裏稼業探偵

アルキメ

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case6 ブラインド・ボイス

3 暴露

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 ――夜十時。夕桜南区の埠頭沿いにある、『亀山板金』という看板がかかったまま放置されている廃工場。

 その中に、四人の人影があった。

 神楽とアキカワ、そして今到着したばかりの、二人のコロンビア人。テスカトリポカ側の代表だ。

「――おや? 事前の話じゃあ、そっち側で取引に参加するのは男が二人だと聞いていたんだがね」

 丸眼鏡に長髪の男が言った。流暢な日本語である。

「失礼」

 神楽が応えた。

「当初ここへ来る予定だった二人はやむにやまれぬ事情で欠席している。私たちはその代理で来た」
「ふーん……まぁ、いっか。人数には変わりないしね」
「貴殿がパブロ殿でよろしいか?」
「ああ、そうだよ」

 パブロは面倒くさそうに返事をした。コロンビアマフィアの幹部であり、下部組織テスカトリポカのリーダーを務める男。裏社会のベテランといった風格で、眼鏡の奥には鋭い目つきが光る。

「私は伏王会の――」

 神楽が名乗ろうとしたのを、パブロは手を振って遮った。

「あー、いいっていいって。君らの名前なんか興味ないの。さっさと取引の話をしようよ。ねぇ?」

 神楽は肩をすくめて笑う。

「……いいだろう。たしかに名前などどうでもいい」

 パブロはジャケットのポケットから車の鍵を取りだして、小さく振って見せた。

「注文の品は外に停めてあるワゴン車の中に積んである。三千万と車のキーの交換ということで、オーケー?」
「ああ。だが取引を行う前に……パブロ殿と話がしたいのだが」
「あ? 俺と? ……なにかな?」
「他の者には聞かれたくないので、二人きりで話がしたい。おそらく、パブロ殿にとっても悪くない話のはずだ。いや、聞かなければ後で後悔する……そう言ってもいい」

 パブロは少し考えてから答えた。

「……二人きりで、ねぇ。まぁ、銃の携帯さえ許してくれるならいいけど?」




 パブロは伏王会の女がそうしたのと同じように、連れてきた仲間を一度工場の外へと出した。工場の中には、パブロと女だけが残る。

 ……この女、なんのつもりだ?

 俺と二人きりで話したいなどと……まさか、あのことに気づかれたか? いや……もしそうだとしたら、ここへのこのこと現れはしないだろう。

 敵が他に隠れていて、一人になったところで襲わせようとしている? いや、それはない。小さく、物も殆ど置かれていない廃工場だ。隠れられるような場所はない。予めここを下見したときにもそれは確認済みだ。

 それに、伏王会の人間は二人しか工場の中に入っていかなかった。後から工場の中に入ったのはパブロたちのほうだが、実際は伏王会の二人よりも先に到着していて、隠れつつ外から様子を窺っていたのだ。相手に不審な動きがないかどうかを、確かめておくために。結果、伏王会側にそういった動きは見られなかった。……かといって、まだ気を抜くわけにはいかない。

「ではこちらへ……」

 女は工場内の中央に置かれたテーブルへパブロを促した。二人で使うには幅の広いテーブルで、両サイドにパイプ椅子が一脚ずつ置かれてある。

 パブロはズボンに挟み込んでいた自動拳銃をゆっくりと抜くと、テーブルの手前右側に置いた。

「銃はテーブルの上、こうやってお互い見える位置に置いておこう。そうしておいたほうが、俺もあんたも安心して話せる。だろ?」
「承知した」

 女はそう言ってスーツの上着の裏側から小型のリボルバーを取り出すと、パブロと同じようにテーブルの上、右手で取りやすい位置に置いた。

 それを確認してから、パブロはテーブルにつく。

 ……まずは上手く誘導できた。こう言っておけば、お互いにフェアな条件であると相手は勝手に思ってくれる。……それが大きな過ちであることも気づかずに。
 
 それに、もしものときに備えて“保険”もかけてある。これで何も心配することはない。

 ……しかし、なんだ。この嫌な感じは? この女はどこか不気味だ。……不気味だと? ……恐れているのか、この俺が? こんな小娘を?

