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第二章
第八話 祭りと喧嘩と人質と
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ウォルフとエルエは、二人並んで街道を歩いていた。出かける前にダンテに声をかけると、ダンテは満面の笑みで親指を立てて「ごゆっくり!」と言葉を返してくれたが、何やらテンションがおかしかったのはなぜだろう。
まさかエルエだけでなく、ダンテも調子が悪いんじゃあるまいなと、ウォルフは少し不安を覚えていた。
「あー、さて…どこへ行こうか」
完全にノープランで出て来てしまったので、行くアテがない。ちなみにセヴィとアイテールは、王都へ買い物に出かけたようだ。ウォルフが一緒だとアイテールが人の姿になれないので、最近はもっぱら彼女らだけで行動している。
「…」
ウォルフの言葉にも、エルエは全く反応を見せない。外へ出てからもずっと黙って俯いているばかりだ。ウォルフもこれ以上どうしていいのか解らず、漂う気まずい空気の中、辿り着いたのは乗り合いの高速馬車乗り場だった。ちょうど待機している馬車があり、その行先はカルムという街だ。
「カルム行き、か。待てよ?今日は…」
そう呟いて、ウォルフは今日の日付を思い出す。確か、カルムでは花祭りというお祭りを催している時期ではなかったか。
気分が落ちているエルエも、お祭りならば少しは気分が晴れるかもしれない。そう思い立って、ウォルフはエルエの手を引いて馬車に乗り込む。高速馬車の運賃は、座席の前方に置かれた箱に入れるタイプなので、慣れていないウォルフでも簡単に支払える。
二人掛けの椅子に座ってしばらくすると、座席が埋まり始めた、いよいよ出発の時間だ。ウォルフ自身、祭りというものに参加するのは初めてで、こういう機会でもないと行ってみようと思わないのでちょうど良い。
車内にいる売り子の少年から冷えた果実水を二つ買い、一つをエルエに渡すと、彼女はそれを飲んでほんの少し笑顔を見せてくれたので、ウォルフはようやく安心することが出来た。
二人が向かうカルムという街は、モート男爵領の外れにある中規模都市だ。領地としては隣領ゼガス侯爵のものではあるが、二つの領を跨ぐ関所としての役割も兼ねていて、人口こそ多くないが人の出入りは激しい。
そんなカルムは、様々な花の生産と栽培が盛んだ。どうやら、古くからエルフと親交のあった数少ない街だったようで、色とりどりの新種の花は、彼らとの交易で増えていったものだと、ウォルフは習った。そして年に一度、この街では花を主体とした祭りが行われている、それがちょうどこの時期だったはずだ。
エルエの気分が少しでも晴れるように、或いは、その悩みを解消するきっかけが見つかるようにとウォルフは祈りながら、カルムへの道程を楽しんでいた。
高速馬車に乗って、二時間後。馬車は無事、カルムに到着した。
ウォルフ達の屋敷からカルムまで、かかる時間は王都へ行くのとほぼ変わらないが、方向が真逆である。ウォルフにとっては久しぶりの遠出だ。
二人がモート男爵領側からカルムに入ると、街は華やかな装いに包まれている。ウォルフの記憶通り、街はちょうど花祭りの真っ最中だったようだ。ホッと胸を撫で下ろし、ウォルフはエルエを連れて、街を散策することにした。
街中で、しかも祭りの最中だけあって、女性の姿も目立つが、ウォルフはあえて視界に入れないようにして誤魔化している。さすがにすれ違う女性にまで怯えるようなことはないが、視線を感じるのは少し怖いようだ。
街の至る所が様々な花で飾られていて、たくさんの花の香りが街全体を包み込んでいる。それでいて、気分が悪くなるようなことがないのは、極端に花の香りが混ざらないよう、計算され尽くした配置によるものだろう。ウォルフは素直に舌を巻いて、目に映る花の美しさや、漂う香りを満喫していた。
「エルエ、どうだ?何か気になるものはあるか?」
街に入ってから、いくらかエルエの表情が明るくなった気がする。やはり、美しい物を見るのは気分転換に良いのだろう。ウォルフは心の中でダンテに感謝しながら、花や露店を眺めるエルエの反応を観察する。
「ん…アリガト。スゴイね、主。こんなにたくさんのお花見たの、アタシ初めてかも」
