『カールロット公爵令嬢は魔女である』~冤罪で追放されたので、本当に災厄の魔女になることにした~

あだち

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四、カールロット公爵令嬢は魔女である

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 当然のことながら、この対決はルゼが圧倒的に有利だ。地の利があるし、ルゼは子どもの頃から魔女だったのだから。

 だから、仕掛けるのは先に、一気に、と心に決めていた。

「……あつい」

 たいして大きくない円卓の向こうで、ゴォ、と火の粉が散っている。熱にほほを撫でられたような気になって、思わず息を詰めた。
 私は椅子から立ち上がり、その場からゆっくりと離れた。視線は天井まで届く炎から逸らさないまま。

 普通なら、この中で人間は生きられない。

「……ルゼ?」

 燃え盛る炎に向けて呟く。
 まさか、魔女がこの一発で死ぬことなんてあるのか。
 全力で仕掛けて、ようやく主導権を握れるくらいかと思ったのに、これは予想外――。

 そう思った次の瞬間、私の作り出した火柱が一瞬で消えた。

「ッ!」

 冷たい感覚が背中を駆け巡った。
 ルゼは、さっきと寸分違わぬ姿で立っていた。ドレスには焦げあとひとつなく、髪も一筋の乱れもない。
 円卓の足の向こうに、焦げた床と椅子の残骸が見えて、そこがまちがいなく炎に焼かれた場所だと伝えているのに。

 青い目が、冷ややかにこちらを睨み付けている。

 ――簡単にはいかないことくらい、予想していた。

 しかし、いざ攻撃しても微塵も効いていないのを間近で見ると、袖のよれを整える魔女の姿に全身が粟立つのを避けられなかった。

「本当に、ちょっと練習すれば何でもできちゃうってわけ。エリセといい、先生の弟子はみんな優秀ね……。一番弟子の私が一番出来が悪いまでありそう」

 ルゼがそう吐き捨てるとともに円卓が消えて、私たちの間を遮るものが何もなくなった。殺意を目ににじませた相手に一歩近づかれて、思わず同じだけ後ずさった。

 ……座っていた椅子は燃えたのに、ドレス含め彼女自身には煤一つ付いていない。
 何の魔法? 盾のように炎を防ぐのではなく、何か、彼女自身を守る魔法なのか――。

「……また難しそうなお顔。懐かしくて胸が熱くなりますわ。――ああ、もしかして、これが気になりまして?」 
 
 美しいままの若草色のドレスの胸元に、白い手袋に覆われたルゼの手が伸びる。緩められた胸元から、白い肌があらわになった。

 え、この子、突然何考えてるの。

 焦燥の中でそう戸惑ったが、くつろげられた襟ぐりから引き出されたものに目を見開き、息を呑んだ。

「懐かしいでしょう? 

 片頬を上げたルゼが見せてきた、片手でも扱えそうな、小さな、鋭い、抜き身の短剣。
 それは、持ち手も、小さなつばも、切っ先まですべてが水晶で出来ている。
 
 初めて見るのに、私にはそれがなんなのかわかる。もう、今の私にはわかってしまう。
 呪具とそうでないものを、一目で見抜けるようになったから。
 塔の部屋で、これに似たものを、これを目指した『試作品』を、たくさん見たから。

「……それは、ロザロニア、の」

 呆然と呟いた私に、ルゼが声を上げて笑った。その手の短剣も震わせて。

「ロザロニア、そうだった、あの子はそんな名前になったのでした。すぐ忘れてしまいますの、ルゼはお姉様と違って頭が悪いから」

 そう言って、ルゼは細めた目を透き通った短剣越しに向けてきた。人の動揺を楽しむ、意地の悪い笑み。

「一年前、先生に最後の挨拶に行ったとき、あの子がくれたんですの。身を護るタリスマンだから、側に置いてですって。年上だけど、可愛い人だわ」

 ルゼがうっとりと短剣の刃先を見つめ、指でなぞった。懐かしむようなその笑みが、徐々に嘲りに歪んでいく。

「当初はこれとは違う形のものを差し出されたのだけれど、もっと隠しやすいものがいいって言ったらこれに代えてくれたんです。本当に優秀な魔女ロザロニア。半年前には、ちゃあんと持ち主の敵を仕留めるのに一役買って、そして今もまた、持ち主を復讐の炎から守ってくれた。ねぇ、妹弟子って可愛がっておくものですわね」

 脳裏によみがえる、ピンクブロンド。どうして復讐に固執するのと泣いていた魔女に、悲しみと腹立たしさが湧き上がる。

 ロザロニアったら、おバカさんなの、本当に。
 あなたが贈ったプレゼントが、この女のしたことの始まりにしっかり関与してるじゃない!