「ふふ……そんなわけはない」
「なにか?」

 思わず声が漏れてしまった。パブロは小さく笑う。

「いいや。なんでも」

 パブロはテーブルの上でゆっくりと手を組んだ。

「それで……お話とはなにかな?」

 向かいに座る女は、上着のポケットから写真の束を取り出すと、そのうちの二枚をこちらへ滑らせるように渡してきた。

 写真はそれぞれ別の男の顔を正面から写したものだ。パブロはそれを手に取り、

「……これは?」
「ここへ来る予定だった二人だ。名前は、天城と秋水という」
「ふーん……この二人がどうかしたのかな?」
「…………くくっ」

 女は顔を下に向け、急に笑った。しかしすぐに顔を上げると、不敵な笑みでパブロを睨みつけて言う。

「とぼけるなよ、ハム役者が」
「……なんだって?」
「下手くそな演技をやめろと言っているんだよ」

 女は頬杖をつくと、刺し貫くような冷たい視線でパブロを見据える。

「とっくに知っているんだ……貴様がそいつらの死に関わっているということは」

 やはり、この女……。しかし、判断を早まっては駄目だ。相手がどこまで掴んでいるかを探る必要がある。手を打つのは、それを知ってからでも遅くはあるまい。

 パブロはおおげさに両手を広げて、しらを切った。

「悪いが、何のことだかさっぱりだな」

 女はつまらなそうに鼻で笑う。

「……ふん。まぁ、元より素直に認めるとは思っていなかった。――順番に話してやろう。貴様らの仕組んだトリックが、いかに杜撰で稚拙であったかということをな」
「はは、参ったねぇ。何を言っているのかよくわからないが……一応、聞かせてもらおうか?」

 ジャケットの左胸ポケットに挟んでいたペンの頭を触りつつ、パブロは言った。

「まずはこれを聞いてもらおうか。天城が、うちのメンバーの一人、青鷺という男あてに残した留守電の音声だ」

 女は上着からICレコーダーを取り出すと、音声を再生させる。

 天城と秋水、二人の言い争い――そして銃声。

 音声の再生が終わった直後に、パブロが言う。

「なるほど、今のやり取りを聞く限り……天城という男は殺されたようだな。もう一人のほう……秋水だっけ? そいつに」
「この音声だけを聞けば、そう感じるかもしれないな」
「ほぉ……違うというのか?」
「違うな。天城を殺したのは秋水じゃない」
「なぜわかる?」
「天城が殺されたのは、この電話の最中ではなかった。それは明らかだ」

 パブロの眉がぴくりと動く。

「……どういうことだ?」
「この留守電は、天城による偽装工作だということさ。自分が秋水に殺されたと見せかけるためのな」
「はっ……おかしなことを言う。今のやり取りはどう聞いても……」
「芝居だったんだよ。仲間の青鷺に会話を聞かせることで、『天城は秋水に殺された』と印象づけようとしたんだ。留守電になったのはおそらく偶然だが、天城にとっては青鷺と会話をする必要がない分、そちらのほうがやりやすかっただろう」
「では天城と秋水の二人は、わざわざ打ち合わせて電話の前で芝居をしていたというのかね?」

 女はゆっくりとかぶりを振った。

「いいや、芝居をしていたのは天城だけだ。天城は秋水と折り合いが悪かったらしいから、適当な嘘をでっち上げたとしても、こんな芝居に付き合わせるのは難しかっただろう。それに、秋水が芝居に乗っていたのなら発砲の直前に『ぶっ殺すぞ』という台詞は使わないはずだ。これではただの脅しに過ぎない。実際に殺す相手に使う言葉ではない」
「では、あの銃声は?」
「銃声の直前に天城が怯えたような反応をしているために錯覚しそうになるが、実際には、秋水は銃を構えてすらいなかった可能性が高い。あの瞬間、銃を撃ったのは天城のほうだ。怯えたフリをして、いかにも秋水が撃ったと思わせるタイミングを狙って撃った。そんなことをすれば秋水の反応でバレる可能性があるが、問題はない。余計なことを口走る前に、その一発の発砲で秋水を殺すか、少なくとも口の利けない状態にしてしまえばいい。その直後、撃たれて倒れたように装って電話を床に落とし、通話を切ったというわけだ」
「天城は秋水によって殺されたと思いきや、実際には天城が秋水を殺していたと?」
「その通り。取引に使う三千万を持ち逃げしようとしていたのは、秋水をおびき寄せ、そして殺意の言葉を自然に引き出すためでもあった」

