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case6 ブラインド・ボイス
4 予兆
しおりを挟む――翌日。
「――ああ。引き続き、奴の動向には気を配っておけ。何かあればまた報告するように。では……」
執務室の中で、神楽は電話を切った。
誰かが扉を控えめに叩く音がする。神楽は机の上に広げていた資料を引き出しに仕舞い鍵をかけてから、ノックに応えた。
「誰だ?」
扉の外から野太い声が返ってくる。
「イズミです」
「入れ」
巨漢の支部長が恭しく礼をしてから部屋へ入ってくる。イズミは部屋の中をさっと見回して、
「お一人でいらっしゃいましたか」
「見ての通りだ」
「ちょうどようございました。神楽様にお伝えしておきたいことが……」
「テスカトリポカの一件については今朝報告したとおり。後のことはそちらに任せる」
「ええ、承知しております。それとは別の用件でして……」
「む……そうか。なんだ?」
イズミは机の前まで神楽へ近づくと、一呼吸して、覚悟を決めたように話し始めた。
「無礼は承知……しかし、あえて諫言申し上げます。あのアキカワという男をお側に置いておくのは、お止めください」
「ほう……」
神楽は僅かに興味を惹かれたように微笑して、尋ねた。
「なぜだ?」
「神楽様のためを思ってのことなのです。あの男の過去は、あなたもご存知でしょう?」
「ふむ……何か問題があったか?」
神楽はしらばっくれるように答える。イズミは仕方がない、という風に続けた。
「――今から三年と半年前のこと。伏王会で一大派閥を築いていた幹部の一角が造反を起こした、あの事件です」
それは、伏王会の歴史上でも最大規模の造反劇だった。当時絶大な権威を振るっていた会長が病に伏せ、次期会長選抜の機運が高まってきていた時期。伏王会内でほぼ均衡した勢力を持っていた二大派閥のうち一つが突如、反逆を起こしたのだ。本部勢力のうちおよそ三分の一がそれに荷担する大規模な抗争となり、今でもその傷跡は完全に癒えてはいない。
「あの事件で、残るもう一方の派閥の代表……神楽様、あなたのお父上も亡くなられました。造反組の差し向けてきた暗殺者の手にかかって……」
「それが?」
神楽は淡々と返す。
「当時、私とアキカワは本部に所属していました。二人ともあなたのお父上の部下だったのです。お父上が亡くなると、アキカワ……あの男はこともあろうに、造反組に鞍替えをしました。代表が死に旗色が悪くなると見るや、あっさりとそれまでの味方を捨てて、勝ち馬に乗ろうとしたのです」
「そのことならば、当然知っている」
「では、おわかりになるはず。あれは狡猾にして利己的、恩義も信念もない、まったく信用ならぬ男なのです。神楽様のお側に置いておくには、あまりに危険すぎます」
「……言いたいことはそれだけか?」
イズミはまっすぐ神楽を見据えながら答える。
「……はい」
「そうか……」
神楽もイズミを見つめながら、ゆっくりと言った。
「お前の言うこともわからんではない。――が、言っておく。私はアキカワを手放すつもりはない。少なくとも、今のところはまったく」
「しかし……!」
「奴の過去もすべて踏まえた上で、私の直属として引き入れたのだ。奴の用心棒としての腕を買ってな。狡猾? 利己的? 上等ではないか。つまりは、私の下につくのが一番得だと思わせればいいのだろう。それだけの力もないのであれば、死んだほうがマシだな。遠慮なく殺すがいいさ」
神楽は視線を宙に漂わせ、遠くを見つめるようにして言う。
「そう……力あるものだけが生き残ればいい。私たちが生きているのは、そういう世界だったはずだ」
「神楽様……」
イズミは半分驚き呆れながらも、納得したように頷いた。
「神楽様がそうおっしゃるのであれば、これ以上は何も申しません。ご無礼をお許しください」
「気にするな。わざわざ忠告してくれたことは感謝する」
「……これは、私の単なる所感なのですが」
イズミは口にするかどうか迷ったそぶりを見せたが、思い切ったように続けた。
「三年半前、神楽様がお父上に代わり造反組を一掃されたあの見事な手腕は今でも記憶に鮮やかです。そして、今のお話で改めて確信しました。あなたは間違いなく、伏王会の王に相応しいお方だ。……かつては、あなたのお父上に対しても私はそう考えていました。しかし、あなたのご性格はお父上とはあまり似ていません。あえて言うなら、お祖父様……会長のお若い頃に似ておられます」
「そうか……?」
神楽は肩をすくめつつ、小さく笑った。
「私は、自分が誰かに似ていると思ったことはないがな」
「そうですか……いえ、ただの老いぼれの戯言とお思いください」
イズミはゆっくりと一礼し、
「――では、これで失礼いたします」
その言葉を残して、執務室を退出していった。しばらくしてから、またノックが聞こえる。件のアキカワが戻ってきたところだった。先ほど、神楽が些細な用事を頼んでいたのだ。
「今さっき、お前の話をしていたよ」
「……支部長がここへ?」
長身の男は冷静な面持ちで尋ねる。
「ああ。相手がイズミだとよくわかったな?」
「途中ですれ違いました。それにあの男は、俺のことを嫌っているようですからね。……まぁ、当然だと思いますが」
アキカワは自嘲めいた笑いを浮かべる。
「あの男は、なんと言っていました? ……俺がお嬢のことをいずれ裏切るだろうと、忠告でもしてきましたか?」
「そんなところだ」
「やはり……」
「べつに構わないぞ」
「……!」
アキカワの眉がぴくりと動く。神楽は真顔でアキカワを見据え、話し続けた。
「お前にその覚悟があるのなら、遠慮なくやるがいい。その代わり……せいぜい私を楽しませてくれ」
「…………」
表情はそのままに、アキカワの瞳が僅かに揺れる。ひりつくような緊張感の中、二人はしばらく目を合わせていた。
すると神楽は微笑して、肩をすくませる。
「ふっ……冗談だ。そう怖い顔をするな」
「……お嬢に拾われたことは、感謝しています。死ぬしかなかった俺に、あなたは活路を与えてくれた。俺は、この恩を蔑ろにするつもりはありません」
「ああ……わかってるよ」
神楽は答えながら、煙草に火をつける。アキカワは話題を変えた。
「ところで……あの男。戌井冬吾(いぬいとうご)についてですが……まだ監視を?」
「続けている。それがどうかしたか?」
「いえ……べつにどうということはありませんが。そろそろ、教えてくれませんか。こちらの障害になる可能性が高い禊屋(みそぎや)ならばともかく、どうしてあの男にまでこだわるんです?」
「……気になるか?」
「……はい」
神楽はゆっくりと煙を吐き出してから、
「悪いが……まだ、教えられない」
「……そうですか」
「なに、あと少しの辛抱だ。時が来れば、お前らにはちゃんと話すさ」
神楽は口の端を吊り上げて笑うと、煙草の灰を灰皿へ落とした。
「そう、あと少しで……あの男は終わりだ」
-終-
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