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3巻
3-2
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2 感染拡大(二)
一刻も早く『ネームレス』から離れるために、ギルドから借りている倉庫までやってきた。最大クラスの倉庫がいくつかあり、そのうち三つを私とエーテリアとジュラルドの三名がレンタルしている。毎月の維持費が三百万セルも掛かっているが、管理面のことを考えれば妥当な額だ。
倉庫の中は、なぜか台所からお手洗い、風呂場まで完備されており、まるでマンションのような場所だ。装備の手入れを行うためと、色々設備を整えているうちに、この形態が理想的と判断されたのだろう。こればかりは、設計者を褒めてやりたいね。
防犯の都合により窓がないので、換気の面で長期滞在には不向きなのは改善の余地がある。
整理整頓は心がけているつもりだが、荷物の量は相当なものだ。蟲を使った人海戦術で宝箱から手に入れた財産がいっぱいあるのだ。他にも、昔使っていた思い出の品々も収めてある。
ギィィ(見て見てお父様!! これ昔お父様が作ってくれたフリル付きのお洋服――なんで、男なのにフリルだったのだろうか。今更ながら)
「懐かしいものを見つけたね、一郎。フリル付きについては、気にするほどでもあるまい。客人から見たら、性別なんてあってないようなものだからね」
ピピ(あ、これってお父様の子供時代のお洋服!? 小さいですね)
「そうだよ。一郎と一緒にこの街に来たときに着ていた服だよ。懐かしいな~。さすがに、今では着られないけどね。時が経つのは早いものだ」
荷造りするために蟲たちに手伝いを依頼したところ、懐かしい思い出の品が発掘されていく。お陰で、蟲たちが騒がしい。
モモナ(あ、この保存食いつのですか? もう、傷んできていますよ)
ギギ(保存食、処分するのでちょうだい~)
ギィイ(大丈夫食べたりしないから……そう、絶対食べないから)
蛆蛞蝓ちゃんから保存食を受け取った蟻たちがペロリと胃袋で処分している。傷んだ食べ物を食べて大丈夫だろうか……不安だな。きっと、体調を崩した際に蛆蛞蝓ちゃんにお小言を貰うだろうが、自業自得だ。これを機に、その食いしん坊を改善して欲しい。
というか、荷造りするどころかドンドン散らかっているのは気のせいだろうか。幻想蝶ちゃんや蛆蛞蝓ちゃんまで、私の私物を物色している。まあ、その時代の品々は、この子たちがいない時代の物だから気になるのは分かるけど。
愛されているがゆえの行為だというのが分かっているので、強くは出られない。
モキュ(お父様。この枕、なんですか!? 私というものがありながら~酷いです)
「その枕は、子供の頃に使っていたものでね。ほら、そんなに拗ねないでよ」
絹毛虫ちゃんを抱き寄せ、ブラッシングをしてご機嫌を取る。全く、子供の頃の話だというのに……
モキュキュ(背中の方もちゃんとブラッシングしてください)
せ、背中!? 果たしてどちらが背中なのだろうか。このレイアの目をもってしても、どこも同じに見える。こ、こっち側が背中であっているのだろうか。
さわさわと毛並みを撫でてみる。
モモキュ(そこは胸です!! お父様のエッチ!! ゴリフリーテ様とゴリフリーナ様に報告しちゃうもんね)
二人にばらされては大変だ。こうなれば、一緒にお風呂に入った後に、抱き枕にしてご機嫌を取るしかあるまい。
「さて、みんな、お風呂の時間ですよ」
数が多すぎるから、この倉庫にあるお風呂に入れる者はごく一部だ。入りきらなかった者たちは、領地に帰ったら思う存分水浴びをさせてあげるので、しばらく我慢してもらおう。
ピピッ (覗いたらダメですからね)
幻想蝶ちゃんの一言に蟲たちが頷く。だが、当然お約束な展開が待っているのだろう。既に、覗くための配置に付いている蟲たちもいる。
◇ ◇ ◇
思い出の品々を荷造りしているうちにみんなと話が弾んで、気が付けば三日が経っていた。誰にも邪魔されず過ごす時間は、俗世のことを完全に忘却へと追いやった。換気の問題で少々息苦しいこともあったけど、おおむね快適であった。
「荷造りも終わったし、領地に退避しよう。街道を完全に封鎖した後、領民全員に強制的な身体検査を実施するぞ」
モナ(診察完了。言うまでもなく、お父様は完璧な健康体です。お父様を蝕む病なんてあったら、世の末でしょう)
確かに、そうだよね。
荷物番をさせている蟲を残して三日ぶりに、倉庫から外に出てみると、街の様子は急変していた。歩く者たちの大半が何かしらで口を覆っており、手袋を付けている。露店はほとんど出ていない。さらに商店に至っては、開いてすらいない。
すれ違う人たちの雰囲気も悪い気がするな。
では、最後にマーガレット嬢を含むギルド職員たちにお別れを言いに行こう。この間は、ちゃんと挨拶していなかったからね。紳士として、跡を濁さず終わらせなければ。
『ネームレス』ギルド本部に入ってみると、見覚えのある格好をした者たちが数名いる。見渡してみると、受付から離れた一角にマーガレット嬢とその先輩にあたるエリザベス嬢、後輩にあたるエルメス嬢の三人が集まって、何やら話し込んでいる。
纏めてお別れの挨拶ができるとは、ありがたい限りだ。
「受付嬢が三人揃って持ち場を離れるのはどうかと思いますがね。それと、三日ぶりですか」
一斉に視線が集まる。
「レイア様、まだこの街にいらっしゃったのですね。数日お見かけしておりませんでしたので、既に領地に帰られたかと思っておりました」
「私が顔なじみの受付嬢に挨拶なしでいなくなるほど薄情者に思われていたとは心外だな。エリザベス嬢も大変な時期だと思うが頑張ってくれ。遠くから応援しておこう」
「ふっふっふ、ところがどっこいレイア様。現在進行形で『ネームレス』は軍によって完全封鎖中です。いや~、困りましたね。本当に困った」
「マーガレット先輩の言う通りで、『神聖エルモア帝国』の第二から第四騎士団までの部隊が『ネームレス』を取り囲んでおります」
マーガレット嬢とエルメス嬢から、これ幸いという感じが漂ってくる。
というか、毎度のことながら思うのだけど……マーガレット嬢が困ったと感じると、不思議なことが起こる気がする。本来、もっと早く逃げ出すつもりだったのに、なぜか三日という時間を蟲たちと過ごした。感染拡大中の『不治の病』があるというのに、そのことになんら疑問を感じずにだ!!