 女はパブロをじっと見据えたまま、更に続ける。

「決定的な証拠もある。天城の頭を撃ち抜いた弾丸は.45ACP弾。秋水が持っていたコルト・ガバメントによって発砲されたものと思われるが、留守電に残っていた発砲音はそれとは明らかに違った。もっと小型の銃の発砲音だそうだ。この銃で天城が殺されたということはあり得ない」

 発砲音の違い……まさかそんなところに目をつけるとは、予想外だった。しかし、まだこちらとの繋がりが証明されたわけじゃない。

 パブロは未だ余裕の表情を崩さずに言った。

「なるほど。銃声という証拠を残してしまうとは、天城にとってその音声が記録されてしまったことは不幸だったな」
「たしかに、青鷺がかかってきた電話に応答せず留守電になったことは偶然だ。だが、現場の写真を見た瞬間から、私には天城の死に疑わしい点があるとわかっていた。もし電話の音声が残っていなかったとしても、その電話を受けた青鷺から証言を聞けさえすれば充分。銃声の違いという材料がなくとも、現場で何が起こったかを解き明かすことは容易かった」
「ほう? 疑わしい点というのは?」
「私が注目したのは、現場写真に写っていた天城の靴下だ。天城の死体の周囲は血に濡れていたが、靴下の足裏の部分にまで血液の付着した跡がべったりと残っていた」
「それのなにがおかしい?」

 女は右手にピストルの形を作って、自分の額へとんとん、と押し当てた。

「天城は一発の銃弾によって頭を撃ち抜かれ、部屋の壁に上半身をもたれかけるようにして倒れていたんだ。――貴様。人が銃で眉間を撃たれて、立っていられると思うか?」
「……いや」
「そう。当然天城は即死だったはずだ。自分の身体から出た血を踏む間もなく倒れたに違いない。しかし実際には天城の足裏に血液の跡が残っている。これは天城が殺される直前に、別の血痕を踏んでいたという証拠だ。――つまり、あの部屋の中でもう一人死んでいる。それが、今も行方不明になっている秋水だと見当を付けるのは難しくない。天城は秋水を殺した後、その身体から流れ出た血液を踏んでしまった。その際に、いくつか天城の血の足跡が残されたはずだが……秋水の死体は別の場所へ隠され、血痕も綺麗に拭き取られたのだろう。その過程で、天城の残した足跡も消されたと考えられる」

 パブロはごくりと唾を飲み込む。……いやに目ざとい女だ。パブロは内心ざわつくものを感じながらも、そのまましらを切り通した。

「だけど不思議じゃないか。どうして天城はそんなことをした? それに秋水を殺したのが天城なら、その天城を殺したのは誰だ?」
「天城に偽りの計画を授けた第三者がいるのさ。天城は本来、秋水に殺されたふりをしてそのまま行方を眩ませる予定だったのだろう。天城の死体は秋水が隠したということにすればいい。青鷺への電話があれば、死体が見つからずとも天城の死を疑うものはいない――計画の立案者は天城にそう信じ込ませた。もちろん秋水は殺し、死体は隠して行方不明ということにする。天城を殺した後、逃亡したかのように見せかけるためだ。そして、取引に使う予定だった三千万は天城が持ち去る――これがおそらく、当人に説明されていた計画。しかしその計画には裏があった。その第三者は天城に秋水を殺させ、その痕跡を片付けたら今度は秋水の所持していたコルトで天城を殺害した。初めから天城の死は予定されていたことだったんだ。――では、なぜ天城は殺されたか?」

 女は右手で指を弾いて鳴らす。そして、不気味なほどにっこりとパブロへ笑いかけた。その笑みに、パブロは僅かに怖気のようなものを感じる。

「貴様らテスカトリポカは、天城と通じていた。その繋がりを我々伏王会に気づかれぬうちに、接点を前もって処分したんだ。……そうだろう?」
「…………」

 パブロはただ黙って睨み返す。女は相手を追い詰めるのを楽しむかのように、続行した。

「すべて調べはついている。貴様らは銃器だけではなく、コカインも密輸しているな? 数日前に伏王会内部で起こった、クスリの顧客リスト盗難は、貴様らが天城に指示してやらせたことだ。しかし、リストの盗難がばれ、天城をスパイとして使うには危険な状態となった。スパイから組織へ辿られることを危惧した貴様らは、天城を用済みと判断し切り捨てることにした。だが、ただ天城を殺すということは出来ない。組織の構成員が突然の行方不明や不審死を遂げれば、まずは何者かによって消されたと伏王会は考える。その者が死んで誰が得をするか、誰に影響を与えるか、当人の周囲を調べられる可能性が非常に高い。そうなれば、天城がテスカトリポカとの繋がりがあったことが判明してしまうかもしれない。だから、その死を不審なものとは思わせないようにする必要があった。そこで、『天城は仲間との内輪もめの末に殺された』というカバーストーリーをでっち上げたというわけだ。現場から天城の携帯電話がなくなっていたのも、組織と連絡を取っていた痕跡を調べられないようにするため貴様らが回収したから。……さて、ここまでで反論は?」

