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シーズン1
第二十二話
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凡子に性体験があろうがなかろうが蓮水にはどうでも良いことだろう。
凡子は必死に心を落ち着かせようとしていた。頬が随分熱い。絶対に顔が赤くなっていると思った。
「よくあることみたいだね」
二十代半ばになっても経験のない人が結構いるのかと、意外だった。
「そうなんですね」
「あの小説は、現代を舞台にしてあっても、いわば、ファンタジー世界だからさ」
凡子は『五十嵐室長はテクニシャン』のどのあたりがファンタジーなのか分からず、首を傾げた。ファンタジーといえば、魔法だ。凡子は、他の漫画で見かけた設定を思い出した。
「五十嵐室長は、魔法使いなんですね!」
まだ魔法を使うエピソードはないが、そのうち自覚するのだろう。他の読者の知らない、これからの展開を知れたので、凡子は嬉しくなった。
「いや、違う」
「三十歳で未経験だと魔法使いになれるって設定じゃないんですか」
蓮水は笑いながら「単に、非現実的だという意味だ」と言った。
「そんな、非現実的だなんて。読んでいて違和感などありませんし」
蓮水は自分の小説に納得できていないようだ。
「君は、まだ知らないだけだ」
官能的なシーンについてなら確かにわからない。
「君以外にも感想をくれる人が結構いるが、『初めての相手は五十嵐室長みたいな人が良い』と、何度も言われている」
凡子は慌てた。「私は、五十嵐室長を応援してるだけで、そんな大それたことは考えたことございません」と、身を乗り出して否定した。
「そこは、君の感想の内容から理解している」
凡子はホッとした。本人には伝えていないが、ずっと、五十嵐室長の化身として蓮水のことを見ていたのだ。凡子が五十嵐室長とそういう行為を夢見ることは、蓮水との関係を望んでいるのと同義になる。
「俺が言いたいのは、経験がないからこそ幻想を抱いて、非現実的な小説にのめり込む読者が相当数存在しているということだ」
凡子は「そういうことなんですね」と、頷いた。と、なると、経験してしまうと『五十嵐室長はテクニシャン』が、今ほど楽しめなくなるかもしれない。凡子には好きな異性もいない。当分、経験する予定はないのだ。
「全然問題ありません」
凡子は胸の前で両手の拳を握りしめながら、力強く返した。
「何が問題ないんだ?」
「完結するまで、恋愛はしません」
蓮水は「話が読めないのだが……」と、首を傾げた。
「経験してしまって、五十嵐室長の世界を絵空事に感じるなら、完結するまでこのままでいます」
蓮水は「うーん……」と眉間に皺を寄せて考えた後に、「ここは、礼を言うべきか……」と、つぶやいた。
「君が、作品を深く愛してくれていることは以前から感じていた。心から感謝している」
「もったいないお言葉……」
凡子は感激のあまり涙ぐみそうになる。
「君が、完結までは恋愛をする気がないのなら、契約内容を修正しても問題なさそうだ」
蓮水は契約書を開いた状態で、凡子の方に向けた。ページの真ん中あたりを指差して「この一文に、『ただし、三年を経過した後とする。』と付け加えても良いかな?」と言った。
凡子は、蓮水の言う『この一文』に目を通す。
ーーどちらかに好きな相手ができたら、離婚するって意味?
凡子は、読み間違えていないか心配になり、もう一度読み返した。
どう返して良いかわからず、「えっと……」と、言葉を濁した。
「疑問点があるのか?」
「疑問と言いますか……」
実際は、疑問しかなかった。
「三年は長いと感じるかもしれないが、最低でもそのくらいの期間がないと俺も心配なんだ」
凡子は慌てて顔を横に振った。
蓮水の言葉に対し「長くありません」と、返した。凡子は、たとえ一生でも蓮水を……いや、水樹恋を支えたかった。
蓮水は、ペンを取り出し「承諾してもらえたなら修正させてもらう」と言った。
「このあと何か修正が必要な箇所がありましても、わたしに承諾を求めていただかなくて結構です」
「それは、良くない。当然、君の承諾は必要だろう」
凡子は力強く、頭を左右に振った。
「例え、どんな条件がついていようと、お側でサポートさせていただけることで、帳消しと言いますか、どんなことでも耐えられます」
蓮水は、凡子をじっと見つめたあと「君はまだ若いのだから、もう少し考えたほうが良いと思うが」と言った。
「全然、問題ありません」
まっすぐと蓮水を見つめ返す。
ーー三年もお側にいられるチャンスを逃すわけにはいかない。
「構わないなら、修正するよ」
「はい、構いません」
蓮水は書類に視線を落とした。書類に文字を書き込んでいく。それから、ページをめくりながら契約書に目をはしらせ、「後は問題なさそうだ」と言った。
「俺の方はまず、誰かに恋愛感情を抱く可能性が限りなくゼロに近いから、まったく心配はないが、君は本当に構わないのか?」
「はい、完結までは恋愛をしないので」
「いや、しないつもりでも恋に落ちるかもしれないだろ?」
「これまでも縁がなかったので、大丈夫です」
「わかった」
蓮水から、修正を入れた契約書を渡された。もう一度最初から目を通すよう言われる。
凡子は、読み始めてすぐに、大事なことを思い出した。
「なんでも良いと言っておきながら申し訳ございませんが、所々、婚姻をするよう誤解してしまう箇所があるのですが……」
蓮水は「君は何を言い始めるんだ」と、ため息をついた。
「俺と君が結婚することは説明した」
「そうですが、蓮水人事部副部長が私と結婚するはずがありません」
「俺がすると言ってる。君も承諾しただろう」
凡子はあまりの衝撃に、言葉を失った。
ーー冗談ではなく、蓮水さんと私が結婚……それは……
凡子は、勢いよく立ち上がった。
それから、「できません!」と、大きな声で言った。
凡子は必死に心を落ち着かせようとしていた。頬が随分熱い。絶対に顔が赤くなっていると思った。
「よくあることみたいだね」
二十代半ばになっても経験のない人が結構いるのかと、意外だった。
「そうなんですね」
「あの小説は、現代を舞台にしてあっても、いわば、ファンタジー世界だからさ」
凡子は『五十嵐室長はテクニシャン』のどのあたりがファンタジーなのか分からず、首を傾げた。ファンタジーといえば、魔法だ。凡子は、他の漫画で見かけた設定を思い出した。
「五十嵐室長は、魔法使いなんですね!」
まだ魔法を使うエピソードはないが、そのうち自覚するのだろう。他の読者の知らない、これからの展開を知れたので、凡子は嬉しくなった。
「いや、違う」
「三十歳で未経験だと魔法使いになれるって設定じゃないんですか」
蓮水は笑いながら「単に、非現実的だという意味だ」と言った。
「そんな、非現実的だなんて。読んでいて違和感などありませんし」
蓮水は自分の小説に納得できていないようだ。
「君は、まだ知らないだけだ」
官能的なシーンについてなら確かにわからない。
「君以外にも感想をくれる人が結構いるが、『初めての相手は五十嵐室長みたいな人が良い』と、何度も言われている」
凡子は慌てた。「私は、五十嵐室長を応援してるだけで、そんな大それたことは考えたことございません」と、身を乗り出して否定した。
「そこは、君の感想の内容から理解している」
凡子はホッとした。本人には伝えていないが、ずっと、五十嵐室長の化身として蓮水のことを見ていたのだ。凡子が五十嵐室長とそういう行為を夢見ることは、蓮水との関係を望んでいるのと同義になる。