もしかしたら、特別な属性を持つのではないかと勘ぐってしまう。
「問題ないさ。私は、『神聖エルモア帝国』の侯爵だ。私のような立場の者が納めている税金で働いている騎士団が、雇い主に牙を剥くはずあるまい。当然、素通りさせてもらう」
そのくらいの権力は有している。
ガタンと大きな音を立てて『ネームレス』ギルド本部の扉が勢いよく開けられた。
「残念だったなヴォルドー侯爵。たとえ、貴方が侯爵であったとしても、皇帝陛下の名において発せられた『ネームレス』封鎖に例外は存在しない。特に、俺の目が黒いうちは絶対に外には出さん」
呼んでもいないのに出てきたシュバルツ副団長。見覚えのある連中が『ネームレス』ギルド本部の中にいるとは思っていたが、案の定、彼のいる第四騎士団の連中か。
そして!!
まるで、親の敵を見るような目で私を見ないで欲しい。
今となっては、立場も私の方が上なのだからね。
「ご無沙汰しております。で、病が大流行しているこの場所を副団長や団員が直接訪れるということは……貴方たちも帝都に帰れないのでは?」
「待つ者がいない帝都に帰ったとしても意味がない。むしろ、ヴォルドー侯爵をこの場に押し留めることこそ至上の喜び」
よく言うわ!! この私が知らないとでも思っているのだろうか。剣魔武道会後に、死体で発見されたシュバルツの家族……その葬式後、すぐに愛人がシュバルツの屋敷を頻繁に訪れるようになったことを。
あれかね。こき使った冒険者が、あっという間に大出世したのが気にくわないのかな。それとも、私を悪者にして周囲の同情を得て、また良からぬことでも企んでいるのか。
「ガイウス皇帝陛下の命で封鎖しているのだろう。ならば、私はここに留まろう」
むしろ、ガイウス皇帝陛下の命ならば、騎士団に協力してもいいくらいだ。この状況だ、『ネームレス』を逃げ出そうと目論む輩は少なくないだろう。
「素直でいいことだ。では、我々第四騎士団は治安維持のために街を巡回するとしよう。騒ぎを起こさぬことを期待している」
第四騎士団――最近、何かとガラが悪いと評判がよろしくない連中だ。俗世に疎い、私の耳にすら届くほどにな。
シュバルツに連れられて、騎士団の連中がゾロゾロと移動を開始した。
「……香水の匂いがしたな。マーガレット嬢、第四騎士団の連中は今、歓楽街を根城にしているだろう」
「ええ、今回の元凶であったギネビア様のお店を。後は、お察しの通りです」
今回の騒動をネタにして、色々とやりたい放題か。騎士団の給料で抱けないようないい女を、難癖つけてタダで抱けるとなれば、団員もシュバルツに従うというわけか。『不治の病』が大流行している最中、その発生源で性交渉など狂気の沙汰だ。
考えようによっては頼もしい連中だが、騎士団として自覚は足りていない。
……度が過ぎるな。
一応、蟲たちに指示を出して、誰が誰を何回抱いたか調査させよう。事が一段落したら、ガイウス皇帝陛下に提出し、給料から天引きする手配をしないといけない。これで女性の方もお金がもらえるので、納得がいく解決策である。
下手に騎士団の連中を粛清しては、女性がヤラレ損だからね。紳士である私は、そのような残酷な真似はできない。
「紳士……いいや、貴族として労働に対する正当な報酬が貰えるように尽力することを約束しよう。安心しておけ。だから、ギルドはこの事態が収拾に向かうように頑張ってくれ」
ギルド嬢たちに挨拶をして、さっさと安全な倉庫に引きこもろう。衣食住の全てを自給自足できる私が、ヒモジイ思いをするであろうみんなの前にいると顰蹙を買うからね。
そのくらいの気配りはできる。
「ちょっと待ってください、レイア様!! そこは、『私に全て任せておけ、三日で解決してやる』とかいう場面じゃありませんか!!」
「馬鹿を言うな。三日で解決できるわけがないだろう。ギルドが感染者を使って早く薬を開発すべきだ。他にも元凶を捕らえるとか、やることはいくらでもあるだろう」
蛆蛞蝓ちゃんを使っても、一時的に症状を停滞させる薬を作るのに三日。それから人体実験を繰り返して特効薬を作るのに、一週間はかかるだろう。三日など不可能だ。人間できることには限度がある。
「元凶であったクラフトとアイリスの確保には、エーテリア様とジュラルド様が向かわれました。二人を捕まえてくれば、第四騎士団が無条件で『ネームレス』から出ることを認めるとかで……」
まさか、二人が動くとは驚いた。
「なにそれ、タダ働きじゃん。あの二人がよくそんな条件で承諾したね」
「来週には、両家のご両親を交えた懇親会が予定されているそうです。あのレベルのお二人をタダ働きさせようなど、騎士団の人たちは命が惜しくないのですかね」
エーテリアとジュラルドならば、第二から第四騎士団の全員を相手にしても勝てる。それにもかかわらず素直に従うのは、ガイウス皇帝陛下の命で封鎖されているからだろう。
「そうか。なら、何も心配することはないな。ただ、原型が残っているといいね」
「って、さりげなく帰ろうとしないでください。レイア様は、レイア様がやるべきことをやってください。ギルドの方は、私たちが説得して報酬を出させますから」
私のやるべきことね~。やっぱり、領地に帰ってゴリフターズや領民を守るのが、やるべきことではないだろうか。まさか、ギルドはそれにお金を出してくれるということなのか!!
