26 / 30
第26話
しおりを挟む
休日の今日。
ミリアは珍しく出かける準備をしていた。
先触れは出した。
初めて訪れる場所に、緊張が高まる。
そして、今日はミリア一世一代の大仕事となる。
それを行うことも考えるとさらに緊張は高まる。
「お嬢様、まるで死にかけの魚のように固まっておりますよ」
「もうちょっといい例えは無いかしら?」
「では死に伏した虫のように固まっております」
「悪化させてどうするのよ…」
ルーミアの軽口に反論するもキレが無い。
先触れを出した場所から、その緊張の理由をルーミアは察する。
そしてその過度の緊張から何かをしようとしていることも。
もちろんルーミアも同行するが、ミリアの口からは何をするのかは言われていない。
ルーミアにも言わないということは、『それ』は確実に自分で成さねばらならないことだと分かっているからだろう。
ついに覚悟を決めたかとルーミアは安堵にも似た感情を抱いた。
そして肝心のミリアはもう誤魔化しはできない状況を作った。
その一歩は、昨晩に行った父・カースタ侯爵との対談だ。
***
「本気…と受け取っていいんだね?」
「はい」
父の確認にミリアは力強く頷く。
きっかけにされた彼女は不本意かもしれないが、ミリア自身今の状況をどう変えていいか分からなくなり始めていた。
もはやただの意地だったのかもしれない。
「…だが、アーノルドに可能性無しと見れば次の後継者はミリアだ。その場合はどうするのかね?」
「その心配は不要です」
「ほう?」
ミリアは父の言葉を不要と断じた。
それに、父は面白そうに口角を上げる。
「ルッツが、お兄様は化ける…そう仰ったからです」
真剣なまなざしでそう告げるミリアに、父は一瞬呆気に取られる。
『ミリア』がミリアに生まれ変わったとき、ミリアはルッツとの婚約をためらう素振りすら見せずに解消することを父に望んだ。
まるでルッツに興味などない、そう言わんばかりの態度だった。
それからわずか数か月。
こうまで彼の言葉を信じている…それほどまでにミリアが彼を信頼していることに、父はわずかに嫉妬を募らせた。
「本当にそう思うかね?」
「思います」
父も、ルッツがアーノルドに特訓をつけていることは知っている。
それから、文官としての仕事の成果、特に人間関係に変化が表れていることも。
いずれ、良い伴侶にも恵まれるだろう。
だから、アーノルドは跡継ぎになれる。
そう論ずるのが普通だ。
だがミリアは違う。
ルッツが言った。
だから信じる。
わかりやすいほどの信頼関係だ。
相手の言葉を疑う様子は微塵も無い。
だからこそ、ミリアは本気だ。
それが先の言葉に通じる。
「…いいだろう。ミリア、君の覚悟を君自身で伝えてきなさい」
「ありがとうございます、お父様」
ミリアが部屋を出ていった。
その扉が閉まるまで、父は娘の背中を見ていた。
いつから彼女はこんなにもたくましくなったのだろうか。
彼女が病床からよみがえったとき、強い娘だとは思った。
自ら明かさなくてもいいはずだった真実を明るみにし、けれど両親を騙したくないという彼女の誠実さ。
それを明らかにしたことによる拒絶への恐れを、立ち上がることすらできない弱り切った体にも拘わらず払拭し、語ったその強さ。
しかし、その強さは一方で『諦め』という境地が支えている。
最悪、『諦めてしまえばいい』という心境が見えていた。
彼女はすでに一度死している。
だからこそ、生への執着が強いと同時に、死への恐怖が無い。
恐怖が無いから、容易く『諦める』ことができる。
『死』から来る強さ。そして、『死』がもたらした誠実さ。
それがかつての彼女がもっていた強さだ。
しかし今は違う。
彼女は…娘はもう『諦めない』。
諦めることを拒んだのだ。
もし仮に、父が娘の覚悟を拒んだとしても、もう娘は諦めない。
諦めるつもりが無いことが、その瞳にしっかりと刻まれている。
そこまで娘を変えた彼の存在を、父は感謝すると同時に妬ましく思ってしまう。
これが娘を持つ父の心境か…と今更ながらに感じていた。
「この館も……また寂しくなるな」
父の独り言に、静かに控えていた執事長も黙ってうなずく。
『ミリア』が元気なころはいつも貴族貴族と口やかましいアーノルドと喧嘩ばかりしていた。
