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3巻
3-3
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騎士団の二人は、私の言葉が理解できていない様子。街中だというのに、物騒な刃物を持ち出してきた。たかが鋼鉄製とはいえ、抜刀されたら身の危険を感じちゃうじゃないか。
「おいおい、聞いたか? この状況で助けもせずに、終わったら声を掛けてくれだとよ」
「……逃げるぞ!!」
一人が私を見た途端、顔が真っ青になった。そして、脱兎のごとく逃走を開始した。こちらを一切振り向かず、全力での逃走……敵前逃亡は、死刑だというのに。
影の中から無数の蜂が飛び出した。
ジィジ(お父様のご意向により、捕縛してまいります)
ジジ(毒の分量を間違えるな。五グラムでいいかな……)
「五グラムだと即死するから一グラムでいいよ。全身を麻痺させて、後は他の子が回収に向かうから」
「白い蟲に加えて、その容貌――『神聖エルモア帝国』のヴォルドー侯爵」
「名乗るまでもなかったか、早く事を済ませてくれないかね」
騎士団の連中が自主的に病にかかるのを止めることはしない。
私にとっては、検体が増える可能性があるので、推奨してもいいと思っている。状況的に考えれば、間違いなく双方が合意していないだろうが……それに対して注意をするのは、『ネームレス』に常駐している警備の者やギルドに雇われた日雇い警備である。
騎士団の連中の行為をギルドが知らぬはずもないし、対応策を取るのは『ネームレス』ギルド本部の責務だともいえよう。そのために、依頼料の三割にも及ぶピンハネを許容しているのだ。
ここで仕事をしないならば、本当に職務怠慢である。
「悪いが、アンタと事を構える気はないぜ。俺は、何もしてない……というわけで、ここは引き下がる。侯爵様だって、皇帝陛下の騎士団に手をかけるのも問題だろう?」
つまらん。予想外に理性的であった。手をあげてくれれば速攻で処理してあげたのにね。だが、ガイウス皇帝陛下からのオーダーは絶対である!!
私の真横を素通りしようとしたので、肩に手を置いて止めた。
「まあ、そう急ぐな。私は、君たちにしかできない仕事を持ってきたのだよ」
男は逃げようと力を入れているが、生憎私の力の方が圧倒的に上であり、逃げることは叶わない。むしろ、その程度の力で騎士団所属とか、質が疑われるレベルだと思う。騎士団の者は、『水』の魔法を用いた身体強化まで使っているようだが、お粗末もいいところだ。
「離せ!!」
「離さない。『不治の病』終息のために保菌者がぜひ欲しい。空気感染してくれているパターンも必要だが……それ以外の感染データも欲しい」
ガイウス皇帝陛下からの書簡を受け取ってすぐに、病を集める蟲の開発に着手した。それを使い空気中に漂っている病原菌の回収作業にも手を出している。元々、大気中の水分を集める蟲を作っていたため、それをもとに改良を加えたのだ。
もちろん、目的の病原菌以外のものも集めてしまうが仕方がない。なんせ、空気清浄機をイメージして作ったのだ。汚い空気を蟲フィルターで濾過及び浄化するという自然に優しい蟲である。
一家に一匹は欲しい蟲と言えるだろう。まだ、試作段階で数も少ないので、順次改良及び繁殖に取りかかる。
「言っていることの半分も理解できねーが……要するに、助かるにはこうするしかないってことだろ!!」
男が持っていた抜き身の剣を私に突き立てる。実に、いい判断だ。そう、こういう展開を持っていたのだよ!!
狙ってくるのは、こちらの首から上、生身がむき出しになっている場所だ。対人戦において、防具で守られていない部位を狙うのは極めて有効な手段。この状況下でもそれを正しく行えるのは、人を殺し慣れていることの証明だ。
鋼鉄製ならば、私の皮膚程度はそげてしまう。これは、ゴリフターズのような完璧な肉体を持っていない私の弱さ。となると、対応策を考えるまでだ!! 工夫をすることで、生身で受けても無傷でいられるようにすればいい。
キィィーーーンと、なんとも言いがたい高音が発生し、鋼鉄製の剣が私の肌に触れた瞬間、砕け散った。
「剣の手入れくらい、しっかりした方がいいと思う。せっかく私の首に直撃したのに、まさか剣の方が砕け散るとは、安物でも使っていたのかね?」
「そんなわけねーだろ!! この化物が」
鋼鉄製の剣など安物で間違いない。ミスリル製やオリハルコン製の武器ならば、生身で受けることはしない。それにしても、聞きかじりの知識で試してみたが、存外上手くいくものだ。指向性を持たせた音波で共振作用を発生させ、物質を自壊させる。
今回は、影の中からひょっこり姿を出している蟲たちがやってくれた。蟲にできるということは、変身した私にもできるということだ。
夢が広がるね。
「とりあえず検査をしてから、健康体なら病に感染させて蛆蛞蝓ちゃんに検体としてプレゼントしよう。言っておくが、人道的な治験が行われると思わない方がいい。日頃の行いを悔いて死んでくれ」
軽く顎を叩いて、脳震盪を起こさせた。
蛆蛞蝓ちゃんが顔を出して、横に倒れている男に対して診察を開始した。
モナー(はーい、ではお注射しますね……。あら、この男性)
「どうした?」
モモナー (既に、別の性病にかかっております。潜伏期間から考えるに、ここ最近ですね。こんな場所で遊んでいるから当然でしょうが……全く、どうしようもありません。こういう者がいるから病が広がって進化するんです)