 パブロは黙って聞いていたが、女が一度言葉を切ると、微笑を浮かべつつ反論する。

「少し、落ち着いたほうがいいんじゃないか。今までの話の流れで、どうして我々が関わっていることになる?」
「現場に貴様らコロンビア人の痕跡が残っていた。見ろ」

 女はテーブルに置いていた写真の束から一枚を引き抜いて、パブロのほうへ滑らせる。

 写真は、テーブルの上を写したものだった。食べかけのパンや飲み物、財布にガムなど、雑多に物が置かれている。

「そこに、醤油皿を灰皿代わりにしているものが見えるな?」
「これがなにか?」
「そこに捨てられている吸い殻を見ろ。フィルター部に『CONTINENTAL』(コンチネンタル)と書かれている。これは日本には存在しない銘柄だ。貴様らの本国、コロンビア国内で販売されている煙草――それがどうして天城の部屋にある?」
「さぁ。天城が煙草好きでわざわざ取り寄せたんじゃないのか?」
「それはないな。そもそも天城は煙草を吸わない人間だった可能性が高い。海外煙草を取り寄せるほどの愛煙家なら灰皿一つ持っていないということはまずあり得ないし、テーブルの上、そして身につけていた遺留品からは煙草の箱、そしてライターさえ見つかっていない。となれば、その煙草を吸ったのは天城ではなく、客人のほうだと考えるのが自然。貴様らコロンビア人が、本国から持ち込んできた煙草をあの部屋で吸った……そう考えるのが一番しっくりくるのさ」
「しかしそれは、そちらの勝手な推測に過ぎない。そのコロンビア人が我々だという証拠はなにも――」
「すべて調べはついている――と言ったはずだ」

 パブロの言葉を遮って、女が冷徹に言い放った。

「そこまで見当がついてさえいれば、後詰めをするくらい造作もないんだよ」
「なに……?」
「今から三時間ほど前の話だ……。ここら一帯でコカインをさばいていた売人を見つけ出し、その売人の案内で、コカインの仕入れ先であるコロンビア人を捕らえた。……そう、貴様らの仲間の一人だ」
「なっ――!?」

 パブロの表情が初めて驚愕に歪む。女は愉快そうに笑った。

「“少し”いじめたら、簡単に吐いてくれたよ。貴様らのこと、洗いざらいすべてな。武器密輸はあくまでおまけ程度。コカインを主力に仲間を増やし、伏王会の支部を割り地盤を乗っ取る算段をつけていたということまで、全部教えてくれた。この情報源がある以上、貴様が今更いくらわめこうが、滑稽でしかないぞ」
「っ……!」

 パブロの額に冷や汗が流れ出す。まさか、既にそんなところにまで手が及んでいたとは……。天城が死んでからまだ半日と経っていないというのに……あまりにも早すぎる……! 完全に想定外だった……!

 それにしてもこの女……そこまで決定的な情報を掴んでおきながら、ここに至るまでそのことを隠していたとは。じわじわと追い詰めて、相手のもがく様を楽しんでいたとでも言うのか? なんと憎らしい……しかし……。

 認めざるを得ない――想像以上の相手だ。若いからと侮っていたが、大きな誤りだった。この女……自分がこの裏社会に身を染めてから今まで相対してきた中で、最も底が知れない――かもしれない。

 パブロは気を落ち着かせようとして、胸ポケットに挟んだペンの頭を右手で撫でつつ言う。

「ふん……何のことだかさっぱりだな。そのコロンビア人が適当なことを言っているだけだろう」

 女は鼻で笑った。

「まったく呆れるな。ここまで来て、まだしらを切るつもりか?」
「知らないものは知らないんだよ。悪いね」
「……では、もう一度、天城の顔をよく見てみろ。何か思い出すことはないか? いいや、あるはずだ」
「……?」

