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サイネリア
2※嘔吐表現あり
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飲み慣れない風邪薬はよく効くものだ。風邪に対する効能もそうだが、副作用が齎らす眠気も凄まじい。
午前中に飲んだ薬の効果で深い眠りについた俺は、インターホンが聞こえるまでぐっすりと眠っていた。録画でも見ようかとテレビをつけたまま、リビングで眠りこけていたため気づくことができたが、部屋に戻っていれば聞き逃していただろう。
壁にかかった時計は、10分もしないうちに夕方の時報が鳴り響く時刻を指していた。朝に比べると随分軽くなった体を起こし、玄関へと向かう。
こんな中途半端な時間の来訪者なんて宅配以外あり得ない。そう決めつけ、乾き切った冷却シートや寝癖もそのままに、ドアを開けた。
「あ、仮病じゃなかったんだ」
やっほ、あざみ。昨日ぶり。そんなことを言い、軽い調子で現れた環に面食らう。俺の反応を気にすることなく、勝手知ったると言った感じで俺の部屋に向かう環を、慌てて追いかけた。
「えっ、なん、なんで来た……?」
「何でって、そんなんお見舞い一択でしょー。あ、ついでに課題も持ってきたよ。あとで写させてあげる」
「それは助かるけど……」
テーブルの上にばさばさとプリントが置かれていく。全て出し終わったのか、バッグを放り出した環は、部屋の入り口に立ったままのあざみを見上げ、「座らないの?」と聞いてくる。隣をぽんぽんと叩かれれば、そこに座る以外の選択肢は断たれたも同然で、困惑しながら隣に腰を下ろした。
「もしかして、さっきまで寝てた? 髪ぼっさぼさ。シートもカピカピじゃん」
額のシートを剥がされる。皮膚が引っ張られ、少しの痛みが走った。
「ってかさぁ、聞いてよ。今日抜き打ちで持ち物検査あったんだけどさぁ、植草がゲーム持ち込んでたせいで、うちのクラスだけめっちゃ厳しかったの。担当戸田せんになって、カバンどころか制服のポケットまで確認されてさ。ひどくない? ま、俺はセーフだったけど。再検査あるかもだからあざみも気付けてね」
「あぁ、うん」
剥がしたシートを弄びながら環が話を続ける。
いつも通りの環だった。強いていえば、持ち物検査が余程嫌だったのか愚痴が多い。それを除けば、恐ろしいほどに普通だ。
まるで何事もなかったかのように。昨日は、雨に打たれてシャワーを浴びて、そのあとは疲れが溜まった体が睡魔に耐えきれず寝てしまっただけではないか。そんな考えが浮かんだ。
しかし、下半身に残る違和感がそうではないと、あれは現実だと訴えかけてくる。
「な、なぁ」
「んー?」
何で普通なんだよ。言いたい言葉は発されることなく飲み込まれた。直接聞けるわけがない。気にするほどのことではないと言われても、何かあったっけと惚けられても上手く反応できる自信がない。小心者が顔を出し、へらりと笑顔を浮かべた。
「課題、写していい?」
「いいよ」
鞄から取り出した課題を受け取る。下までしっかりと埋められたプリントをテーブルに置き、同じものを探し出す。
少しの違和感と居心地の悪さ。それらから目を逸らせば普通だ。普通。普通でいい。いつも通り。平常心。
「そういえばさ、今日クラスTのサイズ希望聞かれたんだけど、あざみの分まで勝手に書いちゃった。Lでいいよね?」
「うん、大丈夫。てかクラスTとかあるんだ? 知らなかった」
「あー、あざみいないときに話進んだのかも。ほら、あの子。誰だっけな……まぁいいや。美術部の子がねデザイン張り切ってたよ」
「へぇ。うちのクラス美術部いるんだ」
「そっから? 体育祭の看板作りとかにも立候補してたじゃん」
「そうだっけ?」
「まぁ、俺もこの前知ったんだけど」
「一緒じゃん」
普通に。普通に。普通……。
