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チューリップ
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HRから時間が経った校舎は人が少ない。しかし、校庭や体育館、校内の至る所から届く掛け声や楽器の音色が薄膜の向こう側で上がっている。昼間とは違う独特の雰囲気が漂う廊下で俺は声を落とし、そっと蒲田に尋ねた。
「先輩はどうやって付き合ったんですか?」
様々な音が溢れているのに静かな廊下では、小さく尋ねたつもりの声が響き、俺は蒲田との距離をつめた。
「告白して付き合ったよ」
「それはそうだと思うんすけど、ほら、その……」
周囲を伺いながら言葉を選ぶ俺に蒲田が、あぁ、と頷く。
「何となく分かるんだよね。同じかなって」
「そこを詳しく」
「言葉にすると難しいんだよなぁ。こう、雰囲気というか視線の配り方というか」
「雰囲気……?」
蒲田の姿を頭の先からつま先まで視線を往復させるが、変わったところは特にない。強いて言えば、放課後だというのに疲れが一切見えないところが不気味ではある。しかし、それは蒲田のいう感覚とは違うのだろう。糸口どころか解れにすら辿り着けず、顔を顰めると「水野くんには難しいか」といい笑顔を向けられた。
「ちょっと、こっちは結構真剣に考えてるんすよ」
「ごめんごめん。代わりにいいこと教えてあげよっか」
「いいこと?」
肩を引き寄せ顔を近づける蒲田に耳を寄せる。
「僕の考えではね――」
「あざみ」
蒲田の声に被さるように名前を呼ばれ顔を上げた。少し離れた後方に見つけた環の姿に、俺の顔がパッと晴れる。
「環……!」
今日は冷たい日だから先に帰っていると思っていたのだ。HR終わりに俺が声をかけた時も、どこか沈んだ様子で、もしかすると今日の帰りは1人だろうかと考えていたために、待っていてくれただけで心が浮上するのが分かった。その勢いのまま、駆け寄ろうと足を上げたところで、蒲田の存在を思い出す。
こういう部分から、隠していた好意を悟られていたのだろうかと顔を上げれば、「正解」とでも言いたげに目を細めていた。途端に気まずさが立ち込め、踏み出そうとした足をゆっくり下ろした。
「続きはまた今度ね、あざみくん」
「あ、は……」
い、と続くはずだった声が飛んでいく。突然名前で呼ばれたことに驚きを隠せず、いつもの調子でニコニコとしている蒲田を呆けた顔で見つめるが、その姿は至って普通だ。声も表情もずっと名前で呼んでいたかのような自然さだ。聞き間違いか、いや違う。頭の中で自問自答を続けていると、不意に腕を引かれる。
「帰るよ」
短く言い、俺の腕をひいて歩く環の横顔は怒りが滲んでいる。蒲田の突拍子もない言動はすっかり抜け落ちた。朝から元気はなかったが、それを踏まえても随分と期限が悪いように感じる。振り向きざまに蒲田に頭を下げようとしたが、忘れ物でもしたのか来た道を戻っていた。視線を環に戻し再び窺うが、やはりその表情は晴れない。放課後に何かあったのだろうか。聞き出そうにも何と声をかければいいのかわからない。今朝から上の空といった様子だから、聞いたとしても教えてくれないだろう。
少し前までは、こんなことで頭を悩ますことなどなかった。隠し事なんてないのが当たり前で、あったとしても尋ねればすぐに教えてくれるような些細な事ばかりだったはずだ。それが、今では隠し事ばかりだ。俺も環のことを糾弾できる立場ではない。胸の奥に仕舞った気持ちに比べれば、環の隠し事何てかわいいものだ。それでも、何もかもを曝け出していた日々を思い出すと、遣る瀬なさが燻るのだ。
あの日できた小さな蟠りが、少しずつ成長して明確な距離ができてしまった。その事実を受け止められない。
「今日、何したの」
怒りをにじませた環に尋ねられた。
「何、って……いつも通り。暇だったよ。誰も来ないし」
「いつも通り?」
「うん」
「変わったことはなかったってこと?」
「うん」
「ふぅん」
立ち止まった環の前髪の向こうから真っすぐと見つめられる。何かを探るようなその目つきに困惑する。
「あざみ」
「うん?」
掴まれた腕を引かれる。その拍子に身体がふらつき、気が付けば環の顔がすぐそこまで迫っていた。
「……っ!」
反射で体を押しのけた。頭の中には蒲田の言葉が反響している。その通りにならないように意識しているせいか、いつもそうなのか顔に熱が集まっていく。冬の冷気に晒されているはずなのに、うっすら汗ばみ始めるほど火照った顔を隠すように前髪を撫でつけた。その向こう側から環の視線を感じた。
仮に、遠目から見ても赤くなっているというのが事実だとしたら、環には遠にバレているはずだ。そんな幼馴染の姿を見て環は何を思ったのだろうか。