 私の険しい表情を満足げに見つめたまま、ルゼは短剣を宙に高く放り投げた。そして開いた両方の手で素早く、同時に指をならした。
 訝しむ暇もなく、大理石の床の中央に、赤い、大きな魔法陣が現れた。

「……っこれ、まさか」

 自分の足の下にも及ぶ巨大な魔法陣がなんなのか、わかると同時に私は走り出した。落ちてきた短剣を「おっとっと」と楽しげに受け取ったルゼと、魔法陣から離れるように。

 けれどもう一度、指を鳴らす音がした。
 くる。
 大きな魔法陣の上で、白煙を伴うつむじ風が巻き起こる。

「ご存じ? ロザロニアにはもともと、姉と兄がいたんですって」

 ルゼがまた話し始めたとき、私は開かない扉まで後退していて、魔法陣の上で荒れる風をなすすべなく見つめていた。

「きっと、もっと妹としてかわいがってもらいたかったのでしょうね、だから“姉弟子”に執着してしまうのでしょうね」

 ルゼは淡々と話し続ける。
 知らない。ロザロニアのことなんて、今は考えたくない。
 今はそれより、この徐々に止んでいく風の向こうにいるものを、どうするか考えないといけない。

 ……そうわかっているのに。

「――だから、無力な妹弟子に同じだけの力がある呪具を渡そうだなんて頭が回らなかったのでしょうね。かわいそうなロザロニア」

 気がつくと、私は奥歯を噛み締めていた。
 脳内を端からじりじりと焼くような悔しさに、視界が歪む。

「それよりかわいそうなのは、あなただけど」

 起きたとき同様、唐突に風が止んだ。
 白煙の向こうから現れた者の、最初の印象は目玉だった。天井近くから見下ろしてくる、その金色の双眸と細長い瞳孔に、冷たい汗が伝った。

「……というより滑稽ですわね、レダリカ・カールロット。魔女じゃないってあんなに喚いておきながら、まんまと魔女になって帰ってきた。傑作とはこのことです」

 長い舌がちろちろと出たり入ったりする、大きな顎。不気味な艶を纏う、琥珀色の鱗に覆われた胴体。

 魔法陣の上に現れた大蛇は、玉座の間の高い天井すら窮屈であるといいたげに首を曲げ、宮殿の柱と同等の太い体をうねらせながら私を睨んでいた。

「……魔獣の召喚を見るのははじめてで? 召喚術は、難しいものね。先生はさすがに失敗したこと、無かったけど」

 声を出せない私に気をよくしたのか、「ねえ」と呼び掛けてきたルゼの口の端は、上がっていた。
 
「フラウリッツ先生は、いつ、私が魔女だとお教えに?」

 あからさまに表情を変えた私に、ルゼの声がさらに弾んだ。にんまりと、邪悪な笑みが深くなる。

「ね、あの城は、もともと私と先生が過ごしていたところだって知って、どうでした? 庭の花も鶏も、元々は私たちが協力して育てたのだって聞くと、どう感じます?」

 挑発されているのだから、おいそれと乗ってはいけない。聞き流さなければ。蛇の動きに集中しなければ。
 わかってはいたが、胸を鎖で引き絞られるような苦しさに表情が歪んだ。

「あの人、あなたにも言ったのでしょうか、復讐なんてやめろって。王都には大切な人がいるとか別の生き方見つけるまでここにいればいいとか、憎いはずの甥とそっくりの顔で懐柔しようとしてきました?」

 耳障りな雑音を排除しようと、必死に考える。
 蛇、蛇。苦手なものはなに? 炎? だめ、ここで暴れられたら私も、そこの男もみんな巻き添えをくらってしまうし、それなら空を飛べるものとか――。

「あの人は、あなたのことが好きだったんですって」

 空を、飛べる。

 カラス、とか。

「ばかみたいだと思いません? 自分の術でなんにも覚えてないのにね。ああ、もしかして先生とそういう関係になったり、迫られたりしましたの? ……まさかね、あの小心者の先生だもの、きっと何もできやしなかったでしょうね。最後に会ったときも、私が王都で何するつもりか探ろうとしたみたいでしたけど、結局なんにも止められやしないでこの様――」
「お黙り、聞き苦しい」

 自分でも驚くほど声が通って、ルゼの舌が止まった。
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