだろ」

 そのとき、背後の玄関で物音がする。ナツメは咄嗟に振り向き銃を構えた。

「ちょっ……私よ私!」

 アパートから出てきたところだったカザマは、慌てて両手を上げる。ナツメは笑って銃を収めた。

「なーんだ。キモい気配がしたから敵かと思った」
「アンタねぇ、味方に銃向けといて言うことがそれなの?」
「ってか、すげーな。血塗れじゃん。くせーからあんま近寄んなよな」

 カザマのスーツはあちこち血に汚れている。顔や手にもかなりの量、血液が付着していた。カザマは呆れながら、

「ほんと、かわいいのは見た目だけねぇアンタ……」
「かわいい言うな! ……それに、男にこんな恰好させんなよな。これ、股下がすーすーして気持ち悪ぃんだよ」

 ナツメはメイド服のスカートを手で摘まんでパタパタと動かす。

「でも作戦通り、奇襲は上手くいったでしょ? アンタのメイド女装姿にぐっとこない男はそうそういないもの」
「あんな回りくどいことしなくても、俺ならヨユーだったんだよ!」
「はいはい。写真、撮っとけばよかったわね」
「殺すぞ!」

 カザマはどうどう、とナツメをなだめた。

 夜道の向こうから一台の車がゆっくり近づいてくる。少し離れた位置で待機していた黒のベンツだ。後部座席のサイドウィンドウが半分ほど下がる。

「終わったようだな」

 車内から女の声が聞こえた。ハスキー気味の落ち着いた声音である。

 一番近くにいたカザマが代表して答える。

「すべて滞りなく終わったわ、お嬢」
「負傷者はいるか?」
「私はもちろん、ナツメもアキカワも怪我一つナシ」
「ご苦労。期待通りの働きだ」
「あなたの部下ですもの。これくらい当然」

 カザマは小さく笑い、地面に倒れている男のほうへ視線を送った。

「この男はトランクに突っ込んどけばいいのかしら?」
「ああ、頼む」

 車内の女はそう言うと、サイドウィンドウを閉める。

「くそっ……くそっ……!」

 長髪の男は、恐怖と憎悪の表情でカザマたちを見上げていた。そして、震えた声で問いかける。

「なんなんだよ……お前ら……いったい、どこの……」
「んー? なに言ってんの、こいつ?」

 ナツメが男を指さしながら言うと、カザマが答えた。

「たぶん、私たちの正体を知りたいんでしょ」
「ああ、そーゆーことね!」

 納得したように言うと、ナツメは屈んで男へ笑いかけた。

「じゃ、自己紹介してあげるよ」
「うっ……」

 男は無邪気に微笑むナツメを見て、戦慄する。天使のように美しい顔をした、おぞましい怪物――男の目にはナツメがそう映った。

「伏王会(ふくおうかい)差配筆頭直属部隊――神楽組(かぐらぐみ)のナツメ。よろしくね、おにーさん?」
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