まだいつもの調子とは程遠いが、それでもエルエは微笑みを浮かべていた。今のウォルフには、なによりそれが一番嬉しい。人混みの中ではぐれないように、ウォルフはエルエの手を引いて歩きながら呟く。
「やっぱり、エルエは笑顔じゃないとな…お、あっちに旨そうな串焼きがあるぞ、食べてみないか?」
「うん!」
こうして、二人は生まれて初めてのお祭りを堪能することが出来た。美味しい食べ物や面白いゲームをしばらく楽しんだ後、ダンテ達へのお土産を探していた所で、とある露店の一角でなにやら騒動が起こっている事に気付く。二人は顔を見合わせて、人の波をかき分けながら、騒動の中心へ近づいていった。
輪になっている人垣の合間から騒動の中心を覗けば、どうやら一軒の露店と、チンピラ風の男達が言い争っているようだ。露店の主は女性で、まだ小さな女の子が傍に着いている、おそらく親子なのだろう。様子を伺っていると、言い争う声から内容が解ってきた。
「ここで露店を出すなら、ウチに金を払えって前々から言っておいたよなァ?!オイ!」
「り、領主様からの営業許可は頂いています!街にお金も払いました…!」
「ハァ!?ウチは金なんか貰ってねーぞ!コラァ!領主様と街と俺らに金を払うのがルールだろうが!」
「そんな…!?」
どうやら、出店の権利関係でのいざこざらしい。所謂、ショバ代という奴だ。こういう祭りには、騒動を起こさないように取り仕切る『顔役』という自治組織のような存在がいて、街や領主の代わりに運営の一翼を担うのが一般的だと、ウォルフは聞いたことがある。
とはいえ、出店する側にとっては余計な出費が増える存在であり、管理する街や領主の怠慢にも繋がるので、よくないのでは?と、まだ政に関わり始めてすぐの頃に疑問を投げ掛けた事がある。そう問われた貴族は、笑顔とも苦い顔ともつかない微妙な表情をして、結局答えを避けられてしまった。
(まぁ、些細ないざこざにまで貴族や官憲が出張るのも問題だというのは、今なら理解できるんだが…)
それでも、その労を厭うのはやはり問題だとウォルフは思っている。弟達にはぜひ、民の負担にならない自治組織を作るような手立てを模索して欲しいものだ。
それはそれとして、目の前の問題をどうするべきだろうか。この街の事を知らない以上、迂闊に顔役の面子を潰せば禍根を残しかねない。あの親子がもし、この街に住んでいるのだとしたら、後でどんな報復をされるか解らないからだ。…別にあの女性が怖いわけではない、とウォルフは誰に聞かれてもいないのに心の中で弁解をしている。
とはいえ、話し合いでの解決は難しそうだし、ここは仲裁に入ろうかと思っていた矢先、チンピラ風の男が女性に詰め寄って平手を打った。
瞬間、飛び出そうとしたウォルフの手を、エルエが掴む。そして、怒気を孕んだ小さい声でつぶやいた。
「待って主、アタシがやる…!」
そう言うや否や、エルエは全身から怒りの感情を立ち上らせて男達の背後を強襲した。
まず、エルエから見て一番手前にいた男二人を殴りつけて昏倒させると、その奥にいた三人の男達を、次々に投げ落とした。
石の床に叩きつけられた男達は、呼吸もままならずに、その場でのた打ち回っている。
「な、なんだテメェは!?」
エルエに気付いたリーダー格の男と残り二人の取り巻きは、驚きの余りか咄嗟に得物を抜き、エルエに向き直った。だが、それは完全に悪手だ。
エルエに限らず、獣人達は皆、武装した相手には容赦しない気性を持っている。俗な研究者たちは、それを狩猟される側だった獣の本能だ、などと揶揄したが、元々敵対者には厳しいのが獣人だ。そんな事は関係ないだろう。
ともかくエルエに向かって武器を持つということは、命のやり取りを宣言したに等しい。脅し目的のつもりだとしたらあまりにも危険な行為である。
(マズいな、エルエは気が立ってる…本気でアイツらを皆殺しにしかねないぞ)
顔役という連中は、性質上街の権力者とも繋がっているので、乱闘程度の小競り合いならまだしも、殺しとなれば衛兵たちが黙っていないだろう。モート男爵邸でウォルフが暴れた際は、男爵や兵士達が味方になってくれたが、ここではそういうわけにもいかない。ウォルフが何かないかと思っていると、持っていた土産物の一つが目に入った。
「殺すか…!」
チンピラが手にした得物を見て、エルエの怒気は殺気に変わった。このまま放置すれば、確実に血の雨が降る。にわかに誰もが危険を察知して遠巻きになっていく中、突如、一つの影が飛び出して、エルエとチンピラ達の間に割って入った。
