【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

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シクラメン

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 なんだかんだ言いつつ、蒲田との会話を楽しんでいれば、授業2時間分と放課後1時間はあっという間に過ぎ去った。おかげで、環と柳田のことで落ち込んでいた俺の気持ちも、まっすぐ椅子に座れる程度には回復している。普段は終礼の合図として役割を果たしているチャイムからきっちり1時間後、戸締りを終えた俺と蒲田は、なんてことない会話を交わしながら靴箱へと向かっていた。図書室では憎まれ口を叩く蒲田だが、図書室を出れば柔らかい口調の優等生へと戻る。その変わりように呆れながら歩いていれば、靴箱にもたれかかるようにしゃがみ込む男子生徒を見つけた。立てた膝に顔を埋めているため顔は見えないが、ふわふわとした黒髪に見覚えがあり、蒲田との会話を中断して声をかけた。

「環?」

 予想は当たっていたようで、俺の顔をとらえた途端にパッと笑顔を浮かべた。

「お疲れ」

 一瞬、蒲田の方に視線を送ったが、何事もなかったかのように俺の隣に立った環に肩を引き寄せられる。

「先帰っててって言わなかったっけ?」
「待ってるよって連絡したよ」
「連絡?」

 あったっけ? と内心首を傾げたが、環や柳田からの連絡を断つために電源を落としていたことを思い出し、「あー……」と絞り出すような声を漏らした。

「ごめん、今日やること多かったから見れてなかった」
「ふぅん?」

 環の探るような目つきから逃れるように泳いだ視線は、蒲田に落ち着いた。

「お迎え来て良かったね」
「え、あー……っす」
「先輩帰んないんですかー」
「じゃあ、先に帰らせてもらうよ。またね、水野くん」
「お疲れ様です」
「うん、お疲れ様」

 ひらと手を振る蒲田の後ろ姿を見つめながら、気を使わせてしまったかと懸念したが、図書室で見せる砕けた口調を思い出し、それはないかと払拭した。去り際、軽く振り返り小さく手を振った蒲田に、ぺこと頭を下げてから環の方を見ると無表情で俺を見る環と目が合った。

「どした?」
「別にぃ」

 すぐにいつもの笑顔が戻り、気のせいかと前を向き、靴箱へと向かう。

「今日、委員会遅くなるんじゃなかった?」
「え、……あー、ほら、やることいっぱいあったんだけど、文化祭の準備のついでにやったら案外早く終わって」
「そっか」

 金属の扉を開け、スニーカーを取り出しながら、小さな嘘はこうして積み重なっていくのだと人知れず息を吐いた。柳田の協力を始めてから、環を欺くことが増えてしまった。些細な隠し事はあれど、これまで嘘をつくことなどなかったはずだ。環のことを思ってのこととはいえ、心苦しさに襲われる。しかし、環が柳田ではなく俺を選んだという事実に、浮き足立っているのも事実だ。まだ勝っている。自分の方が上だ。そんな傲慢きちな考えがぶわりと浮かんでは消える。罪悪感と幸福感の板挟みになった顔がぐにぐにと歪む。

「なーに百面相してんの」
「べ、っつに何も?」

 横から覗き込む環の顔を押し返し、スニーカーに足を捩じ込んだ。

「ほら、さっさと帰るぞ」
「はぁい」

 学校から駅まで10分。そこから電車に揺られ20分。駅から各々の家まで10分程度。これが俺たちの通学ルートだ。いつも通りのスケジューリングであれば、程よく乗客の乗った電車の席に座ることができるが、委員会により1時間ズレた電車の乗車率はぐっと上がる。退勤ラッシュの電車でサラリーマンたちと押し合いながら帰ることは、なかなかにしんどい。中央に行けば四方八方から押し寄せる知らない人と顔を近づけ、壁際に行けば壁に押し付けられる次第だ。どたらも地獄であることに変わりはない。
 20分にわたる拷問のような空間からようやく解放され、げっそりとした俺を指差し、環はゲラゲラと笑い声を上げるのだ。