しかし、『ミリア』が病床に伏してからはアーノルドの屋敷内での口数も減り、両親も口数が乏しくなり、静かになってしまった。
けれど、ミリアが蘇り、以前と違い使用人とも快く接する彼女に屋敷内は徐々ににぎやかになっていった。
それがまた消えてしまう……寂しいことだ。
「アーノルドの伴侶に期待…だな」
***
そんなやりとりから翌日が今日である。
準備を整え、馬車に乗り込んだミリアはルーミアとともに目的地へと向かう。
道中、初めて向かう場所、これからの自分の人生の決断を宣言する場所への緊張がピークに達していく。
そんな主を見かねて、ルーミアがミリアの手をそっと握り込んだ。
「ルーミア…」
親愛なる侍女の心遣いに、ミリアはふっと顔を和らげ…
「いたたたたたたた!?」
突如走る痛みに悲鳴を上げた。
見ればルーミアの手がミリアの手の甲をつまみ上げている、
これは痛い。
「何なのよ?!」
振りほどき、つねられた手を撫でる。
睨みつけても肝心の侍女はどこ吹く風。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
「ルーミア…」
「大丈夫です」
ルーミアには今日行く場所のことしか知らせてはいない。
何故行くのかは言ってはいないのだ。
「ありがとう、ルーミア」
けれど、それを察して励ましてくれる侍女には感謝しかない。
今度はミリアがルーミアの手を取る。
だが…
「あいたたたた!!」
「結構痛かったからお返し」
そして同じく手の甲を抓った。
さすがのルーミアもこの痛みには悶え、表情を曇らせた。
この侍女の無表情以外の表情は久しぶりに見るような気がした。
(でも……ありがとう)
そんな馬車の一幕が終焉を迎えるころ、馬車は目的地に到着した。
その場所は…ロード家の屋敷。
馬車の扉が開くと、スッと男性の手が見える。
見慣れた手。その手に自らの手を乗せ、ミリアは馬車を降りた。
「いらっしゃい、ミリア」
満面の笑みでミリアを出迎えたルッツ。
彼の自宅でもあるだけに、その恰好は普段カースタ家に来る時よりもずっとラフだ。
しかしそのラフさが、普段見慣れない彼だけに少しドキっとしてしまう。
「急でごめんなさいね」
「君の来訪ならいつでも構わないさ」
「あら、じゃあ深夜にでも訪れようかしら?」
「使用人は寝ているじゃないか。俺だけに出迎えてほしいと?甘えん坊だな、君は」
そう言うルッツの顔はこの上なく甘い。
ルッツにエスコートされ、ロード家の屋敷に足を踏み入れる。
そこにはロード家の使用人が待ち構えており、歓迎のあいさつを受けた。
そのまま、応接室へと移る。
応接室に備え付けられたソファーに座ることを促されると、当然のように隣にはルッツが座る。
「急にどうしたんだ?今日は」
ミリアがロード家の屋敷を訪れたことは無い。
今回が初訪問だ。
それも、先触れは出したが事前にルッツに伝えていたわけではない。
自身に何も言わず、先触れを出して来訪してきたことを不思議がっているようだ。
「決めてきたことがあるのよ」
「決めてきたこと…それは今日の君の格好と関係があるのか?とてもよく似合っている」
そう言いながら、髪を一房手に取ると口づけてきた。
そんな気障なことがさらりとできるようになったルッツに改めて驚き、そして少し照れの気持ちもありながら、ミリアはルッツを見据えた。
「ミリア?」
普段とは違う、その強い眼差しにルッツは驚いた表情になる。
ついにその言葉を口にする。
何も恐れも不安も無いはずなのに、それでも口は真一文字に引き締められ、すぐに出てこない。
いつも彼が口にする言葉なのに、いざ自分が口にするかと思うと引き出せない。
そんなミリアから何かを察したのか、ミリアの手をルッツは優しく自分の手で覆った。
「大丈夫だ」
何が大丈夫なのか。
何がわかったというのか。
普段ならそう問いたいくらいなのに、今はその言葉だけでミリアの心がスッと軽くなった。
(あぁ……私は、もう……)
彼の言動一つでこうも心が動く。
今の自分が、どれほどルッツを想っているのかがよくわかる。
だから……紡ぐ言葉にもう、不安は無い。
「好きよ、ルッツ」
やっと言えた、その言葉。