「俺が言いたいのは、経験がないからこそ幻想を抱いて、非現実的な小説にのめり込む読者が相当数存在しているということだ」
凡子は「そういうことなんですね」と、頷いた。と、なると、経験してしまうと『五十嵐室長はテクニシャン』が、今ほど楽しめなくなるかもしれない。凡子には好きな異性もいない。当分、経験する予定はないのだ。
「全然問題ありません」
凡子は胸の前で両手の拳を握りしめながら、力強く返した。
「何が問題ないんだ?」
「完結するまで、恋愛はしません」
蓮水は「話が読めないのだが……」と、首を傾げた。
「経験してしまって、五十嵐室長の世界を絵空事に感じるなら、完結するまでこのままでいます」
蓮水は「うーん……」と眉間に皺を寄せて考えた後に、「ここは、礼を言うべきか……」と、つぶやいた。
「君が、作品を深く愛してくれていることは以前から感じていた。心から感謝している」
「もったいないお言葉……」
凡子は感激のあまり涙ぐみそうになる。
「君が、完結までは恋愛をする気がないのなら、契約内容を修正しても問題なさそうだ」
蓮水は契約書を開いた状態で、凡子の方に向けた。ページの真ん中あたりを指差して「この一文に、『ただし、三年を経過した後とする。』と付け加えても良いかな?」と言った。
凡子は、蓮水の言う『この一文』に目を通す。
ーーどちらかに好きな相手ができたら、離婚するって意味?
凡子は、読み間違えていないか心配になり、もう一度読み返した。
どう返して良いかわからず、「えっと……」と、言葉を濁した。
「疑問点があるのか?」
「疑問と言いますか……」
実際は、疑問しかなかった。
「三年は長いと感じるかもしれないが、最低でもそのくらいの期間がないと俺も心配なんだ」
凡子は慌てて顔を横に振った。
蓮水の言葉に対し「長くありません」と、返した。凡子は、たとえ一生でも蓮水を……いや、水樹恋を支えたかった。
蓮水は、ペンを取り出し「承諾してもらえたなら修正させてもらう」と言った。
「このあと何か修正が必要な箇所がありましても、わたしに承諾を求めていただかなくて結構です」
「それは、良くない。当然、君の承諾は必要だろう」
凡子は力強く、頭を左右に振った。
「例え、どんな条件がついていようと、お側でサポートさせていただけることで、帳消しと言いますか、どんなことでも耐えられます」
蓮水は、凡子をじっと見つめたあと「君はまだ若いのだから、もう少し考えたほうが良いと思うが」と言った。
「全然、問題ありません」
まっすぐと蓮水を見つめ返す。
ーー三年もお側にいられるチャンスを逃すわけにはいかない。
「構わないなら、修正するよ」
「はい、構いません」
蓮水は書類に視線を落とした。書類に文字を書き込んでいく。それから、ページをめくりながら契約書に目をはしらせ、「後は問題なさそうだ」と言った。
「俺の方はまず、誰かに恋愛感情を抱く可能性が限りなくゼロに近いから、まったく心配はないが、君は本当に構わないのか?」
「はい、完結までは恋愛をしないので」
「いや、しないつもりでも恋に落ちるかもしれないだろ?」
「これまでも縁がなかったので、大丈夫です」
「わかった」
蓮水から、修正を入れた契約書を渡された。もう一度最初から目を通すよう言われる。
凡子は、読み始めてすぐに、大事なことを思い出した。
「なんでも良いと言っておきながら申し訳ございませんが、所々、婚姻をするよう誤解してしまう箇所があるのですが……」
蓮水は「君は何を言い始めるんだ」と、ため息をついた。
「俺と君が結婚することは説明した」
「そうですが、蓮水人事部副部長が私と結婚するはずがありません」
「俺がすると言ってる。君も承諾しただろう」
凡子はあまりの衝撃に、言葉を失った。
ーー冗談ではなく、蓮水さんと私が結婚……それは……
凡子は、勢いよく立ち上がった。
それから、「できません!」と、大きな声で言った。
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