ツギハギ夫婦は縁を求める

木風 麦

文字の大きさ
86 / 102
第九章《赫姫と国光》

【五】

しおりを挟む
 猛威を奮っていた吹雪は、白く輝く大量の雪を残して去っていた。冬の鳥が声高に鳴く朝、緋子は一人、その雪原に跡をつけながら歩いていた。
 帰ったら、おそらく気絶するくらいの折檻を受けることになるだろう。

 いっそ逃げ出そうか、と思ったこともあった。

 けれどその度に村の人間によって阻まれた。とくに年寄り連中だ。連中は、彼女の自由など許さない。

 旦那の不貞を知り、当然のように正妻を責めたのもこの老いた村人たちだった。
「夫を繋ぎとめておけないなんて出来損ないの嫁だ」
「家のことも夫のことも子どもの世話だって成立させなければ嫁の意味が無い」
 等、無関係なはずの人間から責め立てられた正妻だ。その精神状態で愛人の子を愛するだなんて、到底できるわけがない。

 この村人の厄介なところは、自分たちより「下」の人間を作りたがることだった。
 自分たちより「上」の豪邸に突然やってきた嫁しかり、その愛人の子どもしかり、「余所者」である彼女たちは格好の獲物だった。
 村人たちの目に、緋子という少女は「自分たちよりも格下の存在」であり「自分たちよりも不幸な存在であるべき」人間であり、「存在することを許されていない」者という認識を持っていた。

 故に、微笑みかけられたのは初めての経験だった。
 ほんのり胸が温かくなった初めての出来事だった。
「……名前、聞けてよかった」
 その名を脳内で反芻するだけで、つらい日々を乗り越えられるような気がしてくる。空っぽの心に、とくとくと温かいものが注がれる心地になる。

「ああ、良かった!生きていたのね」

 帰り着いて早々、正妻が笑顔で緋子を迎え入れた。
 見たこともない晴れやかな笑顔と、聞いたこともない安堵の声だった。
 緋子の血管がざわりと落ち着きのない脈を打つ。
 通された大客間には、見慣れない顔ぶれが並んでいた。共通しているのは、皆黒の紋付に身を包んでいることのみ。まるで通夜のような雰囲気だ。
 痛いほどの視線を感じながらも、緋子は上座に腰を落ち着けている父──秋桐耕作の前に進み出た。そう正妻から指示されたからだ。
 理由も教えられずにいきなり仰々しい空間に連れてこられ、父親と呼んでいいかわからない人間の前に座らされ、緋子の脳は嫌悪を叫んでいた。

「贄は見つかった。皆、この娘が逃げ出さないようよく見張っておくように」

 唐突に言い渡された言葉の真意をすぐには掴めず、緋子はその場に硬直する。

──にえ、……贄?生贄?私は、神に捧げられるということ?死ぬってこと?

 そこで初めて、点と点が結びつく。
 通されたのは儀式の打ち合わせのような会合だった。緋子の父親の家系は代々神に供物を捧げることで繁栄を保ってきた一族だった。勿論毎年捧げているわけではない。飢饉のとき、災害が襲ってきそうな年、疫病が流行したとき。これらのときに秋桐家は生贄を捧げる祭事を取り仕切る。例えそれが秋桐家の子どもでなくても、だ。そもそも秋桐の家の子どもが贄に選ばれることなど滅多にない。その理由は単に自分たちの子を贄になど出したくないからである。

 だが今回は、その供物に「要らない子」である自分が選ばれたのだと初めて解する。笑顔で迎え入れた正妻の態度にも納得できてしまう。目の上のたんこぶがいなくなるうえ、自分たちに幸福をもたらしてくれる存在となるのだ。嬉しくないはずがなかった。

 それならば、と緋子は両手を畳につき、額を寄せた。
「逃げ出しません。足掻きもしません。しかし一つ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「許そう」
「ありがとうございます。では申し上げます。私の生涯は良いものとは言えません。まともな食事を食べたことなど数える程しかございません。このまま死んだのでは、清らかな魂だけの存在になどなれやしません。どうか、心地よく神の御本へいけるようご配慮を頂けませんでしょうか」

 この贄は誰でもいいわけではない。大人ではなく、子どもが良しとされている。その理由は「穢れ」がない、あるいは少ないとされているからだ。
 供物となるのは人の魂だ。この魂が穢れていると、幸福どころか神の怒りを買うことになる。

 その村人の畏怖の情を、緋子はよくよくわかっていた。

 それ以降、わかりやすいほどに村人と正妻の態度が変わった。陰口など叩こうものなら、牢に連れていかれるとわかっていたからだ。一番の理由としては、「自分たちが呪われたら堪らないから」というものだが、そんなことは緋子に関係なかった。
 卑しい生活から一変、どこぞの姫と同等の扱いを受けるようになり、最後の「幸福」を味わっていた──はずなのだが。

