君がいるから呼吸ができる

尾岡れき

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41 先輩の選択

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【cafe Hasegawa】

 自分の家なのに、今この瞬間は自分の家じゃないみたいで。
 電気はあえてつけない。

 月明かりが差し込むのを見やりながら、私はレコードプレイヤーを起動させる。
 あぁ、そうだった。と思う。失念していた。お父さんがレコードを入れて、そのままだったらしい。

【Fly me to the moon】

 甘く囁くように、シナトラの歌声が私を揺さぶる。気持ちを切り替えようと思ったのに、ますます囚われてしまう。

 ――学校の先輩だったんですか?
 ――先輩って呼び方は好きじゃないかな。うちの学年の誰のことを言っているのか、分からないじゃない?
 ――瑛真先輩……。
 ――気安く呼んでくれても良いんだけどね。ま、今はそれで満足しておこうかな。よろしくね、上川君。

 自分は苗字呼びのくせに、彼には名前呼びを強要するあたり、自分の及び腰を如実に表している。

(下河さんより、もっと前に私が君のことを見ていたのに――)

 彼が彼女にカフェオレを淹れると決めた日、もう覚悟は決めたはずなのに。
 から笑い。
 掠れて、笑いすらうまくできない。

 ポロポロと、瞳から流れ出す感情を止めることができない。
 傷ついて、誰とも接点を作ることをできなかった上川君。

 だから私だけ――。

 そう思っていたのに、何が間違っていたんだろう。何がダメだったんだろう。
 応援すると決めたのに。
 上川君が幸せなら、それで良いと思っていたのに。
 全然、私は覚悟なんかできていなかった――。

 コトン。
 音がして。
 私の思考は中断を余儀なくされた。

「お母さん?」

 滲む視界の向こう側では、私の母――長谷川美樹が、目の前にアイスコーヒーが入ったグラスを置いてくれた所だった。




■■■




「ごめんね、一人の時間を邪魔して。でも見ていられなくて、ね。アイスコーヒーは言う必要無いと思うけれど、お父さんから」
「う……うん」

 私はグラスに口をつける。自分好みのブレンド。ただ、どうしても思ってしまう。下河さんに淹れたように。上川君、私にも淹れて欲しかった……。

「恋ってさ、甘いけど。ほろ苦かったり、苦しくて、擦り切れちゃって、悲しくなって味も感じないってこともあるもんね。思い出したくないのに、ずっと囚われてしまったりね」
「……お母さんがそういうこと言っても、説得力がないからね」
「あら? 私は一回、マコちゃんに振られているのよ?」

 私は目が点になった。あんなに暑苦しく、うざった――仲つつまじい姿を見せるくせに? 同情とかそんなのいらな――。

「親友の妹ってポジションだったからね」
「へ?」

「親友の妹はやっぱり妹にしか見られない、って。そう言われたの。でもね、私は諦められなかった。結局、私は2回告白したかな、全部ダメだったけど」
「それって……」
「マコちゃんから告白してもらったの。中3の春にね」

 思い出すように、お母さんは目を細める。ただ失恋ホヤホヤの娘の前で惚気るとか、なんて非道な仕打ちをするんだろうか。

「ちょっと厳しいこと言うね。瑛真ちゃんは、目一杯の努力ができた?」
「え?」

 私は言葉を失った。

「私はね、娘の前で言うのも変な話だけど。マコちゃんを振り向かせるために、これでもかってくらい努力したの。だって放っておいたら、マコちゃんモテちゃうし無自覚に人の領域に入りこんじゃう人だから」

 それは分かる気がする。お父さんは警戒心を解くのが得意だ。誰もがリラックスしてこのカフェでの時間を気付けば楽しんでいる。時には、こっちが恥ずかしくなるな甘い言葉を投げ放ちながら。

「で、でも。そんなことを言ったら下河さんだって何も――」

 言ってはいけない言葉を吐き出してしまって、私は後悔する。抑えていたし、飲み込んだはずだ。私は上川君が好きだ。同じように、一生懸命な下河さんも大好きだった。だから下河さんが学校に来れるように応援したかったし。彼女が書く小説を部誌に載せたい。そう思う気持ちも本心で。

