【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

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サクラソウ

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「だからこっちに来てるんだ」
「っすね」

 図書室のカウンターに座り、はははと笑う蒲田を横目に、ビブリオバトルで提出する事前資料を作りながら、ここに至るまでの経緯を話した。作ると言っても、蒲田から横流ししてもらったノートの中から聞いたことのある作品を選んで書き写しているだけだが。手を動かしているため、立派な作業だとする。選んだ本は走れメロスだ。本に全くの興味がない俺でも知っている不朽の名作である。スカスカの脳内本棚には、羅生門、檸檬の隣に本日、走れメロスが追加された。小学6年生の頃に、国語の授業で取り扱ったため、もともと知ってはいた。綺麗さっぱり抜け落ちていたことは否定しない。追加されたとはいえ、脳内に残っているのはメロスは激怒したという初めの一節と、妙に頭に残るセリヌンティウスの名前だけである。教科書に記されるような横文字に限って、見るだけで頭を痛めることが往々にある俺の脳内に、深く刻み込まれた数少ない長めのカタカナだ。墾田永年私財法と同じで一度聞いたら忘れることができない。メロスの激怒の理由は忘れても、彼の名前だけは忘れないだろう。

「蒲田先輩はいいんですか? ここにいて」

 現在は文化祭の準備時間である。6、7限の授業を文化祭の準備に充てているのだ。本来であれば、俺も教室で看板や風船を飾るアーケード作成に励んでいるはずだだった。しかし、俺の中の最優先事項は親友の恋路の応援だ。自分も行くと駄々を捏ねた環を引き剥がし、図書室に篭って委員会に取り組む真面目な生徒を装っている。そう、装っているだけ。図書委員は強制参加のイベントとはいえ、本格的なものではない。事実、手元にあるノートの内容を毎年使用していても咎められない程度には緩いものだ。図書室にも俺と蒲田以外の姿が見えないところを見るに、他の生徒は適当に済ませているか、もしくはクラスの準備を優先しているのだろう。それが正しい。しかし、この優等生然とした人受けのいい笑みを浮かべる蒲田という男は、俺の隣で何もするでもなく、ただただ椅子に座っている。ノートを貸してくれませんかと連絡をしたのは俺の方だが、まさかそのまま居座るとは思っておらず、隣を訝しげに見つめた。

「まぁ、いいんじゃない? 僕1人がいないくらいで破綻するなら、そこまでだったってことでしょ」
「はぁ」

 どこからともなく黄色い歓声が上がりそうな笑顔だが、そこから繰り出される言葉は刺々しい。にも関わらず、嫌悪感がないのだから、顔がいいというのはお得である。この顔でなければ、斜に構えるな、さっさと手伝え、そんな言葉が飛んでくるところだ。

「そういうものっすか」
「そういうものだよ。はずれだと思ったけどたまには役に立つよね。委員会の仕事なんだって言ったら真面目だね、頑張ってねって言われちゃった。みんな騙されてくれておかしいよね」
「いいんすかそんなこと言って。俺が言いふらすかもとか考えないんすか」
「そのときは、水野くん図書室でサボってるよって小田原くんに言うだけだよ」
「ちょっ、本当に勘弁してください。ここに来るの止めるのにどれだけ苦労したと思ってるんですか」
「じゃあ、黙っててね。2人の秘密だよ」

 人差し指を唇に当て笑みを深める蒲田に、俺はうげ、と顔を顰めた。この男がする人を口説くような仕草には慣れそうにない。この反応を面白がって敢えてしていることは理解しているのだが、反射的に動く表情筋を止める術はない。そんなものがあるのならば、是非とも教えてほしい。眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げた俺の肩を叩き「本当にいい反応するよね」と声を上げて笑う姿は頭にくるものがある。しかし、腐っても先輩だ。おまけにその人脈の恩恵に預かっている最中のため咎めることはできず、代わりに深いため息をついて、プリントにペンを走らせた。

「でもさ、ここまでする必要ある?」
「え、変ですか?」
「男の子にしては珍しいよね。女の子同士が協力しているのはよく見かけるけど」

 そういうものなのかとノックついでにシャーペンを顎に当てた。
 恋愛とは距離を置いた人生を送ってきた。自ら動くことはもちろん、誰かから好意を向けられたこともない。キューピッドの役割を担う者の基本など知る由もなく、なんとなくこういうものだろう、という曖昧な考えをもとに動いている。柳田からもう少し控えてもいいかも、などという言葉がない限りは大丈夫だろうと高をくくっていた。

「もしかして、やりすぎですか」
「いや、そんなことはないよ。ただ珍しいなって思っただけ。あと、寂しくないのかなって」
「寂しい……」

 考えたことはある。柳田漫画を貸したときに一度だけ。しかし、俺の胸の内に芽吹いた小さな芽はすぐに消えた。友達の幸せは祝うべきだという考えに上書きされたのだ。

「知ってる? 人間ってね、案外すぐに恋愛に夢中になるんだよ。興味ありませんって顔してる人も恋人ができた途端そっちばっかり見て、他のことまで気が回らなくなるの」
「はぁ」
「小田原くんもそうなるかもよって話。水野くん小田原くん以外に友達いなさそうだけど大丈夫?」
「……なんか喧嘩売られてます?」
「あはは、どうだろうね」

 確かに、高校入学以降、環以外と話したことは殆ど無い。入学直後は、席が近いクラスメイトと会話を交わすこともあったが、いつの間にかすっかり話さなくなっていた。2学期に突入して漸く、柳田や蒲田と話すようになったのだ。しかし、それは環にも言えることだ。俺程ではないにしても、環もまた俺以外と話していることは珍しい。そうでなくとも、小学生から続く、かれこれ10年以上の付き合いだ。その程度で崩れるような関係ではないと自負している。今まで通りとは行かなくとも、関係値が0になることはない。

「まぁ、別にいいですよ。そっち優先しても」
「そう? 水野くんがいいならいいけど」

 パタリとノートを閉じる。歴代ノートを参考に自分の意見を付け加えたプリントが完成した。俺1人では、たどり着くことのできなかった見事な完成度だ。ざっと目を通し、誤字脱字がないか確認して、蒲田にノートを返した。

「ノートありがとうございました」
「いーえ。教室戻るの?」

 一瞬の逡巡の後、首を横に振った。環と柳田は看板作りの担当だ。俺もその中の1人である。今俺が戻ってしまえば、環と柳田を2人きりにするという目標が達成できないのは目に見えている。文化祭の準備は始まったばかりだ。高校の文化祭というものがどれほどの規模のものなのか知らないが、もう少し時間稼ぎをしても文句は言われないだろう。

「もう少しだけいます」
「じゃあ僕ももう少しサボろうかな」

 堂々とサボり発言をする蒲田に胡乱な視線を送りながらも、話し相手が確保できた俺はぐっと伸びをして時計を見た。6限が半分ほど過ぎている。7限までに帰ればいいかと1人結論づけ、案外不真面目な先輩との話を弾ませた。
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