喪女の夢のような契約婚。

紫倉紫

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シーズン1

第二十三話

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 立ち上がったせいで、蓮水を見下ろす形になっていた。凡子は「失礼いたしました」と謝ってから、ソファに腰掛けた。
 蓮水は、不機嫌そうに眉根を寄せている。
「君は、俺のことをサポートしてくれるんではなかったのか?」
 声も普段より低めだ。凡子とて、蓮水の機嫌を損ねたくはなかった。
「サポートは誠心誠意させていただきます」
 せっかく憧れの作家の執筆を支えられることになったのだから、このチャンスを逃したくはない。
「それなら、婚姻を拒否するのは、拘束時間が長くなるからか?」
「拘束時間は長くても構いません……」
「構わないなら、何が理由だ?」
 蓮水が理由を突き止めようと質問をしてくる。緊張なのか恐れなのか凡子は全身に嫌な汗をかいていた。しかし、どんなに求められようと、婚姻を承諾するわけにはいかない
 凡子は単純に、結婚しなくてもサポートはできると考えていた。逆に、蓮水が結婚を条件にいれた理由の方がわからない。
「私のような者が、蓮水さんと婚姻するなど、あってはなりません」
「俺が、問題ないと言っているんだから、気にしてもらわなくていい」 
「いくらご本人が構わないとおっしゃっても、そんな恐れ多いことは許されません」
 凡子は断固として入籍を拒む覚悟でいる。蓮水の顔がさらに険しくなった。
「将来、君に離婚歴がついてしまう点は申し訳ないので、それ相応のことは考えている」
「私の方は、離婚歴であろうが逮捕歴であろうが……やはり、逮捕歴は困りますが……とにかく、私はどうでもいいんです」
 凡子は、自分が蓮水の戸籍を汚すのは避けたかった。
「蓮水さんが本当に愛して結婚したいと感じる方と出会った時に、私が蓮水さんの汚点になってしまいます。すでに黒歴史確定です」
 蓮水が深いため息をついた。
「君が、俺のことを思って婚姻を拒否しているのはわかった。それならばなおさら、俺が婚姻済みの状態を作るのに協力してほしい」
 凡子は、蓮水が何を考えているのかまったく理解できずにいた。
「このままでは、それこそ俺の意に沿わない相手と結婚をさせられてしまうんだ。君のような執筆の妨げにならない相手になる可能性は、限りなくゼロに近い」
 昔なら、親同士が決めた政略結婚があったかもしれないが、凡子には、今どき、無理やり結婚させられる理由は思いつかなかった。
 自分のような庶民ではなく高貴な家柄では政略結婚がいまだに残っているのかもしれない。
「蓮水さんはお家柄が良いんですね」
「家柄か……」
 蓮水はそう呟いただけで、否定しなかった。
「心に決めた方がいるとお断りはできないんですか?」
「その言い訳は、もう通じなくなっている」
 すでに試した後らしい。
「ご事情があるのかもしれませんが、やはり、婚姻はできるだけ避ける方向が望ましいかと。なにか他の手だてを一緒に探します」
 蓮水はため息をついた。
「俺が思いつくことは、全部やったあとだ」
「そうかもしれませんが」
 抵抗してみるものの、名案は浮かばない。
「君は僕の深刻な状況を知らないからな」
――深刻な状況……。
 蓮水は没落貴族かなにかで、借金を肩代わりする条件に娘と結婚しろと迫られているのかもしれない。
 凡子はそう考えたあとで、すぐに矛盾に気づいた。
 その設定だと、他の女性と結婚しようものなら、借金を肩代わりしてもらえなくなる。
 凡子の想像力では、きっと、正解にはたどりつけない。
「お力にはなりたいのですが」
 やはり、婚姻は無理だ。
「無理なお願いをしているのはこちらなのでね」
 蓮水もようやく婚姻を諦めてくれたようなので安心した。婚姻はできないが、全面的に執筆をサポートする覚悟はできている。
「君が、俺のファンだということに甘えていた」
 蓮水に頭を下げられ、凡子は恐縮した。
「蓮水さん……いえ……恋様にはいつも感謝しても仕切れないくらい、色々なものをいただいていますので」
「しかし、それでは婚姻するには足りないのだろう?」
「足りないだなんて……」
 凡子はただただ、自分が蓮水の結婚相手に相応しくないと思っていた。たとえ、偽装だとしても。
「数年もの間ファンでいてくれたから、君が俺との結婚をすんなり受け入れてくれると、勝手に思い込んでいた。婚姻なんて重大なことを、それだけで決断できるはずがなかったんだ」
 凡子は「そんなことは……」と、言いかけて、口をつぐんだ。凡子が断ったのは事実だ。
 蓮水が「そこでだ。君に提案がある」と、言った。

 凡子は、婚姻以外なら引き受けるつもりだ。
「よくよく考えると、俺と結婚しても君にはほとんどメリットがない。せめて金銭面でもあらかじめ満足してもらえる額を提示しよう」
「諦めていただけたんじゃなかったんですか?」
 凡子は驚いてつい、ストレートに訊いてしまった。
「諦めるわけないだろう。俺には死活問題なんだからな」
 凡子は蓮水が婚姻にこだわる理由を理解できずにいるが、蓮水の方も凡子が断った理由が理解できないようだ。
「お金はいらないです」
 決して、高給取りではないけれど、実家暮らしなのもあって、今の収入に満足している。
「では、どうすれば受け入れてくれるんだ?」
 凡子は少し考えて「もしも、もしもですが、私が蓮水さんの隣に立っても恥ずかしくない女性だったなら、受け入れられたかもしれません」と、返した。
「今だって、別に、恥ずかしがる必要はないだろう?」
 蓮水は自分がどれだけ容姿に恵まれているか、わかっていないのかもしれない。
「俺から君に提案できること……そうだな……」
 蓮水は腕をくんで目を伏せ考え込んでいる。凡子は、その悩ましげな顔に見惚れていた。急に蓮水が目を見開いたので、目があった。
「君は現在うちの関連会社に勤めているが、うちに移れるように手をうとう」
 凡子はすぐさま「とんでもない」と、顔を左右にふった。
 蓮水が何を思って提案してきたのかわからない。だいたい、凡子は今の仕事が気に入っている。
「私は、自分で選んで警備員をしています」
 それだけでなく、コネ入社なんて、苛められるに決まっていると凡子は思った。
「君の仕事ぶりは見てきたからな……報酬でもだめ、親会社への移籍でもだめとなると、手札がもうないな」
 凡子はそもそもどんな手札を出されても、結婚する気はない。ようやく、蓮水が諦めてくれそうだ。そう、凡子が油断しかけたとき、テーブルを挟んで向こう側にいる蓮水が、身を乗り出して、凡子の手に手を重ねてきた。
 凡子は思わず、「あわわわわ」と声に出していた。
 蓮水は凡子の様子を気にもとめずに「俺を助けると思って、結婚してくれないか」と、手を握った。
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