 彼女の小説に、読者として惚れてしまった自分がいる。何より幼い頃から雪姫を知っているから――嫌いになんかなれるはずがない。

「雪ん子ちゃんは、勇気を出して行動したよ。接点がなかった上川君と友達になった。そのつながりを断たなかった。もちろん自分のためでもあったはずだけれど、リハビリを今も頑張っている。今日、ウチに来たのもそうだよね。発作が起きる恐怖心はあったんじゃないかな」
「……」

 お母さんの言う通りだ。私は何の行動もしなかった。
 上川君に想いを伝えて、嫌われるのが怖かった。
 一緒にアルバイトをするという手もあった。お父さんもお母さんも誘ってくれていたのに。

 ――文芸部が忙しいから。

 そう言い訳をして。がっついていると思われるのがイヤで。学校でもほとんど話しかけなくて。あんなに上川くんのことを目で追いかけていたのに。
 バイトの合間、気さくに話しかける。その瞬間瞬間が愛しくて。

(気付いてよ、気付いてよ――)
 ずっと、そう心のなかで囁いていたけど。

「みんながみんな、恋愛を成就できるワケじゃないけどね」
「うん……」

「全部、上川くんがエスコートしたわけじゃなくて。雪ん子ちゃんも勇気を出した、その結果だと思うよ。でもそれを分かったうえで、瑛真ちゃんはあの二人を応援するって、決めたんでしょう?」

 私はコクリと頷く。その気持に、ウソ偽りない。

 あの時、深く傷ついた雪姫を守ってあげられなかった私たち。上川君が抱く孤独感を分かっていながら、手を差し伸べられなかった私。自分の恋心に素直になれなかった私。本当に私はバカだけど――。

「クソガキ団の元団長、アップダウンサポーターズの会長だからね。あの二人には幸せになってもらわないと!」

 ぐっと私は拳を固めて上にかざす。バカだなぁって思う。私って本当にバカ。視覚からも聴覚シャットダウンしたらいっそ楽なのに。でも決めたんだ。

 あの時、雪姫をから守れなかったから。今度は、絶対に妹分を守ってやりたい。そう思う。

「そっか。瑛真ちゃんって、本当に損な性分よね」

 と頷いて、お母さんは立ち上がった。

「でもね。女の子はみんな幸せになる権利があるから。それは瑛真ちゃんだって一緒なんだからね」




■■■




 優しいノイズを織り交ぜながら、フランク・シナトラが歌う。
 今流れているのは「My way」だった。

 灯りは消したまま。

 月明かりが淡く差し込むのを漫然と見ながら。また視界が滲む。
 アイスコーヒーに口にふくむ。
 好きだったコーヒーが、今はこんなにも苦い。


 ――振り返れば 色々あったが
 ――私は私の道を歩んだんだ
 シナトラは優しく歌う。その音色が、今は体も心も裂かれてしまいそうなくらいに痛い。


 視界がまた滲む。目頭が熱い。感情が抑えられない。
 今は全部、自分の感情を吐き出してしまおう。
 次に二人に会った時に、しっかり笑えるように。

「アップできるようにサポート! ダウンしてもフォロー! 上川君と下河さんをハイテンションで応援します! それが私たち――」

 視界だけじゃない。もう言葉にもならない。感情が喉元から、溢れて。言葉を紡ぐこともできない。

 本当に私はバカだ。でも、これが私が選んだ道だ。私の選択なのだ。
 雪姫も上川君もどちらも大切だから。

 告白をして奪い去ろうなんて。とても、そんなこと考えられない。

 だから、今ココで言葉を吐き出すことだけは許して欲しい。誰もいないのに、許しを乞うている自分が本当にバカだって思うけれど。

「ずっと好きだったんだよ、上川君――」




■■■




 ――Yes, it was my way
 (そう それが私の道だった)


 甘い音色と押し殺した感情が、今は溶けて。
 カラン。音をたてて氷が揺れた。
 氷が溶けていくように、私の感情は決壊して。見苦しくて、バカみたい。だけど、今だけは――許して。今だけ、この気持を呟くことを許して。





________________

【引用】
フランク・シナトラ「My Way]
作詞はポール・アンカ、作曲はクロード・フランソワ、ジャック・ルヴォー(ウィキペディアより引用)

歌詞及び和訳は、
「世界の民謡・童謡」
http://www.worldfolksong.com/index.html
http://www.worldfolksong.com/jazz/sinatra/my-way.html(歌詞引用元ページ)
より引用しました。
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