「マ…待てーーーーい!狼藉はそこまでだ!これ以上の暴虐は許さんぞ!」
謎の影は、買い物袋を片手にドラゴンを模した仮面を被った男だった。周囲の空気が一気に冷えていく。露店の女主人の娘に至っては、露骨に嫌な顔をして小声で「ダサい」と呟いていた。
(くっ…!想像以上に恥ずかしいな、これは)
男の正体は言わずもがな、ウォルフである。冗談でアイテールへの土産に買った仮面だが、まさかこんな所で使う羽目になるとは思わなかった。とはいえ、これで身元を隠してやれば、後はうまくやれる自信はある。
「寄って集って一人の人間に武器を使うとは、許せん!」
ウォルフは叫びながら珍妙なポーズを取った後、武器を持った男達に接近し、次々に当身を喰らわせた。突然の出来事で呆気に取られていた男達は成す術もなく崩れ落ち、残っているのはウォルフとエルエだけだ。
当然、エルエはその男がウォルフだと気付いているから、彼が何故そんな妙な格好をしているのか訝しんで様子を見ている。続けて、ウォルフはエルエの方を向いて、男達にしたのと同様に声を上げた。
「唐突に暴力をふるい、他者に怪我を負わせるとは許せん!覚悟しろ!」
「えっ!?ちょ…!」
まさか自分にまで言われるとは思っていなかったので、エルエは完全にパニックになった。そんなエルエに、ウォルフは瞬時に間を詰めて、組み合った。
「二~三手撃ち合ったら俺が追うから、そのまま逃げろ…乗合馬車停で合流しよう」
組み合いながら、耳元でひっそりと、エルエに指示を出す。エルエはほんの少しだけ頷くと、組み合った状態から離れ、約束組手のように撃ち合った。これで、群衆の目には暴漢同士が勝手にやり合ったように見えるだろう。露店の女主人達にも配慮したつもりだが、後日ダンテに頼んで様子を探って貰った方がいいなとウォルフは思った。
わずかな手合わせの後、示し合わせた通りにエルエは逃走し、ウォルフがその後を追う。どう見ても女性を襲う不審者のようだが、その場に居合わせた人間達は、何が起きたのかとただただ茫然とするばかりだ。
十数分後、二人は乗り合いの高速馬車停で合流すると、笑い合いながらそそくさと馬車に乗り込んだ。エルエの気も少しは晴れたようで、ウォルフは安堵しつつ、出発を待った。
まさかこの後、馬車諸共拉致される事になるとも知らずに…
まさかエルエだけでなく、ダンテも調子が悪いんじゃあるまいなと、ウォルフは少し不安を覚えていた。
「あー、さて…どこへ行こうか」
完全にノープランで出て来てしまったので、行くアテがない。ちなみにセヴィとアイテールは、王都へ買い物に出かけたようだ。ウォルフが一緒だとアイテールが人の姿になれないので、最近はもっぱら彼女らだけで行動している。
「…」
ウォルフの言葉にも、エルエは全く反応を見せない。外へ出てからもずっと黙って俯いているばかりだ。ウォルフもこれ以上どうしていいのか解らず、漂う気まずい空気の中、辿り着いたのは乗り合いの高速馬車乗り場だった。ちょうど待機している馬車があり、その行先はカルムという街だ。
「カルム行き、か。待てよ?今日は…」
そう呟いて、ウォルフは今日の日付を思い出す。確か、カルムでは花祭りというお祭りを催している時期ではなかったか。
気分が落ちているエルエも、お祭りならば少しは気分が晴れるかもしれない。そう思い立って、ウォルフはエルエの手を引いて馬車に乗り込む。高速馬車の運賃は、座席の前方に置かれた箱に入れるタイプなので、慣れていないウォルフでも簡単に支払える。
二人掛けの椅子に座ってしばらくすると、座席が埋まり始めた、いよいよ出発の時間だ。ウォルフ自身、祭りというものに参加するのは初めてで、こういう機会でもないと行ってみようと思わないのでちょうど良い。
車内にいる売り子の少年から冷えた果実水を二つ買い、一つをエルエに渡すと、彼女はそれを飲んでほんの少し笑顔を見せてくれたので、ウォルフはようやく安心することが出来た。
二人が向かうカルムという街は、モート男爵領の外れにある中規模都市だ。領地としては隣領ゼガス侯爵のものではあるが、二つの領を跨ぐ関所としての役割も兼ねていて、人口こそ多くないが人の出入りは激しい。