「──むなしい」

 豪華な食事、間食おやつ、風呂、と環境はまったくの別物になった。しかしどうにも、心が晴れることはない。もちろん虐げられていた時期とは比べものにならないほどに心は軽い。軽いのだが、すべての事象が空虚に思えてくるのだ。すべてを諦めていたときと同じような心地になるのだ。

「……もう一度、会いたいな」

 浮かぶのは、ただ一人優しく接してくれた人。恩人であり、もう二度と会うことのないだろう人。
 緋子を知らないということは、この土地の人間ではないと宣言しているようなものだった。良い村とは言い難いこの場所に留まっていることはおそらくないだろう。
 けれども会いたくなってしまう。声をもう一度聞きたいと思ってしまう。顔を見たいと思ってしまう。
 初めて優しくされたからかもしれない。初めてまともに歳の近い異性と話したからかもしれない。

 どちらにせよ、惹かれてしまっていることに変わりはなかった。

 緋子は何枚も着物を重ね、雪に沈まないよう深履ふかぐつに足を通す。
 白い息を吐き出した彼女は、一面が銀に染まった景色の中へと飛び込んだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

僕に仕えるメイドは世界最強の英雄です1~またクビになったけど、親代わりのメイドが慰めてくれるので悲しくなんてない!!~

あきくん☆ひろくん
ファンタジー
仕事を失い、居場所をなくした青年。 彼に仕えるのは――世界を救った英雄たちだった。 剣も魔法も得意ではない主人公は、 最強のメイドたちに守られながら生きている。 だが彼自身は、 「守られるだけの存在」でいることを良しとしなかった。 自分にできることは何か。 この世界で、どう生きていくべきか。 最強の力を持つ者たちと、 何者でもない一人の青年。 その主従関係は、やがて世界の歪みと過去へと繋がっていく。 本作は、 圧倒的な安心感のある日常パートと、 必要なときには本格的に描かれる戦い、 そして「守られる側の成長」を軸にした 完結済み長編ファンタジーです。 シリーズ作品の一編ですが、本作単体でもお楽しみいただけます。 最後まで安心して、一気読みしていただければ幸いです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】竜騎士の私は竜の番になりました!

胡蝶花れん
ファンタジー
ここは、アルス・アーツ大陸。  主に5大国家から成り立つ大陸である。  この世界は、人間、亜人(獣に変身することができる。)、エルフ、ドワーフ、魔獣、魔女、魔人、竜などの、いろんな種族がおり、また魔法が当たり前のように使える世界でもあった。  この物語の舞台はその5大国家の内の一つ、竜騎士発祥の地となるフェリス王国から始まる、王国初の女竜騎士の物語となる。 かくして、竜に番(つがい)認定されてしまった『氷の人形』と呼ばれる初の女竜騎士と竜の恋模様はこれいかに?! 竜の番の意味とは?恋愛要素含むファンタジーモノです。 ※毎日更新(平日)しています!(年末年始はお休みです!) ※1話当たり、1200~2000文字前後です。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

ネグレクトされていた四歳の末娘は、前世の経理知識で実家の横領を見抜き追放されました。これからはもふもふ聖獣と美食巡りの旅に出ます。

☆ほしい
ファンタジー
アークライト子爵家の四歳の末娘リリアは、家族から存在しないものとして扱われていた。食事は厨房の残飯、衣服は兄姉のお下がりを更に継ぎ接ぎしたもの。冷たい床で眠る日々の中、彼女は高熱を出したことをきっかけに前世の記憶を取り戻す。 前世の彼女は、ブラック企業で過労死した経理担当のOLだった。 ある日、父の書斎に忍び込んだリリアは、ずさんな管理の家計簿を発見する。前世の知識でそれを読み解くと、父による悪質な横領と、家の財産がすでに破綻寸前であることが判明した。 「この家は、もうすぐ潰れます」 家族会議の場で、リリアはたった四歳とは思えぬ明瞭な口調で破産の事実を突きつける。激昂した父に「疫病神め!」と罵られ家を追い出されたリリアだったが、それは彼女の望むところだった。 手切れ金代わりの銅貨数枚を握りしめ、自由を手に入れたリリア。これからは誰にも縛られず、前世で夢見た美味しいものをたくさん食べる生活を目指す。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!

秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。 民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。 「おまえたちは許さない」 二度目の人生。 エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。 彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。 1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。 「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」 憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。 二人の偽りの婚約の行く末は……

おばちゃんダイバーは浅い層で頑張ります

きむらきむこ
ファンタジー
ダンジョンができて十年。年金の足しにダンジョンに通ってます。田中優子61歳

処理中です...