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馬車馬の長い一日

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「婚約者が魅了にかかりやがりましたので、これ以上の婚約の継続は無理だと判断したという事ですよ」

「こ、婚約解消ですとっ……?」


チェルカとクロビスの婚約解消のために動き出したロアは、先ずチェルカの父であるゲスタン・ローウェル男爵と対話お話する事にした。

この婚約解消、瑕疵のあるアラバスタ家よりもゲスタンの方を何とかするべきだと思ったからだ。

息子二人ので、アラバスタ伯爵は不本意ながらも婚約解消に応じるだろう。
クロビスがチェルカに拘っていただけで、あちらとしては魔力のある娘なら誰でもいいと考えているのだから。

だがこの金に小汚いゲスタンは、持参金も必要ない多額の花嫁の支度金も出すと条件付けられているアラバスタ伯爵家との縁談を無かった事にはしないだろう。

今回の王宮での騒ぎ、娘の婚約者であるクロビスも魅了にかかっていた事が判明したのは知っているはずだ。

それでも婚約解消などとは微塵も考えていないゲスタンにロアは言った。

「何をそんなに驚く必要があるんです?個人差がありますが魅了解呪にはそれなりの時間を要します。場合によっては後遺症が出る人間もいる。アラバスタ伯爵令息が真面になるまで待っていたら、ご令嬢の婚期を逃しますよ?それに何より、ご自分の娘を長く蔑ろにしていた男との婚姻を望むなんて普通は有り得ないでしょう?」

「し、しかしっ……娘はアラバスタ伯爵令息との結婚を受け入れておりまして……」

「ああ、それでしたら問題ありません。チェルカ嬢本人には婚約継続の意思はありませんから」

「いやでもですなぁ……」

「何をそんなに渋る必要があるのです?」

大方、今ゲスタンの頭の中は目まぐるしく損得勘定をしているのだろう。

もう一段階ギアを上げるか、それとも取っておきのものを披露して問答無用に従わせるか。
ロアがそう考えた時、応接室に女性の声がした。

「旦那さま、もうよろしいではありませんか」

お茶の用意をトレイに乗せて応接室へ来た、チェルカの継母であるレイシェルがそう言ったのだ。

「何がいいというのだ」

ゲスタンは妻のレイシェルの言葉に眉根を寄せる。
レイシェルは手早く慣れた手付きでお茶を客人であるロアの前に置き、それからゲスタンの前にも置いてから答えた。

「チェルカさんはこれまで充分に旦那さまの期待に応えてきました。引き取られてすぐに宛てがわれた縁談に不平不満をひとつも零さず従い、娘らしい楽しみを何一つ味わう事なく魔術の勉強に勤しみ、そして見事王宮魔術師にまでなったのです。おまけに今ではナイジェルの学費まで工面してくれて……。そんなチェルカさんが初めてこの婚約は嫌だと自分の意思を告げたのですよ?あの子の初めてのワガママを、親として聞いてあげたらよろしいじゃありませんか」

いつも淡々と従順な妻が正論理詰めで意見してきた事にゲスタンは腹を立てる。

「お前は余計な口出しをするなっ」

「余計な事ではありません。大切な事だから申し上げているのです。あ、どうぞ粗茶ですがお召し上がりくださいませ」

毅然としたもの言いの後にお茶を勧めるレイシェルを内心面白いと思いながら、ロアは礼を言った。

「ありがとうございます。いただきます」

ロアはレイシェルが淹れた紅茶を口に含む。
安物の茶葉であることは味の深みでわかる。
しかし馥郁とした香りが鼻に抜け、雑味を感じさせない柔らかな口当たりが丁寧に淹れられたお茶であることを物語っていた。

「美味しいです」

「それはようございました。チェルカさんもいつも美味しそうに飲んでくれるんですよ。……私は、あの子には本当に申し訳ない事をしてきたと思っています。互いに難しい関係であるのは確かですが、最初にしてしまった接し方からなかなか抜け出せず、いつもつっけんどんなもの言いをしてしまうのです……」

物憂げに言うレイシェルを見て、ロアはくすりと笑う。

「でもチェルカは貴女のそれを“ツンツンデレ”と呼んで親しみを感じていると精霊たちが言っていますよ」

「え?」

「貴女の肩に掛かっているショールも、この屋敷内がモコモコだらけなのも全部チェルカの魔術ですね」

「ええそうです。毎年チェルカさんに頼んで屋敷中をモコモコにして貰っているのです」

ロアは応接室にある、モコモコになった様々な物を眺めた。
モコモコのクッションに
モコモコのカーテン
モコモコのラグと
モコモコの額縁に馬の彫像……?

「ふっ、」

額縁にまでモコモコの術をかけるチェルカを想像して、ロアは思わず吹き出した。
モコモコにされた馬の彫像はもはや羊である。

「チェルカ嬢がこの家を嫌いだとは思っていない事が屋敷内を見たらわかります。貴女のそのショールからも、彼女が心を込めてモコモコにしたのが如実に伝わってくる。貴女が寒くないように。少しでも温かく暮らせるように、そう願いが込められた魔力を感じます」

ロアがそう伝えると、レイシェルは少しだけ目を大きく見開き、それから静かに目を伏せて「ありがとうございます……」と言った。

その声に被せるようにゲスタンの大袈裟なくらい大きな声が応接室に響いた。

「おおっ!見ただけでそれがわかるとは!さすがは大賢者のお弟子様ですなあっ!先触れのお手紙を拝見して驚きましたが、まさか娘に貴方のようご立派な友人が居たとは思いもしませんでしたよ!」

「……そうですか」

「アラバスタ伯爵家との婚約を解消しても我が家に旨みはないと思いましたが、貴方が代わりに娘を貰ってくださるなら当家としましてはそちらの方が良い。貴方と娘の婚姻をお約束頂けるのなら、アラバスタ伯爵家との婚約解消に同意したしましょう」

どうやらゲスタンの中での損得勘定が終わったようだ。
彼は大金付きの伯爵家の次男坊よりも、大陸全土でその名を知られる大賢者の弟子の方が良いと判断したのだ。
金銭面だけでなく、娘婿が大賢者の弟子という箔が自分に付くと考えたらしい。

『このタヌキ親父が……』
ロアは内心毒吐どくづきながら笑みを貼り付けてゲスタンに告げる。

「それはチェルカ嬢の気持ちを最優先に考えて、彼女の返事を聞いてからですね……でもそれではただの婚約者のげ替えになってしまう。心に傷を負ったチェルカ嬢にさらなる負担を強いたくはありません。その話しはまたいずれ改めてする事にしましょう」

ロアのその考えにレイシェルはもっともだと頷いたが、ゲスタンは居丈高な口調で言い返してきた。

「でしたらアラバスタ家との婚約を解消するわけにはいきませんなぁ!娘との将来を曖昧な口約束だけであやふやにされては敵いませんからなあっ!」

「ほう?男爵は私が約束をたがえる男だとお思いで?」

ロアの気配がざらりと変わる。
笑みを貼り付けてはいるが全身から漂う圧が重苦しくゲスタンに伸し掛った。
それに気圧されながらもゲスタンが食いしばってロアに言い放つ。

「っ……娘を想う父親として当然の憂いを口にしただけの事ですっ……とにかく、あ、貴方から娘を貰ってくれる明言していただかない限り、アラバスタ家との縁は切りませんからっ……!」

「そうですか。もちろん私はチェルカ嬢との婚姻を望んでいます。でもじつはもう、婚姻も婚約解消もあなたの許可は必要ないといえば必要ないんですよ」

「は?」

「まぁ出来れば貴方がチェルカの父親である内に、少しでも親らしい事をして欲しかったんですが余計な考えでしたね」

「はぁ?」

ロアは懐からとある書状を取り出して目の前のローテーブルに置いた。

「こっ、こっ、これはっ……!」

ゲスタンはその書状を手にして驚愕の声をあげる。
その様子をレイシェルは訝しげに見た。

「旦那さま……?」

ロアはレイシェルに説明するように告げる。

「ローウェル夫人、この書状は大陸裁判所からのご主人に宛てた出頭命令です。とある疑惑による事情聴取のための出頭命令書なんです」

「た、大陸裁判所っ?出頭命令っ?」

レイシェルが驚愕の眼差しをゲスタンに向ける。
しかし彼女の夫はわなわなと震えながら書状に目を落としたままであった。

「嫌疑内容は使用禁止とされている魔石の売買という大陸法違反。男爵、偶然知人を介して関わるようになった魔石違法売買の仲介で、近頃はかなり羽振りがいいようだな?」

「え?」

金がない金がないと口癖のように言い、息子の学費さえ出し渋っているゲスタン。
その為にチェルカが異母弟の学費を払っているのだ。
そんな状態なのにじつは金が入っているような話を聞き、レイシェルは眉根を寄せて夫を見た。

「旦那さま?これは一体どういうことです?」

「いやそのっ……こ、これは何かの間違いだっ……」

「間違い?おかしいな、俺が少し調べただけであんたが違法売買に携わっていた証拠はゴロゴロと出てきたぞ?ちなみにそれを大陸裁判所に提供した上での出頭命令だ。俺があんたにこの書状を手渡した時点で効力が発動される魔法出頭命令書だ。あんたがどこに逃げ隠れしようが二十四時間後には強制転移を掛けられて大陸裁判所の留置所行きだ。言い訳は裁判所向こうでするんだな」

「そ、そ、そんなっ……」

「あんたに明言しなくとも、チェルカの事は俺が必ず守る。もし彼女と夫婦にならずとも一生、チェルカと彼女が大切にする者たちを守っていくさ」

レイシェルが重苦しい声でロアに訊ねる。

「あの……それではこのローウェル男爵家はどうなるのでしょうか?十六歳の息子が後を継ぐ事になるのでしょうか……?そ、それともまさかお取り潰しにっ……?」

「当主が犯罪者となった家は取り潰しになる可能性が高いですね。とくにローウェル男爵家は申し訳ないが弱小で、国にこれといって貢献しているわけでもない。だけど次期ローウェル男爵に後見人がついていれば取り潰しに遭う事は免れるでしょう」

「後見人……そ、そんな宛はございません……」

「それは私がなりましょう。ナイジェル君が成人し、ローウェル男爵を襲爵するまでロア・ガードナーが後見人となります。その間の当主代行は夫人、貴女にお願いできますね?」

「は、はいっそれはもちろんっ……元々家の事は放置の旦那さまに代わり全てを取り仕切ってまいりましたから……!ありがとうございます、本当にありがとうございますっ……」

「お礼はまた今度。チェルカと二人でこちらに伺った時に美味い紅茶を淹れてください」

「はい……もちろんです」

レイシェルは居住まいを正し、凛としてそう返事した。

ゲスタンは己の罪は白日の下に晒され、もはや逃げ道がないと悟り、我が身の破滅に打ちのめされている。

『どいつもこいつも自分で罪を犯しておいていざとなるとこの調子だ……反吐が出るなまったく』

ロアは内心そう思いながら、一応逃亡防止のためにゲスタンを彼の自室に閉じ込めた。
もちろんその前に貴族院に提出する婚約解消手続きの書類にサインと押印をさせて。

あとは時間がくれば強制的に裁判所にその身が移送される。便利なものだ。
そのシステムを構築したのが自分の師匠である事もなんだか可笑しなものだとロアは思った。

こうして婚約解消のお願いという名の、容疑者の身柄を拘束するという作業を終えたロアはローウェル男爵家を後にした。

次に向かうは当然、クロビスの両親が居るアラバスタ領だ。

あちらにも既に先触れは出している。
王女が引き起こした凄惨な事件とその術中にあった息子たちの事も書面にて説明しておいた。

加えて今回のローウェル男爵の逮捕もあり、アラバスタ伯爵は婚約解消にすんなりと同意した。
いや、同意せざるを得なかった。

アラバスタ伯爵は死にそうな顔色になりながら息子たちの不甲斐なさを詫び、婚約解消の書類にサインをした。

チェルカに直接会って詫びを入れたいとの申し入れがあったが、わざわざ婚約者の父親に会って謝罪されたいとチェルカが望むとは思われず、気持ちだけは伝えておくと答えた。

そして馬車馬と化したロアはその勢いで両家のサインを持って王都へととんぼ返りをし、そのまま貴族院に書類の提出まで済ませてしまった。

「ふぅやれやれ……」

貴族院の建物を出た時は既に辺りは暗く、夜の帳が落ちていた。

なんだかとてつもなく長い一日であったと思うが、帰った先にチェルカが待っていてくれると思うとそれだけで疲れが吹き飛ぶロアであった。
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