そんなカルムは、様々な花の生産と栽培が盛んだ。どうやら、古くからエルフと親交のあった数少ない街だったようで、色とりどりの新種の花は、彼らとの交易で増えていったものだと、ウォルフは習った。そして年に一度、この街では花を主体とした祭りが行われている、それがちょうどこの時期だったはずだ。
エルエの気分が少しでも晴れるように、或いは、その悩みを解消するきっかけが見つかるようにとウォルフは祈りながら、カルムへの道程を楽しんでいた。
高速馬車に乗って、二時間後。馬車は無事、カルムに到着した。
ウォルフ達の屋敷からカルムまで、かかる時間は王都へ行くのとほぼ変わらないが、方向が真逆である。ウォルフにとっては久しぶりの遠出だ。
二人がモート男爵領側からカルムに入ると、街は華やかな装いに包まれている。ウォルフの記憶通り、街はちょうど花祭りの真っ最中だったようだ。ホッと胸を撫で下ろし、ウォルフはエルエを連れて、街を散策することにした。
街中で、しかも祭りの最中だけあって、女性の姿も目立つが、ウォルフはあえて視界に入れないようにして誤魔化している。さすがにすれ違う女性にまで怯えるようなことはないが、視線を感じるのは少し怖いようだ。
街の至る所が様々な花で飾られていて、たくさんの花の香りが街全体を包み込んでいる。それでいて、気分が悪くなるようなことがないのは、極端に花の香りが混ざらないよう、計算され尽くした配置によるものだろう。ウォルフは素直に舌を巻いて、目に映る花の美しさや、漂う香りを満喫していた。
「エルエ、どうだ?何か気になるものはあるか?」
街に入ってから、いくらかエルエの表情が明るくなった気がする。やはり、美しい物を見るのは気分転換に良いのだろう。ウォルフは心の中でダンテに感謝しながら、花や露店を眺めるエルエの反応を観察する。
「ん…アリガト。スゴイね、主。こんなにたくさんのお花見たの、アタシ初めてかも」
まだいつもの調子とは程遠いが、それでもエルエは微笑みを浮かべていた。今のウォルフには、なによりそれが一番嬉しい。人混みの中ではぐれないように、ウォルフはエルエの手を引いて歩きながら呟く。
「やっぱり、エルエは笑顔じゃないとな…お、あっちに旨そうな串焼きがあるぞ、食べてみないか?」
「うん!」
こうして、二人は生まれて初めてのお祭りを堪能することが出来た。美味しい食べ物や面白いゲームをしばらく楽しんだ後、ダンテ達へのお土産を探していた所で、とある露店の一角でなにやら騒動が起こっている事に気付く。二人は顔を見合わせて、人の波をかき分けながら、騒動の中心へ近づいていった。
輪になっている人垣の合間から騒動の中心を覗けば、どうやら一軒の露店と、チンピラ風の男達が言い争っているようだ。露店の主は女性で、まだ小さな女の子が傍に着いている、おそらく親子なのだろう。様子を伺っていると、言い争う声から内容が解ってきた。
「ここで露店を出すなら、ウチに金を払えって前々から言っておいたよなァ?!オイ!」
「り、領主様からの営業許可は頂いています!街にお金も払いました…!」
「ハァ!?ウチは金なんか貰ってねーぞ!コラァ!領主様と街と俺らに金を払うのがルールだろうが!」
「そんな…!?」
どうやら、出店の権利関係でのいざこざらしい。所謂、ショバ代という奴だ。こういう祭りには、騒動を起こさないように取り仕切る『顔役』という自治組織のような存在がいて、街や領主の代わりに運営の一翼を担うのが一般的だと、ウォルフは聞いたことがある。
とはいえ、出店する側にとっては余計な出費が増える存在であり、管理する街や領主の怠慢にも繋がるので、よくないのでは?と、まだ政に関わり始めてすぐの頃に疑問を投げ掛けた事がある。そう問われた貴族は、笑顔とも苦い顔ともつかない微妙な表情をして、結局答えを避けられてしまった。
(まぁ、些細ないざこざにまで貴族や官憲が出張るのも問題だというのは、今なら理解できるんだが…)
それでも、その労を厭うのはやはり問題だとウォルフは思っている。弟達にはぜひ、民の負担にならない自治組織を作るような手立てを模索して欲しいものだ。
それはそれとして、目の前の問題をどうするべきだろうか。この街の事を知らない以上、迂闊に顔役の面子を潰せば禍根を残しかねない。あの親子がもし、この街に住んでいるのだとしたら、後でどんな報復をされるか解らないからだ。…別にあの女性が怖いわけではない、とウォルフは誰に聞かれてもいないのに心の中で弁解をしている。
