54 / 56
番外編
番外編・第三話 古き工場の亡霊
しおりを挟む
鉄機都市ヘパイストスの中央広場は、地獄のような光景へと一変していた。
マンホールや排水溝、さらには工場の巨大な煙突から溢れ出した黒い蒸気。それが混ざり合い、不定形の巨像「スモッグ・ファントム」となって広場を包囲している。
「キシャァァァァァ……!!」
その不気味な咆哮は、錆びた歯車が擦れ合うような、耳障りな金属音を伴っていた。
アレクシスの魔剣による斬撃すら、ガス状の体で受け流し、直後に強酸性の汚泥で反撃してくる怪物たち。彼らはただの魔物ではない。この国の発展の影で捨てられ、蓄積されてきた「負の遺産」が意志を持ったものだ。
「……アレクシス様、下がってください! その汚れは、あなたの神聖な魔力を侵食します!」
レティシアが叫び、浄化の盾を展開する。
だが、盾に触れたスモッグ・ファントムの腕は、ジクジクと音を立てて盾を腐食させていった。聖女の魔力さえも、あまりに高濃度の化学的汚染の前では、中和が追いつかない。
「レティシア! 俺のことはいい、お前は子供たちを――」
アレクシスが言いかけたその時、広場を揺らすほどの重低音が響いた。
北方の空を覆っていた黒煙が、一際濃く蠢き、工場の奥から「本体」とも呼べる巨大な影が這い出してきたのだ。
それは、幾千もの廃棄された部品と、何万トンもの煤煙が凝縮された、文字通りの「亡霊工場(ゴースト・ファクトリー)」。数百メートルもの巨躯を揺らし、無数の煙突を大砲のようにこちらへ向けている。
「……あれが、すべての汚れの源泉。あの工場が止まらない限り、この街に空は戻りません」
レティシアの瞳が鋭くなる。
だが、今の彼らの手元にあるのは、使い慣れた箒とハタキ、そして少量の洗浄液だけだ。これでは、巨大な要塞を掃除するにはあまりに心もとない。
「ママ……パパ……。ボク、怖いよ」
レオンが、ガタガタと震えながらレティシアの裾を掴んだ。
ヴォルフェン領での「お掃除」は、いつも最後にはママが笑って終わる、楽しい行事だった。けれど、目の前の怪物は、自分たちの存在そのものを否定し、黒く塗りつぶそうとしている。
「お兄様、泣かないでくださいまし……。わたくしも、足が震えて……動けませんの……」
ノエルもまた、手に持った魔法のハタキを落としそうになりながら、溢れる涙を堪えていた。
初めての挫折。そして、命の危険。
子供たちにとって、この「番外編」の冒険は、あまりに過酷な試練となっていた。
その時。
スモッグ・ファントムの一体が、隙を突いて子供たちに向かって黒い塊を放った。
「避けて!」というレティシアの声よりも速く、影が動く。
――ドシュッ!!
