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第三章《籠姫伝と焔の能力》
【五】
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今からちょうど七百年ほど前は、どこの村も野菜なんて作ることができない荒れた土地に住んでいた。食うものは稗や粟くらいのものだった。
だがある年、その稗や粟でさえも収穫が難し時期が訪れた。
天災だから仕方ない、といえばその通りなのだが、その天災によって大飢饉が起こって人は死んでいった。
当時の国主は我が身可愛い人だったため、町民、農民、商人から税をさらに徴収して自分と部下のために食い物を蓄えさせた。
当然徴収された側は堪らない。明日食うにも困るというのに、なぜ今助けてもくれない国主に大切な食料をくれてやらねばならないのか。
だが人々に抗う気力など残っておらず、皆死を待っているだけの状況が普通になりつつあった時。
村の人間でない旅人らしき女が、その村に訪れた。
「酷い有様だわ」
編笠を被った女は田園跡に近づくと、手をずっと動かし、曲でも演奏するかのようにゆっくりと腕を振った。揺蕩う水がどんどん澄んでいき、枯れて放置された筈の稲が緑に輝き、凄まじい速度で成長していくのだ。
その光景を見た者はほんの数人だったが、瞬く間に村全体にその噂は広まった。
「あなたはこの村の大恩人です」
立っているのが不思議なほどやせ細っている村長に頭を下げられた女は、静かに首を振った。
「私にできるのはほんの少しの手助けだけです。もっとたくさん、人を助けることができたらよかったのですけど」
稲が枯れるのは「水が汚い」「土の耕しが十分でない」「水はけが悪い」ことが原因だと女は言った。
女が不思議な能力で稲を生やした田は、確かにどの田とも異なっていた。
「私は他のところにも行かねばなりません」
と言う女を、村民は何とかこの地に留めたかった。
しかし女の意思は固かった。
そして女は別の地へと去っていった。
その、次に訪れた国というのが、現在弥生の住む「桔梗国」であった。
桔梗国は一つ前の村よりも酷い状況だった。大飢饉に加えて病気が蔓延していた。
女は同じように田畑を蘇らせ、村民に何がいけないかを教えた。
その地は復興に時間がかかった。それがあまり良くなかったのかもしれない。もしくは、ある程度のところで去らなければならなかったのかもしれない。
女は当時の領主に軟禁状態にされてしまった。
不思議な能力で村を助けたという噂が、領主の耳にも入ったのである。
「あなたが何の抵抗もせずに居てくれたら、私はあなたに何もしない」
そう領主は約束した。
女は捕まってもなお、編笠をとろうとはしなかった。
領主がその理由を尋ねると、女は「それは言う必要があるとは思えない」の一点張りだった。
領主は女に、「家に帰りたいか」と尋ねた。いつしか領主は、女に情を寄せていた。
女は少し黙って、「私は帰りたいのでは無い」と呟いた。
「帰る場所は、私にはない。だけどこの能力を持ったからには、たくさんの場所を巡ることが定めだと感じた」
女は、空っぽだった。
自分の意思がある訳では無い。親から「優しい子に育ってね」と言われ、「優しい」とは何かだけを考えるようになっていた。
人を助けることが「優しさ」で、それが母の望みだと信じて疑わなかった。
「それは、誰かにとって都合のいい人間になっているだけのような気もするな」
領主は真正面から女に意見をぶつけた。
「定めか何かは知らないが、少なくともあなたは自分で考えることを放棄しているように見える。それはなんともつまらなそうな生き方だ」
領主の言葉に、女は否定しなかった。なんの感情を示すわけでもなかったが、小さく吐息を洩らした。
「そうかもしれない」
女はその後三年もの間桔梗国に捕らわれていた。しかし三年もすると、町も田畑も完全な復興を果たした。女がその地にいる必要が無くなったのだ。
「随分遅くなってしまって悪かった」
そう言って領主は女を鍵付きの部屋から出した。
「あなたは、また旅にでも出るのか」
領主は尋ねた。
「……そうですね。以前のように、旅にでも出ることにします」
そう告げて出ていこうとする女を、領主は引き止めた。
「もし、もし何も決まっていないのなら、今まで通りここに居たらいい」
女は、背を向けたまま何も言わなかった。
が、くるりと領主に向き直り、着物をほんの少し握った。
「どうしてくれる」
震える声で詰られ、領主は戸惑った。
「あなたと離れると思うと、胸が痛くて仕方ない」
女の初めて見せた感情の吐露に、領主は女を抱き寄せた。
「君からそう言ってくれるのを、私はずっと待っていたようだ」