実に太っ腹だ。だが、私が今までにギルドへ貢献した度合いを考えれば、ありえる話ではある。中間マージンだけで相当のギルド職員を養っているからな。
「領主として、妻を持つ夫として、やるべきことはただ一つだ。領地に帰る。幸い、マーガレット嬢がギルドを説得して金まで出してくれるそうだし」
「間違ってないけど、間違っていますよね。絶対に、わざと言っておりますよね!?」
「違うの? まあ、薄々そんな気はしていたがな。どのみち、ガイウス皇帝陛下の命とあっては『ネームレス』を勝手に出るわけにも行かないので、適当に働くとしよう。最近、収入がなくて色々と困っていたからね。ちょうどいい商売を思いついた」
明日からの準備をすべく、倉庫に帰る途中、馴染みのある気配が付いてきた。気配は消しているようだが、まだまだ甘いね。
「何か私に用事かね、エルメス嬢?」
振り返って声を掛けると、物陰から先ほどまで話していたエルメス嬢が現れた。身に纏う雰囲気は、いつもと異なっている。人懐っこい雰囲気から、仕事一筋の真面目な雰囲気にだ。
「ガイウス皇帝陛下からの書簡を持って参りました。ご査収ください」
エルメス嬢が懐から取り出した書簡を受け取った。
「なるほどね。私が依頼を断って三日で軍が動いて『ネームレス』を封鎖するとは動きが早すぎると思った。ギルド内部に何人かスパイを送り込んでいると聞いたが、その一人がエルメス嬢だったとはね」
「本来ならば、素性を明かさぬままでいるつもりでしたが、事が重大ゆえに……」
「問題ない。私は、ここで誰とも会っていない。ガイウス皇帝陛下には、すべて承知したと伝えてくれ」
「書簡の中身をご確認されておりませんが、よろしいので?」
「当然、後でじっくりと確認する。だが、回答は決まっているのだよ。それより、早く戻るといい。あまり遅いと怪しまれる」
即断即決即行動。やはり、ガイウス皇帝陛下は素晴らしい。ここまで迅速に事を進めるとは。ガイウス皇帝陛下が頑張るというならば、このレイアも頑張りましょう!!
◇ ◇ ◇
モナナ(若干、疲労が溜まっているようですが健康体です。治療は、不要でしょう)
ナース服を着た蛆蛞蝓ちゃんの触診が終了する。
「異常なし。疲労が溜まっているようだから、適度に休むように」
診断書を書いて、患者に渡してあげる。もっとも、今現在は異常なしだが、病が流行中の『ネームレス』では、いつ病にかかるか分からない。ゆえに、気休め程度の安心感しか与えることができない。
「ありがとうございます」
「気にするな。私はやるべきことをやっているだけだ」
『ネームレス』にて、医者もどきを始めることにした。無論、行うのは診察だけである。診断結果をもとに、患者たちはギルドで治癒薬を購入するという手はずだ。住人にとっても、病気でもないのに高い治癒薬を買うのは踏ん切りがつかない場合が多いようで、私の診療所は繁盛している。
もちろん、ギルドとしても品薄状態の治癒薬が本当に必要な者に行き渡るということで、おおむね好評をもらっている。
一回の診察料は、二十万セルと大変お安くなっている。さらに、水や食料も販売している。こちらの方はお値段を勉強させてもらって、一日分の食料でたったの十万セルだ。それなのに売れ行きがよろしくない。
外部からの食料供給が途絶えつつある『ネームレス』にあって、私が善意で食用蟲を売っているというのに、なぜだろうか。蝗なんて、栄養だけでなく治癒薬に近い効果まで得られるので、食べれば『不治の病』にも少しは効果があるというのに残念だ。買っていくのは、紳士淑女だけである。
「さて、今日もよく働いたし、店じまいだ」
ギルドの一室で開業した臨時診療所の扉の前には、長蛇の列ができている。だが、一日に見るのは五十名までと決めている。横入りや順番の売買などの行為が目にあまるので、そういう輩は診ないことにしている。
「お願いします!! 子供の様子がおかしくて、どうか診ていただけませんか!!」
十歳くらいの衰弱している子供を抱えた母親が、順番を無視して診てくれと言ってきた。
「最後尾は、向こうだ。並んでいる人数は八十人ほどだから、明後日には診てやる。それが嫌なら、他を当たれ」
『ネームレス』にも当然、医者がいる。病や怪我をした者を治すことを飯の種としている連中のはずだが……自らに感染する恐れから、引きこもっているのだ。こういうときにこそ役に立って欲しいものだがね。
ゆえに、私の行いは感謝されることはあっても、睨まれたりするのはおかしい話だった。
それに、見るからに衰弱しているのだ。私に診療を依頼するより、すぐ横で売っている治癒薬を購入して対処すればいいだろう。そのことに気がついていないのか、それとも可能な限り安く済ませようと考えているのか……どちらでもいいがな。
よって、その親子を無視して『ネームレス』ギルド本部を出た。後ろで聞くに堪えない叫びが聞こえるが、ギルド職員が取り押さえたようだ。
では、ガイウス皇帝陛下の勅命を達成するため、行動を開始するとしよう。
3 感染拡大 (三)
世の中、何事にも限度というものがある。
『神聖エルモア帝国』の軍は、大規模なモンスター討伐、戦争、汚れ仕事など様々なことをこなす。それは、軍に所属した以上当然であるが、命を対価として働くことが多く、ストレスが溜まるのも理解できる。
ガイウス皇帝陛下からの書簡で得た情報を纏めると、第四騎士団の連中の行動が目にあまると帝国臣民から苦情が寄せられており、調査の結果、ガイウス皇帝陛下の堪忍袋の緒が切れたのだ。家族を纏めて亡くしたシュバルツには、ガイウス皇帝陛下も多少の温情をかけていた。だが、愛人に続き、酒とギャンブルにカネを使うようになり、トラブルが絶えない。さらに、第四騎士団の団長が怪我で療養中であることをいいことに、職権乱用も目立っている。
シュバルツは、あろうことか第四騎士団を私物化しているのだ。
そして、私が承った勅命は『蔓延しつつある病を終息させる』という任務である。そのために、第四騎士団の連中を好きに料理……じゃなかった、好きに使っていいとお墨付きを貰っている。
ありがたいことだ。おまけに第四騎士団の連中は、ガイウス皇帝陛下の意図を知らずに汲んで、自ら『不治の病』に掛かる行為を頑張っている。さすがは、ガイウス皇帝陛下の騎士団である。事態収拾のために自らの命を捧げる思いでいるとは、感服の極みだ。