 パブロは訝りながらも、天城の顔写真を手にとって見てみる。しかし、特に気になる点はない。

「チェックメイトだ」

 女が静かに言った。

「なに?」
「私は最初に、天城と秋水、二人分の写真を貴様へ渡した。その際、どちらが天城、そして秋水であるかは教えなかったはずだ。死体の写真を見せたわけでもない。それなのに、貴様は今、躊躇なく天城の写真を選んだ。貴様は知ってるんだよ。会ったことがないはずの男の顔をな」
「……最後の最後で、迂闊だったな」

 パブロは引きつったような笑いを浮かべた。女は冷酷に吐き捨てる。

「貴様のくだらんミスで大事な計画がすべて無駄になったわけだ。ご苦労様だったな、マヌケめ」
「くっ……!」

 パブロは歯噛みし、女を睨む。

「どうする、つもりだ……」

 女もパブロを睨み返す。

「どうするつもりだ、だと? ……我々も甘く見られたものだな。ここまで舐めた真似をしておいて、未だに助かる道があるとでも思っているのか? つくづくおめでたい頭をしているらしい」

 女はジャケットのポケットに入れていた紙箱から煙草を一本取り出して咥え、火をつける。そして右手に煙草を持ちゆっくりと煙を吐き出してから、淡々とした口調で言った。

「伏王会は刃向かう者に容赦しない。テスカトリポカは潰すし、貴様もここで殺す」

 なるほど、どうしようもない……。何を言ったところで、この女の意志を今更変えることは不可能だろう。

 しかし――まだだ。ここから逆転する方法はまだある。この女はたった一つだけ、ミスを犯した。部下を外に出し、二人きりになったこと……この状況は、まさに僥倖! 

 殺す! なんとしてでも……この女だけは殺してやる!

「お前さえ……お前さえいなければ……!」

 パブロは憎悪を込めて言い放つと、胸ポケットへと右手を伸ばした。

 この“保険”を使うことになるとは思わなかったが――こちらの勝ちだ!

「――ペン型拳銃」
「なっ!?」

 パブロは驚きのあまり動きを止めてしまう。そんな――まさか……どうしてわかった!?

 女は平然とした様子で、淡々と話し出す。

「秋水殺しの際、天城は秋水に気づかれないように銃を構える必要があった。銃を構えたのは秋水であると、電話相手に思い込ませるためだ。もしも天城が自分を撃とうとしていることに秋水が気づき、それを声に出してしまえば、このトリックは何の意味も為さなくなってしまう。しかし、普通の銃ではいかに小型であろうとも完全に隠したまま相手を撃つことは難しい。同時に、トリックの都合上、天城は一発で秋水を殺害ないし行動不能に追い込む必要があった。狙うなら、急所である顔面、首、心臓――このあたりか。相手に警戒させることすらなく、これらの部位を狙い撃てるとしたら……仕込み銃を用いた可能性が高い。一見しただけでは銃とはわからないような銃のことだ。天城は外しようのない位置まで秋水に近づき、その仕込み銃を撃って殺害したのだろう。――さて、こんな回りくどい計画を立てる姑息なコロンビア人のことだ。この取引にも同じようなものを持ち込んでくるだろうということは予想がついた。それに、貴様が胸ポケットに挟んでいる『それ』を先ほどからしきりに触っているのを見れば、気がつかないほうがおかしい」

 女はそこまで言うと、ニヤリと笑った。

「それは、ペン型の銃なんだろう?」

 その通りだった。ペンの頭をノックすることで、ペン先の部分から22口径の弾丸を一発だけ撃つことができるという代物だ。五メートル以内であれば、人間に対しても充分な殺傷力を持つ。

「最初にわざわざテーブルへ銃を置かせたのは、そちらに注意を向けさせておくことで私を油断させるつもりだったのだろうが……その程度のことを見抜けないとでも思ったのか? 全くもって、浅はかとしか言いようがない」
「う……うぅ……!」

 パブロは両目を見開いて、戦慄する。恐ろしさに身体が震えた。天城、秋水の殺しだけでなく、組織の目的、更には自己防衛のための最後の保険まで……すべて暴かれてしまった。今となっては、丸裸も同然の状態だ。

 底が知れないどころじゃない。この女は、人ではない。人の形をした魔物。何もかもを見抜く、魔眼の持ち主だ……!

 女は薄ら笑いを浮かべながら、パブロに問いかける。

「それで……どうするんだ? それを撃つつもりか? やめておいたほうがいい……と言っておく」
「くっ……クソぉッ!」

 女の言うとおり、パブロの本能は危険信号を鳴らしている。だがここで撃たずにいられるか!? ここで女を殺す以外に手はあるか!?――否、ない!