今のミリアの、素直な言葉。
自身の感情の、赴くままの言葉は、口にした自身にすら温かな気持ちを呼び起こす。
それに対しルッツは一瞬驚きの表情に変わるも、すぐのその表情を緩める。
どころか、緩めすぎて少しだらしないところにまで来てしまっている。
これではせっかくの美貌も台無しだ。
そんな、喜びが表情が表れ過ぎたルッツにミリアは笑うしかなかった。
「嬉しいのは分かるけど、もうちょっと引き締めて頂戴?」
そう指摘され、ようやくルッツは自分がどれほどだらしない顔をしていたか自覚した。
が、次の瞬間にはまた緩んでいくのだから仕方がない。
「ほら、また」
「仕方ないだろう。ようやく君の口からそれが聞けたんだ。うれしくてたまらないんだ」
「ダメよ、そんな顔ばかりじゃ私、嫌いになっちゃうわよ?」
「それは困るな」
困ると言いながら、もう表情を直そうとしない。
ミリアの言葉が口だけだということは分かっているし、嫌われるとは微塵も思っていない。
「ようやく聞けた」
ミリアの顎に手を添え、二人の距離が狭まる。
ようやく思いが通じ合った二人を、遮るものはいない。
二人ともに目を閉じ、さらに近くなる。
「ん………」
どんなに手や肩、腰に触れようとも許されることのなかった場所。
唇。
ようやく触れることを許された男、許した女。
そんな二人の初めてのキスは、初めてらしくわずかに触れる程度。
数秒で再び距離ができるも、離れた時間は長く続かない。
すぐにまた触れ合うと、今度はさきほどよりも長い。
けれど、想いは通じてもまだ二人は学生、それに家の許可は正式に降りていない。
ルッツは自分に湧き上がるオスとしての本能を理性で抑え込み、さらに深い口づけを望む自身を縛り付ける。
ミリアの頭に回したくなる手を、ミリアの手を優しく握ることで抑えつける。
再び離れ、見つめ合う二人はお互いに笑い出す。
零れるような笑いは、とても幸せを感じている証拠だ。
「ねぇルッツ」
「どうした?」
「私、今すごい幸せなの。まだ結婚してないのに」
「俺も幸せだ。これ以上幸せになるのかと思うと恐ろしくすらある」
「じゃあやめようかしら?」
「俺が離すとでも?」
ミリアの冗談に、ルッツは笑みを一転。
獰猛な、獅子のごとき瞳でミリアの瞳に映る自分を見る。
その瞳に魅せられたミリアは、一際高鳴った鼓動、そして一気に紅潮する顔に心を一瞬失ったような感覚に襲われる。
心をわしづかみにされた。
そんな表現がまさに今自身を襲ったと他人事のように感じながら、もうこの人からは逃げられない、逃げたくないと悟った。
「離さないで頂戴?」
「もちろんだとも」
ミリアの腰に回された手が、身体ごとグイッと引き寄せられる。
ルッツの体に手をかけなければいけないほどに引き寄せられれば、その手から伝わるルッツの体の逞しさにまた鼓動が早くなる。
(見た目も中身も……こんなにも男らしい…)
初めての印象はまるで子犬だった。
しかし、今は欲しいものは力づくで手に入れる、獰猛な獅子だ。
こんなにも変わってしまったと、ミリアは感動すらしていた。
「ミリア…」
彼に名を呼ばれるだけこんなにも鼓動が高鳴る。
想いを自覚し、伝え、想い合えただけでこんなにも変わってしまう。
名を呼ばれて顔を上げると、間髪入れずに唇をふさがれた。
それに驚きはなく、嫌悪など微塵も無い。
むしろ自分の体の一部が戻ってきたかのような安心感すらあった。
わずか三度のキスで、こんなにも受け入れてしまう。
前世ではそんな表現は山ほど読んできた。
しかし、前世の彼女からすれば唇以外なら患者としての立場上、身体を見せる・触れられることは日常茶飯事だった。
今更唇くらい……そう思っていた時期もあった。
そう思っていた自分に、この感動を伝えてあげたい。
こんなにも素晴らしいものなんだと教えてあげたい。
離れる唇に寂しさを覚えつつ、言葉を紡ぐことを許された唇で、想いを告げる。
「好きよ、ルッツ」
ミリアは珍しく出かける準備をしていた。
先触れは出した。
初めて訪れる場所に、緊張が高まる。
そして、今日はミリア一世一代の大仕事となる。
それを行うことも考えるとさらに緊張は高まる。
「お嬢様、まるで死にかけの魚のように固まっておりますよ」
「もうちょっといい例えは無いかしら?」
「では死に伏した虫のように固まっております」
「悪化させてどうするのよ…」
ルーミアの軽口に反論するもキレが無い。
先触れを出した場所から、その緊張の理由をルーミアは察する。
そしてその過度の緊張から何かをしようとしていることも。
もちろんルーミアも同行するが、ミリアの口からは何をするのかは言われていない。
ルーミアにも言わないということは、『それ』は確実に自分で成さねばらならないことだと分かっているからだろう。
ついに覚悟を決めたかとルーミアは安堵にも似た感情を抱いた。
そして肝心のミリアはもう誤魔化しはできない状況を作った。
その一歩は、昨晩に行った父・カースタ侯爵との対談だ。
***
「本気…と受け取っていいんだね?」
「はい」
父の確認にミリアは力強く頷く。
きっかけにされた彼女は不本意かもしれないが、ミリア自身今の状況をどう変えていいか分からなくなり始めていた。
もはやただの意地だったのかもしれない。
「…だが、アーノルドに可能性無しと見れば次の後継者はミリアだ。その場合はどうするのかね?」
「その心配は不要です」
「ほう?」
ミリアは父の言葉を不要と断じた。
それに、父は面白そうに口角を上げる。
「ルッツが、お兄様は化ける…そう仰ったからです」
真剣なまなざしでそう告げるミリアに、父は一瞬呆気に取られる。
『ミリア』がミリアに生まれ変わったとき、ミリアはルッツとの婚約をためらう素振りすら見せずに解消することを父に望んだ。
まるでルッツに興味などない、そう言わんばかりの態度だった。
それからわずか数か月。
こうまで彼の言葉を信じている…それほどまでにミリアが彼を信頼していることに、父はわずかに嫉妬を募らせた。
「本当にそう思うかね?」
「思います」
父も、ルッツがアーノルドに特訓をつけていることは知っている。
それから、文官としての仕事の成果、特に人間関係に変化が表れていることも。
いずれ、良い伴侶にも恵まれるだろう。
だから、アーノルドは跡継ぎになれる。
そう論ずるのが普通だ。
だがミリアは違う。
ルッツが言った。
だから信じる。
わかりやすいほどの信頼関係だ。
相手の言葉を疑う様子は微塵も無い。
だからこそ、ミリアは本気だ。
それが先の言葉に通じる。
「…いいだろう。ミリア、君の覚悟を君自身で伝えてきなさい」
「ありがとうございます、お父様」
ミリアが部屋を出ていった。
その扉が閉まるまで、父は娘の背中を見ていた。
いつから彼女はこんなにもたくましくなったのだろうか。
彼女が病床からよみがえったとき、強い娘だとは思った。
自ら明かさなくてもいいはずだった真実を明るみにし、けれど両親を騙したくないという彼女の誠実さ。
それを明らかにしたことによる拒絶への恐れを、立ち上がることすらできない弱り切った体にも拘わらず払拭し、語ったその強さ。
しかし、その強さは一方で『諦め』という境地が支えている。
最悪、『諦めてしまえばいい』という心境が見えていた。
彼女はすでに一度死している。
だからこそ、生への執着が強いと同時に、死への恐怖が無い。
恐怖が無いから、容易く『諦める』ことができる。
『死』から来る強さ。そして、『死』がもたらした誠実さ。
それがかつての彼女がもっていた強さだ。
しかし今は違う。
彼女は…娘はもう『諦めない』。
諦めることを拒んだのだ。
もし仮に、父が娘の覚悟を拒んだとしても、もう娘は諦めない。
諦めるつもりが無いことが、その瞳にしっかりと刻まれている。
そこまで娘を変えた彼の存在を、父は感謝すると同時に妬ましく思ってしまう。
これが娘を持つ父の心境か…と今更ながらに感じていた。
「この館も……また寂しくなるな」
父の独り言に、静かに控えていた執事長も黙ってうなずく。
『ミリア』が元気なころはいつも貴族貴族と口やかましいアーノルドと喧嘩ばかりしていた。
しかし、『ミリア』が病床に伏してからはアーノルドの屋敷内での口数も減り、両親も口数が乏しくなり、静かになってしまった。
けれど、ミリアが蘇り、以前と違い使用人とも快く接する彼女に屋敷内は徐々ににぎやかになっていった。
それがまた消えてしまう……寂しいことだ。