半分冗談だが、半分は本気でそう思っている。
騎士団の連中は、一般人より遥かに強靭な肉体を持っている。よって、多少無理な治験を行っても問題あるまい。まあ、無理な治験しかする気はないがね。
「死んでも代わりは、たくさんいる」
それにしても、ガイウス皇帝陛下の神器プロメテウスは相変わらず恐ろしい。近未来のことまで予見するとは。全痴全能を司ると言われる――神器プロメテウス。かの有名な全知全能の劣化版で、下半身事情のみに特化した神器なのだ。対象が女性限定だとはいえ、あらゆる情報が自動で記される恐ろしいものだ。ガイウス皇帝陛下からの書簡によると、休暇中に歓楽街に遊びに行く計画を立てていた際、この病のせいで警告されたということだ。
全く、生涯現役と謳っているのは知っているけど、奥さんと子供もたくさんいるのだから、控えめにしてもいいと少し思う。
余談だが、神器プロメテウスを使って他国の王族の性的嗜好や隠し子などを全て把握しているとのことで『神聖エルモア帝国』を本気で潰しに来る国家がある場合、その国の痴情を全てばらす算段でいるらしい。痴情の縺れで国家が転覆する恐れがあるとは笑えない。
◇ ◇ ◇
「あまり来たくない場所なのだが、仕事だから仕方あるまい」
歓楽街――大きい街や迷宮に隣接している街ならばどこにでもある。それなりに賑わっているのだが、『不治の病』が流行しているので今日は控えめだった。
一歩道を外れれば、スラム街といっても差しつかえない貧困街が広がっている。そこには、迷宮で怪我をして体が不自由になり乞食をしている者や、親に捨てられて体を売って日々を食いつないでいる者たちが目立つ。
酷い場所だ。
「まあ、そういう存在も必要なのは事実だ。自分より不幸な者がいるからこそ、自分の立ち位置がハッキリと認識できる。あのようにはなりたくないと思わせる良い見本だ」
そう考えると、しっかり店に所属できた風俗嬢はどれだけ運が良かったことだろうと思ってしまう。良い店の場合は、衣食住の全てを見てくれるだけでなく、健康管理までしてくれるからね。
ピピ(酷い場所です。誰もが見て見ぬふりをする。そして、この者たちを見て、自分はアレよりマシだと考えてしまっている。悲しいことです。同じ人間だというのに、なぜ誰も救いの手を伸ばそうとしないのでしょう)
「実に難しい問題だ、幻想蝶ちゃん。救いの手を差し伸べるのは簡単だが、いつまで面倒を見なければいけないのか、という問題に直面してしまう。相手の一生を見る覚悟がない限り近寄らないのが正しいだろう」
人ひとりを助けるのは、重いことなのだ。赤の他人を助けることで自分に何か見返りがあるなら、考えなくもないが……事実、それは難しい。
ピーー(……でもでも!! きっと、助けてあげれば恩返しがあってお互い幸せに)
「そのレベルまで教養が身についている者たちは、ここにはいないだろう。そろそろ戻ってなさい。病にかかるとは思っていないけど、病原菌が充満しているこの場にいるのはよくない」
幻想蝶ちゃんが影の中に戻っていく。女子力が高い蟲たちの教育に悪い場所だ。
では、サンプルを確保しに行くとしよう。診療所を開いて、初日で二次感染者を見つけることができた。住んでいる場所を聞いたところ……歓楽街のすぐ近くで、第四騎士団の連中による身体検査と称した暴行事件が多発している地域だ。
周りを見てみると、汚物などが平然と道の脇に捨てられている。『不治の病』が終息するどころか、拡散するのも当然だと思ってしまう。
「ねえ、お兄さん。私を買わない? 安くしておくよ」
周囲の様子を窺っていたら、女を買いに来た冒険者と勘違いされてしまった。衣服や体に汚れが目立つが、これでも綺麗にしている方なのだろう。年齢は、十代半ば……孤児院を追い出された頃合いの年齢だ。
前世でなら、大金を積んでも買いたいと思う大の大人も多いだろう。生憎この世界では、十代半ばで娼婦の道に堕ちる者はたくさんいる。
ギィ(お父様、この子――騎士団の被害者です。えっと、詳細は~被害者ナンバー四十六、騎士団三人から昨日暴行を受けております)
蟲たちの偵察と調査活動により、被害者の状況は大体把握している。
それにしても、早速被害者とご対面か。サンプルを確保するまでに一体何人と出会うことになるのだろうか。仕方ないね~。持ち合わせは多くないが、騎士団連中のお楽しみ代金を立て替えておいてやろう。
「不要だ。だが、一つだけ確認させてもらおう。昨日、第四騎士団の三名から暴行を受けたと報告を受けている。相違ないな?」
「……お兄さん、騎士団の人?」
少女が一歩後ろに下がり、警戒心を顕にした。
失礼極まりない勘違いである。あんな連中と同じ扱いにされるとは、名誉毀損で訴えても勝てると思ってしまう。だが、騎士団の行為の被害者である少女に対して、紳士であるこの私はそんな些細なことで怒りはしない。
「あんな連中と一緒にしないでいただこう。正規料金と慰謝料だ。取っておきたまえ」
少女に五十万セルを手渡した。
少女は、なんの金かさっぱり理解できていないようだ。目を丸くして驚いている。
「あ、あの……」
「では、私は仕事に戻らせていただこう。君も頑張って仕事に励みたまえ」
賠償金配布、特効薬開発、住民の診療など、やることは山ほどある。賠償金配布をやめるために、騎士団の連中を纏めて確保するのもいいのだが……アレはアレで『ネームレス』から住民逃亡を防ぐという観点では役に立っている。
特効薬の目処が立つまでは、一定数生かしておく必要がある。
それから、貧困街を回ること数時間……騎士団の被害者がたくさんいて大変だった。診療所で稼いだお小遣いが空になるだけでなく、倉庫から現金を持ち出すことになった。労働に対して正当な対価を配るというのは、存外大変だ。
日が落ちはじめた頃、貧困街の裏路地から何やら女性の助けを求める声が聞こえた。興味本位で覗いてみれば、騎士団が二人で婦女暴行をしている現場に出くわしてしまった。
「あの女性は、被害者ナンバーいくつかね、一郎」
ギギ(ええっと、リストに該当者なしです)
騎士団の二人と目があった。
「そうか、ならば新規追加しておいてくれ。ああ、私に気にせず続きをしてくれて構わないよ。事が済んだら声を掛けてくれ。そこら辺で座って待っているから。なーに、二十分もあれば終わるだろう?」