「その通りだな。まあ、一番の問題は、病の有効な治療法が治癒薬しか選択肢がないということだろう。何にでも効果があるせいで、病に対する知識が蓄積しない世の中になっているのだ」
私の影から出てきた蛆蛞蝓ちゃんが、男の血管に触手を突き刺して血液を採取している。その様子を見て女性が怯えている。次は我が身だとでも思っているのだろう。
二次感染者から病原菌のサンプル回収も終わり、大気中に漂っている病原菌のサンプルもじきに回収できるだろう。元凶となった女の病原菌も採取したいが……エーテリアとジュラルドがいつ戻ってくるかも不明だから諦めている。
「仕事の邪魔をして済まないね。私はこれで失礼する」
男の首根っこを掴み、ギルドから借りている倉庫へと検体を持ち帰った。
4 感染拡大(四)
このマーガレット、一生の不覚だわ。
レイア様が依頼を引き受けなかった時点で、早々に荷物を纏めて実家に帰るべきだった。あれからたった数日で『神聖エルモア帝国』の軍が動いて、『ネームレス』が包囲されてしまうなんて考えていなかった。
不幸中の幸いだったのが、既に領地に帰ったと思ったレイア様がまだいることと、自分の分の治癒薬を確保できていることだ。それに、ギルドの指示とはいえレイア様のお手伝いをしていれば、何かあった際には助けていただけるでしょうしね。
「あの~、レイア様。ギルドとしては、できうる限りの協力をすると言いましたが……少し自重していただいても」
レイア様が診療所を開いて、早三日。『ネームレス』ギルド本部が貸し出している倉庫が、未だかつてないほどに血腥い場所に変わっている。仮設されたベッドには、身動き一つ取れないように縛られた男性数名が寝ている。
一人は、全身の皮が綺麗に剥がされ、試験薬投与による筋肉及び血流への影響を逐一観察されている。一人は、体内に蛆蛞蝓ちゃんの触手が食い込み、試験薬投与による臓器への影響を、こちらも逐一観察されている。他にも、様々な実験が手広く行われている。
一つ言えることは……五体満足な検体が誰ひとりいないことだ。
しかも、その検体とされているのは第四騎士団の者たちだった。レイア様がガイウス皇帝陛下の兵たちにむやみに手を出すとは思えない。きっと、何かあったのだろう。……知りたくはないけど。
ギッギ(う、うらやましい!!)
ジジ(交代を希望する!! その病を我らにうつしたまえ)
検体の周りで蟲たちが騒いでいる。何を言っているか分からないけど、蛆蛞蝓ちゃんと何か関係しているのでしょうか。
ギー(病には、この僕が最初に掛かる!! 深呼吸!! すぅぅーーーはぁーーー)
うーーーん、この子……欲しいわね。レイア様が言うには、空気清浄を行う蟲とのことだ。この子がいれば、いつでも清潔な空気が吸える。空気感染する病と聞いたので、一時期でもこの子を借りられないでしょうかね。
「自重ね~。しても構わないが、特効薬の開発が遅れるだけだぞ、マーガレット嬢。安心しろ、この私が本腰を入れたのだ。必ず『不治の病』は終息させる」
「頼もしい限りです」
そうよね。何事にも尊い犠牲は付きもの。その犠牲が私でなければ、どうでもいいわ。
しかし、謎よね……病に対しての研究もそうだけど、レイア様って冒険者育成機関といった教育機関を出ていないのに、知識レベルが桁違いに高い。ガイウス皇帝陛下と昔から関係があったということなので、専門家から色々学んだのでしょうか。
でも、迷宮に行く頻度などを考えると、その線も薄いわね。藪をつついて蛇を出す結果になっても困るから聞かないけど。
「何か進展があったら報告しよう。それまでは、ギルドとしてやるべきことをやっておくように」
「分かりました。上にはそのように伝えておきます。それでは、レイア様……よろしくお願いいたします」
結局、持ってきた軽食には手を付けてないわね。『ネームレス』が封鎖中だから、食料は貴重なのに……もったいない。
「それでは、また参ります。……この子、一匹お借りしてもよろしいでしょうか?」
「エアーダスターちゃんか。まあ、いいだろう。ギルド職員に倒れられても事態収拾が遅くなるだけだからな。ただ、人目には付かないようにしておいてくれよ」
それは、もちろんです。この状況下で、この蟲の性能は極めて有効。誰もが欲しいモノでしょう。だから!! 私の部屋で大事にしますね。
◇ ◇ ◇
うーーん、やはり早まったかな。
マーガレット嬢に私の可愛い蟲を貸し出したが、不安だな。エアーダスターちゃんたちは、家事全般の能力が極めて高い……要するに、女子力が私の蟲の中でもトップクラスなのだ。
あの子一匹いれば、何一つ家事を行う必要がなくなるだろう。結果的に、マーガレット嬢の女子力が低下してしまう恐れがある。ただでさえ行き遅れになりかけているのに、女子力まで低下してしまっては、貰い手がいなくなってしまう。
……まあ、よいか。関係ないことだし。それより、今はガイウス皇帝陛下の勅命を遂行しないといけない。
蛆蛞蝓ちゃんが、検体に差し込んでいた触手を抜き取り、カルテに何かを書き込んでいる。おそらく、進展があったのだろう。
モモナ(経過報告をいたします。やはり、性病から悪性変異を遂げて感染症になったものです。症状は、初期段階で風邪と似た症状になります。次の段階で、高熱及び全身が赤く腫れあがり、歩くことすら困難になります。最終段階で意識を失い、三日とせず死ぬでしょう。発病から最終段階になるまでに約一ヶ月といったところです)
「たかが性病から変異した割には、症状が重すぎるな……他に分かったことは?」
人類が死滅しそうな病原菌でびっくりだよ。まさに人類選別のために生まれたものではないかと勘繰ってしまう。
