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case7 自白の鑑定
2 疑惑
しおりを挟む冬吾は待ち合わせ場所である部屋の前で、禊屋と落ち合った。
「おっ、時間どーり! エライ!」
禊屋は片手を上げて言う。どうやら冬吾が来るのを部屋の前で待っていたらしい。
禊屋というのは、彼女の通り名、言い換えれば、コードネームだ。本名は志野美夜子(しのみやこ)。歳は十八、モデルや女優でも軽く通じるだろうというほどの美少女。いつも通り、その外見はルビーを溶かし込んだような美しい赤い髪――そして、くすんだカーキ色のモッズコートとのコントラストが目を引く。
「いつも思うんだけど、それ、寒くないのか? もう十二月も下旬だけど……」
冬吾は禊屋の履いている灰色のショートパンツを指して言う。羽織ったコートの下に着ている白色のセーターはいいとして、今の時期に生足をさらけ出しているのは見ているだけで寒い。
「寒くないこともないけどー……まー、あたしが好きで履いてるんだからいいじゃん?」
たしかに、禊屋は大体いつもこういったショートパンツか丈の短いスカートのどちらかだ。本人が好きでしている恰好なら何も言うことはない。タイツぐらい履いたらどうなの、と思わないでもないが、そんなお母さんみたいなことを言うのも余計なお世話みたいで躊躇われる。
「それに、キミもこっちのほうが嬉しくない? ほーら、ちらりっ」
禊屋はそう言ってコートの間からのぞかせるように右脚を前に出す。色白で程よい肉付きの太ももが眩しい。
「ばっ、バカ。嬉しくねーよ、べつに」
冬吾は慌てて目を逸らして言った。
「あはっ! ノラは良いリアクションしてくれるから楽しいねー」
禊屋はとてもご機嫌そうに笑う。『ノラ』というのは、禊屋が考案した冬吾のコードネームだ。
「あのなぁ――」
冬吾が言いかけたところで、禊屋は冬吾の腕を掴み、引っ張る。
「ほらほら。乃神(のがみ)さん、もう中で待ってるみたいだよ。入ろっ!」
やれやれ。ほんとにマイペースなやつだ。
そのまま、冬吾は禊屋に急かされるように部屋の中に入った。
――まるで警察署の取調室のような、狭く薄暗い部屋だ。そこには、二人のスーツ姿の男が待ち受けていた。
一人は、テーブルに向かって座っている、オールバックの髪型に眼鏡をかけた男……乃神朔也(のがみさくや)。
夕桜支社のメンバーで、禊屋への依頼を仲介するマネージャーのような立場の男である。いつも無愛想な気難しい男で、冬吾とは最初の出会いからずっと、折り合いが悪い。
乃神の後ろにはもう一人、目の細い男が立っているが、冬吾には見覚えがない。初めて会ったはずだ。見知らぬ男は、部屋へ入ってきた冬吾と禊屋に対して軽く頭を下げる。
冬吾と禊屋がテーブル前の椅子に着席するのを待って、乃神が言う。
「――仕事の話に入る前に、紹介しておこう。……コトブキという男だ。今後、仕事を手伝ってもらうことになる」
後ろに立っていた男がまたゆっくりと頭を下げると、貼り付けたような笑顔を浮かべながら話す。目が細いせいで、いつも笑っているように見えるだけかもしれない。
「どーも初めまして。少し前に岩手の支部から移籍してきました、コトブキと申します」
「あ……どうも。初めまして」
冬吾もおずおずと挨拶を返した。
以前に禊屋から聞いたことがある。ナイツは全国にわたって支部があり、支部間でのメンバーの移籍もよくあることらしい。コトブキもそのパターンなのだろう。
コトブキは年齢三十前後、中肉中背でこれといった身体的特徴は見られない。普通の男という感じで、犯罪組織の構成員とは思えなかった。それを言うなら、乃神も禊屋も……そして自分も、知らない人から見ればそうとは見えないだろうが。
「お二人のご活躍は聞き及んでおりますよ」コトブキはニコニコしながら続ける。「禊屋さんのことは勿論、ノラさん……あなたのことも」