そんな幼馴染が顔色を変えなくなったら何を思うだろうか。
些細な変化に気付いてくれるのか。……気づいたら、意識してくれるのか。
「――俺はダメなんだ」
環が何かを呟いた。聞き取ることができず顔を上げれば、諦めたように視線を外される。
「あいつには許したのにね」
「環……?」
一体何の話をしているのか。問おうとした口に環の指が触れる。
「どこまでしたの」
頬を包み込むようにして添えられた手の親指で、乾燥した唇を優しく押してそう言った。その仕草に性的なものを感じとった心臓が音を立てる。口元に添えられた指を辿るように視線をあげ環の目に辿りつくと、すっと目を細められた。そして、答えを急かすように口を開かされるのだ。
唇を割いるように侵入した指が歯列を通り抜け舌先に届く。そのままぐっと押し下げられれば、昨日の情事が頭を過り、カッと顔が赤くなるのを自覚した。
「……ヤッたんだ」
「さっ、きから何の話――」
俺が言い終わるよりも早く環が離れた。口内を侵そうとした指も、腕を強く掴んでいた手も離され、俺を通り過ぎ廊下を進んでいく。そんな環の腕を今度は俺が掴んだ。
「た、環! なぁさっきのどういう意味」
「そのまんまの意味。分かるでしょ。いーよ隠さなくて。元々そういう話だったし」
「だから何の話だよ!」
「腕離して」
「何で?」
「今、あざみの顔見たくない」
環の腕を掴んでいた手から力が抜けた。腕を滑るように落ちていく手を振り払い、俺を見ようともせず足を進める環の背中を呆然と見つめた。追いかけることはできなかった。できるはずがなかった。
初めての拒絶だ。くだらない言い争いをした日だって罵り合いながら隣を歩いた。それすらも許されなかった。言い争って本音をぶつけ合うことも、弁明の機会を与えられることもない、明確な拒絶だった。
目頭に熱がこもり視界が歪んでいく。
ずっと守り続けてきた席に触れることも、もう許されないのかもしれない。恋人どころか友人の立場も届かないものとなってしまったら……。
「環ぃ……」
誰もいない廊下に嗚咽混じりの声が響いた。それに帰ってくる声はない。嬉しそうに細まる垂れ目も、小動物のように甘える態度ももう見ることは叶わない。壊してしまったのは自分の勝手な懐抱と承認欲求だ。環を引き止めたいとあふれ出した愚かな考えを持たなければ、あのとき押さえていればこんなことにはならなかったのだ。
学校だということも忘れて、その場にしゃがみこむ。溢れだした声と涙は、押し付けられたブレザーの袖にしみて、俺の胸に芽生えた後悔のようにじわじわと広がっていった。
「先輩はどうやって付き合ったんですか?」
様々な音が溢れているのに静かな廊下では、小さく尋ねたつもりの声が響き、俺は蒲田との距離をつめた。
「告白して付き合ったよ」
「それはそうだと思うんすけど、ほら、その……」
周囲を伺いながら言葉を選ぶ俺に蒲田が、あぁ、と頷く。
「何となく分かるんだよね。同じかなって」
「そこを詳しく」
「言葉にすると難しいんだよなぁ。こう、雰囲気というか視線の配り方というか」
「雰囲気……?」
蒲田の姿を頭の先からつま先まで視線を往復させるが、変わったところは特にない。強いて言えば、放課後だというのに疲れが一切見えないところが不気味ではある。しかし、それは蒲田のいう感覚とは違うのだろう。糸口どころか解れにすら辿り着けず、顔を顰めると「水野くんには難しいか」といい笑顔を向けられた。
「ちょっと、こっちは結構真剣に考えてるんすよ」
「ごめんごめん。代わりにいいこと教えてあげよっか」
「いいこと?」
肩を引き寄せ顔を近づける蒲田に耳を寄せる。
「僕の考えではね――」
「あざみ」
蒲田の声に被さるように名前を呼ばれ顔を上げた。少し離れた後方に見つけた環の姿に、俺の顔がパッと晴れる。
「環……!」
今日は冷たい日だから先に帰っていると思っていたのだ。HR終わりに俺が声をかけた時も、どこか沈んだ様子で、もしかすると今日の帰りは1人だろうかと考えていたために、待っていてくれただけで心が浮上するのが分かった。その勢いのまま、駆け寄ろうと足を上げたところで、蒲田の存在を思い出す。
こういう部分から、隠していた好意を悟られていたのだろうかと顔を上げれば、「正解」とでも言いたげに目を細めていた。途端に気まずさが立ち込め、踏み出そうとした足をゆっくり下ろした。
「続きはまた今度ね、あざみくん」
「あ、は……」
い、と続くはずだった声が飛んでいく。突然名前で呼ばれたことに驚きを隠せず、いつもの調子でニコニコとしている蒲田を呆けた顔で見つめるが、その姿は至って普通だ。声も表情もずっと名前で呼んでいたかのような自然さだ。聞き間違いか、いや違う。頭の中で自問自答を続けていると、不意に腕を引かれる。
「帰るよ」
短く言い、俺の腕をひいて歩く環の横顔は怒りが滲んでいる。蒲田の突拍子もない言動はすっかり抜け落ちた。朝から元気はなかったが、それを踏まえても随分と期限が悪いように感じる。振り向きざまに蒲田に頭を下げようとしたが、忘れ物でもしたのか来た道を戻っていた。視線を環に戻し再び窺うが、やはりその表情は晴れない。放課後に何かあったのだろうか。聞き出そうにも何と声をかければいいのかわからない。今朝から上の空といった様子だから、聞いたとしても教えてくれないだろう。
少し前までは、こんなことで頭を悩ますことなどなかった。隠し事なんてないのが当たり前で、あったとしても尋ねればすぐに教えてくれるような些細な事ばかりだったはずだ。それが、今では隠し事ばかりだ。俺も環のことを糾弾できる立場ではない。胸の奥に仕舞った気持ちに比べれば、環の隠し事何てかわいいものだ。それでも、何もかもを曝け出していた日々を思い出すと、遣る瀬なさが燻るのだ。
あの日できた小さな蟠りが、少しずつ成長して明確な距離ができてしまった。その事実を受け止められない。
「今日、何したの」
怒りをにじませた環に尋ねられた。
「何、って……いつも通り。暇だったよ。誰も来ないし」
「いつも通り?」
「うん」
「変わったことはなかったってこと?」
「うん」
「ふぅん」
立ち止まった環の前髪の向こうから真っすぐと見つめられる。何かを探るようなその目つきに困惑する。
「あざみ」
「うん?」
掴まれた腕を引かれる。その拍子に身体がふらつき、気が付けば環の顔がすぐそこまで迫っていた。
「……っ!」
反射で体を押しのけた。頭の中には蒲田の言葉が反響している。その通りにならないように意識しているせいか、いつもそうなのか顔に熱が集まっていく。冬の冷気に晒されているはずなのに、うっすら汗ばみ始めるほど火照った顔を隠すように前髪を撫でつけた。その向こう側から環の視線を感じた。
仮に、遠目から見ても赤くなっているというのが事実だとしたら、環には遠にバレているはずだ。そんな幼馴染の姿を見て環は何を思ったのだろうか。
そんな幼馴染が顔色を変えなくなったら何を思うだろうか。
些細な変化に気付いてくれるのか。……気づいたら、意識してくれるのか。
「――俺はダメなんだ」
環が何かを呟いた。聞き取ることができず顔を上げれば、諦めたように視線を外される。
「あいつには許したのにね」
「環……?」
一体何の話をしているのか。問おうとした口に環の指が触れる。
「どこまでしたの」
頬を包み込むようにして添えられた手の親指で、乾燥した唇を優しく押してそう言った。その仕草に性的なものを感じとった心臓が音を立てる。口元に添えられた指を辿るように視線をあげ環の目に辿りつくと、すっと目を細められた。そして、答えを急かすように口を開かされるのだ。
唇を割いるように侵入した指が歯列を通り抜け舌先に届く。そのままぐっと押し下げられれば、昨日の情事が頭を過り、カッと顔が赤くなるのを自覚した。
「……ヤッたんだ」
「さっ、きから何の話――」
俺が言い終わるよりも早く環が離れた。口内を侵そうとした指も、腕を強く掴んでいた手も離され、俺を通り過ぎ廊下を進んでいく。そんな環の腕を今度は俺が掴んだ。
「た、環! なぁさっきのどういう意味」
「そのまんまの意味。分かるでしょ。いーよ隠さなくて。元々そういう話だったし」
「だから何の話だよ!」
「腕離して」
「何で?」
「今、あざみの顔見たくない」
環の腕を掴んでいた手から力が抜けた。腕を滑るように落ちていく手を振り払い、俺を見ようともせず足を進める環の背中を呆然と見つめた。追いかけることはできなかった。できるはずがなかった。
初めての拒絶だ。くだらない言い争いをした日だって罵り合いながら隣を歩いた。それすらも許されなかった。言い争って本音をぶつけ合うことも、弁明の機会を与えられることもない、明確な拒絶だった。
目頭に熱がこもり視界が歪んでいく。
ずっと守り続けてきた席に触れることも、もう許されないのかもしれない。恋人どころか友人の立場も届かないものとなってしまったら……。
「環ぃ……」
誰もいない廊下に嗚咽混じりの声が響いた。それに帰ってくる声はない。嬉しそうに細まる垂れ目も、小動物のように甘える態度ももう見ることは叶わない。壊してしまったのは自分の勝手な懐抱と承認欲求だ。環を引き止めたいとあふれ出した愚かな考えを持たなければ、あのとき押さえていればこんなことにはならなかったのだ。
学校だということも忘れて、その場にしゃがみこむ。溢れだした声と涙は、押し付けられたブレザーの袖にしみて、俺の胸に芽生えた後悔のようにじわじわと広がっていった。
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