2人分の笑い声が響く中、俺は手を止めた。空欄は全く埋まっていなかった。無理矢理あげた頬が痛む。1番心を許せる人といるのに、心は全く踊らず沈みゆく一方だ。普通に接することなど、できるはずがない。俺の心の中は、今にも溢れ返りそうなほど、たくさんの感情でごった返しになっているのだ。その中で平常心を保つことなどできなかった。それなのに。
隣を盗み見た。スマホを弄りながら会話を続ける横顔は見慣れたものだ。
――何で……。
ぐちゃぐちゃの心の中、最後に残ったのは至極シンプルな疑問だ。
何でそんなに普通なんだ。
何で何も言わないんだ。
何で、なかったことにしようとするんだ。
その質問の答えは見つからない。全てなかったことにされるくらいなら、ヘラヘラと悪びれもなく謝られた方がマシだった。男同士がどうやるのか興味あったんだよねと。飽きたからもう良いよと。そんな心ない言葉を投げかけられた方が、ずっとマシだった。
「ごめん、ちょっとトイレ」
「はーい、いってらー」
堪らず部屋を出た。一度キッチンに寄ってトイレに入る。口元に袋を当てると、心を埋め尽くしていた感情がまろびでた。
中央に向かって白くなる淡い青。口蓋垂を押し上げた細い花弁が連なる花で袋はあっという間にいっぱいになった。青く染まった袋を握りしめ、壁伝いに座り込む。
環のことが分からない。幼い頃から長い時間をともに過ごし、どんなときも隣りに居た存在が、たった1つの出来事で手の届かない場所に行ってしまったかのようだった。
ころころと変わる表情が好きだったのに、それに恐怖を覚え始めた。その笑顔の裏側で何を考えているのか分からない。分からないから怖い。柳田に好意を抱いていながら、セックスの練習だなんて。そんな環の考えも、それでも好きだと訴える自分の心も、何もかもが分からない。
「意味分かんねぇ……」
頭をかき乱した。ソファに押し付けられて曲がった髪の毛に指が沈んでいく。いつもよりボリュームの増した頭髪は、俺の指をすっぽり覆い隠した。
混ぜて。混ぜて。かき混ぜて。釈然としないざらざらの心を均すように掻き乱した俺は、袋からこぼれ落ちた自分に不釣り合いな綺麗な花を見て、嘲笑混じりのため息を吐いた。
午前中に飲んだ薬の効果で深い眠りについた俺は、インターホンが聞こえるまでぐっすりと眠っていた。録画でも見ようかとテレビをつけたまま、リビングで眠りこけていたため気づくことができたが、部屋に戻っていれば聞き逃していただろう。
壁にかかった時計は、10分もしないうちに夕方の時報が鳴り響く時刻を指していた。朝に比べると随分軽くなった体を起こし、玄関へと向かう。
こんな中途半端な時間の来訪者なんて宅配以外あり得ない。そう決めつけ、乾き切った冷却シートや寝癖もそのままに、ドアを開けた。
「あ、仮病じゃなかったんだ」
やっほ、あざみ。昨日ぶり。そんなことを言い、軽い調子で現れた環に面食らう。俺の反応を気にすることなく、勝手知ったると言った感じで俺の部屋に向かう環を、慌てて追いかけた。
「えっ、なん、なんで来た……?」
「何でって、そんなんお見舞い一択でしょー。あ、ついでに課題も持ってきたよ。あとで写させてあげる」
「それは助かるけど……」
テーブルの上にばさばさとプリントが置かれていく。全て出し終わったのか、バッグを放り出した環は、部屋の入り口に立ったままのあざみを見上げ、「座らないの?」と聞いてくる。隣をぽんぽんと叩かれれば、そこに座る以外の選択肢は断たれたも同然で、困惑しながら隣に腰を下ろした。
「もしかして、さっきまで寝てた? 髪ぼっさぼさ。シートもカピカピじゃん」
額のシートを剥がされる。皮膚が引っ張られ、少しの痛みが走った。
「ってかさぁ、聞いてよ。今日抜き打ちで持ち物検査あったんだけどさぁ、植草がゲーム持ち込んでたせいで、うちのクラスだけめっちゃ厳しかったの。担当戸田せんになって、カバンどころか制服のポケットまで確認されてさ。ひどくない? ま、俺はセーフだったけど。再検査あるかもだからあざみも気付けてね」
「あぁ、うん」