冬吾は驚いて、コトブキを見つめ返した。
「俺のことも……?」
「ナイツへ入って間もないというのに、既に二人のB級ヒットマンを倒しているとか。ええ、ええ、大したものだ。……普通じゃあまず考えられない戦績です」
「はぁ……まぁ、運が良かっただけです」
冬吾がナイツへ入って二ヶ月と少しが経つ。
これまでに対峙したB級ヒットマン二人――黒衣天狗(くろごてんぐ)とキバを相手に勝利できたことは事実だ。しかし、どちらも禊屋の援護や相手の慢心など、こちらに有利な条件が重なったから勝てたというだけの話。仮に相手と条件がまったく同じだったとしたら、勝負にすらならなかったに違いない。あっという間に殺されて終わりだったはずだ。
「ほぉ……運が良かっただけ、ですか。さすが、スーパールーキーは言うことが違う」
スーパールーキーって……なんだそりゃ。
「い、いや、そんなつもりで言ったんじゃなくて……」
冬吾が慌てて言うも、コトブキは飄々と流す。
「ま、これから先、よろしくお願いしますよ」
「…………」
なんだかやりづらいな、この人……。
ふと左隣を見ると、禊屋がコトブキのほうをじっと見つめたままなのに気がつく。
「……禊屋?」
声をかけると、彼女はハッとして、
「……あ、うん。よろしくー」
と、笑顔になって手を軽く振った。何か気になることでもあったのだろうか? 後で訊いてみよう……。
乃神は本題に入り始める。
「ナイツ傘下のある組織から、依頼があった。禊屋、お前をご指名だ」
「どんな内容なの?」
禊屋が尋ねる。
「相談したいことがあるそうだが、詳しくは不明だ。相手方の事務所で、直接お前に話したいと言っている」
「ふーん……」
禊屋は髪の毛先を弄りつつ相づちを打つ。冬吾は禊屋に訊いた。
「よくあるのか? こういう、依頼内容を伏せたまま……ってこと」
「わりとねー。色々と秘密の多い組織からの依頼もあるし」
「でもそれって、危ないんじゃ……」
依頼内容が不明では、ナイツのサポートも不十分にならざるを得ないだろう。相手側がよからぬことを企んでいる可能性だってあるかもしれない。まぁ、ナイツに依頼をする時点でよからぬことを企んでいるのは間違いないのだろうが、禊屋を騙して誘い出そうとする者も中にはいるかもしれない、ということだ。
冬吾の質問には、乃神が答えた。
「もしもの時に備えて、禊屋には小型の通信機を付けておく。そうすれば現場にいずとも音が拾える。不測の事態が起こった場合は、こちらから指示を出してサポートしよう」
なるほど。それならば、安心……なのか? 何もないよりはマシだろうけど。
「同時に、依頼主である組織へ探りを入れてもらいたい」
禊屋がぴくりと反応する。
「探りって?」
「詳しくは私から説明しましょう。私が担当していた調査に関わることなのです」
コトブキが代わって話し出す。
「今回の依頼主は、ナイツ傘下にある灰羽根旅団(はいばねりょだん)という組織。リーダーの灰鷹(はいたか)を中心とした、五人組の誘拐グループです。警察に届けを出せないような相手ばかりをさらって、多額の身代金をせしめる。身代金が払われなかった場合は、誘拐した者をバラしてその臓器を売りさばく……これが、彼らの常套手段。ナイツでは、誘拐ターゲットについての情報提供、それに臓器を扱う海外マーケットへの仲介を行っています」
……なんとも恐ろしい組織だ。誘拐というだけでも大犯罪なのに、殺してその臓器を売るだなんて。その身内の組織に身を置いておいて言うことではないかもしれないが……。
コトブキは更に続ける。
「しかし、近頃その灰羽根旅団に不穏な動きを確認しました。まだ調査段階なのではっきりとは言えませんが、伏王会と接触している疑いがあります」
伏王会とナイツはいわゆる同業他社、つまりライバル企業だ。ナイツと伏王会は協定を結んでおり、お互い無干渉であることを定めている。しかし、平和そうに見せているのは表面上だけ。その水面下では腹の探り合いを続けており、末端レベルでの抗争は日常茶飯事という、不安定な関係にあった。