一刻も早く『ネームレス』から離れるために、ギルドから借りている倉庫までやってきた。最大クラスの倉庫がいくつかあり、そのうち三つを私とエーテリアとジュラルドの三名がレンタルしている。毎月の維持費が三百万セルも掛かっているが、管理面のことを考えれば妥当な額だ。
倉庫の中は、なぜか台所からお手洗い、風呂場まで完備されており、まるでマンションのような場所だ。装備の手入れを行うためと、色々設備を整えているうちに、この形態が理想的と判断されたのだろう。こればかりは、設計者を褒めてやりたいね。
防犯の都合により窓がないので、換気の面で長期滞在には不向きなのは改善の余地がある。
整理整頓は心がけているつもりだが、荷物の量は相当なものだ。蟲を使った人海戦術で宝箱から手に入れた財産がいっぱいあるのだ。他にも、昔使っていた思い出の品々も収めてある。
ギィィ(見て見てお父様!! これ昔お父様が作ってくれたフリル付きのお洋服――なんで、男なのにフリルだったのだろうか。今更ながら)
「懐かしいものを見つけたね、一郎。フリル付きについては、気にするほどでもあるまい。客人から見たら、性別なんてあってないようなものだからね」
ピピ(あ、これってお父様の子供時代のお洋服!? 小さいですね)
「そうだよ。一郎と一緒にこの街に来たときに着ていた服だよ。懐かしいな~。さすがに、今では着られないけどね。時が経つのは早いものだ」
荷造りするために蟲たちに手伝いを依頼したところ、懐かしい思い出の品が発掘されていく。お陰で、蟲たちが騒がしい。
モモナ(あ、この保存食いつのですか? もう、傷んできていますよ)
ギギ(保存食、処分するのでちょうだい~)
ギィイ(大丈夫食べたりしないから……そう、絶対食べないから)
蛆蛞蝓ちゃんから保存食を受け取った蟻たちがペロリと胃袋で処分している。傷んだ食べ物を食べて大丈夫だろうか……不安だな。きっと、体調を崩した際に蛆蛞蝓ちゃんにお小言を貰うだろうが、自業自得だ。これを機に、その食いしん坊を改善して欲しい。
というか、荷造りするどころかドンドン散らかっているのは気のせいだろうか。幻想蝶ちゃんや蛆蛞蝓ちゃんまで、私の私物を物色している。まあ、その時代の品々は、この子たちがいない時代の物だから気になるのは分かるけど。
愛されているがゆえの行為だというのが分かっているので、強くは出られない。
モキュ(お父様。この枕、なんですか!? 私というものがありながら~酷いです)
「その枕は、子供の頃に使っていたものでね。ほら、そんなに拗ねないでよ」
絹毛虫ちゃんを抱き寄せ、ブラッシングをしてご機嫌を取る。全く、子供の頃の話だというのに……
モキュキュ(背中の方もちゃんとブラッシングしてください)
せ、背中!? 果たしてどちらが背中なのだろうか。このレイアの目をもってしても、どこも同じに見える。こ、こっち側が背中であっているのだろうか。
さわさわと毛並みを撫でてみる。
モモキュ(そこは胸です!! お父様のエッチ!! ゴリフリーテ様とゴリフリーナ様に報告しちゃうもんね)
二人にばらされては大変だ。こうなれば、一緒にお風呂に入った後に、抱き枕にしてご機嫌を取るしかあるまい。
「さて、みんな、お風呂の時間ですよ」
数が多すぎるから、この倉庫にあるお風呂に入れる者はごく一部だ。入りきらなかった者たちは、領地に帰ったら思う存分水浴びをさせてあげるので、しばらく我慢してもらおう。
ピピッ (覗いたらダメですからね)
幻想蝶ちゃんの一言に蟲たちが頷く。だが、当然お約束な展開が待っているのだろう。既に、覗くための配置に付いている蟲たちもいる。
◇ ◇ ◇
思い出の品々を荷造りしているうちにみんなと話が弾んで、気が付けば三日が経っていた。誰にも邪魔されず過ごす時間は、俗世のことを完全に忘却へと追いやった。換気の問題で少々息苦しいこともあったけど、おおむね快適であった。
「荷造りも終わったし、領地に退避しよう。街道を完全に封鎖した後、領民全員に強制的な身体検査を実施するぞ」
モナ(診察完了。言うまでもなく、お父様は完璧な健康体です。お父様を蝕む病なんてあったら、世の末でしょう)
確かに、そうだよね。
荷物番をさせている蟲を残して三日ぶりに、倉庫から外に出てみると、街の様子は急変していた。歩く者たちの大半が何かしらで口を覆っており、手袋を付けている。露店はほとんど出ていない。さらに商店に至っては、開いてすらいない。
すれ違う人たちの雰囲気も悪い気がするな。
では、最後にマーガレット嬢を含むギルド職員たちにお別れを言いに行こう。この間は、ちゃんと挨拶していなかったからね。紳士として、跡を濁さず終わらせなければ。
『ネームレス』ギルド本部に入ってみると、見覚えのある格好をした者たちが数名いる。見渡してみると、受付から離れた一角にマーガレット嬢とその先輩にあたるエリザベス嬢、後輩にあたるエルメス嬢の三人が集まって、何やら話し込んでいる。
纏めてお別れの挨拶ができるとは、ありがたい限りだ。
「受付嬢が三人揃って持ち場を離れるのはどうかと思いますがね。それと、三日ぶりですか」
一斉に視線が集まる。
「レイア様、まだこの街にいらっしゃったのですね。数日お見かけしておりませんでしたので、既に領地に帰られたかと思っておりました」
「私が顔なじみの受付嬢に挨拶なしでいなくなるほど薄情者に思われていたとは心外だな。エリザベス嬢も大変な時期だと思うが頑張ってくれ。遠くから応援しておこう」
「ふっふっふ、ところがどっこいレイア様。現在進行形で『ネームレス』は軍によって完全封鎖中です。いや~、困りましたね。本当に困った」
「マーガレット先輩の言う通りで、『神聖エルモア帝国』の第二から第四騎士団までの部隊が『ネームレス』を取り囲んでおります」
マーガレット嬢とエルメス嬢から、これ幸いという感じが漂ってくる。
というか、毎度のことながら思うのだけど……マーガレット嬢が困ったと感じると、不思議なことが起こる気がする。本来、もっと早く逃げ出すつもりだったのに、なぜか三日という時間を蟲たちと過ごした。感染拡大中の『不治の病』があるというのに、そのことになんら疑問を感じずにだ!!
もしかしたら、特別な属性を持つのではないかと勘ぐってしまう。
「問題ないさ。私は、『神聖エルモア帝国』の侯爵だ。私のような立場の者が納めている税金で働いている騎士団が、雇い主に牙を剥くはずあるまい。当然、素通りさせてもらう」
そのくらいの権力は有している。
ガタンと大きな音を立てて『ネームレス』ギルド本部の扉が勢いよく開けられた。
「残念だったなヴォルドー侯爵。たとえ、貴方が侯爵であったとしても、皇帝陛下の名において発せられた『ネームレス』封鎖に例外は存在しない。特に、俺の目が黒いうちは絶対に外には出さん」
呼んでもいないのに出てきたシュバルツ副団長。見覚えのある連中が『ネームレス』ギルド本部の中にいるとは思っていたが、案の定、彼のいる第四騎士団の連中か。
そして!!
まるで、親の敵を見るような目で私を見ないで欲しい。
今となっては、立場も私の方が上なのだからね。
「ご無沙汰しております。で、病が大流行しているこの場所を副団長や団員が直接訪れるということは……貴方たちも帝都に帰れないのでは?」
「待つ者がいない帝都に帰ったとしても意味がない。むしろ、ヴォルドー侯爵をこの場に押し留めることこそ至上の喜び」
よく言うわ!! この私が知らないとでも思っているのだろうか。剣魔武道会後に、死体で発見されたシュバルツの家族……その葬式後、すぐに愛人がシュバルツの屋敷を頻繁に訪れるようになったことを。
あれかね。こき使った冒険者が、あっという間に大出世したのが気にくわないのかな。それとも、私を悪者にして周囲の同情を得て、また良からぬことでも企んでいるのか。
「ガイウス皇帝陛下の命で封鎖しているのだろう。ならば、私はここに留まろう」
むしろ、ガイウス皇帝陛下の命ならば、騎士団に協力してもいいくらいだ。この状況だ、『ネームレス』を逃げ出そうと目論む輩は少なくないだろう。
「素直でいいことだ。では、我々第四騎士団は治安維持のために街を巡回するとしよう。騒ぎを起こさぬことを期待している」
第四騎士団――最近、何かとガラが悪いと評判がよろしくない連中だ。俗世に疎い、私の耳にすら届くほどにな。
シュバルツに連れられて、騎士団の連中がゾロゾロと移動を開始した。
「……香水の匂いがしたな。マーガレット嬢、第四騎士団の連中は今、歓楽街を根城にしているだろう」
「ええ、今回の元凶であったギネビア様のお店を。後は、お察しの通りです」
今回の騒動をネタにして、色々とやりたい放題か。騎士団の給料で抱けないようないい女を、難癖つけてタダで抱けるとなれば、団員もシュバルツに従うというわけか。『不治の病』が大流行している最中、その発生源で性交渉など狂気の沙汰だ。
考えようによっては頼もしい連中だが、騎士団として自覚は足りていない。
……度が過ぎるな。
一応、蟲たちに指示を出して、誰が誰を何回抱いたか調査させよう。事が一段落したら、ガイウス皇帝陛下に提出し、給料から天引きする手配をしないといけない。これで女性の方もお金がもらえるので、納得がいく解決策である。
下手に騎士団の連中を粛清しては、女性がヤラレ損だからね。紳士である私は、そのような残酷な真似はできない。
「紳士……いいや、貴族として労働に対する正当な報酬が貰えるように尽力することを約束しよう。安心しておけ。だから、ギルドはこの事態が収拾に向かうように頑張ってくれ」
ギルド嬢たちに挨拶をして、さっさと安全な倉庫に引きこもろう。衣食住の全てを自給自足できる私が、ヒモジイ思いをするであろうみんなの前にいると顰蹙を買うからね。
そのくらいの気配りはできる。
「ちょっと待ってください、レイア様!! そこは、『私に全て任せておけ、三日で解決してやる』とかいう場面じゃありませんか!!」
「馬鹿を言うな。三日で解決できるわけがないだろう。ギルドが感染者を使って早く薬を開発すべきだ。他にも元凶を捕らえるとか、やることはいくらでもあるだろう」
蛆蛞蝓ちゃんを使っても、一時的に症状を停滞させる薬を作るのに三日。それから人体実験を繰り返して特効薬を作るのに、一週間はかかるだろう。三日など不可能だ。人間できることには限度がある。
「元凶であったクラフトとアイリスの確保には、エーテリア様とジュラルド様が向かわれました。二人を捕まえてくれば、第四騎士団が無条件で『ネームレス』から出ることを認めるとかで……」
まさか、二人が動くとは驚いた。
「なにそれ、タダ働きじゃん。あの二人がよくそんな条件で承諾したね」
「来週には、両家のご両親を交えた懇親会が予定されているそうです。あのレベルのお二人をタダ働きさせようなど、騎士団の人たちは命が惜しくないのですかね」
エーテリアとジュラルドならば、第二から第四騎士団の全員を相手にしても勝てる。それにもかかわらず素直に従うのは、ガイウス皇帝陛下の命で封鎖されているからだろう。
「そうか。なら、何も心配することはないな。ただ、原型が残っているといいね」
「って、さりげなく帰ろうとしないでください。レイア様は、レイア様がやるべきことをやってください。ギルドの方は、私たちが説得して報酬を出させますから」
私のやるべきことね~。やっぱり、領地に帰ってゴリフターズや領民を守るのが、やるべきことではないだろうか。まさか、ギルドはそれにお金を出してくれるということなのか!!