 パブロは構わず、ポケットに挟んであったペン型拳銃を手に取った。

 ――その瞬間、銃声が鳴り響く。

「あ……がぁああああああああッ!?」

 パブロは椅子ごと後ろへ崩れ落ち、右手のペンを床へ落としてしまう。右脇腹に熱い激痛が走っていた。服に血が急速に滲んでいく。

「かっ……はっ……」

 痛みのせいで呼吸すらできない。汗が全身から噴き出していた。

 馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な! なぜだ、どこから撃たれ――

「あっ……!?」

 床に倒れたパブロは、テーブルの裏にあった『それ』を見つけた。天板の下に、針金が数本、ガムテープで固定されている。それらの針金は真ん中が屈曲しており、その部分に45口径自動拳銃――コルト・ガバメントが吊ってあったのだ。

 おそらく、パブロたちが工場へ入る前に仕込みを済ませていたのだろう。パブロがペン型拳銃を撃つ寸前に、女はコルトの引き金をテーブル下に隠していた左手で引いた。『もう一つの銃』を隠していたのは、相手も同じだったのだ。

 パブロは数分前の自分の浅はかな考えに、自ら呆れた。なにが僥倖だ……二人きりになったことで窮地に陥っているのは、こちらのほうではないか……!

「だから言ったんだ。やめておいたほうがいいと」

 女はコルトをワイヤーから引き抜いて立ち上がり、パブロを見下ろしながら、左手に持った銃を向ける。

「つまらない」

 右手に持った煙草を吸いつつ、女は話す。

「会えば少しは楽しめるかと思ったが、期待外れもいいところだ。貴様の台詞も行動も、何一つ私の予想を超えては来なかった。この程度では、私を少しも驚かせられない……。こんな勝負では、ちっとも燃えない……」

 女は落胆と、僅かな怒りを滲ませる。その眼の奥には、まるで空虚な闇が広がっているかのようだ。

 その時、工場の外で銃声が鳴り響いた。一発だけではない。何発も続けて、あるいは同時に、幾つもの銃声が鳴る。

 パブロは痛みに苦しみながらも笑った。

「くくく……ただで……済むと思うな。外に……仲間を潜ませてある。全部で、二十人……今の銃声で、動き出したのさ。お前も、お前の仲間も……ここで死ね……!」
「たった二十人か?」
「あ……?」
「実は私のほうももう一人、近くに部下を潜ませていてな。二人で雑魚二十人……あいつらならば余裕だろう」
「な……なにを言って……?」
「……もう終わったようだな」

 ほんの一分程度で外からの激しい銃声は止み、一転して静寂が訪れていた。

 やがて、工場の扉が開かれる。入ってきたのは、先ほど女と一緒にいた長身の男と、まだ十代と思しき少年。

「なーんだ。こっちももう終わってんじゃん」

 女と見間違えてしまいそうなほど綺麗な顔をした少年は、あっけらかんと言った。

「全員片付けたようだな。ご苦労」 

 女は二人へ向けて言う。

「ば、馬鹿な……本当に……二十人、全員を……!?」

 パブロは痛みも忘れて驚愕の声を上げる。それほどまでに信じられないことだった。

 その声を無視して、長身の男が女へ報告する。

「先ほどカザマから連絡がありました。B班はテスカトリポカのアジト制圧を完了したとのことです」
「ほう……予想より早かったな。さすがはS級のヒットマンというところか」

 アジトが制圧……? もはや何を言っているのかもわからない。

 ゆっくり薄れゆく意識の中でわかったのは、自分は、最も敵に回してはならない存在と対峙してしまったということだけ。

 不思議な感覚だった。無念さや憎悪と同時に、こうまで完璧に自分を打ちのめした相手への――感嘆の情があった。

「さて……残るは貴様一人だけだ。何か言っておきたいことはあるか?」

 女は紫煙をくゆらせつつ、倒れたままのパブロへ尋ねる。パブロは声を捻り出すように言った。

「……名前」
「なに?」
「名前を……教えてくれないか……」
「……いいだろう」

 女は煙草を横のほうへ投げ捨てると、パブロの頭へ向けてコルトを構えた。そして、その名を明かす。

「伏王会差配筆頭、神楽。我が覇道、あの世で見届けるがいい――」

 最後の銃声が鳴った。
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