ナイツ傘下の組織が、敵対関係にある伏王会と接触している……これが本当だとしたら、おそらく粛正の対象になるだろう。
「なるほどね……そんな怪しげな組織が依頼してきたのをいいことに、その疑惑をあたしに確かめさせようってワケ?」
呆れたように肩をすくめつつ言う禊屋に、乃神は頷いた。
「ある程度の危険は覚悟してもらう必要がある。このタイミングで依頼してきたというのも、気になるところだ。何か動きがあるのかもしれん」
「ま、それが仕事って言うならやるけどさー……」
禊屋は軽く言うが、そんな組織と接触するということがどれほど危険かは彼女にも当然わかっているはずだ。
乃神は次に、冬吾へ向かって言う。
「そして……野良犬。お前は禊屋の護衛としてついてもらう」
「その呼び方やめろって」
ノラでも大差ないが、こいつに言われると余計に腹が立つ。
「って……ちょっと待ってくれ。護衛って俺だけ? 相手は五人組のグループなんだろ? 一人だけじゃ……」
「あまり人数を増やせば相手を刺激してしまうかもしれん。事務所へ向かうのは禊屋とお前の二人だけだ。なに、いざというときは禊屋の命さえ守ってくれれば文句は言わん」
「そりゃお前は文句ないだろうけど」
俺は死んでも構わないってことかよ。
禊屋の能力が組織にとって重要なものだということはわかるが……まぁ、この男はこういうことを言うやつだよな。わかっていたさ。だから気にしないのだ。
そう、物事はポジティブに考えていこう。今回だって油断は出来ないが、黒衣天狗やキバのときのような修羅場にはならないはずだ。先ほど乃神が言っていたように、通信機を通じて相手とのやり取りは監視され、不測の事態が起こればサポートしてくれることになっている。相手にとっても、禊屋に手を出せばナイツを敵に回すことになるのだ。そう無茶な真似はしてこないだろう……たぶん。
……そういえば、確認しておかねばならないことがあった。
冬吾は乃神へ尋ねた。
「それより……今回の仕事には関係ないんだけどさ」
「関係ないなら別の機会にしろ」
素っ気も愛想もない返事である。なんでこいつはいつもこうなんだ。
「待てって。あのキバってやつの依頼人のこと……まだ何もわからないのか?」
冬吾の通う大学の学園祭に現れたヒットマン――キバ。その狙いは、冬吾の命にあったのだ。なぜ、そして誰に狙われているのか……冬吾にはまったく見当がつかなかった。
乃神は眼鏡の位置を直しつつ答える。
「調査は続けているが……残念ながら、何もわかっていない。何度も言ったように、キバの周囲をいくら探っても、奴に貴様を殺すように依頼した者の痕跡は全く見つからなかった。かなり用心深い相手のようだな」
夕桜からそう遠くない町にある、ナイツ鷹津(たかつ)支部。キバはそこのメンバーだった。ナイツには素性を隠しつつ、殺し屋として活動していたのだ。つまり……身内に敵がいたことになる。依頼人もナイツの関係者である可能性は、否定できない。鷹津支部側はこの件に関して、キバの独断行動であり、支部としては一切関知していなかったとの答えを寄越したが、信じられるかというと微妙なところだ。
「お前に警告のメールを出してきた相手も、依然として不明のままだ」
冬吾がキバに命を狙われているということを、夕桜支社あてにメールで前もって知らせてきた何者かがいたのだ。メールを見て駆けつけてくれた禊屋の協力のおかげで冬吾は助かったのだが、そのメールには謎が多い。
メールアドレスは海外のサーバーを経由して偽装されたもの。更に、メールの末尾には差出人として、『戌井千裕』……つまり、冬吾の父親の名前が記されていた。四年前に何者かによって殺された、父親の名前が。誰かが千裕の名を騙っているのだ。
だが……何のために? それに、キバについての情報をメールの差出人はどこから入手したのか?
