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第5章 ~ペイン海賊団編~

―105― 襲撃(49)~魔導士フランシスの丁寧な解説~

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 ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョー。

 雑踏の中にいたとしても、一際目立ち、人目を惹き付けずにはいられないあの美男子は、一体、何者であるのか?
 魔導士でもないのに、数々の不思議な現象を無自覚に引き起こしているあの男は、一体、何者であるのか?

 フランシスからの答えを待つ、ほんの数秒の沈黙。
 その沈黙は、神人の船の中にいる者たちの間を風のごとく吹き抜けていった。

「あのヴィンセントとやらが一体、何者かということですか? それは結論から言いますと、私にも分かりません」
 フランシスの答えに、ローズマリー、そしてネイサンはずっこけそうになった。
 ヴィンセントの正体について分かったような口を聞いていながらも、結局のところ、フランシスも分かっていなかったのだと……

「いや……今の言い方は語弊がありましたね。分からないというよりも、断定いたしかねるのですよ。例えば、うっすらと霧のかかった風景の中に……例えば、鳥のシルエットが見える。そのシルエットより、霧の中にいるのは鳥であると”推測”はできる。だが、その霧を取り払わない限りは、本当にその霧の中にいたのは鳥であるとは断定できないし、そもそも本当に鳥がいたとも断定できない……といった具合ですね」

「俺も同感だ。あの赤毛が何者であるのかの断定はできない。この俺たちだって、断定はできないんだから、アダムにだって断定はできないだろう。だが、赤毛の正体については、うっすらとであるが掴める。アダムも同じく、うっすらとは掴んでいるはずだ。あの赤毛は普通の人間のように”見えていたとしても”、その魂の根本は普通の人間とは違うってことをな」
 サミュエルもフランシスと同意見であった。
 そりゃあ、そうだ。彼は港町での襲撃において、宿を取り巻いていた自らの炎の勢いを弱めていたのが、(ヴィンセント本人には自覚はなかったようであるが)ヴィンセントだとすぐに気づいたのだから。


「各自、”普通は1つしかない魂”というものは、通常は目に見えぬものです。ですが、私やサミュエルレベルの魔導士となりますと……目には見えなくとも、その魂がまとっている雰囲気、いわゆる風のようなものは分かります。そのまとっている風が、あのヴィンセントとやらは明らかに周りの人間とは違う。まるで、人智を超えた存在に近い風をまとっているのです」

「!!」
 人智を超えた存在?
 つまりは、それはヴィンセントがアポストルであるということか……?!

「……ですが、人智を超えた存在となるのは、肉体的な死が必要不可欠でございます。アポストルとなった魔導士本人が望んでいなくともね。しかし、あのヴィンセントは魔導士でもなければ、死者ではない。生者としてのその麗しい肉体に、その稀有な風をまとった魂をしっかりと宿しているのです。しかし……”あの時”ヴィンセントやヒンドリーとともに、魔導士しかできない瞬間移動という芸当で現れた3人目は、間違いなくアポストルであると断言できます。あの3人目はヴィンセントとよく似た風……いえ、まるで彼と魂の片割れのごとき風をまとっておりました」

 あの時、現れた3人目のシルエット。
 ヴィンセントとパトリックを海の中より救い出したであろう、あの3人目は――完全に成熟しきった直線的で硬い輪郭を持ち、なおかつ長身であることが見て取れた男らしき影は、アポストルであった。
 そのアポストルは、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーの片割れのごとき風をまとっていたと――

 至極丁寧な解説を試みたフランシスであったが、フランシス自身もヴィンセントの正体を完全に掴み切れていないため、奥歯に物が挟まったような解説となってしまっていた。
 だが、サミュエルはフランシスにほぼ同意の意を示し、頷いた。
 しかし、ヘレン、ネイサン、ローズマリーの3人は完全に頷くことは難しかった。特に、魔導士としての力は皆無であるローズマリーにとっては……


「そして……周りの者たちと明らかに違う風をまとっている魂といえば……今、現在、マリア王女の肉体の中でその生を紡いでいる、”レイナ”という名の少女の魂も該当いたしますね。異世界より、この世界へといざなわれた彼女もまた、今はやや趣の違う風をまとっています。ですがそれは、彼女がこの世界で”生き続けていく”にあたって、彼女の風はじきに周りの者たちに馴染んでいくようには思いますがね」
 そう言った、フランシスはチラリと、マリアを見た。
 今、レイナの魂が生を紡いでいる肉体の本来の持ち主である、王女マリア・エリザベスを。


 しかし、当のマリアは今のフランシスの話を全く聞いていなかった。
 とても大切な話であったというのに。
 マリアは、眼前の覗き見のさざ波に映し出されている逞しい雄たちの姿に夢中であった。
 当然、その好色なマリアを両腕で大切に抱きかかえているオーガストも、愛しい女の興味と性欲のベクトルが、自分ではない男たちに惹き付けられて向いていることに気が気でないらしく、フランシスの大切な話を聞いているはずがなかった。


 甲板にいる大勢の男たちの中で、今、とりわけマリア王女の美しき瞳をとらえて離さないのは、あの2人の男――例のヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーと兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーであるだろう。
 散々なまでに傷だらけであるも、闘志の炎をその各々の男らしい肉体より燃え上がらせているかのごとき勇ましき2人の男。


「フ……ランシスさん……っ……」
 引き続き自分たちの運命を握る魔導士へと敬語を使い続けているオーガストが、すがるような目でフランシスへと振り返った。
 ”早く、あの2人をメインで映しているこの動画を消しちゃってくださいよ……”と、彼の瞳は言っていった。
 1人の男はマリア王女のお兄様と(美しさの方向性は違うが)同等とも思える美貌の持ち主であり、男でも胸焼けするほどの濃厚な色気を”全身びしょ濡れ”となった今は普段以上に醸し出していた。
 もう1人は、決して若くもなく、正統派の美形でもないが、城内でマリア王女と共有してきた時間は自分よりも遥かに長く、男でも……いや、同じ男だからこそ、明らかに自分より強い雄であるということがオーガストには分かった。
 この神人の船の乗る者たちの中では、愛しい女への愛を最優先事項として行動しているオーガストは、濃厚であり禍々しい性欲と残虐欲をを最優先事項としているマリアの首を手に、困り果てていた。

 いつものように、フランシスはコホンとわざとらしい咳払いをする。
「マリア王女……その美しい瞳をしとどに”濡らして”いるところ、非常に申し訳ないのですが、この覗き見のさざ波はそろそろお終いとなります。途中ででしゃばりで頭の悪い手が現れて、彼らの戦いに水を差しましたが、武勇に優れたローズマリーの予測した通り、彼らの戦いは”決着がつかない”まま、引き分けとなる流れにもうすぐ戻るでしょう。ローズマリーの”思い人”も本日は冥海へと逝くことにはならないはずです。そして……マリア王女、あなたは本日のこの動画で、パン何個もおかわりができるほどに、多数の男たちの雄姿の(と残酷な死に様の)ストックができたと思いますので、ご満足いただけたかと思います」
  本日の動画で、あなたは”豊富なオカズ”を手に入れることができたでしょう、とフランシスは含ませているのだ。
 フランシスの言葉を聞いたサミュエルとヘレンは揃って呆れ顔となる。
「……このリアルタイムでの動画の再生は、あと数分で終わります。ほら、あれに……」
 フランシスはスッと、覗き見のさざ波を指さした――




 甲板全体を覆いつくすかのごとく現れた、明らかに(魔導士の力を持つ者による)人為的な灰色の雲。
 その雲の中より、ニュウッッと手を伸ばしてきた巨大で禍々しい灰色の手。
 その灰色の手の中にある、肉に埋もれた黄金の瞳は、今、明らかにたじろいでいた……というよりも、その目は泳ぎ切っていた。
 完全にキョドっている。

 パトリック、そしてヴィンセントが、奴へと一歩踏み出した。
 ともにずぶ濡れの彼らからは海水が滴り落ち、その滴り落ちた海水には血も入り混じっていた。
 変わらぬ闘志をその逞しい肉体と魂より炎のごとく燃え上がらせつづける彼ら2人に続くかのように、”希望の光を運ぶ者たち”含むアドリアナ王国の兵士たちの闘志も加わった。

 闘志という点だけで見たなら、アドリアナ王国側の兵士たちだけではない。
 ペイン海賊団の奴らにとっても、あの巨大な手は得体がしれない。
 奴らも、あの手の正体を……”あの手の操り主”については全く心当たりはない。手の中にある瞳は、自分たちのバックにいる魔導士の瞳ではない。
 あの手は、一体、どういった目的であるのか、”まずは”アドリアナ王国の奴らを攻撃したが、挙動不審で確固たる目的もないように思える。
 あいつが、いつ”こっち”に――ペイン海賊団側にその魔の手を向けてくるやもしれないと……
 敵の野郎どもに組み伏せられてはいるも、ジムを筆頭とする、戦闘馴れしているペイン海賊団の上位メンバーたちは、心からの信用し歓迎などできるはずがない、不気味な手への警戒心を緩めるはずなどなかった。


 けれども――
 大勢の男たちからの闘志と警戒心を一身に受けることとなった手は、ガクガクと脚を震わせるように、そのたっぷりと肉のついたその5本の指を震わせ……
 ズルルッと元の灰色の雲の中に戻っていってしまった。
 その動きは、垂れてきた青っ洟をズルルッとすすり上げる子供を思わせた。


 手は消えた。
 いや、相変わらず自分たちの頭上に色濃く広がっている灰色の雲の中へと引っ込んでいった。


「何しに来たんだよ……」
 兵士か、海賊か分からなかったが誰かが呟いた。

 あまりにも、あっけない退却。
 兵士たちも海賊たちも武器を取り上げられている。甲板にいる者たちは皆、完全なる丸腰であり、そのうえ図体の大きさと(魔術がかった)得体の知れなさでは、明らかにあの手の方に”軍配があがっていた”にもかかわらず。
 例えば、あの手が風をまとってグオオッと力任せに、その手を振り回したとしたなら、兵士も海賊も一緒くたに、甲板にいる大多数の者は虫けらのごとくその身を海面へと叩きつけられ、さらなる阿鼻叫喚の事態となっていたであろうに……
 終盤に近付いていたこの戦いを、さらにかき乱しにきただけの手は消えた。
 だが、自分たちの頭上に広がる雲はまだ消えてはいない。
 消失する兆しも見えず、さらにその濃度をより強いものにブレンドしているかのように、海の波のごとく波打ち始めていた。


 そして――
 その波打ちは不意に止まった。
 
「!!!」
 ”最初に”宙にブワッと浮き上がったのは、弓矢使い・エルドレッドであった。
 だが、浮き上がった彼の表情を見る限り、彼が自分の意志で浮き上がったのではなく、”誰かに”浮き上がらせられたであろうことは、下にいる者たちから見ても一目瞭然であった。

 血塗られた甲板と、エルドレッドの足裏との距離はみるみるうちに離れていく。そして、彼と頭上の禍々しい雲との距離は、みるみるうちに縮まっていく。

「……クリスティーナ!?」
 エルドレッドの焦りに満ちた声を――この雲の出現主であるだろう魔導士の女の名を呼んだ声を、彼の足下にいた者たちは確かに聞いた。

 次に宙へとブワッと浮かび上がったのは、ジムであった。
 ジムの浮かび上がりに間髪入れず、ルイージも宙へと浮かび上がった。
 次々にペイン海賊団の団員たちが宙へと浮かび上がっていく。
 
 真っ先に浮かび上がらせたエルドレッドの後は、ペイン海賊団の上位メンバーのうち、より強い順に、主力となる戦闘能力順にあの雲の操り主の魔導士は海賊どもの回収を行っているのか?!


 ジムを1人で押さえつけていたディランは、下から突き上げてくるような”力”とともに浮かび上がったジムの肉体に、弾き飛ばされ後方にズデンと尻餅をついた。

「……ジム!」
 ダメだ! あいつを……ジムを逃してしまう! 
 これだけの多大な犠牲を払い、あいつを(ペイン海賊団のメンバーを)押さえつけるところまで来たというのに――

 全て無になってしまうという焦りに囚われ、息を荒げていたのはディランだけではない。

「クリスティーナ! あいつもだ! あの栗色の髪のアホも俺たちと一緒に回収しろ!! あいつは本船に連れて帰ってボコるからよ!!」
 息を荒げ、ギッと鋭い眼光をさらに鋭く光らせたジムは、ディランを見下ろし睨み付けるどころか、ディランの誘拐まで”クリスティーナなる魔導士”に指示した。

「!!」
 至るところで起こるパニックによる騒々しさのなか、ジムのその言葉を聞いた近くの兵士2名が、ディランを浮かび上がらせまいと、とっさに彼を左右から抱え込んだ。彼の足裏を決して、甲板から離させやしまいと――
 もし、ディラン・ニール・ハドソンが、不気味な力の操り主によって、ペイン海賊団の本船に海賊どもと一緒に連れて帰られてしまったとしたら、どんな目に遭わされるかなんて、考えなくても分かることであった。

 しかし、ディランの肉体も、彼を甲板へと押さえ込んでいる兵士2人の肉体も、宙へと浮かび上がる兆しは全く見せなかった。
 まさか、海賊たちの回収以外は、する気がないのか?
 そして、”クリスティーナなる魔導士”はジムの命令を聞かないということ。
 このことは、クリスティーナの方が主導権を握っていることを意味しているだろう。


「ルイージ!! 待ちやがれ!!」
「うるせええ! アホか、お前は! 俺の意志で浮かんでいるわけじゃねえことぐらい見りゃ分かんだろ!! 俺だって、お前をぶっ潰してえよ!!」
 下からルーク、上からルイージといった構図で、血の混じった唾を飛ばし、彼らはがなりあっていた。
 そして、ルイージの”ルークをぶっ潰したい”という願いも、クリスティーナは聞く気がないようであった。


 まるで、兵士たちと海賊たちの”それぞれの根底のあるもの(正義や悪徳などと)”をつかみ取り、きちんと仕分けしたように、宙へと浮かび上がっていくのは海賊たちだけの肉体であったのだから……

「うはあああっ!!」
 トレヴァーに組み伏せられていた海賊ボールドウィン・ニール・アッカーソンの肉体も当然のごとく、トレヴァーの逞しい肉体を弾き飛ばし、雲へと向かっていく最中であった。
 だが、奇妙な声をあげている彼の顔はサアッと青ざめていた。
 剣での戦いではほぼ互角であったが、素手の戦いで自分を組み伏せたトレヴァーに対する闘志や憎悪よりも、自分の肉体が鳥のように宙へと浮かび上がり、普通の人間ならあり得ないほどの高さで下の甲板を見下ろしていることに恐怖を感じているようであった。
 まさか、あのエクスタシー海賊は恐いもの知らずの海賊団の一員でありながらも、高所恐怖症という一面をも合わせて持っているのであろうか?
 おそらくエルドレッドと同じく本船待機組であったに違いない彼は、キャリーバードである鳥にも何も乗っていない状態(足場となるものがない状態)で、自分の身が宙へと浮かび上がっていることに恐怖を感じているのだろうか?


 エルドレッドを最初の1人として、また1人、また1人と海賊たちは禍々しい雲の中へとズブズブと吸い込まれていく……
 それはまるで意志を持った雲が、海賊どもをその体内へと取り込み補食しているかのような光景であった。
 しかも、回収されていく海賊たちは、”今、動くことができる海賊たち”だけではなかった。
 正義に基づくアドリアナ王国の兵士たちに敗れて、血濡れた甲板に倒れ伏していながらも、命の残り火はまだ消えてはいないが、”このままでは消えゆくに違いない”海賊たち数人も回収されていったのだから。
 クリスティーナなる魔導士は、まさに瀕死の状態の海賊たちの回収も律儀に行っている。
 しかし、完全に肉体の命の炎は消えてしまっており、冥海よりその魂を呼び寄せるという魔導士でも起こせない奇跡を起こせたとしても、当の肉体の生命維持活動が停止しているため、二度と起き上ることのないロジャー・ダグラス・クィルター含む他の海賊たちの肉体は甲板へと残したままであった。
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