モモナ(国家のために健康な肉体を差し出してくれた騎士団のおかげで、感染経路が特定できました。飛沫感染、粘膜感染です。一回の接触で感染する可能性は、七割ほどと非常に高いといえます。もっとも、これは騎士団という強靱な肉体の持ち主での結果です。一般人の場合は九割ほどの可能性になるでしょう)
二次感染者を診ただけでは、ここまでの詳細は分からなかった。騎士団のおかげである。
「想像以上に悪質なやつだな。では、悪性変化を遂げた原因は?」
原因が判明すれば、今後の予防策も取れるだろう。
モナナ(特定しております。迷宮産――『モロド樹海』のいくつかの猛毒と性病が合わさることで、奇跡的な確率で変異を遂げたのです)
「……迷宮産の?」
モナナー(はい。迷宮下層に生息している蟲が持っている毒と同じ特徴が確認されました。念のため、お父様の蟲たちから毒を提供してもらっておりますので、間違いありません。クラフトという冒険者がどれほどの実力者か分かりませんが、これほど多種多様の猛毒を集めるのに、相当な準備期間を設けていたと思います)
「準備期間……違う。奇跡的な確率にかけた犯行は、もはや偶然に他ならない。おそらく、猛毒が付着した状態で男女の逢瀬に及んだのだろう。迷惑極まりないことだ」
正直に言うと、その猛毒の出どころには若干心当たりがある。というか、間違いなく私が剣魔武道会の際、クラフトにプレゼントした猛毒の槍と鎧だろう。しかし、それが原因だとしても私に非があるわけではない。
まさか、私がプレゼントした品物がこのような使われ方をするとは思ってもみなかったよ。頭が痛いわ。
ジジー(お父様、偵察の者から報告。『ネームレス』を脱出しつつある者たちがおります。夜の闇に紛れて南方へ移動中)
「騎士団の連中は、一体何をしているんだ? こういうときのためにいるんだろう」
あらゆる事態に対応するため、『ネームレス』全域を監視させていて良かった。これだから、第四騎士団の連中は信頼できない。普段の素行から考えれば当然の結果とも言えるが、給料分の働きはして欲しいものだ。
ジー(報告によれば、第四騎士団の警邏の者に金と体で交渉をしたとのことです)
「ガイウス皇帝陛下の命を何だと思っているんだ。警邏の者を追跡しておけ。後で、回収に向かう。逃げている連中の構成は?」
ジッジーー (人数は八名。ギルド男性職員一名、歓楽街の風俗店所属の女性が四名、Dランク冒険者二名、Cランク冒険者一名)
ガイウス皇帝陛下の命で発せられている封鎖を非正規な方法で突破しようなど、愚かしいにもほどがある。この『ネームレス』に私という存在がいることを忘れているのだろうか。それとも、バレない自信でもあったのだろうか。
ギルド長並びに受付嬢たちですら『ネームレス』を脱出していないのだ。真っ先に逃げ出しそうな連中がこの場に留まっている。その時点で、逃亡が無謀な試みなのは理解できると思うのだがね。
もっとも、私が『ネームレス』ギルド本部の地下にある隠し通路各所にも網を張っていることも、原因の一つなのだろう。だが、緊急の用事があると悪いので『KEEP
OUT』的な警告の札をつけておいた。解除の際は、私まで連絡をして欲しいと書き込んである。
「常連客と一緒に逃げる気か。全く、無駄なことを。蛆蛞蝓ちゃんは、引き続き特効薬の開発を急いでくれ。とりあえず、病の進行を一時停滞させるだけの薬でも構わない。まずは、成果を見せて住民の流出を防ぐことが第一だ」
モナァー(分かりました。目処は立っておりますが、騎士団の人はもう使いものになりません。無理な治験をやり過ぎました)
「安心しなさい。全てお父様に任せておけ。すぐに、新しい検体を連れてくる」
屈強な蟲たちに留守番を任せて、倉庫の部屋を後にした。
私の部屋には、いくつかの試作段階の薬や私財がたくさん置かれているのだ。この機に誰かが潜入してくることもありえる。混乱に乗じて一攫千金……迷宮で稼ぐより高ランク冒険者の倉庫を略奪した方が遥かに金になる。
ギルドが過去十年以上、事故ゼロ件と謳っている倉庫とはいえ、人任せのシステムだ。非常事態には、自分でも予防措置をしておくべきだろう。
部屋を出ると、そこには偶然、マーガレット嬢がおり、夕食と思われるものを持っていた。先ほど退出したばかりだと思っていたが、そんなに時間が経過したのか。物事に集中すると時間を忘れてしまう癖があるのはよくないな。
スープから湯気が出ていることから、作りたてであろう。
「ギルド長にでも状況を確認してこいとでも言われたのかね? それとも、エアーダスターちゃんがたくさん欲しいなんて冗談は言わないよね」
「あの子は、私の部屋で大切にしておりますのでご安心ください。それに~邪険な目で見ないでください、レイア様。少しでも協力してくるようにと催促されておりまして」
協力か~。なるほど!! その身を蛆蛞蝓ちゃんに捧げてくれると取っていいのだろう。そこまで協力してくれるなんて、受付嬢の鑑だよね。
「では、さっそ……」
「ですが!! 新薬の実験台は嫌ですよ。あくまで、身の回りのお世話的な意味です」
……最近、マーガレット嬢の読みが鋭くなっている気がする。それなりに長い付き合いだから、行動が読まれるのも分かるけどさ。
「チッ!! じゃあ、中にいる蟲たちの食事の世話を頼むよ。あと、お風呂にも入れてやってくれ」
「えっ!?」
なんだ、その鳩が豆鉄砲を食らったような顔は。言っておくが、私の蟲たちは全員綺麗だぞ!! お手入れも欠かしていないし、水場がある場所に行ったらきちんと水洗いもしている。
「中に入る際は、幻想蝶ちゃんを連れていくといい。死にたくなければな」