キバを倒したことで目の前に迫った危機を乗り越えることはできたが、この一件に関してはわからないことが多すぎた。
「そうか……まだわからないか」
なんとも不気味で、落ち着かない。
命を狙われたというのに、相手の正体も動機も不明のまま。安心は出来なかった。また、新たな殺し屋を差し向けてくるかもしれない……そう思っていたのだが、あれからひと月近く経って、何の変化もない。
乃神は話を打ち切るように、椅子から立ち上がりつつ言う。
「……車で依頼人の待つ事務所まで送る。準備に少し時間がかかるから、三十分ほどしたら外の駐車場まで来い」
冬吾は禊屋と共に部屋を出た。
それにしても……何度経験してもこの打ち合わせというやつは、息が詰まって疲れる。話を聞いているだけで肩が凝りそうだ。
乃神は準備に時間がかかると言っていたので、三十分ほど社内にある休憩所で時間を潰すことにした。
「あれからひと月くらい経つけど……何かおかしなこととか、なかった?」
廊下を移動中、禊屋が真剣な表情で訊いてくる。こちらのことを心配してくれているのだろうか。冬吾は「いいや」と首を振る。
「なんにも。却って不気味なくらい、何も起こってないな」
「夕莉(ゆうり)さんはどう?」
「隣同士だからほぼ毎日顔を合わせてるけど、特に変わった様子はないよ」
江里澤夕莉(えりさわゆうり)は、冬吾の家の隣に住む女子大学生で、冬吾の先輩にあたる。彼女は冬吾にとって身近な人間だったために、キバの一件で巻き添えになり、殺されかけたのだ。夕莉がまた狙われるかもしれない……冬吾にとってはそれが一番の心配だったのだが、今のところ彼女に影響は見られなかった。
「何かあったら、すぐに教えてね。薔薇乃ちゃんも気にしてたみたいだから」
「ああ、わかったよ」
支社長である薔薇乃と禊屋は、個人的に親友同士の間柄らしい。そのせいか薔薇乃は、禊屋の相棒である冬吾にも色々と気を回してくれている。
「ところで……」冬吾ふと思い出して、禊屋に尋ねてみた。「さっき、あのコトブキって人のこと、じっと見てたよな。何か気になることでもあったのか?」
「あー、うん……気になるってほどでもないんだけど」
禊屋はやや小声になって続ける。
「前にあの人、見たことがあるんだ」
「見たって……どこで?」
「半年前にナイツの本部に行く用事があったんだけど、そこで」
「本部で……? あれ? でもあの人……岩手の支部から来たって言ってたよな」
ナイツの本部は関東圏内にあると冬吾は聞かされていた。岩手支部の人間が、なぜ本部で目撃されているのだろう?