「いい加減慣れなよ」
「いや、無理だろあんなん……」
「あざみくんは繊細ですもんねー」

 肩に回した手で俺の頬をつかみ、感触を楽しむようにむにむにと押す。それに抵抗する気力すらもすっかり奪われ、やりたいようにさせていた。

「あざみ、この後何か予定ある?」
「ないけど」
「じゃあ、今日は家で遊ぼ」

 珍しい提案に目を瞬かせた。俺たちが放課後に遊ぶようになって久しいが、遊び場といえば専ら俺の家が多かった。俺の親が共働きのため、わずかな時間であるが大人の監視がないことは俺たちにとって都合が良かったのだ。加えて、環の家に遊びに行く度、「あざみくんに迷惑かけちゃダメよ」と口酸っぱく言う母親に環がうんざりしてたこともあって、自然と俺の部屋で集まるようになった。疑問をそのまま顔に出していたであろう俺に、環が「今日から親いないんだ。親戚の結婚式で」と補足した。環は面倒だからと断ったらしい。
 
「それに新しいゲーム買ったんだよね」
「行く」

 環の言葉に被せるように即答した。環に笑われ顔がほんのり熱くなる。

「な、何買ったの?」
「柿鉄の新作」
「は? 絶対行く。100年……は無理か。何年ならいけるかな」
「はいはい。遅くなると思うし、連絡しときなよ」
 
 カバンの中でスマホの電源を入れ、立ち上がったのを確認してから取り出す。ロック画面の一番上には見慣れたアイコンと『靴箱で待ってるね』のメッセージが。そして、その下には、『上手くいきそうかも』と続いていた。人気テーマパークで撮ったであろうカチューシャをつけた後ろ姿の写真。ここ最近で、見慣れてしまった柳田からのメッセージに、浮き足立つ心に翳りが差した。自分から先に断ったのだ。その後、環がどのような選択をしても、咎める権利はない。それでも、少しくらいごねてくれるのではないかと驕っていた自分が恥ずかしい。蒲田が言っていたように友情より恋愛を優先するタイプだった。それだけのことだ。自分自身に言い聞かせるように、そう繰り返した。気を紛らわすように母親とのトーク画面を開く。『環の家で遊んでくるから晩御飯いらない』
 すでに退勤しているのだろうか。送信ボタンを押すとほぼ同時に既読がついた。『あまり迷惑かけちゃダメよ。9時までには帰って来なさい。』

「おばさん何て?」
「遅くなりすぎないようにだって」
「夜どうする? コンビニで何か買う?」
「あ、俺卵ロール残ってる」
「卵ロール?」
「うん。昼食い損ねたやつ」
「ちゃんと食べなよ」
「食べてるよ。今日だけたまたま」

 そう、たまたま。たまたま、恋愛相談に乗っていた人と好きな人が被って。たまたま、その2人の距離が縮まって。たまたま、ライバルの背中を押す羽目になって。そんな小さな偶然の積み重ねだ。あの体育祭で、柳田の申し出を受け入れなければ、こんなに苦しむことはなかったのだろうか。環への想いに気づくことも、たった1人の幼馴染を奪われることも、全部全部、あの日俺が承諾したことから始まってしまったのだ。
 心に翳りがさす。バレないよう無理やり口角を上げる。そうしなければならない。懸命に作り上げた下手くそな笑みを浮かべ顔を上げた。ネガティブな思想に追いやられ、ぼんやり歩いていたせいで、コンビニを通りすぎていることに今更気がつき、足を止める。

「環は何も買わねぇの?」
「冷凍チャーハンあった気がするからそれ食べる」
「あぁ」

 「最近よく食べてるよな」その言葉が続くことはなく、代わりに「ん?」と空を見上げる。

「どした?」
「いや、雨降ってる気がして……」
「雨?」

 手のひらを空に向け、上を向いた俺の目にぽたりと水滴が落ちる。頬へ、手へ、頭へ。不規則に落ちてくる雫の間隔はだんだんと短くなり、やがて大雨となって俺たちの頭上に降り注いだ。

「えっ、うわっ! 最悪! 走るよ!」

 環が声を上げた。ぼんやりと空を見つめたままの俺の手を取り走り出す。青空が顔を覗かせていた空は、いつの間にか鈍色の雲で覆い隠されていた。
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