53 / 65
チューリップ
5
しおりを挟む
昨日、環は本当に1人で帰ってしまったらしい。淡い期待を抱いて環の靴箱を覗いたが、そこにあったのは学校指定の中履きだけだった。正門にも、駅にも姿は見当たらなかった。家に押し掛ける勇気はなく、辛うじて送ったメッセージも、ついぞ既読が付くことはなかった。
毎朝の通学で環と待ち合わせはしていない。駅へと続く通りで落ち合うことが多い。欠席や寝坊で1人通学することもある。そういった場合は連絡をするのが暗黙の了解だ。環と違い朝の弱い俺は定期的に寝坊したと連絡を入れるし、体調を崩した環から今日は休むとメッセージを受け取ったこともある。しかし、今日は何の連絡もない。にもかかわらず、駅へと続く通りでも通勤や通学の人で溢れたホームでも環の姿はなかった。『寝坊?』と送ったメッセージにも、もちろん返信はない。念のためいつも乗っている電車を見送って、1本遅いぎりぎりの時間に到着する電車に乗ることにしたが意味はなかった。
連絡もなしに1人で電車に揺られるのは初めてで、膝の上に乗せたリュックに顔を埋めて深い溜息をついた。
欲が出た。望みのない友人に好きになってもらえる可能性があるのではないかと。心は無理でも、体に、記憶に、自分という存在を刻むことができるのではないかと。自分が唯一差し出せるものを使って、環の興味を引き止めたかった。それが望ましい形でなかったとしても。そんな浅ましい自我を優先した結果がこれだ。
目頭がつんと熱くなる。朝の電車だというのに、こみ上げる涙を袖で乱雑に拭い取った。拭っても拭っても溢れ落ちて、キリがない。……どこで間違えてしまったのだろう。少し前までは、普通の友達として隣に立っていたはずなのに、もうそれすら許されない。こんなことになるならば、いっそ環への想いを自覚したくなかった。
始業のベルぎりぎりに滑り込んだ教室に環の姿はなかった。机の横には鞄がかけられているところを見ると、席を外しているのだろう。その事実が、意図的に避けられていることを突きつけられているようで、胸に深く刺さった。静かに溜息をつきながら自席の椅子をひき腰を下ろした。
「水野おはよー」
そう挨拶をしたのは蒔田だ。入学直後席が前後で仲良くなった彼と再び席が近くなったのだ。文化祭の直後に行われた席替えで柳田とは席が離れ、すっかり話すことはなくなった。しばらく経った頃環から振られたと報告を受けっきり、連絡は一切取っていない。環とは更に席が離れた。廊下側の真ん中あたりの俺に対して環は窓際の前方だ。どちらかが歩み寄らない限りは話すどころか目も合わない距離だ。
「おはよ」
「小田原1人だったから休むのかと思ったわ。寝坊?」
「あー、そんなとこ」
「やっぱりな。ギリギリまで寝てただろ。目赤い」
「マジか」
指先で目元をなぞる。乱雑に拭き取ったせいかひりひりとしている。
「環、何時ごろ来てた?」
「俺が来た時にはいたけど……何で?」
「連絡すんの遅くなったからさ、大丈夫だったかなって」
「本当仲いいよな、お前ら」
「はは、そう見える?」
「そりゃあな」
まだ仲良く見えているらしい。第三者からの小さな言葉1つで寂しさが和らいだ気がした。
「でもよかったな、今日とだせん休みで。いたら正門で止められてたかもよ」
蒔田の言葉に、鞄の中を漁っていた顔を上げた。生徒指導を務めている戸田は、始業ベルの10分ほど前から正門の前で点検をしていることが多い。以前、寝坊したときに遅刻こそしなかったが、もう少し早く来いと5分ほど口頭注意を受けたことがある。今日は、戸田の点検が始まっているであろう時間に門をくぐったわけではあるが、目を光らせる厳しい教師の姿はなかった。全校朝会がある日や戸田が顧問をしているバスケ部の大会がある日は点検がないため、今日は運が良かったのだと気に留めていなかったが、どうやら休みらしい。
「休みなの?」
「昨日先生から連絡あっただろ。インフルらしいから今週はいないの確定だよ」
そんな連絡あっただろうかと記憶を辿るが、思い出せない。「へぇ」と気が抜けた返事をすれば、「おいおい」と呆れたような笑い交じりの溜息をつかれた。
「話はちゃんと聞けよな」
「蒔田は意外とそういうのちゃんとしてるよな」
「意外ってなんだよ意外って。つーかその調子だと授業変更のこともすっかり忘れてんじゃねぇの?」
「授業変更?」
もう一度記憶を辿ったが、やはり思い出せなかった。しかし教材のほとんどをロッカーに入れているから問題はない。課題があれば急いでしなければならないが、その時は移させてもらおう。
「やっぱりなぁ! とだせん休みだし、他の先生は他クラスの授業入ってるからって急遽体育に変更だって言ってただろ」
「……マジ?」
「マジ。5限は体育だよ」
予想外の変更に鞄の中に視線を移した。釣られるように蒔田の視線も落ちる。その中に体育服はもちろんない。ロッカーに置いているわけもなく、蒔田と顔を合わせた。
「忘れた……」
「まぁ、他のクラスに借りればいいだろ」
「うん」
他クラスの知り合いを思い浮かべるも、脳内に浮かんだのは残念ながら1人もいなかった。こんなところで友人の少なさ痛感するとは思ってもおらず、励ます様に肩を叩く蒔田に曖昧に笑い返した。
毎朝の通学で環と待ち合わせはしていない。駅へと続く通りで落ち合うことが多い。欠席や寝坊で1人通学することもある。そういった場合は連絡をするのが暗黙の了解だ。環と違い朝の弱い俺は定期的に寝坊したと連絡を入れるし、体調を崩した環から今日は休むとメッセージを受け取ったこともある。しかし、今日は何の連絡もない。にもかかわらず、駅へと続く通りでも通勤や通学の人で溢れたホームでも環の姿はなかった。『寝坊?』と送ったメッセージにも、もちろん返信はない。念のためいつも乗っている電車を見送って、1本遅いぎりぎりの時間に到着する電車に乗ることにしたが意味はなかった。
連絡もなしに1人で電車に揺られるのは初めてで、膝の上に乗せたリュックに顔を埋めて深い溜息をついた。
欲が出た。望みのない友人に好きになってもらえる可能性があるのではないかと。心は無理でも、体に、記憶に、自分という存在を刻むことができるのではないかと。自分が唯一差し出せるものを使って、環の興味を引き止めたかった。それが望ましい形でなかったとしても。そんな浅ましい自我を優先した結果がこれだ。
目頭がつんと熱くなる。朝の電車だというのに、こみ上げる涙を袖で乱雑に拭い取った。拭っても拭っても溢れ落ちて、キリがない。……どこで間違えてしまったのだろう。少し前までは、普通の友達として隣に立っていたはずなのに、もうそれすら許されない。こんなことになるならば、いっそ環への想いを自覚したくなかった。
始業のベルぎりぎりに滑り込んだ教室に環の姿はなかった。机の横には鞄がかけられているところを見ると、席を外しているのだろう。その事実が、意図的に避けられていることを突きつけられているようで、胸に深く刺さった。静かに溜息をつきながら自席の椅子をひき腰を下ろした。
「水野おはよー」
そう挨拶をしたのは蒔田だ。入学直後席が前後で仲良くなった彼と再び席が近くなったのだ。文化祭の直後に行われた席替えで柳田とは席が離れ、すっかり話すことはなくなった。しばらく経った頃環から振られたと報告を受けっきり、連絡は一切取っていない。環とは更に席が離れた。廊下側の真ん中あたりの俺に対して環は窓際の前方だ。どちらかが歩み寄らない限りは話すどころか目も合わない距離だ。
「おはよ」
「小田原1人だったから休むのかと思ったわ。寝坊?」
「あー、そんなとこ」
「やっぱりな。ギリギリまで寝てただろ。目赤い」
「マジか」
指先で目元をなぞる。乱雑に拭き取ったせいかひりひりとしている。
「環、何時ごろ来てた?」
「俺が来た時にはいたけど……何で?」
「連絡すんの遅くなったからさ、大丈夫だったかなって」
「本当仲いいよな、お前ら」
「はは、そう見える?」
「そりゃあな」
まだ仲良く見えているらしい。第三者からの小さな言葉1つで寂しさが和らいだ気がした。
「でもよかったな、今日とだせん休みで。いたら正門で止められてたかもよ」
蒔田の言葉に、鞄の中を漁っていた顔を上げた。生徒指導を務めている戸田は、始業ベルの10分ほど前から正門の前で点検をしていることが多い。以前、寝坊したときに遅刻こそしなかったが、もう少し早く来いと5分ほど口頭注意を受けたことがある。今日は、戸田の点検が始まっているであろう時間に門をくぐったわけではあるが、目を光らせる厳しい教師の姿はなかった。全校朝会がある日や戸田が顧問をしているバスケ部の大会がある日は点検がないため、今日は運が良かったのだと気に留めていなかったが、どうやら休みらしい。
「休みなの?」
「昨日先生から連絡あっただろ。インフルらしいから今週はいないの確定だよ」