「ちょこっと見たってだけだし、その時のあたしと同じでなにか用事があって本部に来てたのかもしれないけどね」
半年前にちょこっと見ただけの相手をよく覚えていられるな……と、冬吾は感嘆する。禊屋は一度見ただけのものを写真のように記憶しておける、ずば抜けた記憶力の持ち主なのだ。
「それなら、あのコトブキって人に訊いてみればいいじゃないか。半年前に本部に行きましたかー、とかさ」
「それはそうなんだけど……なんとなく、気後れしちゃうんだよね。あの人、ちょっと不気味だし」
「まぁ、それはたしかに……」
なんとなく、狐っぽい男だった。あれはずる賢いというか、計算高いタイプの顔だ。まぁ、見た目の印象でしかないが。
「とりあえず、薔薇乃ちゃんに会ったら話してみようかな?」
「それがいいかもな」
そんなことを話しながら禊屋と二人で歩いていると、エレベーターのある区画に出た。そこからちょうど、一人の見知らぬ男が降りてくる。
見た目二十代後半くらいの男だ。銀色の短髪が目立っていて、ジャケットとズボンともに黒色の革製、ぱっと見バイク乗りのような恰好をしている。夕桜支社の構成員はスーツ姿であることが多いから、私服の者がいると目立つ。
男はこちらに気がつくと、軽く手を上げて言った。
「――おっ、禊屋ちゃん」
「ありゃ? ありゃりゃりゃ?」
禊屋も気がついて、嬉しそうに声を上げる。
「あー! 銀ちゃんだ! 久しぶりー、何してんのこんなとこで?」
男はこちらへ近寄って来つつ答えた。
「それを訊くのかよ? もちろん、禊屋ちゃんに会いに来たに決まってんだろ?」
「またまたー。調子いいんだから」
禊屋が笑って男の腹を小突く。
「まぁ、そいつは冗談だが。明日からこっちで例の会合があるだろ? それに護衛役としてお呼ばれしたんだよ」
「あー、あれね。そうだったんだ」
例の会合とは、何のことだろう? 禊屋はわかっているようだが……。
……それにしても、禊屋はこのちゃらちゃらした輩となにやら随分と仲良さげだ。
まぁ、禊屋が誰と仲良くしようが構わないんだけど。……別に、気にしているわけじゃない。気にしてはいないが……二人は、どういう関係なんだろう?
男は次に冬吾のほうを見る。冬吾は自分が背の高いほうだと認識しているが、相手のほうが数センチ上のようだ。近くで見ると、男はかなり鍛えられた身体つきをしているとわかる。顔の彫りも深く、ハリウッド映画に出てくるアクション俳優のような風格がある。
男は冬吾を見てから、禊屋に尋ねた。
「んで、こっちの小僧は誰だっけ?」
いきなり小僧扱いときた。むっときて軽く睨むと、男は馬鹿にするように笑う。
「わりぃな。男の顔と名前はいちいち覚えてねーんだ」
初対面だから覚えてなくて当然だ。どうでもいいが、そんなことを偉そうに言うのはいかがなものか?
「二人は初対面でしょ? 紹介するね」
禊屋が仲介してくれた。禊屋はまず相手に紹介する。
「こっちはノラっていうの。あたしの助手兼護衛。まぁいわゆる、相棒役ってやつ?」
「どうも」と冬吾は軽く頭を下げる。男は驚いたような反応をした。
「あれっ……? ちょ、ちょっと待てよ? 禊屋ちゃん、そういう固定の相棒とか取らない主義だって言ってなかったっけか?」
禊屋は苦笑いを浮かべつつ頭を掻く。
「いやーそのつもりだったんだけど……ちょっとワケありでね。二ヶ月ほど前から組んでるんだ」
「へー、そうだったのか……だったら俺に声かけてくれりゃ手伝ったのに。なんかこいつ弱っちそうだし、俺のほうが百倍は役に立つぜ?」
男は冬吾を指さしつつ言う。
……天然でこの物言いなのか? それともわざとこちらを怒らせようとしているのか?
