ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

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第九章《赫姫と国光》

【四】

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 歳がわからない、特徴がすべて取り払われた顔が横にかしぐ。内面を覗くような漆黒の瞳の底は見えず、考えが読めない。
 
「仲間じゃない。同士であり、私の駒だよ。あの子らもそれを承知している。そして君が先程から必死に堪えているその妖気、緋だろう。さっさと代わってくれないか」
 その言葉に引きづられるように、内側から心臓を辿り、喉元までなにかが這い上がってくる。

──駄目だ。今代わったら、駄目だ。

 何も解決しない。また何も変化しないまま、時だけが過ぎてしまう。それを止めるために、負の鎖を断ち切るために、母は長い長い時を生きたのだ。それを紅子が台無しにしてはならない。
「……憎き、者よ」
 紅子の瞳に焔が灯る。
 ぎこちない動きで帯を伝った掌が国光へと向く。
 男は、愉悦の表情で自身の刀を抜いた。
「お前はずっと、ずっとずっとずっとずっとずっと……俺の物にはならなかったな。だがこれで終わりだ。お前を殺して初めて、俺は心から満足できる」
 地を蹴り向かってきた国光の小刀が、紅子の帯のすぐ上に刺さる。
 咳き込んだ彼女の口から、血がとぱっと吐き出された。だが彼女はにやりと唇に弧を描くと、
「よかった……これで
 右手が、男の額に押し当てられた。
「……?なに」
 低く呟いた男の顔が酷く歪んだ。刹那、断末魔の叫びが庭に響き渡った。
 叫びは虚しく空に、大地に吸い込まれ、だんだん声が枯れていく。
「あ、ああ……ああああ」
 呻きに変わった男の黒目ががくがく揺れ、やがて地に伏した。

──これで、終わりのはず。

 右手には春の宮から譲り受けた真っ赤な沈丁花の栞がある。薄れゆく意識の中、紅子は栞を再び拳にしまった。


***


──誰かが、呼んでいる。

 知っているはずなのに、まったく知らない声のようだ。水に顔をつけているときのように、息が苦しい。
「ちょっと!起きなさいったら!」
 目を覚ますと、黒髪を後ろで丸く束ねた女が、鬼のような形相で見下ろしていた。
「まだ洗濯が途中なのに昼寝だなんて、いいご身分ね!この家に置いてやっているのに、仕事の一つもまともにできないの!?」
 バシンッと音を立てて頬を、肩を、背中を叩かれる。
 じんとした痛みを感じなくなるほどに日常化した暴力に、女は無表情で頭を垂れる。
「すみませんでした」
 土下座を前にした女は荒い息を吐き出すと、もう一度その頭を叩いた。
「まだお前の立場がわかってないってんなら、今度は雪の日に締め出すからね」
 雪、と言われて初めて、空気が凍てついていることに気づく。薄い生地の着物一枚の女に対し、偉そうな女のほうは温かそうな羽織を纏っている。
 この偉そうな女──お松は、本邸に住む正妻だ。そしてもう片方の虐げられている女は、お松の旦那と妾の間にできた子どもである。その妾はといえば、齢三つになったばかりの子を残してあの世へと逝ってしまった。
 残された子は父親に引き取られ、本邸で暮らすことになったのだが。自分の子どもではない彼女を、本妻は愛することができなかったし、受け入れることができなかった。
 父親からも「居ないもの」として扱われていた彼女は、いつしか人形のような子どもに育っていた。笑わない、泣かない、表情の機微がない彼女を、本邸の使用人らも同情と憐憫はあったものの手を差し伸べようとはしなかった。

 この日もまた、いつもと同様に使用人と大差ない、いや使用人よりも酷い扱いを受けていた。水が足りなくなったからという理由で、彼女は井戸へ行くよう継母に命じられたのだ。外は吹雪で、外出は推奨されない天候だ。
 あわよくば死ねばいいのに、と言わんばかりの命令だが、それすらも女は受け入れた。
 井戸へと辿り着いたときには、既に手も鼻の先も真っ赤に染まっていた。
 かじかむ手を擦り合わせながら、水を汲もうと縄に手を伸ばす。だが目の焦点が合わずに、縄を掴めずに体がかしいだ。そこで初めて、彼女は自分の体調が良くなかったことを自覚した。けれど理解したときには既に遅く、体が井戸に吸い込まれていく。

──いいかな、別に。

 楽しくもない、希望もない人生だ。今終えたところでなんら後悔はないだろう。
 目を閉じた彼女は、そのまま意識を失った。

「──……ん」

 薄ぼんやりとした視界には、赤みがかった室内が広がっていた。
 いつもなら縮こまっていても凍えてしまうような寒さなのに、と違和感を覚える。
 彼女は布団の中にいた。それも湯が入れられた陶器が足元に置かれていて、冬だというのに温かい。

──おかしい。そんなはずはない。

 隙間風が吹きつけるあのボロ屋でこの温かさは実現しない。ならここはどこだ。
 覚醒した女は、見覚えのない男の背中を見つけた。火が焚かれた囲炉裏の前で足を崩して座っている。どうやら今居るのは自室ではなく、この男の小屋らしい。

 布団の衣擦れの音で気づいたのだろうか、男が振り返った。やはり見覚えがない、と眉間を険しくする女に、
「目が覚めたか?よかったよかった」と男は笑んだ。
 手には、湯気が昇っていく器を手にしている。どうやら鍋物をよそった器らしい。
「こんな吹雪の中、そんな体調で外出るもんじゃねぇよ。死んじまうぞ」
 男は器を差し出しながら言った。
 彼女はその器を受け取ろうとはせず、男をじっと見つめた。
「ご厚意には大変感謝しております。後日お礼をしに参ります。私は帰らなければなりませんので、これで……」
 ふらふら覚束無い足取りで立ち上がろうとする女の肩を掴み、男は「まてまて」と止める。
「外は吹雪なんだって。今外に出るなんて自殺以外の──」
「たとえ死んでも良いです。……いいえ、むしろ死んでしまいたいのです。この体調で吹雪の中を歩いていたら、きっと苦しまずに逝けるはずですもの」
 離してください、と男の手を払う。
「どうして死にたいんだ。理由だけでも聞かせてくれないか。折角助けた人間が死にに行くなんて、こっちとしてはそう簡単に頷けない」
 食い下がる男に、女は渋々座り直す。
 その細く小さな手に、男は鍋をよそったものと匙を握らせた。
「それ食って、横になってから話してくれ。そっちのほうが楽だろう」
 男の気遣いに、女は間を置いたものの、小さく頷き返した。
「まだ名前を聞いていなかった。俺は光臣みつおみ。君は?」
 女は匙で煮込まれた野菜を掬い、口に含んだ。じわりと優しい味が舌に広がる。
 こくりと飲み込んだ彼女は、しばしの間布団に視線を落とした。やがて諦めたように視線を上げた。
 翡翠と同色の瞳が光臣を捉える。

「最初に名乗りもせずに失礼致しました。なにぶん、私のことを知らない人なぞ周りに居なかったものですから……私、名を緋子あかねと申します」

 緋色の短髪を一つに結った彼女は床に手をつき、深々と頭を垂れた。
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