「アーノルドの伴侶に期待…だな」
***
そんなやりとりから翌日が今日である。
準備を整え、馬車に乗り込んだミリアはルーミアとともに目的地へと向かう。
道中、初めて向かう場所、これからの自分の人生の決断を宣言する場所への緊張がピークに達していく。
そんな主を見かねて、ルーミアがミリアの手をそっと握り込んだ。
「ルーミア…」
親愛なる侍女の心遣いに、ミリアはふっと顔を和らげ…
「いたたたたたたた!?」
突如走る痛みに悲鳴を上げた。
見ればルーミアの手がミリアの手の甲をつまみ上げている、
これは痛い。
「何なのよ?!」
振りほどき、つねられた手を撫でる。
睨みつけても肝心の侍女はどこ吹く風。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
「ルーミア…」
「大丈夫です」
ルーミアには今日行く場所のことしか知らせてはいない。
何故行くのかは言ってはいないのだ。
「ありがとう、ルーミア」
けれど、それを察して励ましてくれる侍女には感謝しかない。
今度はミリアがルーミアの手を取る。
だが…
「あいたたたた!!」
「結構痛かったからお返し」
そして同じく手の甲を抓った。
さすがのルーミアもこの痛みには悶え、表情を曇らせた。
この侍女の無表情以外の表情は久しぶりに見るような気がした。
(でも……ありがとう)
そんな馬車の一幕が終焉を迎えるころ、馬車は目的地に到着した。
その場所は…ロード家の屋敷。
馬車の扉が開くと、スッと男性の手が見える。
見慣れた手。その手に自らの手を乗せ、ミリアは馬車を降りた。
「いらっしゃい、ミリア」
満面の笑みでミリアを出迎えたルッツ。
彼の自宅でもあるだけに、その恰好は普段カースタ家に来る時よりもずっとラフだ。
しかしそのラフさが、普段見慣れない彼だけに少しドキっとしてしまう。
「急でごめんなさいね」
「君の来訪ならいつでも構わないさ」
「あら、じゃあ深夜にでも訪れようかしら?」
「使用人は寝ているじゃないか。俺だけに出迎えてほしいと?甘えん坊だな、君は」
そう言うルッツの顔はこの上なく甘い。
ルッツにエスコートされ、ロード家の屋敷に足を踏み入れる。
そこにはロード家の使用人が待ち構えており、歓迎のあいさつを受けた。
そのまま、応接室へと移る。
応接室に備え付けられたソファーに座ることを促されると、当然のように隣にはルッツが座る。
「急にどうしたんだ?今日は」
ミリアがロード家の屋敷を訪れたことは無い。
今回が初訪問だ。
それも、先触れは出したが事前にルッツに伝えていたわけではない。
自身に何も言わず、先触れを出して来訪してきたことを不思議がっているようだ。
「決めてきたことがあるのよ」
「決めてきたこと…それは今日の君の格好と関係があるのか?とてもよく似合っている」
そう言いながら、髪を一房手に取ると口づけてきた。
そんな気障なことがさらりとできるようになったルッツに改めて驚き、そして少し照れの気持ちもありながら、ミリアはルッツを見据えた。
「ミリア?」
普段とは違う、その強い眼差しにルッツは驚いた表情になる。
ついにその言葉を口にする。
何も恐れも不安も無いはずなのに、それでも口は真一文字に引き締められ、すぐに出てこない。
いつも彼が口にする言葉なのに、いざ自分が口にするかと思うと引き出せない。
そんなミリアから何かを察したのか、ミリアの手をルッツは優しく自分の手で覆った。
「大丈夫だ」
何が大丈夫なのか。
何がわかったというのか。
普段ならそう問いたいくらいなのに、今はその言葉だけでミリアの心がスッと軽くなった。
(あぁ……私は、もう……)
彼の言動一つでこうも心が動く。
今の自分が、どれほどルッツを想っているのかがよくわかる。
だから……紡ぐ言葉にもう、不安は無い。
「好きよ、ルッツ」
やっと言えた、その言葉。
今のミリアの、素直な言葉。
自身の感情の、赴くままの言葉は、口にした自身にすら温かな気持ちを呼び起こす。
それに対しルッツは一瞬驚きの表情に変わるも、すぐのその表情を緩める。
どころか、緩めすぎて少しだらしないところにまで来てしまっている。
これではせっかくの美貌も台無しだ。
