84 / 102
第九章《赫姫と国光》
【三】
しおりを挟む
「は……姫じゃないなら尚更だ。なぜお前がそのときのことを知っているというんだ。有り得ないだろう」
レンははっきり困惑を露にしていた。
「それが有り得てしまうのですよ。貴方が私の能力を知らないのも無理ないことです。私たちは一度たりともお会いしたことがないのですから」
何を言っている。この女、自分が何を言っているのかわかっているのか。矛盾に気づいていないのか。
──だが、肌がヒリつく。
「私は植物から過去を読み取ることができるのです。彼らは常に時代の始まりと終わりを見ています。そこにあの男が関わらないはずがない……まあ関わりのある植物を見つけ出すのは大変でしたけど」
だから時間がかかってしまいました、と頬に手を当てて色っぽい溜息を吐く。
「そんな能力、主から聞いたこともない」
「あの男が能力の全部を把握しているというのは大きな誤解ですよ。あの男はむしろ、何も知らないのです。能力云々は、彼の存ぜぬところから起きたのですから」
目の前にいる女が、一体なにを話そうとしているのか。レンには想像だにつかなかった。だがこの女は間違いなく、歴史を知っている。受け継がれるうちに消えてしまった言葉も、欠けた情報も、この女は持っている。
──それが酷く恐ろしい。
紅子の母は目を細め、憐れむような視線を投げた。
「貴方、本当は覚えているんじゃないですか?」
ひゅっとレンの喉が鳴った。彼女の借り物の体が、流す血流の速度を著しく上げ始める。
足が独りでにカタカタ動く。
「……っお前」
干上がった舌のせいか、うまく言葉が出てこない。
彼女は動揺していた。それゆえに、背後の一太刀に気づくのが遅れた。
咄嗟に避けた彼女の肩を、真剣がズバリと斬り裂いた。
「……君だろう。彼女を殺したのは」
地面が振動していると錯覚するほどに、その男は怒りを露にしていた。
普段ならば美麗な見た目なのだろうが、このときの形相ばかりは般若だった。優しげな目元が吊り上がり、赤い筋が浮いている。
「この罪は、君の命で贖ってもらう」
斬られた肩を抑えながら立ち上がったレンは、静かに笑った。額には冷や汗が浮かんでいるものの、表情が崩れることはない。
「無理だよ。私は既に、私一人の命じゃあ贖いようのない罪を繰り返している。あんたがどこの誰かは知らないけど、今になって殺されるわけにはいかない。私にはまだ、やらねばならないことが残っている」
「私は秋桐弥生の影だ。君が殺した野杏とは浅からぬ仲でね……私情も入っているが、君の言う『やらねばならないこと』は阻止させてもらう」
合点がいったというようにレンは目を剥き、
「ああ、故姫の……だがあの子もまた私に刃を向けていた。ならば返り討ちにされても文句は言えないのではないか?」と冷笑した。
「そうだな。君の話を鵜呑みにするならそうかもしれない。だが真か偽りかはどうだっていい。言ったろう、私情だと」
再び剣を構えた男──クロに、
「成程、手強いな。しかし……あんたと真っ向からやり合うとなると時間が惜しい。申し訳ないが、その決闘の申し出は辞退させて頂くよ」
にやり、と女の唇が弧を描く。と同時に、肩を負傷していると思わせぬ速さで、紅子の首元目がけて刃を向かわせた。
「させると思います?」
その声にははっきり殺気が滲んでいた。
青みがかった長刃を受けたクロが、その剣を払う。
「……ッ女子のお願いは快く聞いてやるのが男だろう」
「どの口が言うんです。私は大事な人間の順にお願いを聞くのですよ。──言わずとも、その優先順位くらいは想像つきますよね?」
間髪入れずに突きを繰り出すクロが、視線を一切動かさずに「若奥様」と紅子を呼んだ。
「今のうちに、どうぞお行きください」
「……ではお言葉に甘えます。ありがとうございます」
いつの間にか、紅子は紅子に戻っていた。
母が入っていたからか、次にすべきことはわかった。だが既に、その母の気配は消えていた。
名残惜しいが、感傷に浸っている場合ではない。
走り出した背に、クロの朗らかな声が届く。
「主を、──を、頼みます」
振り返りかけた。
だが、足を止めては邪魔になる。彼の足止めが無駄になる。
返事をしたかった。「もちろん」だと応えたかった。だが、声にできなかった。
──死ぬかもしれないんだ。
また、目の前で見知った人が殺されてしまうかもしれない。その恐怖が、紅子の背を巡った。
刀と刀を交えれば、それは文字通り死闘となる。怪我で済めば御の字だが、あの二人に限ってそれはないだろう。
譲れないものに対して、あの二人は命が尽きるまで挑み続ける性質だ。どちらかの勝利は、どちらかの死を意味することになる。
わかっていたはずだった。覚悟もしていたはずだった。しかしいざ直面すると、避けたい事態だと思ってしまう。
「……貴方はどうですか?仲間が死ぬ事態が、恐ろしくないのですか」
ジャリ、と砂が擦れる音が静寂に響く。
ツツジが咲く庭の隅に、特徴のない顔をした、すべての元凶ともいえる男がそこにいた。
レンははっきり困惑を露にしていた。
「それが有り得てしまうのですよ。貴方が私の能力を知らないのも無理ないことです。私たちは一度たりともお会いしたことがないのですから」
何を言っている。この女、自分が何を言っているのかわかっているのか。矛盾に気づいていないのか。
──だが、肌がヒリつく。
「私は植物から過去を読み取ることができるのです。彼らは常に時代の始まりと終わりを見ています。そこにあの男が関わらないはずがない……まあ関わりのある植物を見つけ出すのは大変でしたけど」
だから時間がかかってしまいました、と頬に手を当てて色っぽい溜息を吐く。
「そんな能力、主から聞いたこともない」
「あの男が能力の全部を把握しているというのは大きな誤解ですよ。あの男はむしろ、何も知らないのです。能力云々は、彼の存ぜぬところから起きたのですから」
目の前にいる女が、一体なにを話そうとしているのか。レンには想像だにつかなかった。だがこの女は間違いなく、歴史を知っている。受け継がれるうちに消えてしまった言葉も、欠けた情報も、この女は持っている。
──それが酷く恐ろしい。
紅子の母は目を細め、憐れむような視線を投げた。
「貴方、本当は覚えているんじゃないですか?」
ひゅっとレンの喉が鳴った。彼女の借り物の体が、流す血流の速度を著しく上げ始める。
足が独りでにカタカタ動く。
「……っお前」
干上がった舌のせいか、うまく言葉が出てこない。
彼女は動揺していた。それゆえに、背後の一太刀に気づくのが遅れた。
咄嗟に避けた彼女の肩を、真剣がズバリと斬り裂いた。
「……君だろう。彼女を殺したのは」
地面が振動していると錯覚するほどに、その男は怒りを露にしていた。
普段ならば美麗な見た目なのだろうが、このときの形相ばかりは般若だった。優しげな目元が吊り上がり、赤い筋が浮いている。
「この罪は、君の命で贖ってもらう」
斬られた肩を抑えながら立ち上がったレンは、静かに笑った。額には冷や汗が浮かんでいるものの、表情が崩れることはない。
「無理だよ。私は既に、私一人の命じゃあ贖いようのない罪を繰り返している。あんたがどこの誰かは知らないけど、今になって殺されるわけにはいかない。私にはまだ、やらねばならないことが残っている」
「私は秋桐弥生の影だ。君が殺した野杏とは浅からぬ仲でね……私情も入っているが、君の言う『やらねばならないこと』は阻止させてもらう」
合点がいったというようにレンは目を剥き、
「ああ、故姫の……だがあの子もまた私に刃を向けていた。ならば返り討ちにされても文句は言えないのではないか?」と冷笑した。
「そうだな。君の話を鵜呑みにするならそうかもしれない。だが真か偽りかはどうだっていい。言ったろう、私情だと」
再び剣を構えた男──クロに、
「成程、手強いな。しかし……あんたと真っ向からやり合うとなると時間が惜しい。申し訳ないが、その決闘の申し出は辞退させて頂くよ」
にやり、と女の唇が弧を描く。と同時に、肩を負傷していると思わせぬ速さで、紅子の首元目がけて刃を向かわせた。
「させると思います?」
その声にははっきり殺気が滲んでいた。
青みがかった長刃を受けたクロが、その剣を払う。
「……ッ女子のお願いは快く聞いてやるのが男だろう」
「どの口が言うんです。私は大事な人間の順にお願いを聞くのですよ。──言わずとも、その優先順位くらいは想像つきますよね?」
間髪入れずに突きを繰り出すクロが、視線を一切動かさずに「若奥様」と紅子を呼んだ。
「今のうちに、どうぞお行きください」
「……ではお言葉に甘えます。ありがとうございます」
いつの間にか、紅子は紅子に戻っていた。
母が入っていたからか、次にすべきことはわかった。だが既に、その母の気配は消えていた。
名残惜しいが、感傷に浸っている場合ではない。
走り出した背に、クロの朗らかな声が届く。
「主を、──を、頼みます」
振り返りかけた。
だが、足を止めては邪魔になる。彼の足止めが無駄になる。
返事をしたかった。「もちろん」だと応えたかった。だが、声にできなかった。
──死ぬかもしれないんだ。
また、目の前で見知った人が殺されてしまうかもしれない。その恐怖が、紅子の背を巡った。
刀と刀を交えれば、それは文字通り死闘となる。怪我で済めば御の字だが、あの二人に限ってそれはないだろう。
譲れないものに対して、あの二人は命が尽きるまで挑み続ける性質だ。どちらかの勝利は、どちらかの死を意味することになる。
わかっていたはずだった。覚悟もしていたはずだった。しかしいざ直面すると、避けたい事態だと思ってしまう。
「……貴方はどうですか?仲間が死ぬ事態が、恐ろしくないのですか」
ジャリ、と砂が擦れる音が静寂に響く。
ツツジが咲く庭の隅に、特徴のない顔をした、すべての元凶ともいえる男がそこにいた。
0
あなたにおすすめの小説
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌
招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」
毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。
彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。
そして…。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
月華後宮伝
織部ソマリ
キャラ文芸
★10/30よりコミカライズが始まりました!どうぞよろしくお願いします!
◆神託により後宮に入ることになった『跳ねっ返りの薬草姫』と呼ばれている凛花。冷徹で女嫌いとの噂がある皇帝・紫曄の妃となるのは気が進まないが、ある目的のために月華宮へ行くと心に決めていた。凛花の秘めた目的とは、皇帝の寵を得ることではなく『虎に変化してしまう』という特殊すぎる体質の秘密を解き明かすこと! だが後宮入り早々、凛花は紫曄に秘密を知られてしまう。しかし同じく秘密を抱えている紫曄は、凛花に「抱き枕になれ」と予想外なことを言い出して――?
◆第14回恋愛小説大賞【中華後宮ラブ賞】受賞。ありがとうございます!
◆旧題:月華宮の虎猫の妃は眠れぬ皇帝の膝の上 ~不本意ながらモフモフ抱き枕を拝命いたします~
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
婚約破棄された公爵令嬢は虐げられた国から出ていくことにしました~国から追い出されたのでよその国で竜騎士を目指します~
ヒンメル
ファンタジー
マグナス王国の公爵令嬢マチルダ・スチュアートは他国出身の母の容姿そっくりなためかこの国でうとまれ一人浮いた存在だった。
そんなマチルダが王家主催の夜会にて婚約者である王太子から婚約破棄を告げられ、国外退去を命じられる。
自分と同じ容姿を持つ者のいるであろう国に行けば、目立つこともなく、穏やかに暮らせるのではないかと思うのだった。
マチルダの母の祖国ドラガニアを目指す旅が今始まる――
※文章を書く練習をしています。誤字脱字や表現のおかしい所などがあったら優しく教えてやってください。
※第二章まで完結してます。現在、最終章について考え中です(第二章が考えていた話から離れてしまいました(^_^;))
書くスピードが亀より遅いので、お待たせしてすみませんm(__)m
※小説家になろう様にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる