上 下
24 / 59
五章

手がかり

しおりを挟む
 澄香と連絡が取れなくなった。
 翌日の午後、尾田家に行った。
 すると、季実が出てきて「とりあえず、入って」と家の中へと促した。
 言われるがままに入ると、真理が突然襟を引っ掴んできた。
「あんた、すーちゃんに何したの……!?」
 怒りで手が震えていた。
 広翔は呆然と、睨んでくる真理を見返した。
「え、と……先輩は?」
 姿を見せないことに違和感を抱く。
 真理は「ふざけてんの!?」と怒号を浴びせる。
「あんたが何かしたから!すーちゃんがばぁちゃん家に行ったんでしょ!」
 え、と広翔は固まる。
「広翔君。喧嘩でも、したの?」
 季実は心配そうに広翔を見る。
 何かあったか、と聞かれたら、帰り際の気まずい雰囲気しか心当たりがない。
「謝りに、来たんです」
 広翔が呟くと、グッとさらに襟を引かれる。
 うっ、と呻くが、そんな様子などお構いなしに真理は詰め寄る。季実は真理を諌めようと身を乗り出す。
「やっぱりあんたが何かしたんじゃん!!」
「真理ちゃん!やめなさいっ」
 季実は真理の肩に手をかけた。
「お母さんは黙っててよ!!こいつのせいですーちゃんっ」
「いい加減になさい!!」
 季実が大声を出した。
 二人は目を見開いた。
 季実が大声を出すのを見るのは初めてだった。
「真理ちゃん落ち着きなさい。広翔君を離して」
 冷え切った眼光で真理を見据えた。
 その圧に真理はビクリと身体を震わせ、おそるおそる襟から手を引いた。
「お茶、淹れるから、二人とも座ってて。……広翔君、真理がごめんなさいね」
 ふぅ、とため息混じりに季実は言った。
 しばらく、三人の間に沈黙が落ちた。
 誰も、何も言わなかった。
 しゅんしゅん、とヤカンが湯気を出す音がリビングに響く。
 トポポ、とお湯がカップに注がれ、紅茶とコーヒーの香りがふわりと部屋を包む。
 それらと、真っ白い皿にチョコチップクッキー、マドレーヌ、ドーナツが盛られた菓子盆とを一緒に運んできた。
「昨日、喧嘩ではないけど、気まずい空気になったんです」
 紅茶を啜り、広翔が口を開いた。
「あんたが何かしたんでしょ」
 睨みながら言う真理を、季実が「真理ちゃん」とたしなめる。
「触れられたくない話題を、出されてしまって。特に、何か言ったわけではないとは思います。だから、わからないんです」
 尾田家に来て、何を謝るのか。
 あの雰囲気を?
 会わなくて良かったのかもしれない、と思った。
 聞いてきたのは、彼女からだ。
 昨日のことを思い出しても、彼女を傷つけるような発言はしないよう注意は払ったから、尚更わからない。
「絶対あんたが何かしたのよ」
「心当たりがないんだって」
「よくもぬけぬけと……!じゃあ何?すーちゃんが悪いっていうの!?」
 真理の興奮はまだ冷めていなかったようだ。
「その、触れられたくない話題っていうのは、私たちには聞かれたくないことね?」
 季実が尋ねると、広翔は頷いた。
「何よそれ。そんな人にすーちゃんは任せらんない。別れてよ」
 真理は冷めた目で広翔を見据える。
 先程の季実と、同じ表情だった。
「前から思ってたけど……尾田さんは、なんでそこまで過保護なの?」
 広翔の言葉に、真理はピクリと眉を動かした。
「時々、異常なほど先輩に対して過保護だよね。昔、何かあったとか?」
「あんたに関係ないでしょ!?」
 バンッとテーブルを叩く。
「そういうこと」
「はぁ!?」
「俺が言いたいことを、今、尾田さんが言ったじゃん」
 何言ってんの、と真理は言おうとした。

──あんたに関係ないでしょ。

 うるさい。
 あんたに関係ないでしょ。

──追及されたくないのよ。

 真理ははっと息を呑む。
「……わかった?」
 広翔は、困ったような笑みを浮かべていた。
 真理は「あ……」と声を洩らし、
「ごめん……私……ごめん」
 頭を押さえながら、真理は謝った。
「罪滅ぼし」
 ぽつ、と真理は呟いた。
「罪滅ぼしなのよ。私がやってるのは。で、ただの自己満足」
 自嘲するような笑みで続ける。
「もう、ホントの姉妹じゃないことは知ってるんだよね?すーちゃんとは従姉妹だった。それが、小四のとき急に姉妹だよ?お母さんとお父さんを盗られたような気がして『あんたなんか本当の家族じゃないくせに!』って、言っちゃったことがあるの。前は喋れてたのに、喋れなくなったことも、イライラに繋がってて。……つい、ほんとに、口を滑らせた形で言っちゃって。そんな私の嫌なところを誤魔化したくて、すーちゃんに懐くように、守るように、あの時みたいなすーちゃんの顔を、もう二度と見たくなんてなかったから」
 ポロポロと涙を零しながら、真理は言った。
「あー……初めて話したかも。……私は言ったよ。言いたくないこと。……葛西は?」
 ズズ、と紅茶を啜り、静かな瞳で広翔に問いかけた。
「別に言わなくてもいい。ただ、スッキリするかもよって話」
 広翔は嘲笑した。

「俺のは、スッキリなんてしない」

 くっと一気に飲み干し、
「言えない」
 重い口調で、そう言った。
 真理は「あっそ」とだけ言った。
 その瞳は先程までの怒りは含んでいなかった。
「あ、様子がおかしいといえば」
 真理がマドレーヌをかじりながら言った。
「すーちゃん、望江先輩が来てた時も顔が青ざめてたんだよね」
 え、と広翔がドーナツを落とした。
「え、何よ」
 真理も季実も動揺している。
 そんな二人にお構い無しに、広翔は一人、考え事に没頭する。
 そういえば、と思う。
 彼女は事件を「火事」と言った。報道では「空き巣犯による放火」と言われていたと璃久は言った。
 と、すれば。事件の際にその場に居合わせた、もしくは事件の関係者から情報を得たことになる。
「いつ、ですか。それ」
「え?水族館に行く……二日前?」
 時期は、おそらくその辺だ。
 様子がおかしかったのは、水族館の日だから。
 ピッタリ、当てはまる。
「雨水先輩って、どこにいるかわかる?」
 広翔が口を開くと、真理と季実は顔を見合わせ、真理が戸惑いながらも「図書館の、ソファ席のどこか」と言う。
「ありがとう」
 とすぐに出て行こうとする広翔に、「待って」と真理が声をかけた。
「·····おかしいよ。だって、葛西に聞かれたら伝えてくれって言われたんだよ」
 広翔は舌打ちした。
 粗方わかった。
 雨水望江に、操られていた。
 結局は彼女のてのひらで転がされていたのだと。
「·····大丈夫。··········全部終わったら、話すよ」
 広翔は眉を寄せて笑った。
 尾田家を後目しりめに、広翔は図書館へと向かった。
しおりを挟む

処理中です...