ピッピ(お任せくださいお父様。この私がちゃんとみんなに伝えておきます……晩ご飯ではないと。マーガレットさん、人間の貴方にとっては、私たちのような者は異形の姿に思えるかもしれません。ですが、お互いに歩み寄る心を持てば、分かり合えるはずです。その一歩としてお互いに頑張りましょう)
幻想蝶ちゃんがマーガレット嬢の肩に乗る。マーガレット嬢には、幻想蝶ちゃんの言葉など通じていないであろう。だが、女子力で通じ合うものがあるはずと信じておこう。
「では、よろしく頼もう。大事なことだから教えておく。肩に乗っている幻想蝶ちゃんに傷一つでも負わせたら、命の保証はしかねる。繊細な蟲の扱いには十分気をつけてくれ。これが、部屋の鍵だから」
「レイア様、一般人の私には、すこーーし難易度が高いご依頼の気がするのですが」
「普段から無理難題を冒険者に押しつけている受付嬢らしからぬ言葉だ。手伝いを名乗り出た以上、しっかり働いてもらう。私は、野暮用で出かけるので任せたよ」
モンスターの世話など滅多にできるものではない。人生においては何事も経験が大事なので、今回学んだことがどこかで活かされる可能性はある……と思う。
◇ ◇ ◇
『ネームレス』周辺では、高ランクモンスターが出現することがほとんどないとはいえ、真夜中に外出することはよろしくない。夜行性のモンスターだっているのだから、夜目が利かないならば出かけない方がよい。
夜更けに一般人を連れて、モンスターが出るかもしれない場所を移動する連中は、命知らずだと言える。よって、親切な私が警告してあげる必要がある。
演出も兼ねて空から降りてきてみれば、何やら真っ青な顔をした逃亡者たち。そして、私は彼らに優しく言葉を掛けてあげた。
「どうしたのかね? 顔が真っ青だよ。夜風に当たって風邪でも引いたのか。それとも、発病したかね?」
「レイア様、す、少し夜風にあたりに……」
見覚えのあるギルド職員が口を開いた。まるで、人生最悪だと言わんばかりの顔付きである。失礼だな。むしろ、運がよければいち早く特効薬を打ってもらえる立場になれるというのに、そんな顔をしないで欲しい。
「騎士団の連中に金と体で交渉を行ったようだが、残念だったな。ガイウス皇帝陛下の勅命で完全封鎖中の『ネームレス』からは、この私が誰ひとり外には出さん!!」
「散れ!! 女子供だからといって手加減してくれる相手じゃない。バラバラに散って逃げるぞ!!」
どうやら、私のことを正しく認識している冒険者のようだ。
ランクCの冒険者が一人で闇夜の草原を駆け出した。火事場の馬鹿力というやつなのだろう。ランクB並みの身体能力をしている。だが、前ばかり見て走ると、足元が疎かになる。
ギェェェ(捕まえた~!!)
地中より、口を大きく開けた大型の百足が逃げ去ろうとした冒険者を食いちぎった。
ギェギ(あれ……死んでいる!? お父様、大変です。冒険者が食べられています。ゲップ)
おーい、捕まえるにしても口で挟もうとしないでよ!! 君たちの顎の力をもってすれば、人間が真っ二つになるのも分かるでしょう。まあ、既に済んでしまったことだから水に流そう。
次は気をつけてくれよ。
「イヤァァァァーーー!!」
「帰ります!! 『ネームレス』に帰りますから」
護衛であったはずの冒険者が逃亡するどころか、わずか数秒で失敗して骸になったのを見て、女性陣が叫び散らすし、命乞いを始めてうるさいこと、この上なし。
「命懸けの逃亡だったのだろう。ならば、失敗がどのような結果になるかは当然知っているな?なーに、運が良ければ死なないさ」
魔力に殺意を上乗せして優しく微笑んであげたら、倒れてしまった。これが俗に言うニコポというやつなのだろう。
間違いない!!
◆ ◆ ◆
「何度見ても、凄いわね」
私――マーガレットも、思わず声を出してしまう。
高ランク冒険者の倉庫は、ギルドでは宝物庫と言われている。その宝物庫をギルドの威信をかけて守るのには、理由が存在する。
死んでくれれば、その宝物庫はギルドの所有物になるのだ。ゆえに、高ランク冒険者には、たっぷり稼いでもらい死んで欲しい、というのがギルドの本音。もちろん生前に遺書などを残していれば、その意志に沿って処理されるのだが……そんな準備の良い冒険者など少ない。
まあ、ギルドが善意で荷物整理をする際に、ゴミと間違って遺書を破棄してしまうこともしばしば……。事実、私も過去に何度か上の指示でやったことがある。そのときの臨時ボーナスは美味しいことこの上ない。
やはり、『モロド樹海』で一番宝箱を開けていると言われるレイア様の倉庫は、さすがの一言だ。金銀財宝は当然として、ミスリル、ピュアミスリル、オリハルコンなどの希少金属が整理整頓されている。大きめなのを二、三個盗むだけで、人生三回は遊んで暮らせる金額になる。
他にも、モンスターの生態系の書籍や魔法理論に関する本などの、高価な書物が並べられている。非常食なんかも備えられており、物量から考えるに三ヶ月は楽にここで過ごせると見える。
「この機会に色々な部屋を覗いてみますか。立ち入り禁止の場所があったら教えてね。私はまだ死にたくありませんので」
ピー(思いのほか、察しがよろしいのですね。さすがは、お父様がお名前を覚えておられるギルド受付嬢です。その部屋は……寝室だから、問題ありません)
何を言っているかさっぱり分からないが、どうやらこの部屋は開けてもいいようだ。
部屋を開けてみると、簡易ベッドとその上をコロコロと転がっている蟲が一匹いた。
モッキューー(お父様がいないうちに、私の匂いを染みつかせる!! お父様お父様お父様~。うっ、転がりすぎて気分が。……はっ!! いつからそこに!?)