「……ぐぅっ!」
鈍い音と共に、アレクシスがレオンとノエルの前に立ち塞がった。
彼の左肩には、真っ黒な汚泥の杭が深く突き刺さり、そこから黒い霧が彼の血管を侵食しようと蠢いている。
「パパ!!」
「アレクシス様!!」
「……案ずるな。この程度の汚れ……俺が……浄化して……見せる……」
アレクシスは強気な言葉を吐くが、その顔面は蒼白だった。
本来、彼の持つ「守護の魔力」は無敵に近い。だが、スモッグ・ファントムの毒は「悪意」ではなく「未浄化の廃棄物」という、ある意味で無機質な暴力だ。それが、彼の生命力を直接削り取っていく。
「アレクシス様、今すぐに治療を! ……レオン、ノエル! パパを支えて!」
レティシアが急いで駆け寄り、夫の肩に手を置く。
全力の浄化魔法を込めるが、汚泥の杭は意志を持っているかのように、傷口の奥へ奥へと食い込んでいく。
「……ダメです、この汚れ……。外側から洗うだけじゃ、追いつかない。もっと……もっと根本から変えないと!」
レティシアの焦りが、魔法の光を乱す。
その隙を逃さず、亡霊工場の煙突が一斉に火を噴いた。
黒い砲弾のような煤の塊が、空から雨のように降り注ぐ。
「キシャァァァァァ!!」
「アハハハハ! 消えろ、ピカピカの偽物ども!」
亡霊工場の内部から、不気味な笑い声が聞こえた。それは、かつて工場を捨て、利益だけを求めて逃げ出した人間たちの「怠慢」の残響。
「……もう、終わりですわ……。お洋服も、お顔も、心も……真っ黒に……」
ノエルが絶望に目を閉じようとした、その瞬間だった。
「――何を、言っているの。ノエル」
レティシアの声が、冷徹なまでに静かに響いた。
ノエルが目を開けると、そこには見たこともないほど「険しい」顔をした母親がいた。
それは慈愛の聖女ではなく、汚れを決して許さない「お掃除の鬼」の顔だった。
「お洋服が汚れたら、洗えばいい。お顔が汚れたら、拭けばいい。……けれど、心が『汚れに負ける』ことだけは、私が許しません」
レティシアは、倒れ込むアレクシスを優しく地面に横たえると、スッと立ち上がった。
彼女の周囲で、魔力が物理的な風となって渦を巻く。
「レオン、ノエル。……パパが、あなたたちを守るために傷ついたのよ。……そのパパを救えるのは、今、ここに立っているあなたたちだけなの」
「ボクたち……に?」
「そう。……お掃除の基本は、たった一つ。……『絶対に綺麗にしてみせる』という、強い意志。……いい? 魔法が効かないのは、あなたたちが相手を『敵』だと思っているからよ」
レティシアは、迫りくる黒い霧の中に、丸腰で手を突っ込んだ。
ジュッ、と彼女の手のひらが焼ける。けれど、彼女は顔色一つ変えず、その霧を優しく「撫でた」。
「これは、悲鳴なの。……使い捨てにされ、ゴミとして扱われた、この街の部品たちの悲鳴。……だから、戦うのではなく、『受け止めて、洗ってあげる』のよ」
レティシアの手から、柔らかい桃色の光が溢れ出した。
それは彼女がこれまで一度も見せたことのない、最高位の浄化魔法。
「――さあ、レオン。パパの魔力を借りて、その汚泥の杭を『掴んで』。……ノエル、ママの光を束ねて、それを『純水』に変えるの」
「……やってみるよ、ママ! パパを、助けなきゃ!」
レオンが、震える手でアレクシスの肩に刺さった黒い杭に触れた。
アレクシスの中にある「守護の意思」と、レオンの「勇気」が混ざり合う。すると、触れることさえできなかった物理的な汚れが、レオンの手の中で「洗える素材」へと変質し始めた。
「ボクが……掴んでる! この汚れを、逃さない!」
「わたくしも……やりますわ! ママの光を、一滴も残さず……世界で一番綺麗な洗剤に!」
ノエルがハタキを振り、空中に漂う魔力を凝縮させる。
レティシアの導きによって、二人の子供たちの魔力が、初めて一つの旋律を奏で始めた。
――キィィィィィィン!!
広場に、清冽な鐘の音が響き渡る。
三人の魔力が重なり、アレクシスの肩に突き刺さっていた黒い杭が、シュワシュワと白い泡を立てて溶け出した。
「……あ……、ああ……っ」
アレクシスの顔に赤みが戻る。
体内を侵食していた黒い霧が、レオンとノエルの手によって、温かな光の粒子へと書き換えられていく。
「……よく……やった……二人とも……」
アレクシスが、弱々しくも誇らしげに子供たちの手を握る。
その瞬間、ヴォルフェン家四人の魔力が、完璧な円環《サークル》を形成した。
「――アレクシス様、力が戻りましたね」
「ああ。……レティシア、子供たち。……待たせたな。……ここからは、家族全員で『大掃除』の時間だ」
アレクシスが力強く立ち上がる。
彼の背後には、地龍と天龍が舞い降り、主の復活を祝うように咆哮した。
一方、自分たちの攻撃が通用しなくなったことに焦りを感じた亡霊工場は、すべての煙突から最終兵器とも言える「漆黒のヘドロ・ブレス」を放とうとしていた。
「無駄だ! どんなに洗おうとも、百年分の汚れは消えない! この街ごと、闇に沈め!」
「――いいえ、消えます。……私たちが、心を込めて磨きますから」
レティシアが、空高く箒を掲げた。
アレクシスの魔剣が、その箒を護るように銀色の鞘《さや》となる。
レオンとノエルが、両脇で魔法の陣を描く。
「――ヴォルフェン家流・特級合同清掃術!!」
四人の声が重なった。
「――『聖なる家族の輝く泡』!!」
放たれたのは、巨大なシャボン玉のような透明な結界だった。
それは広場を飲み込み、街を包み、そして巨大な亡霊工場をもその内側に閉じ込めた。
「な、なんだこれは……! 体が……溶けるのではない……洗われている……!?」
亡霊工場の巨大な外壁から、ボロボロと煤が剥がれ落ちていく。
結界の内部は、今や超高濃度の洗浄成分を含んだ「魔法の洗濯機」の中と化していた。
四人は、それぞれの役割を果たしていく。
アレクシスが、剣気で汚れを細かく分解し、
レオンが、風の箒でそれを一箇所に集め、
ノエルが、ハタキの光で汚れの成分を無害化し、
そしてレティシアが、愛を込めて、すべてを真っ白に「仕上げ」ていく。
亡霊工場の中から溢れ出していた怨念の声は、次第に穏やかな、安らかなため息へと変わっていった。
「……ああ、そうだ……。私は、もっと綺麗に働きたかったのだ……。人々の役に立って、誇らしく、磨かれていたかった……」
工場を形作っていた瓦礫が、光に包まれて崩壊していく。
それは破壊ではなく、役目を終えたものたちへの「解放」だった。
――パリンッ!!
結界が弾けた。
広場を覆っていた黒煙は、跡形もなく消え去っていた。
そこにあるのは、雨上がりのようにしっとりと濡れ、朝日を浴びてキラキラと輝く、見違えるほど美しい鉄機都市の姿だった。
「……お空が……」
レオンが空を指差す。
そこには、八年もの間隠されていた、抜けるような青空が広がっていた。
黒い雪ではなく、浄化の余波で生まれた白い光の粒が、雪のように優しく街に降り注いでいる。
「勝ちましたわ……! パパとママと、お兄様と一緒に……勝ちましたわ!」
ノエルがレオンに抱きつき、二人は無邪気に喜びを爆発させた。
アレクシスは、傷ついた肩をレティシアに支えられながら、晴れ渡った空を見上げていた。
「……レティシア。……あの子たちは、俺たちが思っていた以上に、もう立派な掃除屋だな」
「ええ。……でも、アレクシス様。お掃除の後は、しっかりお片付けをしないといけませんよ?」
「……。まさか、あの瓦礫の山をすべて手作業で分類するのか?」
「もちろんです。……ゴミとして捨てるのではなく、資源として活かす。それが、これからの新しい時代の『お掃除』ですから」
レティシアの言葉に、アレクシスは苦笑しながらも、満足げに頷いた。
しかし、喜びも束の間。
瓦礫の山が消えた跡地には、一つの「奇妙な紋章」が刻まれていた。
それは、オウル公国の産業汚染を裏で操っていた「黒幕」の存在を示唆するものだった。
家族の冒険は、まだ終わらない。
次なる舞台は、四人の絆をさらに深く、そして強く試すものへと続いていく。
(続く)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最後まで読んでいただきありがとうございます!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【次回予告】
亡霊工場を倒した一家の前に現れたのは、街のさらなる深部に隠された「真の病巣」だった。
「汚れを力に変える」という謎の組織が、レティシアの浄化の力を奪おうと罠を仕掛ける!