領主はそっと女の傘をとり、初めてはっきりと女の顔を見た。
艶やかな赤い髪をもった、器量のいい女だったそうだ。
だがある年、その稗や粟でさえも収穫が難し時期が訪れた。
天災だから仕方ない、といえばその通りなのだが、その天災によって大飢饉が起こって人は死んでいった。
当時の国主は我が身可愛い人だったため、町民、農民、商人から税をさらに徴収して自分と部下のために食い物を蓄えさせた。
当然徴収された側は堪らない。明日食うにも困るというのに、なぜ今助けてもくれない国主に大切な食料をくれてやらねばならないのか。
だが人々に抗う気力など残っておらず、皆死を待っているだけの状況が普通になりつつあった時。
村の人間でない旅人らしき女が、その村に訪れた。
「酷い有様だわ」
編笠を被った女は田園跡に近づくと、手をずっと動かし、曲でも演奏するかのようにゆっくりと腕を振った。揺蕩う水がどんどん澄んでいき、枯れて放置された筈の稲が緑に輝き、凄まじい速度で成長していくのだ。
その光景を見た者はほんの数人だったが、瞬く間に村全体にその噂は広まった。
「あなたはこの村の大恩人です」
立っているのが不思議なほどやせ細っている村長に頭を下げられた女は、静かに首を振った。
「私にできるのはほんの少しの手助けだけです。もっとたくさん、人を助けることができたらよかったのですけど」
稲が枯れるのは「水が汚い」「土の耕しが十分でない」「水はけが悪い」ことが原因だと女は言った。
女が不思議な能力で稲を生やした田は、確かにどの田とも異なっていた。
「私は他のところにも行かねばなりません」
と言う女を、村民は何とかこの地に留めたかった。
しかし女の意思は固かった。
そして女は別の地へと去っていった。
その、次に訪れた国というのが、現在弥生の住む「桔梗国」であった。
桔梗国は一つ前の村よりも酷い状況だった。大飢饉に加えて病気が蔓延していた。
女は同じように田畑を蘇らせ、村民に何がいけないかを教えた。
その地は復興に時間がかかった。それがあまり良くなかったのかもしれない。もしくは、ある程度のところで去らなければならなかったのかもしれない。
女は当時の領主に軟禁状態にされてしまった。
不思議な能力で村を助けたという噂が、領主の耳にも入ったのである。
「あなたが何の抵抗もせずに居てくれたら、私はあなたに何もしない」
そう領主は約束した。
女は捕まってもなお、編笠をとろうとはしなかった。
領主がその理由を尋ねると、女は「それは言う必要があるとは思えない」の一点張りだった。
領主は女に、「家に帰りたいか」と尋ねた。いつしか領主は、女に情を寄せていた。
女は少し黙って、「私は帰りたいのでは無い」と呟いた。
「帰る場所は、私にはない。だけどこの能力を持ったからには、たくさんの場所を巡ることが定めだと感じた」
女は、空っぽだった。
自分の意思がある訳では無い。親から「優しい子に育ってね」と言われ、「優しい」とは何かだけを考えるようになっていた。
人を助けることが「優しさ」で、それが母の望みだと信じて疑わなかった。
「それは、誰かにとって都合のいい人間になっているだけのような気もするな」
領主は真正面から女に意見をぶつけた。
「定めか何かは知らないが、少なくともあなたは自分で考えることを放棄しているように見える。それはなんともつまらなそうな生き方だ」
領主の言葉に、女は否定しなかった。なんの感情を示すわけでもなかったが、小さく吐息を洩らした。
「そうかもしれない」
女はその後三年もの間桔梗国に捕らわれていた。しかし三年もすると、町も田畑も完全な復興を果たした。女がその地にいる必要が無くなったのだ。
「随分遅くなってしまって悪かった」
そう言って領主は女を鍵付きの部屋から出した。
「あなたは、また旅にでも出るのか」
領主は尋ねた。
「……そうですね。以前のように、旅にでも出ることにします」
そう告げて出ていこうとする女を、領主は引き止めた。
「もし、もし何も決まっていないのなら、今まで通りここに居たらいい」
女は、背を向けたまま何も言わなかった。
が、くるりと領主に向き直り、着物をほんの少し握った。
「どうしてくれる」
震える声で詰られ、領主は戸惑った。
「あなたと離れると思うと、胸が痛くて仕方ない」
女の初めて見せた感情の吐露に、領主は女を抱き寄せた。
「君からそう言ってくれるのを、私はずっと待っていたようだ」
領主はそっと女の傘をとり、初めてはっきりと女の顔を見た。
艶やかな赤い髪をもった、器量のいい女だったそうだ。
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