そんな連絡あっただろうかと記憶を辿るが、思い出せない。「へぇ」と気が抜けた返事をすれば、「おいおい」と呆れたような笑い交じりの溜息をつかれた。
「話はちゃんと聞けよな」
「蒔田は意外とそういうのちゃんとしてるよな」
「意外ってなんだよ意外って。つーかその調子だと授業変更のこともすっかり忘れてんじゃねぇの?」
「授業変更?」
もう一度記憶を辿ったが、やはり思い出せなかった。しかし教材のほとんどをロッカーに入れているから問題はない。課題があれば急いでしなければならないが、その時は移させてもらおう。
「やっぱりなぁ! とだせん休みだし、他の先生は他クラスの授業入ってるからって急遽体育に変更だって言ってただろ」
「……マジ?」
「マジ。5限は体育だよ」
予想外の変更に鞄の中に視線を移した。釣られるように蒔田の視線も落ちる。その中に体育服はもちろんない。ロッカーに置いているわけもなく、蒔田と顔を合わせた。
「忘れた……」
「まぁ、他のクラスに借りればいいだろ」
「うん」
他クラスの知り合いを思い浮かべるも、脳内に浮かんだのは残念ながら1人もいなかった。こんなところで友人の少なさ痛感するとは思ってもおらず、励ます様に肩を叩く蒔田に曖昧に笑い返した。
10
あなたにおすすめの小説
嘘をついたのは……
hamapito
BL
――これから俺は、人生最大の嘘をつく。
幼馴染の浩輔に彼女ができたと知り、ショックを受ける悠太。
それでも想いを隠したまま、幼馴染として接する。
そんな悠太に浩輔はある「お願い」を言ってきて……。
誰がどんな嘘をついているのか。
嘘の先にあるものとはーー?
天使から美形へと成長した幼馴染から、放課後の美術室に呼ばれたら
たけむら
BL
美形で天才肌の幼馴染✕ちょっと鈍感な高校生
海野想は、保育園の頃からの幼馴染である、朝川唯斗と同じ高校に進学した。かつて天使のような可愛さを持っていた唯斗は、立派な美形へと変貌し、今は絵の勉強を進めている。
そんなある日、数学の補習を終えた想が唯斗を美術室へと迎えに行くと、唯斗はひどく驚いた顔をしていて…?
※1話から4話までは別タイトルでpixivに掲載しております。続きも書きたくなったので、ゆっくりではありますが更新していきますね。
※第4話の冒頭が消えておりましたので直しました。
僕の番
結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが――
※他サイトにも掲載
僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ/Ⅱ
MITARASI_
BL
I
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。
「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。
揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。
不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。
すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。
切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。
Ⅱ
高校を卒業し、同じ大学へ進学した陸と颯馬。
別々の学部に進みながらも支え合い、やがて同棲を始めた二人は、通学の疲れや家事の分担といった小さな現実に向き合いながら、少しずつ【これから】を形にしていく。
未来の旅行を計画し、バイトを始め、日常を重ねていく日々。
恋人として選び合った関係は、穏やかに、けれど確かに深まっていく。
そんな中、陸の前に思いがけない再会をする。
過去と現在が交差するその瞬間が、二人の日常に小さな影を落としていく。
不安も、すれ違いも、言葉にできない想いも抱えながら。
それでも陸と颯馬は、互いの手を離さずに進もうとする。
高校編のその先を描く大学生活編。
選び続けることの意味を問いかける、二人の新たな物語。
続編執筆中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる