【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

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春の予感

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「さぼろっか」

 そう言った環に連れられてやってきたのは関係者席だった。正確には関係者席の隣、音響機材やバトン、点数掲示板等の小道具が置かれているテントである。その中に無造作に置いてある誰のために用意されたのか分からないパイプ椅子に我が物顔で座っているところだ。椅子を2列分挟んだ最前では、放送部が実況に励んでいる。テントギリギリのその場所は、テントの恩恵に与りきれず照らされていた。ランランと反射している、つるつるとした素材のテーブルやマイクは見るからに熱そうで、大変そうだな、と他人事な感想を浮かべながら背もたれに身体を預けた。温い座面のクッションは想像通りの薄さではあるが、小石が転がる地べたに比べればずっと快適だ。もぞもぞとポジションを探り、ここだと体を落ち着けたところで、背後から「あー!」咎めるような声が届く。今度は何だと顔だけで振り返れば、来賓用のドリンクが入ったキーパーを運ぶ実行委員らしき生徒が、環に「手伝えサボり」と恨めしそうに睨んでいた。

「お前、サボってんの?」
「まぁさか。ちゃんと昨日のテント張り頑張ったよ。あれはね、他人に仕事を押し付けた阿保の成れの果て」

 ふふん、と得意げに笑う環になるほどと頷き、手持ち無沙汰にグラウンドに視線を移した。1年から青、赤、黄と分けられている学年対抗の体育祭では、やはり2年生が優勢だった。2年間部活動に励んだ積み重ねは伊達でない。現在行われているクラス対抗女子リレーでも、1、2位は2年で続いて1年、また2年と続いている。先頭を走る走者から次の選手へとバトンが渡る。俺たちのクラスの代表である女子は3位争いをしているらしい。日差しに目を細めながら実況を行う放送部のおかげで、クラスメイトの頑張りを知る。なかなかに奮闘しているようだ。
 トラックを挟んだ対向では、クラスメイトが規制線を乗り越えんばかりの熱い声援を送っている。リズムを刻む和太鼓の音に合わせた息の合った声。やはり、その中に入った方がいいのかという考えが頭を過ったが、それも一瞬のことだった。炎天下の中で大きな声を出す元気は、まだ回復していない。
 暑さで体力の奪われた体を環に預ける。凭れ掛かる俺の顔に張り付く髪を環の指先がかき分けた。流れる汗を拭い、丸い額を滑っていく。

「暑さに弱いよねー、本当」
「うるせぇ」
「外でないからだよ」
「出てるだろ」
「登下校は外出に入りませんー」

 ごもっともな指摘に口を噤んだ。
 子供の頃こそ、時間があれば外を駆けずり回っていたが、中学に上がったあたりから、室内にとどまることを好むようになた。ゲームに漫画に映画。遊ぶ手段が限られていた小学生とは違い、スマホがあるだけで、室内だけでも遊びに困ることはなかったからだ。その頃から気温の変化、特に暑さに弱くなっていたのは自覚している。
 初夏を通り過ぎ本格的な夏に差し掛かった中2の7月。教育実習生が担当した野球の授業で、休憩がなかったことにより、軽い熱中症を引き起こした。教師に詰められる実習生の小さくなった後ろ姿に罪悪感が芽生え体力をつけようかと考えていた時期もあったが、運動神経が特段悪くなく、困ったことがなかったこともあり、身に着ける予定の運動習慣は1週間として持たなかった。その結果、大抵の人間の青春の1ページとして刻み込まれるであろう体育祭を心の底から楽しめずにいる。
 あまりに項垂れる俺を見かけて、環に手伝いを要求していた実行委員らしき男子生徒から、キンキンに冷えた麦茶を差し出される始末だ。日の下にさらされ、生ぬるい液体と化したペットボトルのスポーツ飲料と違い、冷えた麦茶は体に染みわたり、ほんの少し呼吸が楽になる。