とはいえ、話し合いでの解決は難しそうだし、ここは仲裁に入ろうかと思っていた矢先、チンピラ風の男が女性に詰め寄って平手を打った。
瞬間、飛び出そうとしたウォルフの手を、エルエが掴む。そして、怒気を孕んだ小さい声でつぶやいた。
「待って主、アタシがやる…!」
そう言うや否や、エルエは全身から怒りの感情を立ち上らせて男達の背後を強襲した。
まず、エルエから見て一番手前にいた男二人を殴りつけて昏倒させると、その奥にいた三人の男達を、次々に投げ落とした。
石の床に叩きつけられた男達は、呼吸もままならずに、その場でのた打ち回っている。
「な、なんだテメェは!?」
エルエに気付いたリーダー格の男と残り二人の取り巻きは、驚きの余りか咄嗟に得物を抜き、エルエに向き直った。だが、それは完全に悪手だ。
エルエに限らず、獣人達は皆、武装した相手には容赦しない気性を持っている。俗な研究者たちは、それを狩猟される側だった獣の本能だ、などと揶揄したが、元々敵対者には厳しいのが獣人だ。そんな事は関係ないだろう。
ともかくエルエに向かって武器を持つということは、命のやり取りを宣言したに等しい。脅し目的のつもりだとしたらあまりにも危険な行為である。
(マズいな、エルエは気が立ってる…本気でアイツらを皆殺しにしかねないぞ)
顔役という連中は、性質上街の権力者とも繋がっているので、乱闘程度の小競り合いならまだしも、殺しとなれば衛兵たちが黙っていないだろう。モート男爵邸でウォルフが暴れた際は、男爵や兵士達が味方になってくれたが、ここではそういうわけにもいかない。ウォルフが何かないかと思っていると、持っていた土産物の一つが目に入った。
「殺すか…!」
チンピラが手にした得物を見て、エルエの怒気は殺気に変わった。このまま放置すれば、確実に血の雨が降る。にわかに誰もが危険を察知して遠巻きになっていく中、突如、一つの影が飛び出して、エルエとチンピラ達の間に割って入った。
「マ…待てーーーーい!狼藉はそこまでだ!これ以上の暴虐は許さんぞ!」
謎の影は、買い物袋を片手にドラゴンを模した仮面を被った男だった。周囲の空気が一気に冷えていく。露店の女主人の娘に至っては、露骨に嫌な顔をして小声で「ダサい」と呟いていた。
(くっ…!想像以上に恥ずかしいな、これは)
男の正体は言わずもがな、ウォルフである。冗談でアイテールへの土産に買った仮面だが、まさかこんな所で使う羽目になるとは思わなかった。とはいえ、これで身元を隠してやれば、後はうまくやれる自信はある。
「寄って集って一人の人間に武器を使うとは、許せん!」
ウォルフは叫びながら珍妙なポーズを取った後、武器を持った男達に接近し、次々に当身を喰らわせた。突然の出来事で呆気に取られていた男達は成す術もなく崩れ落ち、残っているのはウォルフとエルエだけだ。
当然、エルエはその男がウォルフだと気付いているから、彼が何故そんな妙な格好をしているのか訝しんで様子を見ている。続けて、ウォルフはエルエの方を向いて、男達にしたのと同様に声を上げた。
「唐突に暴力をふるい、他者に怪我を負わせるとは許せん!覚悟しろ!」
「えっ!?ちょ…!」
まさか自分にまで言われるとは思っていなかったので、エルエは完全にパニックになった。そんなエルエに、ウォルフは瞬時に間を詰めて、組み合った。
「二~三手撃ち合ったら俺が追うから、そのまま逃げろ…乗合馬車停で合流しよう」
組み合いながら、耳元でひっそりと、エルエに指示を出す。エルエはほんの少しだけ頷くと、組み合った状態から離れ、約束組手のように撃ち合った。これで、群衆の目には暴漢同士が勝手にやり合ったように見えるだろう。露店の女主人達にも配慮したつもりだが、後日ダンテに頼んで様子を探って貰った方がいいなとウォルフは思った。
わずかな手合わせの後、示し合わせた通りにエルエは逃走し、ウォルフがその後を追う。どう見ても女性を襲う不審者のようだが、その場に居合わせた人間達は、何が起きたのかとただただ茫然とするばかりだ。
十数分後、二人は乗り合いの高速馬車停で合流すると、笑い合いながらそそくさと馬車に乗り込んだ。エルエの気も少しは晴れたようで、ウォルフは安堵しつつ、出発を待った。
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