実に太っ腹だ。だが、私が今までにギルドへ貢献した度合いを考えれば、ありえる話ではある。中間マージンだけで相当のギルド職員を養っているからな。
「領主として、妻を持つ夫として、やるべきことはただ一つだ。領地に帰る。幸い、マーガレット嬢がギルドを説得して金まで出してくれるそうだし」
「間違ってないけど、間違っていますよね。絶対に、わざと言っておりますよね!?」
「違うの? まあ、薄々そんな気はしていたがな。どのみち、ガイウス皇帝陛下の命とあっては『ネームレス』を勝手に出るわけにも行かないので、適当に働くとしよう。最近、収入がなくて色々と困っていたからね。ちょうどいい商売を思いついた」
明日からの準備をすべく、倉庫に帰る途中、馴染みのある気配が付いてきた。気配は消しているようだが、まだまだ甘いね。
「何か私に用事かね、エルメス嬢?」
振り返って声を掛けると、物陰から先ほどまで話していたエルメス嬢が現れた。身に纏う雰囲気は、いつもと異なっている。人懐っこい雰囲気から、仕事一筋の真面目な雰囲気にだ。
「ガイウス皇帝陛下からの書簡を持って参りました。ご査収ください」
エルメス嬢が懐から取り出した書簡を受け取った。
「なるほどね。私が依頼を断って三日で軍が動いて『ネームレス』を封鎖するとは動きが早すぎると思った。ギルド内部に何人かスパイを送り込んでいると聞いたが、その一人がエルメス嬢だったとはね」
「本来ならば、素性を明かさぬままでいるつもりでしたが、事が重大ゆえに……」
「問題ない。私は、ここで誰とも会っていない。ガイウス皇帝陛下には、すべて承知したと伝えてくれ」
「書簡の中身をご確認されておりませんが、よろしいので?」
「当然、後でじっくりと確認する。だが、回答は決まっているのだよ。それより、早く戻るといい。あまり遅いと怪しまれる」
即断即決即行動。やはり、ガイウス皇帝陛下は素晴らしい。ここまで迅速に事を進めるとは。ガイウス皇帝陛下が頑張るというならば、このレイアも頑張りましょう!!
◇ ◇ ◇
モナナ(若干、疲労が溜まっているようですが健康体です。治療は、不要でしょう)
ナース服を着た蛆蛞蝓ちゃんの触診が終了する。
「異常なし。疲労が溜まっているようだから、適度に休むように」
診断書を書いて、患者に渡してあげる。もっとも、今現在は異常なしだが、病が流行中の『ネームレス』では、いつ病にかかるか分からない。ゆえに、気休め程度の安心感しか与えることができない。
「ありがとうございます」
「気にするな。私はやるべきことをやっているだけだ」
『ネームレス』にて、医者もどきを始めることにした。無論、行うのは診察だけである。診断結果をもとに、患者たちはギルドで治癒薬を購入するという手はずだ。住人にとっても、病気でもないのに高い治癒薬を買うのは踏ん切りがつかない場合が多いようで、私の診療所は繁盛している。
もちろん、ギルドとしても品薄状態の治癒薬が本当に必要な者に行き渡るということで、おおむね好評をもらっている。
一回の診察料は、二十万セルと大変お安くなっている。さらに、水や食料も販売している。こちらの方はお値段を勉強させてもらって、一日分の食料でたったの十万セルだ。それなのに売れ行きがよろしくない。
外部からの食料供給が途絶えつつある『ネームレス』にあって、私が善意で食用蟲を売っているというのに、なぜだろうか。蝗なんて、栄養だけでなく治癒薬に近い効果まで得られるので、食べれば『不治の病』にも少しは効果があるというのに残念だ。買っていくのは、紳士淑女だけである。
「さて、今日もよく働いたし、店じまいだ」
ギルドの一室で開業した臨時診療所の扉の前には、長蛇の列ができている。だが、一日に見るのは五十名までと決めている。横入りや順番の売買などの行為が目にあまるので、そういう輩は診ないことにしている。
「お願いします!! 子供の様子がおかしくて、どうか診ていただけませんか!!」
十歳くらいの衰弱している子供を抱えた母親が、順番を無視して診てくれと言ってきた。
「最後尾は、向こうだ。並んでいる人数は八十人ほどだから、明後日には診てやる。それが嫌なら、他を当たれ」
『ネームレス』にも当然、医者がいる。病や怪我をした者を治すことを飯の種としている連中のはずだが……自らに感染する恐れから、引きこもっているのだ。こういうときにこそ役に立って欲しいものだがね。
ゆえに、私の行いは感謝されることはあっても、睨まれたりするのはおかしい話だった。
それに、見るからに衰弱しているのだ。私に診療を依頼するより、すぐ横で売っている治癒薬を購入して対処すればいいだろう。そのことに気がついていないのか、それとも可能な限り安く済ませようと考えているのか……どちらでもいいがな。
よって、その親子を無視して『ネームレス』ギルド本部を出た。後ろで聞くに堪えない叫びが聞こえるが、ギルド職員が取り押さえたようだ。
では、ガイウス皇帝陛下の勅命を達成するため、行動を開始するとしよう。
3 感染拡大 (三)
世の中、何事にも限度というものがある。
『神聖エルモア帝国』の軍は、大規模なモンスター討伐、戦争、汚れ仕事など様々なことをこなす。それは、軍に所属した以上当然であるが、命を対価として働くことが多く、ストレスが溜まるのも理解できる。
ガイウス皇帝陛下からの書簡で得た情報を纏めると、第四騎士団の連中の行動が目にあまると帝国臣民から苦情が寄せられており、調査の結果、ガイウス皇帝陛下の堪忍袋の緒が切れたのだ。家族を纏めて亡くしたシュバルツには、ガイウス皇帝陛下も多少の温情をかけていた。だが、愛人に続き、酒とギャンブルにカネを使うようになり、トラブルが絶えない。さらに、第四騎士団の団長が怪我で療養中であることをいいことに、職権乱用も目立っている。
シュバルツは、あろうことか第四騎士団を私物化しているのだ。
そして、私が承った勅命は『蔓延しつつある病を終息させる』という任務である。そのために、第四騎士団の連中を好きに料理……じゃなかった、好きに使っていいとお墨付きを貰っている。
ありがたいことだ。おまけに第四騎士団の連中は、ガイウス皇帝陛下の意図を知らずに汲んで、自ら『不治の病』に掛かる行為を頑張っている。さすがは、ガイウス皇帝陛下の騎士団である。事態収拾のために自らの命を捧げる思いでいるとは、感服の極みだ。
半分冗談だが、半分は本気でそう思っている。