そんな、喜びが表情が表れ過ぎたルッツにミリアは笑うしかなかった。
「嬉しいのは分かるけど、もうちょっと引き締めて頂戴?」
そう指摘され、ようやくルッツは自分がどれほどだらしない顔をしていたか自覚した。
が、次の瞬間にはまた緩んでいくのだから仕方がない。
「ほら、また」
「仕方ないだろう。ようやく君の口からそれが聞けたんだ。うれしくてたまらないんだ」
「ダメよ、そんな顔ばかりじゃ私、嫌いになっちゃうわよ?」
「それは困るな」
困ると言いながら、もう表情を直そうとしない。
ミリアの言葉が口だけだということは分かっているし、嫌われるとは微塵も思っていない。
「ようやく聞けた」
ミリアの顎に手を添え、二人の距離が狭まる。
ようやく思いが通じ合った二人を、遮るものはいない。
二人ともに目を閉じ、さらに近くなる。
「ん………」
どんなに手や肩、腰に触れようとも許されることのなかった場所。
唇。
ようやく触れることを許された男、許した女。
そんな二人の初めてのキスは、初めてらしくわずかに触れる程度。
数秒で再び距離ができるも、離れた時間は長く続かない。
すぐにまた触れ合うと、今度はさきほどよりも長い。
けれど、想いは通じてもまだ二人は学生、それに家の許可は正式に降りていない。
ルッツは自分に湧き上がるオスとしての本能を理性で抑え込み、さらに深い口づけを望む自身を縛り付ける。
ミリアの頭に回したくなる手を、ミリアの手を優しく握ることで抑えつける。
再び離れ、見つめ合う二人はお互いに笑い出す。
零れるような笑いは、とても幸せを感じている証拠だ。
「ねぇルッツ」
「どうした?」
「私、今すごい幸せなの。まだ結婚してないのに」
「俺も幸せだ。これ以上幸せになるのかと思うと恐ろしくすらある」
「じゃあやめようかしら?」
「俺が離すとでも?」
ミリアの冗談に、ルッツは笑みを一転。
獰猛な、獅子のごとき瞳でミリアの瞳に映る自分を見る。
その瞳に魅せられたミリアは、一際高鳴った鼓動、そして一気に紅潮する顔に心を一瞬失ったような感覚に襲われる。
心をわしづかみにされた。
そんな表現がまさに今自身を襲ったと他人事のように感じながら、もうこの人からは逃げられない、逃げたくないと悟った。
「離さないで頂戴?」
「もちろんだとも」
ミリアの腰に回された手が、身体ごとグイッと引き寄せられる。
ルッツの体に手をかけなければいけないほどに引き寄せられれば、その手から伝わるルッツの体の逞しさにまた鼓動が早くなる。
(見た目も中身も……こんなにも男らしい…)
初めての印象はまるで子犬だった。
しかし、今は欲しいものは力づくで手に入れる、獰猛な獅子だ。
こんなにも変わってしまったと、ミリアは感動すらしていた。
「ミリア…」
彼に名を呼ばれるだけこんなにも鼓動が高鳴る。
想いを自覚し、伝え、想い合えただけでこんなにも変わってしまう。
名を呼ばれて顔を上げると、間髪入れずに唇をふさがれた。
それに驚きはなく、嫌悪など微塵も無い。
むしろ自分の体の一部が戻ってきたかのような安心感すらあった。
わずか三度のキスで、こんなにも受け入れてしまう。
前世ではそんな表現は山ほど読んできた。
しかし、前世の彼女からすれば唇以外なら患者としての立場上、身体を見せる・触れられることは日常茶飯事だった。
今更唇くらい……そう思っていた時期もあった。
そう思っていた自分に、この感動を伝えてあげたい。
こんなにも素晴らしいものなんだと教えてあげたい。
離れる唇に寂しさを覚えつつ、言葉を紡ぐことを許された唇で、想いを告げる。
「好きよ、ルッツ」
300
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢は嫁き遅れていらっしゃる
夏菜しの
恋愛
十七歳の時、生涯初めての恋をした。
燃え上がるような想いに胸を焦がされ、彼だけを見つめて、彼だけを追った。
しかし意中の相手は、別の女を選びわたしに振り向く事は無かった。
あれから六回目の夜会シーズンが始まろうとしている。
気になる男性も居ないまま、気づけば、崖っぷち。
コンコン。
今日もお父様がお見合い写真を手にやってくる。
さてと、どうしようかしら?
