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チューリップ
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「今日元気ないね」
相も変わらず無人の図書室で、いつもの如くカウンターに頬を押し付ける俺に蒲田がかけた言葉だ。卓上は体が震えるほど冷たいが、エアコンの効いた室内に息苦しさを感じる俺にとっては心地が良い。だらしなく伏せている理由はそれだけではないが。
期末テストが終わり、冬休みの気配が近づく校内は賑わっている。来たる長期休みに浮足立ち、来たるクリスマスに色めき立ち。各々の理由で浮かれた生徒に紛れて、俺も心を浮沈させていた。今日は沈の日だ。その原因は昨日の行為にある。
昨日体を重ねた環は、やはり今朝から冷たい態度だった。話しかけても上の空で宙を見つめ、返答はない。時折、思い出したかのように名前を呼ばれたかと思えば、俺の顔を数秒見つめたのち、「何でもない」と顔を背けるのだ。意図のわからないその言動に、俺の心はいつも振り回されている。
何でもいいから話をしたいと「今から図書室行ってくる」と尻すぼみに伝えた時も、眉間に深い皺を寄せたまま「あっそ」というそっけない一言で会話は終了した。数分前の教室で交わした会話と呼んでいいのか分からないそのやりとりを思い出し、俺の心は一層深く沈み込む。想い人に気を取られるあまり、うっかり忘れてしまった小テストの追試を昼休みに受けることになったと伝えた時は普通だったから、尚更。
俺は深いため息をつく代わりに、ゆっくり瞬きをした。
「そうですか?」
落ち込んでいることも、それを隠しきれていないことにも自覚はあるが、それを認めるのは癪に障るというものだ。だらしない体勢のまま、とぼけたように見上げれば「そうだよ」と笑われる。
「気のせいだと思いますけど」
「気のせいなんかじゃないと思うな。だって、全然揶揄いがいがないんだもん」
「おもちゃにするのやめてもらっていいですか」
「えぇー」
けらけらと笑う蒲田は、相変わらず人を揶揄うことに余念がない。ムッと顔を顰めれば、尚のこと笑みを深めるものだからタチが悪い。
一頻り笑い、目尻に浮かんだ涙を拭った蒲田は、人好きする穏やかな笑みを浮かべたまま、こてんと首を傾げた。
「小田原くんと喧嘩でもしちゃった?」
ふいに飛び出た思考の9割を占める幼馴染の名前に肩が跳ねた。さらに言えば、カウンターの天板に膝を打ち付け、室内に響き渡るほど大きな音を立てた。
じんじんと鈍く痛む膝に唇を噛み締めながら、その原因を生み出した男を涙目で見上げる。
「な、んで環が出てくるんですか」
「水野くんの友達なんて小田原くん以外いないでしょ」
「失礼ですよ」
いつもの調子で軽口を叩こうと体を起こして、すぐにまた机に伏せた。
「別に……」
環は今、何を思い、何を考えているのか。何故俺の誘いを断らないのか。何故翌日にはそっけない態度になるのか。頭の中に溢れ出した疑問に視線を落とした。
何もかもが分からなかった。環の気持ちも、別にのあとに続けようとした言葉も。校内に満ちる賑やかな空気と反して、俺の心はみるみると沈んでいく。その様を見て取れたのか、カウンターに肘を付いた蒲田は、普段と変わらない様子で口を開いた。
「僕ねぇ、ゲイなんだ」
散らかった脳内に滑り込んできた柔らかな声色が紡いだその言葉に、俺は静かに目を見開いた。散漫としていた思考は、油を落とされた墨汁のように端に寄せられ、ぽっかりと穴が空いている。
「……はっ?」
やっとの思いで絞り出した空気を吐き出すような声に、蒲田は見慣れた顔でくすくすと笑う。そして、そのまま何でもないように続けるのだ。
「恋愛対象が男なんだよね」
「ど、したんすか、いきなり」
「自覚したのは小学生のとき。かれこれ10年近く向き合ってたことになるね」
あまりの衝撃で、中途半端に頭を浮かせたまま呆然としている俺を気に留めることはなく、話は淡々と続く。
「教育実習生のこと好きになったのが始まりかな。気になるクラスメイトも街で目を奪われるのもみんな同性でね。始めは戸惑ったし、変えようとも思ったんだけど、そんな簡単な話じゃないでしょ? 自分の嗜好を受け入れて、何人か付き合ったこともあるんだよね。だから……」
そこで一度、言葉が途切れた。懐かしむように斜め上を見上げていた視線が下がり、俺を真っ直ぐに見つめる。
「だからさ、分かるんだ。こっち側かどうか」
コツリ。
蒲田の指先が叩いた机が静かな図書室に響いた。
「水野くんはこっち側だよね。……違う?」
蒲田の問いかけに、すぐに答えることはできなかった。確信めいた視線に真っ直ぐ貫かれ、呼吸すらも忘れる。この場を切り抜ける案に思考を巡らしたが、それが意味を持たないことはすぐに理解した。
1を聞いて10を理解するような男だ。その勘の良さに助けられる場面もあれば、苦虫を噛み潰したこともある。今度は、しっかりと上体を起こし、蒲田と向き合った。