捕らわれの母を救うため、レオンとノエルがヴォルフェン領から呼び寄せた「最強の援軍」とは!?
次回、家族の絆が奇跡を起こす――。
マンホールや排水溝、さらには工場の巨大な煙突から溢れ出した黒い蒸気。それが混ざり合い、不定形の巨像「スモッグ・ファントム」となって広場を包囲している。
「キシャァァァァァ……!!」
その不気味な咆哮は、錆びた歯車が擦れ合うような、耳障りな金属音を伴っていた。
アレクシスの魔剣による斬撃すら、ガス状の体で受け流し、直後に強酸性の汚泥で反撃してくる怪物たち。彼らはただの魔物ではない。この国の発展の影で捨てられ、蓄積されてきた「負の遺産」が意志を持ったものだ。
「……アレクシス様、下がってください! その汚れは、あなたの神聖な魔力を侵食します!」
レティシアが叫び、浄化の盾を展開する。
だが、盾に触れたスモッグ・ファントムの腕は、ジクジクと音を立てて盾を腐食させていった。聖女の魔力さえも、あまりに高濃度の化学的汚染の前では、中和が追いつかない。
「レティシア! 俺のことはいい、お前は子供たちを――」
アレクシスが言いかけたその時、広場を揺らすほどの重低音が響いた。
北方の空を覆っていた黒煙が、一際濃く蠢き、工場の奥から「本体」とも呼べる巨大な影が這い出してきたのだ。
それは、幾千もの廃棄された部品と、何万トンもの煤煙が凝縮された、文字通りの「亡霊工場(ゴースト・ファクトリー)」。数百メートルもの巨躯を揺らし、無数の煙突を大砲のようにこちらへ向けている。
「……あれが、すべての汚れの源泉。あの工場が止まらない限り、この街に空は戻りません」
レティシアの瞳が鋭くなる。
だが、今の彼らの手元にあるのは、使い慣れた箒とハタキ、そして少量の洗浄液だけだ。これでは、巨大な要塞を掃除するにはあまりに心もとない。
「ママ……パパ……。ボク、怖いよ」
レオンが、ガタガタと震えながらレティシアの裾を掴んだ。
ヴォルフェン領での「お掃除」は、いつも最後にはママが笑って終わる、楽しい行事だった。けれど、目の前の怪物は、自分たちの存在そのものを否定し、黒く塗りつぶそうとしている。
「お兄様、泣かないでくださいまし……。わたくしも、足が震えて……動けませんの……」
ノエルもまた、手に持った魔法のハタキを落としそうになりながら、溢れる涙を堪えていた。
初めての挫折。そして、命の危険。
子供たちにとって、この「番外編」の冒険は、あまりに過酷な試練となっていた。
その時。
スモッグ・ファントムの一体が、隙を突いて子供たちに向かって黒い塊を放った。
「避けて!」というレティシアの声よりも速く、影が動く。
――ドシュッ!!
「……ぐぅっ!」
鈍い音と共に、アレクシスがレオンとノエルの前に立ち塞がった。
彼の左肩には、真っ黒な汚泥の杭が深く突き刺さり、そこから黒い霧が彼の血管を侵食しようと蠢いている。
「パパ!!」
「アレクシス様!!」
「……案ずるな。この程度の汚れ……俺が……浄化して……見せる……」
アレクシスは強気な言葉を吐くが、その顔面は蒼白だった。
本来、彼の持つ「守護の魔力」は無敵に近い。だが、スモッグ・ファントムの毒は「悪意」ではなく「未浄化の廃棄物」という、ある意味で無機質な暴力だ。それが、彼の生命力を直接削り取っていく。
「アレクシス様、今すぐに治療を! ……レオン、ノエル! パパを支えて!」
レティシアが急いで駆け寄り、夫の肩に手を置く。
全力の浄化魔法を込めるが、汚泥の杭は意志を持っているかのように、傷口の奥へ奥へと食い込んでいく。
「……ダメです、この汚れ……。外側から洗うだけじゃ、追いつかない。もっと……もっと根本から変えないと!」
レティシアの焦りが、魔法の光を乱す。
その隙を逃さず、亡霊工場の煙突が一斉に火を噴いた。
黒い砲弾のような煤の塊が、空から雨のように降り注ぐ。
「キシャァァァァァ!!」
「アハハハハ! 消えろ、ピカピカの偽物ども!」
亡霊工場の内部から、不気味な笑い声が聞こえた。それは、かつて工場を捨て、利益だけを求めて逃げ出した人間たちの「怠慢」の残響。
「……もう、終わりですわ……。お洋服も、お顔も、心も……真っ黒に……」
ノエルが絶望に目を閉じようとした、その瞬間だった。
「――何を、言っているの。ノエル」
レティシアの声が、冷徹なまでに静かに響いた。
ノエルが目を開けると、そこには見たこともないほど「険しい」顔をした母親がいた。
それは慈愛の聖女ではなく、汚れを決して許さない「お掃除の鬼」の顔だった。
「お洋服が汚れたら、洗えばいい。お顔が汚れたら、拭けばいい。……けれど、心が『汚れに負ける』ことだけは、私が許しません」
レティシアは、倒れ込むアレクシスを優しく地面に横たえると、スッと立ち上がった。
彼女の周囲で、魔力が物理的な風となって渦を巻く。
「レオン、ノエル。……パパが、あなたたちを守るために傷ついたのよ。……そのパパを救えるのは、今、ここに立っているあなたたちだけなの」
「ボクたち……に?」
「そう。……お掃除の基本は、たった一つ。……『絶対に綺麗にしてみせる』という、強い意志。……いい? 魔法が効かないのは、あなたたちが相手を『敵』だと思っているからよ」
レティシアは、迫りくる黒い霧の中に、丸腰で手を突っ込んだ。
ジュッ、と彼女の手のひらが焼ける。けれど、彼女は顔色一つ変えず、その霧を優しく「撫でた」。
「これは、悲鳴なの。……使い捨てにされ、ゴミとして扱われた、この街の部品たちの悲鳴。……だから、戦うのではなく、『受け止めて、洗ってあげる』のよ」
レティシアの手から、柔らかい桃色の光が溢れ出した。
それは彼女がこれまで一度も見せたことのない、最高位の浄化魔法。
「――さあ、レオン。パパの魔力を借りて、その汚泥の杭を『掴んで』。……ノエル、ママの光を束ねて、それを『純水』に変えるの」
「……やってみるよ、ママ! パパを、助けなきゃ!」
レオンが、震える手でアレクシスの肩に刺さった黒い杭に触れた。
アレクシスの中にある「守護の意思」と、レオンの「勇気」が混ざり合う。すると、触れることさえできなかった物理的な汚れが、レオンの手の中で「洗える素材」へと変質し始めた。
「ボクが……掴んでる! この汚れを、逃さない!」
「わたくしも……やりますわ! ママの光を、一滴も残さず……世界で一番綺麗な洗剤に!」
ノエルがハタキを振り、空中に漂う魔力を凝縮させる。
レティシアの導きによって、二人の子供たちの魔力が、初めて一つの旋律を奏で始めた。
――キィィィィィィン!!
広場に、清冽な鐘の音が響き渡る。
三人の魔力が重なり、アレクシスの肩に突き刺さっていた黒い杭が、シュワシュワと白い泡を立てて溶け出した。
「……あ……、ああ……っ」
アレクシスの顔に赤みが戻る。
体内を侵食していた黒い霧が、レオンとノエルの手によって、温かな光の粒子へと書き換えられていく。
「……よく……やった……二人とも……」
アレクシスが、弱々しくも誇らしげに子供たちの手を握る。
その瞬間、ヴォルフェン家四人の魔力が、完璧な円環《サークル》を形成した。
「――アレクシス様、力が戻りましたね」
「ああ。……レティシア、子供たち。……待たせたな。……ここからは、家族全員で『大掃除』の時間だ」
アレクシスが力強く立ち上がる。
彼の背後には、地龍と天龍が舞い降り、主の復活を祝うように咆哮した。
一方、自分たちの攻撃が通用しなくなったことに焦りを感じた亡霊工場は、すべての煙突から最終兵器とも言える「漆黒のヘドロ・ブレス」を放とうとしていた。
「無駄だ! どんなに洗おうとも、百年分の汚れは消えない! この街ごと、闇に沈め!」
「――いいえ、消えます。……私たちが、心を込めて磨きますから」
レティシアが、空高く箒を掲げた。
アレクシスの魔剣が、その箒を護るように銀色の鞘《さや》となる。
レオンとノエルが、両脇で魔法の陣を描く。
「――ヴォルフェン家流・特級合同清掃術!!」
四人の声が重なった。
「――『聖なる家族の輝く泡』!!」
放たれたのは、巨大なシャボン玉のような透明な結界だった。
それは広場を飲み込み、街を包み、そして巨大な亡霊工場をもその内側に閉じ込めた。
「な、なんだこれは……! 体が……溶けるのではない……洗われている……!?」
亡霊工場の巨大な外壁から、ボロボロと煤が剥がれ落ちていく。
結界の内部は、今や超高濃度の洗浄成分を含んだ「魔法の洗濯機」の中と化していた。
四人は、それぞれの役割を果たしていく。
アレクシスが、剣気で汚れを細かく分解し、
レオンが、風の箒でそれを一箇所に集め、
ノエルが、ハタキの光で汚れの成分を無害化し、
そしてレティシアが、愛を込めて、すべてを真っ白に「仕上げ」ていく。
亡霊工場の中から溢れ出していた怨念の声は、次第に穏やかな、安らかなため息へと変わっていった。
「……ああ、そうだ……。私は、もっと綺麗に働きたかったのだ……。人々の役に立って、誇らしく、磨かれていたかった……」
工場を形作っていた瓦礫が、光に包まれて崩壊していく。
それは破壊ではなく、役目を終えたものたちへの「解放」だった。
――パリンッ!!
結界が弾けた。
広場を覆っていた黒煙は、跡形もなく消え去っていた。
そこにあるのは、雨上がりのようにしっとりと濡れ、朝日を浴びてキラキラと輝く、見違えるほど美しい鉄機都市の姿だった。
「……お空が……」
レオンが空を指差す。
そこには、八年もの間隠されていた、抜けるような青空が広がっていた。
黒い雪ではなく、浄化の余波で生まれた白い光の粒が、雪のように優しく街に降り注いでいる。
「勝ちましたわ……! パパとママと、お兄様と一緒に……勝ちましたわ!」
ノエルがレオンに抱きつき、二人は無邪気に喜びを爆発させた。
アレクシスは、傷ついた肩をレティシアに支えられながら、晴れ渡った空を見上げていた。
「……レティシア。……あの子たちは、俺たちが思っていた以上に、もう立派な掃除屋だな」
「ええ。……でも、アレクシス様。お掃除の後は、しっかりお片付けをしないといけませんよ?」
「……。まさか、あの瓦礫の山をすべて手作業で分類するのか?」
「もちろんです。……ゴミとして捨てるのではなく、資源として活かす。それが、これからの新しい時代の『お掃除』ですから」
レティシアの言葉に、アレクシスは苦笑しながらも、満足げに頷いた。
しかし、喜びも束の間。
瓦礫の山が消えた跡地には、一つの「奇妙な紋章」が刻まれていた。
それは、オウル公国の産業汚染を裏で操っていた「黒幕」の存在を示唆するものだった。
家族の冒険は、まだ終わらない。
次なる舞台は、四人の絆をさらに深く、そして強く試すものへと続いていく。
(続く)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最後まで読んでいただきありがとうございます!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【次回予告】
亡霊工場を倒した一家の前に現れたのは、街のさらなる深部に隠された「真の病巣」だった。
「汚れを力に変える」という謎の組織が、レティシアの浄化の力を奪おうと罠を仕掛ける!
捕らわれの母を救うため、レオンとノエルがヴォルフェン領から呼び寄せた「最強の援軍」とは!?
次回、家族の絆が奇跡を起こす――。
77
あなたにおすすめの小説
勝手にサインしろと仰いましたので、廃嫡書類に国璽を押して差し上げました
鷹 綾
恋愛
「確認? 面倒だ。適当にサインして国璽を押しておけ」
そう言ったのは、王太子アレス。
そう言われたのは、公爵令嬢レイナ・アルヴェルト。
外交も財政も軍備も――
すべてを裏で処理してきたのは彼女だった。
けれど功績はすべて王太子のもの。
感謝も敬意も、ただの一度もない。
そして迎えた舞踏会の夜。
「便利だったが、飾りには向かん」
公開婚約破棄。
それならば、とレイナは微笑む。
「では業務も終了でよろしいですね?」
王太子が望んだ通り、
彼女は“確認”をやめた。
保証を外し、責任を返し、
そして最後に――
「ご確認を」と差し出した書類に、
彼は何も読まずに署名した。
国は契約で成り立っている。
確認しない者に、王の資格はない。
働きたくない公爵令嬢と、
責任を理解しなかった王太子。
静かな契約ざまぁ劇、開幕。
---
婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。
桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。
「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」
「はい、喜んで!」
……えっ? 喜んじゃうの?
※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。
※1ページの文字数は少な目です。
☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」
セルビオとミュリアの出会いの物語。
※10/1から連載し、10/7に完結します。
※1日おきの更新です。
※1ページの文字数は少な目です。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年12月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
地味で器量の悪い公爵令嬢は政略結婚を拒んでいたのだが
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
心優しいエヴァンズ公爵家の長女アマーリエは自ら王太子との婚約を辞退した。幼馴染でもある王太子の「ブスの癖に図々しく何時までも婚約者の座にいるんじゃない、絶世の美女である妹に婚約者の座を譲れ」という雄弁な視線に耐えられなかったのだ。それにアマーリエにも自覚があった。自分が社交界で悪口陰口を言われるほどブスであることを。だから王太子との婚約を辞退してからは、壁の花に徹していた。エヴァンズ公爵家てもつながりが欲しい貴族家からの政略結婚の申し込みも断り続けていた。このまま静かに領地に籠って暮らしていこうと思っていた。それなのに、常勝無敗、騎士の中の騎士と称えられる王弟で大将軍でもあるアラステアから結婚を申し込まれたのだ。
【完結】婚約破棄、その後の話を誰も知らない
あめとおと
恋愛
奇跡によって病を癒す存在――聖女。
王国は長年、その力にすべてを委ねてきた。
だがある日、
誰の目にも明らかな「失敗」が起きる。
奇跡は、止まった。
城は動揺し、事実を隠し、
責任を聖女ひとりに押しつけようとする。
民は疑い、祈りは静かに現実へと向かっていった。
一方、かつて「悪役」として追放された令嬢は、
奇跡が失われる“その日”に備え、
治癒に頼らない世界を着々と整えていた。
聖女は象徴となり、城は主導権を失う。
奇跡に縋った者たちは、
何も奪われず、ただ立場を失った。
選ばれなかった者が、世界を救っただけの話。
――これは、
聖女でも、英雄でもない
「悪役令嬢」が勝ち残る物語。
【完結】聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。
みやこ嬢
恋愛
「ルーナ嬢、神聖なる聖女選定の場で不正を働くとは何事だ!」
魔法国アルケイミアでは魔力の多い貴族令嬢の中から聖女を選出し、王子の妃とするという古くからの習わしがある。
ところが、最終試験まで残ったクレモント侯爵家令嬢ルーナは不正を疑われて聖女候補から外されてしまう。聖女になり損なった失意のルーナは義兄から襲われたり高齢宰相の後妻に差し出されそうになるが、身を守るために侍女ティカと共に逃げ出した。
あてのない旅に出たルーナは、身を寄せた隣国シュベルトの街で一人の騎士と運命的な出会いをする。
【2024年3月16日完結、全58話】
【完結】聖女召喚に巻き込まれたバリキャリですが、追い出されそうになったのでお金と魔獣をもらって出て行きます!