※姉妹作品の『攻略対象ですがルートに入ってきませんでした』の別の話になります。
悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。
三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。
何度も断罪を回避しようとしたのに!
では、こんな国など出ていきます!
村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。
皇子の婚約者になりたくないので天の声に従いました
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
幼い頃から天の声が聞こえるシラク公爵の娘であるミレーヌ。
この天の声にはいろいろと助けられていた。父親の命を救ってくれたのもこの天の声。
そして、進学に向けて騎士科か魔導科を選択しなければならなくなったとき、助言をしてくれたのも天の声。
ミレーヌはこの天の声に従い、騎士科を選ぶことにした。
なぜなら、魔導科を選ぶと、皇子の婚約者という立派な役割がもれなくついてきてしまうからだ。
※完結しました。新年早々、クスっとしていただけたら幸いです。軽くお読みください。
目覚めたら大好きなアニメの悪役令嬢でしたが、嫌われないようにしただけなのに全員から溺愛されています
月影みるく
恋愛
目を覚ましたら、大好きだったアニメの世界。
しかも私は、未来で断罪される運命の悪役令嬢になっていた。
破滅を回避するために決めたことはただ一つ――
嫌われないように生きること。
原作知識を頼りに穏やかに過ごしていたはずなのに、
なぜか王族や騎士、同年代の男女から次々と好意を向けられ、
気づけば全員から溺愛される状況に……?
世界に一人しかいない光属性を持つ悪役令嬢が、
無自覚のまま運命と恋を変えていく、
溺愛必至の異世界転生ラブファンタジー。
「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!
野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。
私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。
そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。
気配消し令嬢の失敗
かな
恋愛
ユリアは公爵家の次女として生まれ、獣人国に攫われた長女エーリアの代わりに第1王子の婚約者候補の筆頭にされてしまう。王妃なんて面倒臭いと思ったユリアは、自分自身に認識阻害と気配消しの魔法を掛け、居るかいないかわからないと言われるほどの地味な令嬢を装った。
15才になり学園に入学すると、編入してきた男爵令嬢が第1王子と有力貴族令息を複数侍らかせることとなり、ユリア以外の婚約者候補と男爵令嬢の揉める事が日常茶飯事に。ユリアは遠くからボーッとそれを眺めながら〘 いつになったら婚約者候補から外してくれるのかな? 〙と思っていた。そんなユリアが失敗する話。
※王子は曾祖母コンです。
※ユリアは悪役令嬢ではありません。
※タグを少し修正しました。
初めての投稿なのでゆる〜く読んでください。ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください( *・ω・)*_ _))ペコリン
私をいじめていた女と一緒に異世界召喚されたけど、無能扱いされた私は実は“本物の聖女”でした。
さら
恋愛
私――ミリアは、クラスで地味で取り柄もない“都合のいい子”だった。
そんな私が、いじめの張本人だった美少女・沙羅と一緒に異世界へ召喚された。
王城で“聖女”として迎えられたのは彼女だけ。
私は「魔力が測定不能の無能」と言われ、冷たく追い出された。
――でも、それは間違いだった。
辺境の村で出会った青年リオネルに助けられ、私は初めて自分の力を信じようと決意する。
やがて傷ついた人々を癒やすうちに、私の“無”と呼ばれた力が、誰にも真似できない“神の光”だと判明して――。
王都での再召喚、偽りの聖女との再会、かつての嘲笑が驚嘆に変わる瞬間。
無能と呼ばれた少女が、“本物の聖女”として世界を救う――優しさと再生のざまぁストーリー。
裏切りから始まる癒しの恋。
厳しくも温かい騎士リオネルとの出会いが、ミリアの運命を優しく変えていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる