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 懐かしい夢を見た。

 あのあと私たちはやってきた騎士団に助けられ、私は傷のせいで一ヶ月近く寝込むことになった。そしてその間にリアム様と私の婚約は決まっていた。目が覚めたら、まるで世界が一変していたようだった。実際、一変していた。
 リアム様はとても苦しそうなお顔で、『シルヴィアの傷の責任は僕が取るから』と、私の手を取ってそう言った。
 好きだから、ではなくて傷のせい。
 その事実に衝撃を受けて、ショックを受けている暇もなく、『傷がある醜い子』と母の悪意に晒された。
 あの事件さえなければ、私はリアム様とはただの幼馴染でいられて、こんな苦しい思いもしなかったのに。
 リアム様と笑いあって、幸せを感じて、こんな辛い恋なんて知らずにいれたはずなのに。
 なんて、どうしようもないもしもを考えていると、コンコンと部屋のノックが鳴った。

「おはようございます、お嬢様」
「……ええ、おはよう」
「本日はキンブリー伯爵令嬢のお茶会があります」

 ああ、そうだ。今日はナンシー様の……。
 せっかくの息抜きの日に、こんな夢を見てしまうなんてついてない。幸せだったはずの夢がいっぺんして悪夢になる夢なんて。
 胸が苦しくて仕方ない。好き、の言葉が重くて重くて、私を押し潰す。
 どうしてリアム様は謝ったの? 私の好きは迷惑だった? 訊ねられない疑問。リアム様が本当に他の女性との関係を清算できたら訊けるのかな。
 ため息を吐いて起き上がる。
 全然連絡がないのに、そんな願望を抱いてしまう自分に呆れてしまう。きっともう諦めてしまったほうが楽なのに。

「ドレスを、選ばなくちゃね」
「はい、お嬢様」

 心配そうな表情を浮かべるケイトににっこりと笑ってそう言った。


 キンブリー伯爵邸は王都の外れにある。ずいぶん前に来たときは、我が家の比較的近くにあった気がするのだけど、まあ貴族が家をたくさん持つことはおかしいことではない。王都の外れにある家も、キンブリー伯爵邸の一つということだろう。
 我が家所有の馬車に揺られながら、外の景色を見る。
 ずいぶん離れたところにある家。男爵家や子爵家はこの辺りに家を持っていることが多い。ただ伯爵家だから不思議なだけで。
 キンブリー伯爵邸に着いて、馬車から降りる。馬車はそのままいてもらうつもり。
 それというのも、お父様からの言いつけだから。
 やはりキンブリー伯爵は黒い噂が絶えないらしく、本来だったらお茶会も断ったほうがいいのかもしれないけど、私自身お茶会に誘われたらすべて参加するようにしている。唯一、ジニーが熱を出したときは例外だったけど、それ以外は全て皆勤賞。そんな私がキンブリー伯爵家のお茶会に出なかったら、なにかあると揶揄されるに違いない。
 キンブリー伯爵をあまり刺激したくはないので、結局のところ断ることは難しい。
 よって、お父様が王宮から精鋭騎士をお借りし、その方を護衛につけることとされた。
 お父様は少し過保護すぎると思う。騎士を貸してくださる王宮も王宮だけど。

「シルヴィア様、そろそろ着きますよ」
「ええ。ありがとうございます」

 護衛として王宮から派遣されたのはフォールという、まるでリアム様の守護竜であるルビーのように紅く輝いている瞳が印象的な男性だった。
 黒髪であることもとても珍しいけれど、それよりも紅い瞳のほうが珍しい。それも真紅。ドラゴンにはよくある瞳の色らしいのだけど、人では初めて見た。
 顔もすごく整っているから、お茶会の話題に出ても不思議ではないのに、彼は一度もお茶会の話題にのぼったことがない。
 お父様の話だと彼は平民らしいけど、平民とはいえ見目麗しく、騎士団の精鋭ともなれば話題に上がっても不思議じゃない。
 それなのに彼は話題に上がったことがないなんて、普段よほど目立たない人物なのかしら。こんなに容姿端麗なのに。不思議だ。
 そんなことを考えていると、ガタンと馬車が止まった。

「着いたんだ……」

 お茶会、楽しいといいな。


 キンブリー伯爵邸に着くと、メイドが私たちを出迎えた。てっきり外で待っていてくれると思っていた騎士は、お茶会にまで着いてくるらしい。
 黒い噂のある家にお茶会に来た身としては、なにも文句は言えない。おそらくお父様からいつでも離れないように言いつけられているのだろう。
 異論はない。黒い噂のあるキンブリー伯爵の娘のお茶会に参加すると勝手に返事をしてしまったのは私。
 だけど、少し後悔してる。こんなことなら、お父様に相談してから返事をすればよかった。まさか王宮から騎士を派遣してまで護衛が必要だとは思わなかった。
 でも、よく考えれば当たり前だ。私はいまだリアム様の婚約者の身。リアム様はこの国の第二王子。殿下になにかあったら、とは考えたくないけど、もしもの有事が起こったとき、殿下の代わりとなるのはリアム様だ。
 私が恋する人は、そういう立場にある。
 わかっていたはずなのに、甘い考えの自分に呆れてしまう。

「ようこそ、シルヴィア様。お久しぶりですわね」
「ご招待いただき大変光栄ですわ、ナンシー様。お元気でしたか?」

 にこりと微笑んで、出迎えてくれたナンシー様に挨拶をする。ナンシー様もにこやかに微笑んでいらして、それに少しだけホッとした。

「一時期体調を崩してしまったけど、もうすっかり元気になりましたわ。そうそう、わたくしも婚約いたしましたのよ」
「まあ。それはおめでとうございます」

 幸せそうに微笑むナンシー様に私も自然と笑みを返す。
 よかった。ナンシー様が幸せそうで。あまり得意ではない方だとしても、不幸になってほしいとは願えない。
 ナンシー様とエスタ様、お二人が王太子婚約者候補として名前があがったとき、私はすでにリアム様の婚約者だった。そしてより仲がよくなったのはエスタ様。
 考えたくないけれど、エスタ様が王太子の婚約者に選ばれたことはそれもあるのかもしれない。もちろんエスタ様ご本人の実力もあるとは思うけど、私が関係なかったとは思わない。

「ああ、ごめんなさい。立ち話なんて失礼よね。あなたに久しぶりに会えて嬉しくて。こっちよ、座って」
「ありがとうございます、ナンシー様」

 ナンシー様に案内されて、庭を展望できるテラスの席に座った。白い丸テーブルの上には美味しそうなクッキーたちが並んでる。

「今日はね、最近仲良くしてるお友達も呼んだの」
「……あら、そうでしたの。とても楽しみですわ。でも、仲良くなれるかしら……」

 ナンシー様の言葉に少しだけ身体が固まる。不自然にならない程度にだったと思う。でも、手紙には二人だけのお茶会だって書いてあったのに。
 突然人を呼ぶなんて、無作法だと言われても仕方ない。

「遅くなってごめんなさいっ、ナンシー様!」

 聞こえた声に身体が固まった。

「レティ、いらっしゃい」

 どくりと嫌な予感がしておそるおそる振り向く。そこにいたのはリアム様とよく一緒にいるあの子だった。
 レティ様は私のことは視界に入っていないようで、ナンシー様に向かってぺこっとお辞儀をして、にこりと笑みを浮かべる。その笑顔に心臓の奥の方でちくりとなにかが刺した。

「あっ、お招きくださりありがとうございます! あっ、その人……」
「……ごきげんよう。わたくし、シルヴィア・グレイと申します。よろしくお願いいたしますわ」

 目が合った彼女から視線を逸らすように目を伏せてお辞儀をする。
 しん、と彼女がなにも言葉を返さないことに変だなと思って顔を上げると、どうしてか彼女はギリギリと下唇を噛んで私を睨んでいた。
 どうして彼女がそんな顔をするの?
 まるで私を憎んでいるような顔。

「あなたが……」

 そのあとに続く言葉に息を飲んで待つ。けれどレティ様がなにかを言うその前にナンシー様がレティ様を止めた。

「レティ、今からお茶会よ。楽しいお茶会にしましょうね」

 にっこりと、そう言ったナンシー様にレティ様は苦虫を潰したような顔をされてこくんと頷く。
 なにを、言うつもりだったのだろうか。リアム様のこと? リアム様のことだったらどうしよう。リアム様とのお付き合いを宣言されてしまったらどうしよう。怖くてたまらない。
 ああ、やっぱり今日は来るんじゃなかった。後悔が渦巻くけど、もう遅い。
 ナンシー様が仲良くしているのがよりにもよってレティ様だなんて。

「わたし、レティ。レティ・カラトリーよ」

 ──確かに、確かにお茶会であまり親の権力だとかそういうものを持ち出すことは美徳とはされていない。けど、だけど、レティ様の言い方は男爵令嬢が侯爵令嬢に対する挨拶としてあまりにも無作法だ。
 ぶっきらぼうに不満を顔に出して私を見つめるその人にどういう顔を向ければいいのかわからない。
 これでも私は生粋の令嬢として育てられてきて、今までこんな態度をされたことがない。
 それが、彼にはよかったのだろうか。新鮮に映ったのだろうか。

「レティはね、今まで苦労した子なの。だから、慈悲深いシルヴィアにはよくしてもらいたいの」
「わたくしは……」

 ナンシー様に言われて心が揺れる。私は慈悲深くなんてない。今だって目の前で私を睨むレティ様に黒い塊の毒のような想いを抱いてる。
 いつかのリアム様の腕に自分の腕を絡めるレティ様を思い出して、吐き気がこみ上げた。
 ああ、けれど、あれは夢だったのだっけ。それとも、現実?
 曖昧な境界にゾッとする。少なくとも、私はレティ様のことが──。

「シルヴィアさんっ」

 語尾を強めたレティ様の声にびくりと身体が揺れる。

「わたしはあなたが嫌いです」

 そう、そうなの。奇遇ね。私も自分のことが嫌いだわ。

 はっきりと宣言された言葉に、私は心の中で同意した。
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