ブルー・リグレット

梓月 霜

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11.移ろいゆくもの

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 藤宮の友人だった木内と偶然出会った後から、僕の彼に対する態度は少し変わったかもしれない。
 ここしばらくは苛立ちと溜まっていくばかりの鬱憤のために彼を凌辱していたが、今は主に性欲を発散するためにその身体を求めている感じが強い。
 そんな僕の変化を藤宮も感じ取っているのか、僕が彼を抱こうとするとき以外は以前のように気さくな空気のやり取りが戻ってきた。

「これから買い物行くけど、何かリクエストはあるか?」
「麻婆豆腐が食べたい。あと、夜食にカップラーメン」
「ここのところずっとカップラーメン食ってるだろ。あんま健康によくねえぞ」
「それは……」
 以前のように手作りの夜食を頼まなくなったのは、夜は彼のことを抱き潰してしまうからなのだがありのままの事情を告げるのも憚られて口を噤む。
「じゃあ、カップラーメンじゃなくていいから夜食に食べられそうな手ごろなもの買ってきて」
「わかった」

 しばらくして帰って来た藤宮が作ったのは、やたらと本格的な麻婆豆腐だった。食べはするものの辛いものがそれほど得意ではない僕には少し刺激が強すぎたが、それでも美味しいことには変わりなかった。
 始めのころに比べて料理がどんどん手の込んだものになっている気がする。本人も自覚しているようで食事の途中でぽつりと漏らしていた。
「食費を気にしなくていいから、つい調味料とかも買い込んで作っちまう」
「それはいいけど。賞味期限が切れる前には使い切ってよ」
「お前、全然料理はしないの?」
「僕が作るより人が作ったものの方が美味しいし、その時間で稼いだ金で美味しいもの食べたほうが効率的」
「作るのも案外楽しいのに。オーブンレンジとか、せっかく色んな機能ついてんのに勿体ないぜ」
「君が使ってくれればいいよ」
 僕では使いこなせる自信がない。色々機能がついていた方が利便性が高そうだと買っただけで、最低限の機能しか利用していなかった。藤宮が使ってくれたおかげで機能が無駄にならなかったのはよかった。
「家電もさ、最新のが揃ってて家事に手間があんま掛からないから料理に凝っちまうんだよな」
 自分の家事の手間を減らすため、水拭きまでしてくれるロボット掃除機に洗剤も自動で計って投入してくれる洗濯乾燥機、話しかけるだけで買い物からエアコンの温度設定までしてくれるスマートスピーカーと様々な便利家電を揃えてある。確かに料理以外はそんなに手間がかからないかもしれない。
「時間余ってるなら僕の仕事の手伝いする?」
「え?」
「地味に面倒くさいアナログ作業とか、簡単なPC作業とか手伝ってくれると助かるんだけど」
 大体は自動化しているので一人でも業務はこなせるが、どうしても人の手や目が必要な作業はある。
 人を雇ってやってもらうほどではないが自分でやるのは時間が勿体ない作業をやってもらえれば僕も助かる。
 今までも多少の事務作業は頼んでいたが、もう少し業務の補佐を頼んでもいいかもしれない。
「家事の方をメインでやってもらいたいから手が空いている時に頼む形になるけど」
「俺にできることならやるよ。そもそもそういう契約だろ」
 藤宮の言葉に他意は見受けられなかったが、僕らの間の契約に触れる台詞に少し胸がざわついた。
 そう。できることなら何でもする。
 それが、彼に示した僕の契約だ。
 僕らの関係は契約なのだ。
 彼が凝った料理を作ってくれるのも。他愛無い会話をしながら食事を共にするのも。
 僕が金で買ったものなのだ。
「芳澤?」
 黙り込んでしまった僕に藤宮が僅かに首を傾げて名を呼ぶ。
「何でもない。ちょっと香辛料が喉に来ただけ」
「あ、ごめん。お前って辛いの得意じゃないんだよな。少し辛くしすぎたな」
「いや、このくらいなら大丈夫だよ。辛いけど美味しいし」
 誤魔化すように烏龍茶を飲んだ。これは夕食を出すときに茶葉から淹れてくれたものだ。冷蔵庫には水出しの烏龍茶が入っているが、以前はそのまま飲めるペットボトルでの購入品だった。食費に余裕があるなら健康を気にかけたほうがいいと、藤宮はなるべく添加物の入っていないものや食材を一から調理したものを提供しようとしている。
「飲み物持ってくるな」
 空になってしまったグラスに藤宮が席を立つ。彼が目の前からいなくなったことで僕は少しほっとした。
 冷蔵庫を開けている藤宮を横目で見る。その心配もその気遣いも、僕が差し出す札束と引き換えなのだと思ったら、どこかがちくりと棘を刺したように痛んだ。


 それから、僕が彼を抱く回数が減った。
 抑えきれない感情の発露が彼を抱くという行為となって現れはしたけど、以前のように嗜虐的な衝動は影を潜め、ふとした瞬間の彼の色香にあてられて手を出すことの方が増えた。
 藤宮の態度は変わらず、昼は家事に勤しみ、僕が求めれば昼だろうが夜だろうが従順にその身を差し出した。

 割り切っているのだろう彼に対し、割り切れていないのは僕の方だった。
 日増しに僕の心には重いものが溜まっていく。
 彼との他愛無い会話も楽しめなくなっていった。美味しい料理で腹を満たしても気持ちはどこか空虚だった。

 気が付けば、彼と再会してから半年が過ぎようとしていた。
 僕が彼に渡したのは、家事代行その他の報酬として二百万円と手術以外の諸経費として必要になったという数十万円の立替金。
 業務報酬として多すぎる分と後から借りた金についてはきちんと返すと彼は言っていたが、住み込み期間が満了したらどうするつもりなのかは聞いていなかった。
 このまま契約を延長しここに住んで僕が支払う賃金と借金を相殺すればいいなんて、頭の隅を掠めた提案なんて言い出せなかった。


「弟の手術、成功したって」
 例年に比べて寒いといわれている日。弟の入院する病院から帰ってきた藤宮は僕に帰宅の挨拶をした後、ほっとした様子でそう告げた。
「そう、よかったね」
 これは本心だ。彼とその身内の不幸を願うほど歪んではいない。
 彼の弟は数度に及ぶ手術が無事成功し、この後の経過観察で問題がなければ退院して普通の生活に戻れるらしい。
 彼が総額で払った金額は知らないが、その労力が報われたのは素直に喜ばしいことだった。
「お前には世話になった。本当にありがとう」
「世話したつもりはないよ。労働に対する対価を払っただけだ。むしろ世話になっていると言えるのは僕の方だしね」
 藤宮は何も言い返さなかった。
 彼が何を思い、何を考えているのか僕にはわからない。
 彼は結局最後まで僕を侮蔑したり憎む素振りは見せなかった。
 このまま、彼の心は綺麗なままここを出ていくのだろうか。
 僕が彼にした行為には何の意味があったのだろう。何も得られず、胸の奥の奥に隠れるように埋もれた不透明な罪悪感があるだけで、無為に繰り返される時間は僕になんの答えも与えてくれない。
 それでも、僕は彼に手を伸ばす。彼を壊そうとした腕で縋るように。
 彼は応えてはくれない。一方的にぶつけられる僕の感情をただ受け止めるだけだ。

 冬の気配がし始めるころ。
 僕たちの暮らしの終わりは近づいていた。
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