禊屋は「はいはい」と流しつつ、
「そういう単純な問題じゃーないわけよ。だいたい銀ちゃん本部付きの人だし、簡単にこっちに来れないでしょ?」
「ま、そうなんだけどよ」
禊屋は今度は逆に、冬吾へ銀髪の男のことを紹介しようとする。
「それで、こっちは銀――」
「ああ、いいよ禊屋ちゃん」男が制止する。「自分で話す」
男は冬吾を試すような視線で見つつ、言った。
「俺は銀狼(ぎんろう)。名前くらいは聞いたことあるだろ?」
「……いや、ないです」
冬吾の返答に、銀狼と名乗った男は膝からガクッと崩れかける。
もしかして、裏社会では有名人とかそういうあれか? でも知らないものは知らないし……。
「そ、そうか。まぁ知らないならしょうがねぇ。それなりに有名になったつもりだったんだがなぁ……」
銀狼はしょぼくれたように言う。禊屋は笑って、
「しょーがないよ。ノラはちょっと前までこっちの世界とは縁もゆかりもない、ただの一般人だったんだから」
その言葉に銀狼はぴくりと反応する。
「一般人?」
「そ。でも、もうB級のヒットマンを二人も倒してるんだよ。すごいっしょ?」
「ほぉー……こいつが? 信じられねぇな」
銀狼は薄く笑って、冬吾に問い詰める。
「それよりだ。ただの一般人が、どういうわけでいきなり禊屋ちゃんと一緒に仕事をする成り行きになったんだ?」
「うっ……」
銀狼からの訝るような視線に、冬吾はたじろぐ。その経緯は話せば長くなるし、話したところで理解が得られる雰囲気でもない。
「……まぁ、それはいい。厄介な事情でこの組織に入る人間は珍しくもなんともねぇしな。問題は、お前に資質があるかどうかだ」
銀狼は冬吾のことをじろじろと観察してから、
「ふぅん……なるほど、たしかにシロートって感じだ。こういう世界に入ってもまだ、覚悟の決まりきってないふぬけ……黒でも白でもない、中途半端な身の振り方しかできない男の目だ」
「……ッ!」
銀狼の無遠慮な言葉に、冬吾は表情をこわばらせた。銀狼は更に続ける。
「俺もこの業界長いから、お前みたいな奴は沢山見てきたぜ。今までは運で切り抜けてきたのかもしれねぇが……そう何度も都合良くはいかない。どうせ、ビビってすぐ死ぬか、仲間を見捨てて逃げ出すかのどっちかだ。お前のことはどうでもいいが、禊屋ちゃんが迷惑を被るのは俺としちゃ見過ごせねぇ。悪いことは言わねぇから、さっさと身を引け。な?」
「…………」
戻れるなら――そう出来るならとっくにそうしている。
禊屋と最初に出会ったあの日――冬吾は神楽の策略に嵌められ、脅され、ナイツに身を置くことになった。神楽の目的は定かではないが、彼女の要求を拒めば冬吾の妹――灯里(あかり)の身にまで危険が及ぶ可能性があった。そして、その脅しは今でも継続している。ナイツ伏王会間の協定があるとはいえ、神楽の力をもってすれば、木っ端構成員の家族を何の痕跡もなく消すくらいは簡単だろう。
ナイツに入ったのはそういういきさつがあったからで、好きで犯罪組織に身を置いているわけじゃない。抜け出せるものなら抜け出したい。だが、そう考えていること自体が、この男が言う『中途半端』ということなのではないのか……?