ピッ(お父様がいないうちに~と言ったあたりから。貴方も淑女なのですから、そのような行動は人目に付かないようにしなさい)
「えーーーっと、絹毛虫ちゃんだったかしら。じゃあ、お風呂に入りましょうね」
ベッドの上を転がっていた絹毛虫ちゃんを持ち上げると、非常に良い香りが漂ってきた。
モキュ(まだ、お父様のベッドの半分も終わってないの!! いやー、離して)
逃げようとしているのかな……でも、レイア様からは、蟲たちをお風呂に入れてくれと言われたので、しっかり抱きしめておこう。
「おいおい、聞いたか? この状況で助けもせずに、終わったら声を掛けてくれだとよ」
「……逃げるぞ!!」
一人が私を見た途端、顔が真っ青になった。そして、脱兎のごとく逃走を開始した。こちらを一切振り向かず、全力での逃走……敵前逃亡は、死刑だというのに。
影の中から無数の蜂が飛び出した。
ジィジ(お父様のご意向により、捕縛してまいります)
ジジ(毒の分量を間違えるな。五グラムでいいかな……)
「五グラムだと即死するから一グラムでいいよ。全身を麻痺させて、後は他の子が回収に向かうから」
「白い蟲に加えて、その容貌――『神聖エルモア帝国』のヴォルドー侯爵」
「名乗るまでもなかったか、早く事を済ませてくれないかね」
騎士団の連中が自主的に病にかかるのを止めることはしない。
私にとっては、検体が増える可能性があるので、推奨してもいいと思っている。状況的に考えれば、間違いなく双方が合意していないだろうが……それに対して注意をするのは、『ネームレス』に常駐している警備の者やギルドに雇われた日雇い警備である。
騎士団の連中の行為をギルドが知らぬはずもないし、対応策を取るのは『ネームレス』ギルド本部の責務だともいえよう。そのために、依頼料の三割にも及ぶピンハネを許容しているのだ。
ここで仕事をしないならば、本当に職務怠慢である。
「悪いが、アンタと事を構える気はないぜ。俺は、何もしてない……というわけで、ここは引き下がる。侯爵様だって、皇帝陛下の騎士団に手をかけるのも問題だろう?」
つまらん。予想外に理性的であった。手をあげてくれれば速攻で処理してあげたのにね。だが、ガイウス皇帝陛下からのオーダーは絶対である!!
私の真横を素通りしようとしたので、肩に手を置いて止めた。
「まあ、そう急ぐな。私は、君たちにしかできない仕事を持ってきたのだよ」
男は逃げようと力を入れているが、生憎私の力の方が圧倒的に上であり、逃げることは叶わない。むしろ、その程度の力で騎士団所属とか、質が疑われるレベルだと思う。騎士団の者は、『水』の魔法を用いた身体強化まで使っているようだが、お粗末もいいところだ。
「離せ!!」
「離さない。『不治の病』終息のために保菌者がぜひ欲しい。空気感染してくれているパターンも必要だが……それ以外の感染データも欲しい」
ガイウス皇帝陛下からの書簡を受け取ってすぐに、病を集める蟲の開発に着手した。それを使い空気中に漂っている病原菌の回収作業にも手を出している。元々、大気中の水分を集める蟲を作っていたため、それをもとに改良を加えたのだ。
もちろん、目的の病原菌以外のものも集めてしまうが仕方がない。なんせ、空気清浄機をイメージして作ったのだ。汚い空気を蟲フィルターで濾過及び浄化するという自然に優しい蟲である。
一家に一匹は欲しい蟲と言えるだろう。まだ、試作段階で数も少ないので、順次改良及び繁殖に取りかかる。
「言っていることの半分も理解できねーが……要するに、助かるにはこうするしかないってことだろ!!」
男が持っていた抜き身の剣を私に突き立てる。実に、いい判断だ。そう、こういう展開を持っていたのだよ!!
狙ってくるのは、こちらの首から上、生身がむき出しになっている場所だ。対人戦において、防具で守られていない部位を狙うのは極めて有効な手段。この状況下でもそれを正しく行えるのは、人を殺し慣れていることの証明だ。
鋼鉄製ならば、私の皮膚程度はそげてしまう。これは、ゴリフターズのような完璧な肉体を持っていない私の弱さ。となると、対応策を考えるまでだ!! 工夫をすることで、生身で受けても無傷でいられるようにすればいい。
キィィーーーンと、なんとも言いがたい高音が発生し、鋼鉄製の剣が私の肌に触れた瞬間、砕け散った。
「剣の手入れくらい、しっかりした方がいいと思う。せっかく私の首に直撃したのに、まさか剣の方が砕け散るとは、安物でも使っていたのかね?」
「そんなわけねーだろ!! この化物が」
鋼鉄製の剣など安物で間違いない。ミスリル製やオリハルコン製の武器ならば、生身で受けることはしない。それにしても、聞きかじりの知識で試してみたが、存外上手くいくものだ。指向性を持たせた音波で共振作用を発生させ、物質を自壊させる。
今回は、影の中からひょっこり姿を出している蟲たちがやってくれた。蟲にできるということは、変身した私にもできるということだ。
夢が広がるね。
「とりあえず検査をしてから、健康体なら病に感染させて蛆蛞蝓ちゃんに検体としてプレゼントしよう。言っておくが、人道的な治験が行われると思わない方がいい。日頃の行いを悔いて死んでくれ」
軽く顎を叩いて、脳震盪を起こさせた。
蛆蛞蝓ちゃんが顔を出して、横に倒れている男に対して診察を開始した。
モナー(はーい、ではお注射しますね……。あら、この男性)
「どうした?」
モモナー (既に、別の性病にかかっております。潜伏期間から考えるに、ここ最近ですね。こんな場所で遊んでいるから当然でしょうが……全く、どうしようもありません。こういう者がいるから病が広がって進化するんです)
「その通りだな。まあ、一番の問題は、病の有効な治療法が治癒薬しか選択肢がないということだろう。何にでも効果があるせいで、病に対する知識が蓄積しない世の中になっているのだ」
私の影から出てきた蛆蛞蝓ちゃんが、男の血管に触手を突き刺して血液を採取している。その様子を見て女性が怯えている。次は我が身だとでも思っているのだろう。
二次感染者から病原菌のサンプル回収も終わり、大気中に漂っている病原菌のサンプルもじきに回収できるだろう。元凶となった女の病原菌も採取したいが……エーテリアとジュラルドがいつ戻ってくるかも不明だから諦めている。
「仕事の邪魔をして済まないね。私はこれで失礼する」
男の首根っこを掴み、ギルドから借りている倉庫へと検体を持ち帰った。
4 感染拡大(四)
このマーガレット、一生の不覚だわ。
レイア様が依頼を引き受けなかった時点で、早々に荷物を纏めて実家に帰るべきだった。あれからたった数日で『神聖エルモア帝国』の軍が動いて、『ネームレス』が包囲されてしまうなんて考えていなかった。
不幸中の幸いだったのが、既に領地に帰ったと思ったレイア様がまだいることと、自分の分の治癒薬を確保できていることだ。それに、ギルドの指示とはいえレイア様のお手伝いをしていれば、何かあった際には助けていただけるでしょうしね。
「あの~、レイア様。ギルドとしては、できうる限りの協力をすると言いましたが……少し自重していただいても」
レイア様が診療所を開いて、早三日。『ネームレス』ギルド本部が貸し出している倉庫が、未だかつてないほどに血腥い場所に変わっている。仮設されたベッドには、身動き一つ取れないように縛られた男性数名が寝ている。
一人は、全身の皮が綺麗に剥がされ、試験薬投与による筋肉及び血流への影響を逐一観察されている。一人は、体内に蛆蛞蝓ちゃんの触手が食い込み、試験薬投与による臓器への影響を、こちらも逐一観察されている。他にも、様々な実験が手広く行われている。
一つ言えることは……五体満足な検体が誰ひとりいないことだ。
しかも、その検体とされているのは第四騎士団の者たちだった。レイア様がガイウス皇帝陛下の兵たちにむやみに手を出すとは思えない。きっと、何かあったのだろう。……知りたくはないけど。
ギッギ(う、うらやましい!!)
ジジ(交代を希望する!! その病を我らにうつしたまえ)
検体の周りで蟲たちが騒いでいる。何を言っているか分からないけど、蛆蛞蝓ちゃんと何か関係しているのでしょうか。
ギー(病には、この僕が最初に掛かる!! 深呼吸!! すぅぅーーーはぁーーー)
うーーーん、この子……欲しいわね。レイア様が言うには、空気清浄を行う蟲とのことだ。この子がいれば、いつでも清潔な空気が吸える。空気感染する病と聞いたので、一時期でもこの子を借りられないでしょうかね。
「自重ね~。しても構わないが、特効薬の開発が遅れるだけだぞ、マーガレット嬢。安心しろ、この私が本腰を入れたのだ。必ず『不治の病』は終息させる」
「頼もしい限りです」
そうよね。何事にも尊い犠牲は付きもの。その犠牲が私でなければ、どうでもいいわ。
しかし、謎よね……病に対しての研究もそうだけど、レイア様って冒険者育成機関といった教育機関を出ていないのに、知識レベルが桁違いに高い。ガイウス皇帝陛下と昔から関係があったということなので、専門家から色々学んだのでしょうか。
でも、迷宮に行く頻度などを考えると、その線も薄いわね。藪をつついて蛇を出す結果になっても困るから聞かないけど。
「何か進展があったら報告しよう。それまでは、ギルドとしてやるべきことをやっておくように」
「分かりました。上にはそのように伝えておきます。それでは、レイア様……よろしくお願いいたします」
結局、持ってきた軽食には手を付けてないわね。『ネームレス』が封鎖中だから、食料は貴重なのに……もったいない。
「それでは、また参ります。……この子、一匹お借りしてもよろしいでしょうか?」
「エアーダスターちゃんか。まあ、いいだろう。ギルド職員に倒れられても事態収拾が遅くなるだけだからな。ただ、人目には付かないようにしておいてくれよ」
それは、もちろんです。この状況下で、この蟲の性能は極めて有効。誰もが欲しいモノでしょう。だから!! 私の部屋で大事にしますね。
◇ ◇ ◇
うーーん、やはり早まったかな。
マーガレット嬢に私の可愛い蟲を貸し出したが、不安だな。エアーダスターちゃんたちは、家事全般の能力が極めて高い……要するに、女子力が私の蟲の中でもトップクラスなのだ。
あの子一匹いれば、何一つ家事を行う必要がなくなるだろう。結果的に、マーガレット嬢の女子力が低下してしまう恐れがある。ただでさえ行き遅れになりかけているのに、女子力まで低下してしまっては、貰い手がいなくなってしまう。
……まあ、よいか。関係ないことだし。それより、今はガイウス皇帝陛下の勅命を遂行しないといけない。
蛆蛞蝓ちゃんが、検体に差し込んでいた触手を抜き取り、カルテに何かを書き込んでいる。おそらく、進展があったのだろう。
モモナ(経過報告をいたします。やはり、性病から悪性変異を遂げて感染症になったものです。症状は、初期段階で風邪と似た症状になります。次の段階で、高熱及び全身が赤く腫れあがり、歩くことすら困難になります。最終段階で意識を失い、三日とせず死ぬでしょう。発病から最終段階になるまでに約一ヶ月といったところです)
「たかが性病から変異した割には、症状が重すぎるな……他に分かったことは?」
人類が死滅しそうな病原菌でびっくりだよ。まさに人類選別のために生まれたものではないかと勘繰ってしまう。
モモナ(国家のために健康な肉体を差し出してくれた騎士団のおかげで、感染経路が特定できました。飛沫感染、粘膜感染です。一回の接触で感染する可能性は、七割ほどと非常に高いといえます。もっとも、これは騎士団という強靱な肉体の持ち主での結果です。一般人の場合は九割ほどの可能性になるでしょう)
二次感染者を診ただけでは、ここまでの詳細は分からなかった。騎士団のおかげである。
「想像以上に悪質なやつだな。では、悪性変化を遂げた原因は?」
原因が判明すれば、今後の予防策も取れるだろう。
モナナ(特定しております。迷宮産――『モロド樹海』のいくつかの猛毒と性病が合わさることで、奇跡的な確率で変異を遂げたのです)
「……迷宮産の?」
モナナー(はい。迷宮下層に生息している蟲が持っている毒と同じ特徴が確認されました。念のため、お父様の蟲たちから毒を提供してもらっておりますので、間違いありません。クラフトという冒険者がどれほどの実力者か分かりませんが、これほど多種多様の猛毒を集めるのに、相当な準備期間を設けていたと思います)
「準備期間……違う。奇跡的な確率にかけた犯行は、もはや偶然に他ならない。おそらく、猛毒が付着した状態で男女の逢瀬に及んだのだろう。迷惑極まりないことだ」
正直に言うと、その猛毒の出どころには若干心当たりがある。というか、間違いなく私が剣魔武道会の際、クラフトにプレゼントした猛毒の槍と鎧だろう。しかし、それが原因だとしても私に非があるわけではない。
まさか、私がプレゼントした品物がこのような使われ方をするとは思ってもみなかったよ。頭が痛いわ。
ジジー(お父様、偵察の者から報告。『ネームレス』を脱出しつつある者たちがおります。夜の闇に紛れて南方へ移動中)
「騎士団の連中は、一体何をしているんだ? こういうときのためにいるんだろう」
あらゆる事態に対応するため、『ネームレス』全域を監視させていて良かった。これだから、第四騎士団の連中は信頼できない。普段の素行から考えれば当然の結果とも言えるが、給料分の働きはして欲しいものだ。
ジー(報告によれば、第四騎士団の警邏の者に金と体で交渉をしたとのことです)
「ガイウス皇帝陛下の命を何だと思っているんだ。警邏の者を追跡しておけ。後で、回収に向かう。逃げている連中の構成は?」
ジッジーー (人数は八名。ギルド男性職員一名、歓楽街の風俗店所属の女性が四名、Dランク冒険者二名、Cランク冒険者一名)
ガイウス皇帝陛下の命で発せられている封鎖を非正規な方法で突破しようなど、愚かしいにもほどがある。この『ネームレス』に私という存在がいることを忘れているのだろうか。それとも、バレない自信でもあったのだろうか。
ギルド長並びに受付嬢たちですら『ネームレス』を脱出していないのだ。真っ先に逃げ出しそうな連中がこの場に留まっている。その時点で、逃亡が無謀な試みなのは理解できると思うのだがね。
もっとも、私が『ネームレス』ギルド本部の地下にある隠し通路各所にも網を張っていることも、原因の一つなのだろう。だが、緊急の用事があると悪いので『KEEP
OUT』的な警告の札をつけておいた。解除の際は、私まで連絡をして欲しいと書き込んである。
「常連客と一緒に逃げる気か。全く、無駄なことを。蛆蛞蝓ちゃんは、引き続き特効薬の開発を急いでくれ。とりあえず、病の進行を一時停滞させるだけの薬でも構わない。まずは、成果を見せて住民の流出を防ぐことが第一だ」
モナァー(分かりました。目処は立っておりますが、騎士団の人はもう使いものになりません。無理な治験をやり過ぎました)
「安心しなさい。全てお父様に任せておけ。すぐに、新しい検体を連れてくる」
屈強な蟲たちに留守番を任せて、倉庫の部屋を後にした。
私の部屋には、いくつかの試作段階の薬や私財がたくさん置かれているのだ。この機に誰かが潜入してくることもありえる。混乱に乗じて一攫千金……迷宮で稼ぐより高ランク冒険者の倉庫を略奪した方が遥かに金になる。
ギルドが過去十年以上、事故ゼロ件と謳っている倉庫とはいえ、人任せのシステムだ。非常事態には、自分でも予防措置をしておくべきだろう。
部屋を出ると、そこには偶然、マーガレット嬢がおり、夕食と思われるものを持っていた。先ほど退出したばかりだと思っていたが、そんなに時間が経過したのか。物事に集中すると時間を忘れてしまう癖があるのはよくないな。
スープから湯気が出ていることから、作りたてであろう。
「ギルド長にでも状況を確認してこいとでも言われたのかね? それとも、エアーダスターちゃんがたくさん欲しいなんて冗談は言わないよね」
「あの子は、私の部屋で大切にしておりますのでご安心ください。それに~邪険な目で見ないでください、レイア様。少しでも協力してくるようにと催促されておりまして」
協力か~。なるほど!! その身を蛆蛞蝓ちゃんに捧げてくれると取っていいのだろう。そこまで協力してくれるなんて、受付嬢の鑑だよね。
「では、さっそ……」
「ですが!! 新薬の実験台は嫌ですよ。あくまで、身の回りのお世話的な意味です」
……最近、マーガレット嬢の読みが鋭くなっている気がする。それなりに長い付き合いだから、行動が読まれるのも分かるけどさ。
「チッ!! じゃあ、中にいる蟲たちの食事の世話を頼むよ。あと、お風呂にも入れてやってくれ」
「えっ!?」
なんだ、その鳩が豆鉄砲を食らったような顔は。言っておくが、私の蟲たちは全員綺麗だぞ!! お手入れも欠かしていないし、水場がある場所に行ったらきちんと水洗いもしている。
「中に入る際は、幻想蝶ちゃんを連れていくといい。死にたくなければな」
ピッピ(お任せくださいお父様。この私がちゃんとみんなに伝えておきます……晩ご飯ではないと。マーガレットさん、人間の貴方にとっては、私たちのような者は異形の姿に思えるかもしれません。ですが、お互いに歩み寄る心を持てば、分かり合えるはずです。その一歩としてお互いに頑張りましょう)
幻想蝶ちゃんがマーガレット嬢の肩に乗る。マーガレット嬢には、幻想蝶ちゃんの言葉など通じていないであろう。だが、女子力で通じ合うものがあるはずと信じておこう。
「では、よろしく頼もう。大事なことだから教えておく。肩に乗っている幻想蝶ちゃんに傷一つでも負わせたら、命の保証はしかねる。繊細な蟲の扱いには十分気をつけてくれ。これが、部屋の鍵だから」
「レイア様、一般人の私には、すこーーし難易度が高いご依頼の気がするのですが」
「普段から無理難題を冒険者に押しつけている受付嬢らしからぬ言葉だ。手伝いを名乗り出た以上、しっかり働いてもらう。私は、野暮用で出かけるので任せたよ」
モンスターの世話など滅多にできるものではない。人生においては何事も経験が大事なので、今回学んだことがどこかで活かされる可能性はある……と思う。
◇ ◇ ◇
『ネームレス』周辺では、高ランクモンスターが出現することがほとんどないとはいえ、真夜中に外出することはよろしくない。夜行性のモンスターだっているのだから、夜目が利かないならば出かけない方がよい。
夜更けに一般人を連れて、モンスターが出るかもしれない場所を移動する連中は、命知らずだと言える。よって、親切な私が警告してあげる必要がある。
演出も兼ねて空から降りてきてみれば、何やら真っ青な顔をした逃亡者たち。そして、私は彼らに優しく言葉を掛けてあげた。
「どうしたのかね? 顔が真っ青だよ。夜風に当たって風邪でも引いたのか。それとも、発病したかね?」
「レイア様、す、少し夜風にあたりに……」
見覚えのあるギルド職員が口を開いた。まるで、人生最悪だと言わんばかりの顔付きである。失礼だな。むしろ、運がよければいち早く特効薬を打ってもらえる立場になれるというのに、そんな顔をしないで欲しい。
「騎士団の連中に金と体で交渉を行ったようだが、残念だったな。ガイウス皇帝陛下の勅命で完全封鎖中の『ネームレス』からは、この私が誰ひとり外には出さん!!」
「散れ!! 女子供だからといって手加減してくれる相手じゃない。バラバラに散って逃げるぞ!!」
どうやら、私のことを正しく認識している冒険者のようだ。
ランクCの冒険者が一人で闇夜の草原を駆け出した。火事場の馬鹿力というやつなのだろう。ランクB並みの身体能力をしている。だが、前ばかり見て走ると、足元が疎かになる。
ギェェェ(捕まえた~!!)
地中より、口を大きく開けた大型の百足が逃げ去ろうとした冒険者を食いちぎった。
ギェギ(あれ……死んでいる!? お父様、大変です。冒険者が食べられています。ゲップ)
おーい、捕まえるにしても口で挟もうとしないでよ!! 君たちの顎の力をもってすれば、人間が真っ二つになるのも分かるでしょう。まあ、既に済んでしまったことだから水に流そう。
次は気をつけてくれよ。
「イヤァァァァーーー!!」
「帰ります!! 『ネームレス』に帰りますから」
護衛であったはずの冒険者が逃亡するどころか、わずか数秒で失敗して骸になったのを見て、女性陣が叫び散らすし、命乞いを始めてうるさいこと、この上なし。
「命懸けの逃亡だったのだろう。ならば、失敗がどのような結果になるかは当然知っているな?なーに、運が良ければ死なないさ」
魔力に殺意を上乗せして優しく微笑んであげたら、倒れてしまった。これが俗に言うニコポというやつなのだろう。
間違いない!!
◆ ◆ ◆
「何度見ても、凄いわね」
私――マーガレットも、思わず声を出してしまう。
高ランク冒険者の倉庫は、ギルドでは宝物庫と言われている。その宝物庫をギルドの威信をかけて守るのには、理由が存在する。
死んでくれれば、その宝物庫はギルドの所有物になるのだ。ゆえに、高ランク冒険者には、たっぷり稼いでもらい死んで欲しい、というのがギルドの本音。もちろん生前に遺書などを残していれば、その意志に沿って処理されるのだが……そんな準備の良い冒険者など少ない。
まあ、ギルドが善意で荷物整理をする際に、ゴミと間違って遺書を破棄してしまうこともしばしば……。事実、私も過去に何度か上の指示でやったことがある。そのときの臨時ボーナスは美味しいことこの上ない。
やはり、『モロド樹海』で一番宝箱を開けていると言われるレイア様の倉庫は、さすがの一言だ。金銀財宝は当然として、ミスリル、ピュアミスリル、オリハルコンなどの希少金属が整理整頓されている。大きめなのを二、三個盗むだけで、人生三回は遊んで暮らせる金額になる。
他にも、モンスターの生態系の書籍や魔法理論に関する本などの、高価な書物が並べられている。非常食なんかも備えられており、物量から考えるに三ヶ月は楽にここで過ごせると見える。
「この機会に色々な部屋を覗いてみますか。立ち入り禁止の場所があったら教えてね。私はまだ死にたくありませんので」
ピー(思いのほか、察しがよろしいのですね。さすがは、お父様がお名前を覚えておられるギルド受付嬢です。その部屋は……寝室だから、問題ありません)
何を言っているかさっぱり分からないが、どうやらこの部屋は開けてもいいようだ。
部屋を開けてみると、簡易ベッドとその上をコロコロと転がっている蟲が一匹いた。
モッキューー(お父様がいないうちに、私の匂いを染みつかせる!! お父様お父様お父様~。うっ、転がりすぎて気分が。……はっ!! いつからそこに!?)
ピッ(お父様がいないうちに~と言ったあたりから。貴方も淑女なのですから、そのような行動は人目に付かないようにしなさい)
「えーーーっと、絹毛虫ちゃんだったかしら。じゃあ、お風呂に入りましょうね」
ベッドの上を転がっていた絹毛虫ちゃんを持ち上げると、非常に良い香りが漂ってきた。
モキュ(まだ、お父様のベッドの半分も終わってないの!! いやー、離して)
逃げようとしているのかな……でも、レイア様からは、蟲たちをお風呂に入れてくれと言われたので、しっかり抱きしめておこう。
応援ありがとうございます!
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