「助かる……」
「いーえー」

 俺たちと揃いの青いはちまきを巻いた男子生徒は、環の隣に腰をかけ麦茶がいっぱいに注がれた紙コップを煽っている。

「俺としてはさ、そっちの人……名前何て言うの?」
「俺の大親友あざみくんでーす」
「あざみ? 変わった名前してんね。……で、そのあざみくんみたいに体調悪そうな人がいた方がありがたいのよ」

 そう言ってぺこぺこと紙コップを凹ませて遊ぶ男子生徒――櫻井というらしい――を見て首を傾げた。一体、何がありがたいというのか。好きで項垂れているわけではない。疑問をそのまま口にする。

「なんで?」
「急患の面倒見てるって大義名分がありゃここにいても怒られないだろ?」
「はぁ? 俺にサボりって言っときながら櫻井だってサボってんじゃん。てか、あざみのことサボる言い訳に使わないでもらえますぅ? 面倒は俺が責任もってみるので赤の他人は帰ってくださーい」
「あざみくんだってこんなチャランポラン1人じゃ不安だろーよ」
「まぁ」
「まぁって何!? 俺1人で十分でしょ!」
「うるせぇ」
「ほら体調不良者の耳元で騒ぐなあほ」
「だってぇ。あざみは俺じゃ不満?」

 こてんと首を傾げ甘え声で俺に尋ねる。そんな環にいつものように「別にそんなんじゃねぇけど」と言いかけた口を閉ざした。体が怠くて声が出なかったからだ。また、櫻井と言う初対面の人の前で、甘えたモードの環をなだめるのがこっぱずかしくもあった。下から覗き込む環の垂れた瞳から逃れるように、空になった紙コップに視線を落とした。側面には、細かな茶葉がまだらにくっついている。力を入れてやると、小さく跳ねて底に落ちていった。

「あーざーみー」

 葛藤を知らずか、もしくは知っていてあえてやっているのか、視線を外したことを咎めるように環は俺の頬を片手でふにゅりと潰す。火照った顔に環の指が食い込み、唇を前に尖らせた俺の眉間に、不満げな皺が刻まれた。

「あは、あざみ不機嫌そう。かわいー」
「おい、はなせ」
「意地悪なあざみくんの言うことは聞いてあげませーん」
「はぁ?」
 
 そんくらいで拗ねんなよ。そんな俺の言葉は、グランドに響く放送と、環の隣でトラックで繰り広げられていた熱戦に夢中になっていたらしい櫻井の興奮気味な声によりかき消された。

「ぅおい! お前らじゃれついてないで見ろよ! お前らのクラス1位取れそうだぞ!」

 自身の頬を抓む環の腕を引きはがすことに専念していた俺の視線がグラウンドへ向く。人の頬をまるでスクイーズかのように感触を楽しんでいた環の視線もまた、つられて前方へと注がれた。
 400mのトラックを挟んでいるにも関わらず、目の前で繰り広げられているのではないかと錯覚に陥る程大きな声援が届く。例年2年生が優勢な体育祭のクラス対抗リレーで1年が首位争いに食い込むのは余程珍しいのか、クラスの垣根を超えて応援しているようだ。隣のテントに座る、何かしらの団体の代表を務める、真夏日に似つかない上等な背広に身を包んだ男もまた固く握った拳を上下に振っている。

「うちのクラスめっちゃ早いじゃん。知ってた?」
「いや、全然」
「お前らなぁ、もうちょっとクラスに興味持てよ。2組女子がいい線いってるって俺でも知ってたぞ」
「んへー」

 上級生相手にいい勝負をしているクラスメイトに夢中になるあまり、環の返事が曖昧になる。俺の頬を触りながら、グラウンドを注視する環を見て、そっと体に凭れた。環だけではない。校内のすべての注意がグラウンドに向いている。その中で、こういった事柄に疎くなったのはいつ頃からかと懐古の海に意識を漂わせた。
 
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