剥がしたシートを弄びながら環が話を続ける。
いつも通りの環だった。強いていえば、持ち物検査が余程嫌だったのか愚痴が多い。それを除けば、恐ろしいほどに普通だ。
まるで何事もなかったかのように。昨日は、雨に打たれてシャワーを浴びて、そのあとは疲れが溜まった体が睡魔に耐えきれず寝てしまっただけではないか。そんな考えが浮かんだ。
しかし、下半身に残る違和感がそうではないと、あれは現実だと訴えかけてくる。
「な、なぁ」
「んー?」
何で普通なんだよ。言いたい言葉は発されることなく飲み込まれた。直接聞けるわけがない。気にするほどのことではないと言われても、何かあったっけと惚けられても上手く反応できる自信がない。小心者が顔を出し、へらりと笑顔を浮かべた。
「課題、写していい?」
「いいよ」
鞄から取り出した課題を受け取る。下までしっかりと埋められたプリントをテーブルに置き、同じものを探し出す。
少しの違和感と居心地の悪さ。それらから目を逸らせば普通だ。普通。普通でいい。いつも通り。平常心。
「そういえばさ、今日クラスTのサイズ希望聞かれたんだけど、あざみの分まで勝手に書いちゃった。Lでいいよね?」
「うん、大丈夫。てかクラスTとかあるんだ? 知らなかった」
「あー、あざみいないときに話進んだのかも。ほら、あの子。誰だっけな……まぁいいや。美術部の子がねデザイン張り切ってたよ」
「へぇ。うちのクラス美術部いるんだ」
「そっから? 体育祭の看板作りとかにも立候補してたじゃん」
「そうだっけ?」
「まぁ、俺もこの前知ったんだけど」
「一緒じゃん」
普通に。普通に。普通……。
2人分の笑い声が響く中、俺は手を止めた。空欄は全く埋まっていなかった。無理矢理あげた頬が痛む。1番心を許せる人といるのに、心は全く踊らず沈みゆく一方だ。普通に接することなど、できるはずがない。俺の心の中は、今にも溢れ返りそうなほど、たくさんの感情でごった返しになっているのだ。その中で平常心を保つことなどできなかった。それなのに。
隣を盗み見た。スマホを弄りながら会話を続ける横顔は見慣れたものだ。
――何で……。
ぐちゃぐちゃの心の中、最後に残ったのは至極シンプルな疑問だ。
何でそんなに普通なんだ。
何で何も言わないんだ。
何で、なかったことにしようとするんだ。
その質問の答えは見つからない。全てなかったことにされるくらいなら、ヘラヘラと悪びれもなく謝られた方がマシだった。男同士がどうやるのか興味あったんだよねと。飽きたからもう良いよと。そんな心ない言葉を投げかけられた方が、ずっとマシだった。
「ごめん、ちょっとトイレ」
「はーい、いってらー」
堪らず部屋を出た。一度キッチンに寄ってトイレに入る。口元に袋を当てると、心を埋め尽くしていた感情がまろびでた。
中央に向かって白くなる淡い青。口蓋垂を押し上げた細い花弁が連なる花で袋はあっという間にいっぱいになった。青く染まった袋を握りしめ、壁伝いに座り込む。
環のことが分からない。幼い頃から長い時間をともに過ごし、どんなときも隣りに居た存在が、たった1つの出来事で手の届かない場所に行ってしまったかのようだった。
ころころと変わる表情が好きだったのに、それに恐怖を覚え始めた。その笑顔の裏側で何を考えているのか分からない。分からないから怖い。柳田に好意を抱いていながら、セックスの練習だなんて。そんな環の考えも、それでも好きだと訴える自分の心も、何もかもが分からない。
「意味分かんねぇ……」
頭をかき乱した。ソファに押し付けられて曲がった髪の毛に指が沈んでいく。いつもよりボリュームの増した頭髪は、俺の指をすっぽり覆い隠した。
混ぜて。混ぜて。かき混ぜて。釈然としないざらざらの心を均すように掻き乱した俺は、袋からこぼれ落ちた自分に不釣り合いな綺麗な花を見て、嘲笑混じりのため息を吐いた。
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