相も変わらず無人の図書室で、いつもの如くカウンターに頬を押し付ける俺に蒲田がかけた言葉だ。卓上は体が震えるほど冷たいが、エアコンの効いた室内に息苦しさを感じる俺にとっては心地が良い。だらしなく伏せている理由はそれだけではないが。
期末テストが終わり、冬休みの気配が近づく校内は賑わっている。来たる長期休みに浮足立ち、来たるクリスマスに色めき立ち。各々の理由で浮かれた生徒に紛れて、俺も心を浮沈させていた。今日は沈の日だ。その原因は昨日の行為にある。
昨日体を重ねた環は、やはり今朝から冷たい態度だった。話しかけても上の空で宙を見つめ、返答はない。時折、思い出したかのように名前を呼ばれたかと思えば、俺の顔を数秒見つめたのち、「何でもない」と顔を背けるのだ。意図のわからないその言動に、俺の心はいつも振り回されている。
何でもいいから話をしたいと「今から図書室行ってくる」と尻すぼみに伝えた時も、眉間に深い皺を寄せたまま「あっそ」というそっけない一言で会話は終了した。数分前の教室で交わした会話と呼んでいいのか分からないそのやりとりを思い出し、俺の心は一層深く沈み込む。想い人に気を取られるあまり、うっかり忘れてしまった小テストの追試を昼休みに受けることになったと伝えた時は普通だったから、尚更。
俺は深いため息をつく代わりに、ゆっくり瞬きをした。
「そうですか?」
落ち込んでいることも、それを隠しきれていないことにも自覚はあるが、それを認めるのは癪に障るというものだ。だらしない体勢のまま、とぼけたように見上げれば「そうだよ」と笑われる。
「気のせいだと思いますけど」
「気のせいなんかじゃないと思うな。だって、全然揶揄いがいがないんだもん」
「おもちゃにするのやめてもらっていいですか」
「えぇー」
けらけらと笑う蒲田は、相変わらず人を揶揄うことに余念がない。ムッと顔を顰めれば、尚のこと笑みを深めるものだからタチが悪い。
一頻り笑い、目尻に浮かんだ涙を拭った蒲田は、人好きする穏やかな笑みを浮かべたまま、こてんと首を傾げた。
「小田原くんと喧嘩でもしちゃった?」
ふいに飛び出た思考の9割を占める幼馴染の名前に肩が跳ねた。さらに言えば、カウンターの天板に膝を打ち付け、室内に響き渡るほど大きな音を立てた。
じんじんと鈍く痛む膝に唇を噛み締めながら、その原因を生み出した男を涙目で見上げる。
「な、んで環が出てくるんですか」
「水野くんの友達なんて小田原くん以外いないでしょ」
「失礼ですよ」
いつもの調子で軽口を叩こうと体を起こして、すぐにまた机に伏せた。
「別に……」
環は今、何を思い、何を考えているのか。何故俺の誘いを断らないのか。何故翌日にはそっけない態度になるのか。頭の中に溢れ出した疑問に視線を落とした。
何もかもが分からなかった。環の気持ちも、別にのあとに続けようとした言葉も。校内に満ちる賑やかな空気と反して、俺の心はみるみると沈んでいく。その様を見て取れたのか、カウンターに肘を付いた蒲田は、普段と変わらない様子で口を開いた。
「僕ねぇ、ゲイなんだ」
散らかった脳内に滑り込んできた柔らかな声色が紡いだその言葉に、俺は静かに目を見開いた。散漫としていた思考は、油を落とされた墨汁のように端に寄せられ、ぽっかりと穴が空いている。
「……はっ?」
やっとの思いで絞り出した空気を吐き出すような声に、蒲田は見慣れた顔でくすくすと笑う。そして、そのまま何でもないように続けるのだ。
「恋愛対象が男なんだよね」
「ど、したんすか、いきなり」
「自覚したのは小学生のとき。かれこれ10年近く向き合ってたことになるね」
あまりの衝撃で、中途半端に頭を浮かせたまま呆然としている俺を気に留めることはなく、話は淡々と続く。
「教育実習生のこと好きになったのが始まりかな。気になるクラスメイトも街で目を奪われるのもみんな同性でね。始めは戸惑ったし、変えようとも思ったんだけど、そんな簡単な話じゃないでしょ? 自分の嗜好を受け入れて、何人か付き合ったこともあるんだよね。だから……」
そこで一度、言葉が途切れた。懐かしむように斜め上を見上げていた視線が下がり、俺を真っ直ぐに見つめる。
「だからさ、分かるんだ。こっち側かどうか」
コツリ。
蒲田の指先が叩いた机が静かな図書室に響いた。
「水野くんはこっち側だよね。……違う?」
蒲田の問いかけに、すぐに答えることはできなかった。確信めいた視線に真っ直ぐ貫かれ、呼吸すらも忘れる。この場を切り抜ける案に思考を巡らしたが、それが意味を持たないことはすぐに理解した。
1を聞いて10を理解するような男だ。その勘の良さに助けられる場面もあれば、苦虫を噛み潰したこともある。今度は、しっかりと上体を起こし、蒲田と向き合った。
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