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四章
晴れた日のデート<前編>
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腕時計を覗いては、ふー、とため息をつく。
それを三分毎に行っている。
無理はないかもしれない。
なんたって、恋人同士になってからの初デートなのだ。さらに、晴れの日に出かけるのはリスクが大きいのだ。
澄香は太陽に弱い。
体質的な問題ではないらしいが、パニックを起こしてしまうらしい。
その辺の詳しい事情も聞けていない。
気にはなるが、いつか言ってもらえれば程度でやり過ごす。根掘り葉掘り聞いて、彼女を困らせるのが一番避けたいことだった。
再び視線を時計に移した時、車が現れた。
黒塗りのカーテンで後部が見えなくなっている車は、水族館のすぐ横の日陰に停まった。
運転席が開き、季実が姿を現した。
「早いのね、広翔君」
笑顔で季実が近づいてきた。
「いやぁ、まさかあの日にカップルになってたとはねぇ。態度が変わらなすぎて気づかなかったわ」
要するに、いつも世のカップルたちと同じように接していたように見えたということだろう。
ガチャ、と後部座席が開いた。
白いワンピースに茶色い細いベルトを巻き、小さなしずく型のネックレスを付けている。
このネックレスは、澄香の誕生日プレゼントに広翔があげたものだった。
それだけでデレッとだらしなく顔がニヤけそうだった。それを理性で必死に抑え、
「かわいい」
抑えられなかったらしい。
顔の筋肉は抑えられても、浮かれた気分はまだ地に足着いてなさそうだ。
「じゃ、帰りはよろしくね」
と季実は言い残し帰って行った。
「じゃあ、行きましょうか」
と手を差し伸べた。
澄香は微笑んで手を取った。
水族館は空いていた。
理由は二つある。
まずお盆のため、帰省者が多くなるからだ。この地域に帰ってくる者は少ないが、逆に別の地域に帰る者は多いのだ。またここが地元の者は、小規模なこの水族館には何回も来ているため、小さい子連れくらいしか訪れない。
二つ目は、もう少し離れたところにもっと多くの生物たちがいる大規模な水族館が新設されたのだ。大体の客はそちらに取られた。
だが逆に、落ち着いた雰囲気を味わいたい人達、安い方が良い人達にとってはこちらの水族館の方が向いている。
陽を見ないよう気をつけながら、慎重に水族館に入る。
冷えた冷房がひんやりと体を冷やしていく。
チケットを二枚受付けに渡し、入場者の証であるリストバンドを貰う。
「行きましょうか」
と澄香を振り返る。
澄香は、ぼんやりとしていた。どこか、憂いでいるようにも見えた。
「先輩?」
と覗き込むと、ハッと覚醒したかのように目に光が灯った。
心配そうな表情の広翔に、ぎこちなく笑いかける。
どうしたんだ、と不思議に思った。
今日の澄香に、あの屈託のない笑みが浮かんでいない。
「体調悪いんですか」
と広翔が聞くと、澄香はすぐに首を振った。
スマホを取り出し、
【ごめんね、あまり寝れてないだけ】
打ち込んだ文字を広翔に向けて笑った。
「あ、実は俺もなんですよ。なんか、小学生みたいですね」
照れ笑いを浮かべながら言うと、澄香もクスクスと笑った。
──あ、笑った。良かった。
明るく笑う澄香の様子に、ほっと胸を撫で下ろす。どうやら、杞憂だったようだ、と思い直す。
二人は手を取り合って、ゲートをくぐった。
大きな水槽には、イワシやエイ、小さなサメまでもが同じ水槽に収まっている。
イワシがつくる群れに、澄香は目をキラキラと輝かせていた。
色とりどりの生き物が明るくライトアップられた水槽を悠々と泳いでいる。
アシカショーもイルカショーもあったのだが、それらのイベントは屋外でやるため、見るのは難しそうだった。
水槽がアーチ状になった通り道を抜けると、深海生物エリアとクラゲエリア、触れ合いエリアに道が別れていた。
「どこ行きたいですか?」
と聞くと、澄香は【触れ合いエリアから順番に行きたい】と言った。
さっきの暗い表情はどこへやら、楽しそうにニコニコと笑っている。
「行きましょうか」
それが嬉しくて、広翔も笑顔を浮かべた。
触れ合いエリアには、ナマコやウニ、ヒトデなどがいる。手のひらサイズの魚までいた。ただし、魚は水中でのみ触れてください、という注意書きと、監視員が二人待機していた。
おそるおそる、といった様子で、澄香はそっと水中に手を入れた。
その様子が愛らしくて、ムービーに残す。
遠目から眺めていると、澄香が何かを持って近寄ってきた。
ぐでん、とした赤茶色をしたその物体は、うね、と少し動いた。
「ひっ」
と広翔は仰け反った。
澄香はそっと物体──ナマコを持ち上げて見せた。
「ちょ、ギブ。ギブです!無理です。水中に返してきてくださいっ!!」
世にも情けない声を上げ、ズルズルと後ずさる。
澄香はきょとんとした顔をし、クスクスと笑った。
ナマコを返した後も「先輩、手を洗ってください」と近寄ろうとしなかった。
澄香はケラケラと目に涙を浮かべながら笑い続けた。
【ナマコダメなんだ】
くくっとまだ笑い続けながら言う。
「いや、中学の時に海でナマコ踏んじゃったことがあるんですけど、白いネトネトがなかなか取れなくて、気持ち悪くて」
鳥肌を立てながら、おぞましいものを見る目で触れ合いエリアを横目で見た。
クラゲエリアは、様々な形をしたクラゲがライトアップされ、色とりどりに光っている。
「花火みたいですね」
【花火みたいだね】
二人同時にそう言い、お互いに笑った。
深海生物エリアは、ほとんどの生物は動いていなかった。そしてほとんどの生物は可愛いというよりはグロい、もしくは怖い、という印象だった。
そんな広翔とは対照的に、澄香は目を輝かせている。
【かわいい】
と言う彼女の思考回路が広翔はわからなかった。
続いて、広翔は澄香を連れてある場所へと向かった。
その場所につくと、澄香は息を呑んだ。
「あ、妻から聞きました。わざわざお越しいただきありがとうございます」
帽子を取りながら近づいてきたのは、高級菓子を渡した女の人の夫の三角という人だった。
「このプログラム、本当は日曜日にしかやってないんですけど、特別です」
賄賂貰っちゃいましたし、と三角は笑った。
「先輩、やってみませんか」
広翔が言うと、澄香はこくこくこくと何度も頷いた。
「じゃあ、お姉さん。このバケツに入ってるサバ、尻尾持ってくださいね」
と、何匹か入ったバケツを差し出す。
すぐ近くにはイルカが顔を水面上に出している。
そっと膝立ちになり、魚をイルカに見せると、パカッと口が開かれた。
ふっと落とすと、まぐっとイルカがサバを呑み込んだ。
「飲み込むの!?」
広翔が驚いていると、三角は笑いながら頷いた。
「イルカは歯があるけど、逃がさないためにあるんであって、噛むためじゃあないんだよ」
へぇ、と広翔が関心する横で、澄香は餌やりに夢中だ。
餌をやり終え、澄香が満足げに立ち上がろうとすると、イルカが澄香の頬にキスをした。
「あ」
広翔は呆然とその光景を眺めた。
澄香は嬉しそうに笑った。
「あはは。何もそんなに驚かなくても」
三角さんは苦笑いを浮かべている。
「いや、わかってます。わかってるんです。なんにも気にしてません」
広翔は自分に言い聞かせるようにしながら頷いた。
「また来てくださいね」
笑顔で言う三角に、二人はお礼を言ってイルカプールを後にした。
水族館内部に設置されているカフェで遅いお昼を食べることにした。
澄香はトマトパスタ、広翔はハンバーグを頼んだ。
「美味いですね」
と広翔が言うと、澄香が頷いた。
【食べる?】
澄香がパスタを指して言った。
「え」
と広翔は固まる。
「食べていいんですか」
一応確認する。
澄香は首をかしげて、どうぞ?と笑った。
「いや、か……」
間接キスですけど、と言おうとしたが、わざわざ言うことでもないか、と思い直し、有難く頂戴した。
「あー、こっちも美味いですねぇ」
と笑顔で言う。
澄香も笑顔で【でしょ】と言った。
「もう、日が暮れますね……念の為、もう少し暗くなるまで中にいましょうか」
広翔の提案に頷き、澄香はふと思い出したようにメッセージを送った。
【お土産屋さん見たい】
「あ、まだ行ってませんね。行きましょうか」
と、二人は立ち上がった。
それを三分毎に行っている。
無理はないかもしれない。
なんたって、恋人同士になってからの初デートなのだ。さらに、晴れの日に出かけるのはリスクが大きいのだ。
澄香は太陽に弱い。
体質的な問題ではないらしいが、パニックを起こしてしまうらしい。
その辺の詳しい事情も聞けていない。
気にはなるが、いつか言ってもらえれば程度でやり過ごす。根掘り葉掘り聞いて、彼女を困らせるのが一番避けたいことだった。
再び視線を時計に移した時、車が現れた。
黒塗りのカーテンで後部が見えなくなっている車は、水族館のすぐ横の日陰に停まった。
運転席が開き、季実が姿を現した。
「早いのね、広翔君」
笑顔で季実が近づいてきた。
「いやぁ、まさかあの日にカップルになってたとはねぇ。態度が変わらなすぎて気づかなかったわ」
要するに、いつも世のカップルたちと同じように接していたように見えたということだろう。
ガチャ、と後部座席が開いた。
白いワンピースに茶色い細いベルトを巻き、小さなしずく型のネックレスを付けている。
このネックレスは、澄香の誕生日プレゼントに広翔があげたものだった。
それだけでデレッとだらしなく顔がニヤけそうだった。それを理性で必死に抑え、
「かわいい」
抑えられなかったらしい。
顔の筋肉は抑えられても、浮かれた気分はまだ地に足着いてなさそうだ。
「じゃ、帰りはよろしくね」
と季実は言い残し帰って行った。
「じゃあ、行きましょうか」
と手を差し伸べた。
澄香は微笑んで手を取った。
水族館は空いていた。
理由は二つある。
まずお盆のため、帰省者が多くなるからだ。この地域に帰ってくる者は少ないが、逆に別の地域に帰る者は多いのだ。またここが地元の者は、小規模なこの水族館には何回も来ているため、小さい子連れくらいしか訪れない。
二つ目は、もう少し離れたところにもっと多くの生物たちがいる大規模な水族館が新設されたのだ。大体の客はそちらに取られた。
だが逆に、落ち着いた雰囲気を味わいたい人達、安い方が良い人達にとってはこちらの水族館の方が向いている。
陽を見ないよう気をつけながら、慎重に水族館に入る。
冷えた冷房がひんやりと体を冷やしていく。
チケットを二枚受付けに渡し、入場者の証であるリストバンドを貰う。
「行きましょうか」
と澄香を振り返る。
澄香は、ぼんやりとしていた。どこか、憂いでいるようにも見えた。
「先輩?」
と覗き込むと、ハッと覚醒したかのように目に光が灯った。
心配そうな表情の広翔に、ぎこちなく笑いかける。
どうしたんだ、と不思議に思った。
今日の澄香に、あの屈託のない笑みが浮かんでいない。
「体調悪いんですか」
と広翔が聞くと、澄香はすぐに首を振った。
スマホを取り出し、
【ごめんね、あまり寝れてないだけ】
打ち込んだ文字を広翔に向けて笑った。
「あ、実は俺もなんですよ。なんか、小学生みたいですね」
照れ笑いを浮かべながら言うと、澄香もクスクスと笑った。
──あ、笑った。良かった。
明るく笑う澄香の様子に、ほっと胸を撫で下ろす。どうやら、杞憂だったようだ、と思い直す。
二人は手を取り合って、ゲートをくぐった。
大きな水槽には、イワシやエイ、小さなサメまでもが同じ水槽に収まっている。
イワシがつくる群れに、澄香は目をキラキラと輝かせていた。
色とりどりの生き物が明るくライトアップられた水槽を悠々と泳いでいる。
アシカショーもイルカショーもあったのだが、それらのイベントは屋外でやるため、見るのは難しそうだった。
水槽がアーチ状になった通り道を抜けると、深海生物エリアとクラゲエリア、触れ合いエリアに道が別れていた。
「どこ行きたいですか?」
と聞くと、澄香は【触れ合いエリアから順番に行きたい】と言った。
さっきの暗い表情はどこへやら、楽しそうにニコニコと笑っている。
「行きましょうか」
それが嬉しくて、広翔も笑顔を浮かべた。
触れ合いエリアには、ナマコやウニ、ヒトデなどがいる。手のひらサイズの魚までいた。ただし、魚は水中でのみ触れてください、という注意書きと、監視員が二人待機していた。
おそるおそる、といった様子で、澄香はそっと水中に手を入れた。
その様子が愛らしくて、ムービーに残す。
遠目から眺めていると、澄香が何かを持って近寄ってきた。
ぐでん、とした赤茶色をしたその物体は、うね、と少し動いた。
「ひっ」
と広翔は仰け反った。
澄香はそっと物体──ナマコを持ち上げて見せた。
「ちょ、ギブ。ギブです!無理です。水中に返してきてくださいっ!!」
世にも情けない声を上げ、ズルズルと後ずさる。
澄香はきょとんとした顔をし、クスクスと笑った。
ナマコを返した後も「先輩、手を洗ってください」と近寄ろうとしなかった。
澄香はケラケラと目に涙を浮かべながら笑い続けた。
【ナマコダメなんだ】
くくっとまだ笑い続けながら言う。
「いや、中学の時に海でナマコ踏んじゃったことがあるんですけど、白いネトネトがなかなか取れなくて、気持ち悪くて」
鳥肌を立てながら、おぞましいものを見る目で触れ合いエリアを横目で見た。
クラゲエリアは、様々な形をしたクラゲがライトアップされ、色とりどりに光っている。
「花火みたいですね」
【花火みたいだね】
二人同時にそう言い、お互いに笑った。
深海生物エリアは、ほとんどの生物は動いていなかった。そしてほとんどの生物は可愛いというよりはグロい、もしくは怖い、という印象だった。
そんな広翔とは対照的に、澄香は目を輝かせている。
【かわいい】
と言う彼女の思考回路が広翔はわからなかった。
続いて、広翔は澄香を連れてある場所へと向かった。
その場所につくと、澄香は息を呑んだ。
「あ、妻から聞きました。わざわざお越しいただきありがとうございます」
帽子を取りながら近づいてきたのは、高級菓子を渡した女の人の夫の三角という人だった。
「このプログラム、本当は日曜日にしかやってないんですけど、特別です」
賄賂貰っちゃいましたし、と三角は笑った。
「先輩、やってみませんか」
広翔が言うと、澄香はこくこくこくと何度も頷いた。
「じゃあ、お姉さん。このバケツに入ってるサバ、尻尾持ってくださいね」
と、何匹か入ったバケツを差し出す。
すぐ近くにはイルカが顔を水面上に出している。
そっと膝立ちになり、魚をイルカに見せると、パカッと口が開かれた。
ふっと落とすと、まぐっとイルカがサバを呑み込んだ。
「飲み込むの!?」
広翔が驚いていると、三角は笑いながら頷いた。
「イルカは歯があるけど、逃がさないためにあるんであって、噛むためじゃあないんだよ」
へぇ、と広翔が関心する横で、澄香は餌やりに夢中だ。
餌をやり終え、澄香が満足げに立ち上がろうとすると、イルカが澄香の頬にキスをした。
「あ」
広翔は呆然とその光景を眺めた。
澄香は嬉しそうに笑った。
「あはは。何もそんなに驚かなくても」
三角さんは苦笑いを浮かべている。
「いや、わかってます。わかってるんです。なんにも気にしてません」
広翔は自分に言い聞かせるようにしながら頷いた。
「また来てくださいね」
笑顔で言う三角に、二人はお礼を言ってイルカプールを後にした。
水族館内部に設置されているカフェで遅いお昼を食べることにした。
澄香はトマトパスタ、広翔はハンバーグを頼んだ。
「美味いですね」
と広翔が言うと、澄香が頷いた。
【食べる?】
澄香がパスタを指して言った。
「え」
と広翔は固まる。
「食べていいんですか」
一応確認する。
澄香は首をかしげて、どうぞ?と笑った。
「いや、か……」
間接キスですけど、と言おうとしたが、わざわざ言うことでもないか、と思い直し、有難く頂戴した。
「あー、こっちも美味いですねぇ」
と笑顔で言う。
澄香も笑顔で【でしょ】と言った。
「もう、日が暮れますね……念の為、もう少し暗くなるまで中にいましょうか」
広翔の提案に頷き、澄香はふと思い出したようにメッセージを送った。
【お土産屋さん見たい】
「あ、まだ行ってませんね。行きましょうか」
と、二人は立ち上がった。
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