騎士団の連中は、一般人より遥かに強靭な肉体を持っている。よって、多少無理な治験を行っても問題あるまい。まあ、無理な治験しかする気はないがね。
「死んでも代わりは、たくさんいる」
それにしても、ガイウス皇帝陛下の神器プロメテウスは相変わらず恐ろしい。近未来のことまで予見するとは。全痴全能を司ると言われる――神器プロメテウス。かの有名な全知全能の劣化版で、下半身事情のみに特化した神器なのだ。対象が女性限定だとはいえ、あらゆる情報が自動で記される恐ろしいものだ。ガイウス皇帝陛下からの書簡によると、休暇中に歓楽街に遊びに行く計画を立てていた際、この病のせいで警告されたということだ。
全く、生涯現役と謳っているのは知っているけど、奥さんと子供もたくさんいるのだから、控えめにしてもいいと少し思う。
余談だが、神器プロメテウスを使って他国の王族の性的嗜好や隠し子などを全て把握しているとのことで『神聖エルモア帝国』を本気で潰しに来る国家がある場合、その国の痴情を全てばらす算段でいるらしい。痴情の縺れで国家が転覆する恐れがあるとは笑えない。
◇ ◇ ◇
「あまり来たくない場所なのだが、仕事だから仕方あるまい」
歓楽街――大きい街や迷宮に隣接している街ならばどこにでもある。それなりに賑わっているのだが、『不治の病』が流行しているので今日は控えめだった。
一歩道を外れれば、スラム街といっても差しつかえない貧困街が広がっている。そこには、迷宮で怪我をして体が不自由になり乞食をしている者や、親に捨てられて体を売って日々を食いつないでいる者たちが目立つ。
酷い場所だ。
「まあ、そういう存在も必要なのは事実だ。自分より不幸な者がいるからこそ、自分の立ち位置がハッキリと認識できる。あのようにはなりたくないと思わせる良い見本だ」
そう考えると、しっかり店に所属できた風俗嬢はどれだけ運が良かったことだろうと思ってしまう。良い店の場合は、衣食住の全てを見てくれるだけでなく、健康管理までしてくれるからね。
ピピ(酷い場所です。誰もが見て見ぬふりをする。そして、この者たちを見て、自分はアレよりマシだと考えてしまっている。悲しいことです。同じ人間だというのに、なぜ誰も救いの手を伸ばそうとしないのでしょう)
「実に難しい問題だ、幻想蝶ちゃん。救いの手を差し伸べるのは簡単だが、いつまで面倒を見なければいけないのか、という問題に直面してしまう。相手の一生を見る覚悟がない限り近寄らないのが正しいだろう」
人ひとりを助けるのは、重いことなのだ。赤の他人を助けることで自分に何か見返りがあるなら、考えなくもないが……事実、それは難しい。
ピーー(……でもでも!! きっと、助けてあげれば恩返しがあってお互い幸せに)
「そのレベルまで教養が身についている者たちは、ここにはいないだろう。そろそろ戻ってなさい。病にかかるとは思っていないけど、病原菌が充満しているこの場にいるのはよくない」
幻想蝶ちゃんが影の中に戻っていく。女子力が高い蟲たちの教育に悪い場所だ。
では、サンプルを確保しに行くとしよう。診療所を開いて、初日で二次感染者を見つけることができた。住んでいる場所を聞いたところ……歓楽街のすぐ近くで、第四騎士団の連中による身体検査と称した暴行事件が多発している地域だ。
周りを見てみると、汚物などが平然と道の脇に捨てられている。『不治の病』が終息するどころか、拡散するのも当然だと思ってしまう。
「ねえ、お兄さん。私を買わない? 安くしておくよ」
周囲の様子を窺っていたら、女を買いに来た冒険者と勘違いされてしまった。衣服や体に汚れが目立つが、これでも綺麗にしている方なのだろう。年齢は、十代半ば……孤児院を追い出された頃合いの年齢だ。
前世でなら、大金を積んでも買いたいと思う大の大人も多いだろう。生憎この世界では、十代半ばで娼婦の道に堕ちる者はたくさんいる。
ギィ(お父様、この子――騎士団の被害者です。えっと、詳細は~被害者ナンバー四十六、騎士団三人から昨日暴行を受けております)
蟲たちの偵察と調査活動により、被害者の状況は大体把握している。
それにしても、早速被害者とご対面か。サンプルを確保するまでに一体何人と出会うことになるのだろうか。仕方ないね~。持ち合わせは多くないが、騎士団連中のお楽しみ代金を立て替えておいてやろう。
「不要だ。だが、一つだけ確認させてもらおう。昨日、第四騎士団の三名から暴行を受けたと報告を受けている。相違ないな?」
「……お兄さん、騎士団の人?」
少女が一歩後ろに下がり、警戒心を顕にした。
失礼極まりない勘違いである。あんな連中と同じ扱いにされるとは、名誉毀損で訴えても勝てると思ってしまう。だが、騎士団の行為の被害者である少女に対して、紳士であるこの私はそんな些細なことで怒りはしない。
「あんな連中と一緒にしないでいただこう。正規料金と慰謝料だ。取っておきたまえ」
少女に五十万セルを手渡した。
少女は、なんの金かさっぱり理解できていないようだ。目を丸くして驚いている。
「あ、あの……」
「では、私は仕事に戻らせていただこう。君も頑張って仕事に励みたまえ」
賠償金配布、特効薬開発、住民の診療など、やることは山ほどある。賠償金配布をやめるために、騎士団の連中を纏めて確保するのもいいのだが……アレはアレで『ネームレス』から住民逃亡を防ぐという観点では役に立っている。
特効薬の目処が立つまでは、一定数生かしておく必要がある。
それから、貧困街を回ること数時間……騎士団の被害者がたくさんいて大変だった。診療所で稼いだお小遣いが空になるだけでなく、倉庫から現金を持ち出すことになった。労働に対して正当な対価を配るというのは、存外大変だ。
日が落ちはじめた頃、貧困街の裏路地から何やら女性の助けを求める声が聞こえた。興味本位で覗いてみれば、騎士団が二人で婦女暴行をしている現場に出くわしてしまった。
「あの女性は、被害者ナンバーいくつかね、一郎」
ギギ(ええっと、リストに該当者なしです)
騎士団の二人と目があった。
「そうか、ならば新規追加しておいてくれ。ああ、私に気にせず続きをしてくれて構わないよ。事が済んだら声を掛けてくれ。そこら辺で座って待っているから。なーに、二十分もあれば終わるだろう?」
応援ありがとうございます!
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