そうなのかもしれない。それでも、面と向かってここまで言われて、大人しく引き下がりたくはなかった。
「あ、あのね銀ちゃん。ノラは事情があって――」
禊屋が弁解してくれようとするのを、冬吾は遮った。
「余計なお世話だ……」
「……あ?」
銀狼は片眉を上げる。冬吾は目の前の相手を真っ直ぐ睨みつけて続けた。
「俺は死ぬつもりはないし、禊屋を見捨てて逃げるなんて……もっとあり得ない。わざわざ忠告してくれたところ悪いけど、あんたの目算は大ハズレだよ」
「はっ……!」銀狼は鼻で笑う。「言うじゃねぇか、小僧」
ヒートアップしそうな気配にさすがに禊屋も慌てたようで、
「ま……まーまーまー、二人とも落ち着いてよ! あ――それよりさ、銀ちゃんはどっか行くところだったんじゃないの?」
「ん……ああ、そうだった。せっかくこっちに来たから、ここの社長に挨拶しようと思ってな」
禊屋が上手く取りなしてくれて、事なきを得たようだ。
「薔薇乃ちゃんに? でも社長室って八階だよ? ここ五階」
「おーそうか八階か! いやぁ、誰も案内してくれねぇからあちこち見て回ってたんだ。危うく迷子になるとこだったぜ。ありがとよ!」
銀狼はふと思い出したように禊屋へ尋ねる。
「あー、そういや……あいつはいるのか?」
「あいつ?」
「ヴェガ、じゃあなくて……その、あいつ。織江(おりえ)だよ」
「いや、今日はまだ見てないよ。どっかに出てるんじゃないかな」
「そっか……それならいいんだ」
銀狼はほっとしたように言ったが、その声には僅かに残念そうな響きも混じっていたように思えた。
ここにいる織江といったら、静谷織江(しずやおりえ)のことだろう。岸上薔薇乃の懐刀であり、夕桜支社最強の……元殺し屋。銀狼は彼女とも知り合いなのだろうか?
「禊屋ちゃんたちはこれから仕事か?」
「まぁね」
「そうかい。どんな仕事だか知らんが、健闘を祈るぜ」
銀狼は禊屋にそう言ってから、今度は冬吾の肩を軽く叩いた。
「ま、精々頑張りなルーキー。さっき自分で吐いた言葉、忘れんじゃねぇぞ? 口だけじゃない男だってこと、証明してみせろよ」
銀狼はそう言い残して、廊下の曲がり角へ消えていった。それから、冬吾は禊屋に尋ねる。
「……それで、何者なんだ? あいつ」
結局本人からは聞き出すチャンスがなかった。禊屋は人差し指を立てて言う。
「銀狼――ナイツ本部召し抱えの殺し屋。“白銀の斬光(シルバー・ライトニング)”の異名で知られる、S級ヒットマンだよ」
「Sって……え、えすっ!?」
驚いて思わず声が裏返ってしまった。廊下を振り返って、
「あ……あれが?」
なんというか、そういう雰囲気みたいなものはまったく感じられなかったが……。いや、たしかに存在感はあったけれども。
「そうは見えなかった? でも、強さは本物だよ」
ヒットマンのランク付けではSはAの更に上……つまり最高のランクだ。織江ですら、殺し屋時代のランクはAだったらしい。冬吾は織江から何度か訓練を受けているので、彼女のでたらめな強さは身をもって知っている。あの織江よりも銀狼は強いのだろうか……。
「で……なんでそんなすごい殺し屋がここに来てるんだ? 会合がどうとか言ってたけど……」
「明日、夕桜市内のある場所でナイツ・伏王会間の会合が行われることになってるの。ナイツと伏王会は互いに争わないための協定を結んでいるってのは、前にちょっと話したよね? その協定のことで定期的に、両組織のお偉いさんたちが集まって話し合いをすることになってるんだ」
「それを、夕桜で?」
「『アルゴス院』っていう中立組織の仲立ちで会合は開かれるんだけど、その組織の本部が夕桜市内にあるの。ナイツと伏王会どちらにとってもフェアなように、その組織が場所まで提供してくれてるんだ。この街はナイツと伏王会どちらの本部にも近いし都合が良いってことで、毎回そうなってるみたい」
アルゴス院……また初めて聞く組織の名前だ。それにしても、この街にはいったいどれだけ犯罪者がいるのやら。
「明日はそーいう両組織のお偉いさんたちが集まる日だから、護衛もかなり厳重になるの。銀ちゃんはそのためにここに来てるってワケ」
そんな会合があるとは知らなかった。夕桜で行われるということは、ここのボスである薔薇乃も参加するのだろうか。……しかし、自分には関係のないことか。冬吾はあまり気に留めようとはしなかった。
「ところで……」冬吾はなるべく素っ気ない感じを装って言う。「あいつと仲良さそうだったけど……」
禊屋は小首を傾げた。
「ん? 銀ちゃんのこと? 前に一度だけ一緒に仕事したことあるんだ。護衛してもらったの」
「へぇ、そうなのか……」
……禊屋は俺がナイツに入るずっと前から仕事をしていたようだし、裏社会に知り合いも多いだろう。当然のことだ。
「うん? ……うぅーん?」
禊屋は冬吾の顔を下からじっと覗き込む。
「な……なに?」
冬吾はどぎまぎしつつ、眼前に迫った禊屋の顔を見返す。
可愛らしくて、それでいて色っぽい……奇跡的と言っていいほどの美貌。もうとっくに見慣れた顔のはずなのに、こうして近くで見つめられるだけで、妙に心を乱されるような感じがする。
不思議そうに冬吾を見つめていた禊屋は、やがてからかうような笑みを浮かべた。
「もしかしてー……あたしが銀ちゃんと仲良さげだったから、嫉妬しちゃった? とか? とか!?」
「……そんなわけないだろ。なんでそうなるんだよ」
冬吾は視線を逸らしつつ答える。
「じゃあじゃあ、なんであたしと銀ちゃんの仲を気にしたの?」
「べつに、なんとなくだよ……」
「ふーん、そう。なんとなくねぇ…………」
禊屋はニヤニヤしながら言うと、
「……がばーっ!」
いきなり冬吾の胸元に飛び込み、抱きついた。咄嗟のことで冬吾はよろめき、廊下の壁に背をつく。
「うわっ!? ちょ……なんだよいきなり!?」
「んひひっ! なんとなーく、カナ?」
禊屋は冬吾の胸に顔を埋めるようにして言った。
――当たっている。柔らかい。大きい。暖かい。いい匂い。柔らかい……色々な幸せっぽい何かが大量に脳内を駆け巡って、冬吾はくらくらしそうになる。
い……いかん! 意識をしっかり保たないと。まったく……。からかわれているのだとわかっていても、こればかりはどうしても慣れない。
「お……お前な……すぐこうやって誰にでも抱きつくの、よくないぞ……」
身体をかちこちにさせながら冬吾が言うと、禊屋は口先を尖らせ不満そうな顔をする。
「……誰にでもは、やってないんだけど?」
「え……」
不意を突かれた返答に、冬吾は黙ってしまう。禊屋は堪えるように肩を震わせながら笑って、
「くふふ……顔、真っ赤だよー? このすけべー!」
禊屋は冬吾の胸を小突いてから離れた。
「お前ほんっとに…………はぁ、もういいや」
何か言い返してやろうかとも思ったが、やめた。こうなったら真面目に反応するだけ、バカを見るような気がする。いとも簡単に禊屋に転がされてしまっている自分が、なんだか少しカナシイ。
禊屋は、冬吾の隣へ並ぶように廊下の壁際を背にして立つ。
「それにしても……ちょっと驚いちゃったな。キミが銀ちゃんにあんな風に言い返すだなんて」
「……あれだけ好き勝手言われたら、言い返したくもなるだろ」
幾らか図星を突かれてしまったから、ついムキになってしまった……のかもしれないが。
「んー、でも、銀ちゃんの言ってたことなんて気にする必要ないよ」
禊屋は、優しく冬吾へ微笑みかけた。
「あたしはよーくわかってるよ。キミが口だけの男なんかじゃないってこと」
「…………」
思わず、禊屋をまじまじと見つめてしまった。嬉しいような、気恥ずかしいような……でも、胸に暖かいものが通うような感覚だ。少ししてからハッとして、照れを誤魔化すように髪を掻く。
「……………そ、そうか」
それなら……まぁ、いいや。
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