チャらら森山
恋愛
二十七歳バリバリキャリアウーマンの鎌本博美(かまもとひろみ)が、交差点で後ろから背中を押された。死んだと思った博美だが、突如、異世界へ召喚される。召喚された博美が発した言葉を誤解したハロルド王子の前に、もうひとりの女性が現れた。博美の方が、聖女召喚に巻き込まれた一般人だと決めつけ、追い出されそうになる。しかし、バリキャリの博美は、そのまま追い出されることを拒否し、彼らに慰謝料を要求する。
お金を受け取るまで、博美は屋敷で暮らすことになり、数々の騒動に巻き込まれながら地下で暮らす魔獣と交流を深めていく。
完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています
オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。
◇◇◇◇◇◇◇
「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。
14回恋愛大賞奨励賞受賞しました!
これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。
ありがとうございました!
ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。
この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)
【完結済】隣国でひっそりと子育てしている私のことを、執着心むき出しの初恋が追いかけてきます
鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
一夜の過ちだなんて思いたくない。私にとって彼とのあの夜は、人生で唯一の、最良の思い出なのだから。彼のおかげで、この子に会えた────
私、この子と生きていきますっ!!
シアーズ男爵家の末娘ティナレインは、男爵が隣国出身のメイドに手をつけてできた娘だった。ティナレインは隣国の一部の者が持つ魔力(治癒術)を微力ながら持っており、そのため男爵夫人に一層疎まれ、男爵家後継ぎの兄と、世渡り上手で気の強い姉の下で、影薄く過ごしていた。
幼いティナレインは、優しい侯爵家の子息セシルと親しくなっていくが、息子がティナレインに入れ込みすぎていることを嫌う侯爵夫人は、シアーズ男爵夫人に苦言を呈す。侯爵夫人の機嫌を損ねることが怖い義母から強く叱られ、ティナレインはセシルとの接触を禁止されてしまう。
時を経て、貴族学園で再会する二人。忘れられなかったティナへの想いが燃え上がるセシルは猛アタックするが、ティナは自分の想いを封じ込めるように、セシルを避ける。
やがてティナレインは、とある商会の成金経営者と婚約させられることとなり、学園を中退。想い合いながらも会うことすら叶わなくなった二人だが、ある夜偶然の再会を果たす。
それから数ヶ月。結婚を目前に控えたティナレインは、隣国へと逃げる決意をした。自分のお腹に宿っていることに気付いた、大切な我が子を守るために。
けれど、名を偽り可愛い我が子の子育てをしながら懸命に生きていたティナレインと、彼女を諦めきれないセシルは、ある日運命的な再会を果たし────
生まれ育った屋敷で冷遇され続けた挙げ句、最低な成金ジジイと結婚させられそうになったヒロインが、我が子を守るために全てを捨てて新しい人生を切り拓いていこうと奮闘する物語です。
※いつもの完全オリジナルファンタジー世界の物語です。全てがファンタジーです。
※この作品は小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる