【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

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チューリップ

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 昨日、環は本当に1人で帰ってしまったらしい。淡い期待を抱いて環の靴箱を覗いたが、そこにあったのは学校指定の中履きだけだった。正門にも、駅にも姿は見当たらなかった。家に押し掛ける勇気はなく、辛うじて送ったメッセージも、ついぞ既読が付くことはなかった。

 毎朝の通学で環と待ち合わせはしていない。駅へと続く通りで落ち合うことが多い。欠席や寝坊で1人通学することもある。そういった場合は連絡をするのが暗黙の了解だ。環と違い朝の弱い俺は定期的に寝坊したと連絡を入れるし、体調を崩した環から今日は休むとメッセージを受け取ったこともある。しかし、今日は何の連絡もない。にもかかわらず、駅へと続く通りでも通勤や通学の人で溢れたホームでも環の姿はなかった。『寝坊?』と送ったメッセージにも、もちろん返信はない。念のためいつも乗っている電車を見送って、1本遅いぎりぎりの時間に到着する電車に乗ることにしたが意味はなかった。
 連絡もなしに1人で電車に揺られるのは初めてで、膝の上に乗せたリュックに顔を埋めて深い溜息をついた。
 欲が出た。望みのない友人に好きになってもらえる可能性があるのではないかと。心は無理でも、体に、記憶に、自分という存在を刻むことができるのではないかと。自分が唯一差し出せるものを使って、環の興味を引き止めたかった。それが望ましい形でなかったとしても。そんな浅ましい自我を優先した結果がこれだ。

 目頭がつんと熱くなる。朝の電車だというのに、こみ上げる涙を袖で乱雑に拭い取った。拭っても拭っても溢れ落ちて、キリがない。……どこで間違えてしまったのだろう。少し前までは、普通の友達として隣に立っていたはずなのに、もうそれすら許されない。こんなことになるならば、いっそ環への想いを自覚したくなかった。


 始業のベルぎりぎりに滑り込んだ教室に環の姿はなかった。机の横には鞄がかけられているところを見ると、席を外しているのだろう。その事実が、意図的に避けられていることを突きつけられているようで、胸に深く刺さった。静かに溜息をつきながら自席の椅子をひき腰を下ろした。

「水野おはよー」

 そう挨拶をしたのは蒔田だ。入学直後席が前後で仲良くなった彼と再び席が近くなったのだ。文化祭の直後に行われた席替えで柳田とは席が離れ、すっかり話すことはなくなった。しばらく経った頃環から振られたと報告を受けっきり、連絡は一切取っていない。環とは更に席が離れた。廊下側の真ん中あたりの俺に対して環は窓際の前方だ。どちらかが歩み寄らない限りは話すどころか目も合わない距離だ。

「おはよ」
「小田原1人だったから休むのかと思ったわ。寝坊?」
「あー、そんなとこ」
「やっぱりな。ギリギリまで寝てただろ。目赤い」
「マジか」

 指先で目元をなぞる。乱雑に拭き取ったせいかひりひりとしている。

「環、何時ごろ来てた?」
「俺が来た時にはいたけど……何で?」
「連絡すんの遅くなったからさ、大丈夫だったかなって」
「本当仲いいよな、お前ら」
「はは、そう見える?」
「そりゃあな」

 まだ仲良く見えているらしい。第三者からの小さな言葉1つで寂しさが和らいだ気がした。

「でもよかったな、今日とだせん休みで。いたら正門で止められてたかもよ」

 蒔田の言葉に、鞄の中を漁っていた顔を上げた。生徒指導を務めている戸田は、始業ベルの10分ほど前から正門の前で点検をしていることが多い。以前、寝坊したときに遅刻こそしなかったが、もう少し早く来いと5分ほど口頭注意を受けたことがある。今日は、戸田の点検が始まっているであろう時間に門をくぐったわけではあるが、目を光らせる厳しい教師の姿はなかった。全校朝会がある日や戸田が顧問をしているバスケ部の大会がある日は点検がないため、今日は運が良かったのだと気に留めていなかったが、どうやら休みらしい。

「休みなの?」
「昨日先生から連絡あっただろ。インフルらしいから今週はいないの確定だよ」

 そんな連絡あっただろうかと記憶を辿るが、思い出せない。「へぇ」と気が抜けた返事をすれば、「おいおい」と呆れたような笑い交じりの溜息をつかれた。
 
「話はちゃんと聞けよな」
「蒔田は意外とそういうのちゃんとしてるよな」
「意外ってなんだよ意外って。つーかその調子だと授業変更のこともすっかり忘れてんじゃねぇの?」
「授業変更?」

 もう一度記憶を辿ったが、やはり思い出せなかった。しかし教材のほとんどをロッカーに入れているから問題はない。課題があれば急いでしなければならないが、その時は移させてもらおう。

「やっぱりなぁ! とだせん休みだし、他の先生は他クラスの授業入ってるからって急遽体育に変更だって言ってただろ」
「……マジ?」
「マジ。5限は体育だよ」

 予想外の変更に鞄の中に視線を移した。釣られるように蒔田の視線も落ちる。その中に体育服はもちろんない。ロッカーに置いているわけもなく、蒔田と顔を合わせた。

「忘れた……」
「まぁ、他のクラスに借りればいいだろ」
「うん」

 他クラスの知り合いを思い浮かべるも、脳内に浮かんだのは残念ながら1人もいなかった。こんなところで友人の少なさ痛感するとは思ってもおらず、励ます様に肩を叩く蒔田に曖昧に笑い返した。
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