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チューリップ
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あの日以来、環とはほとんど話せなくなってしまった。約束をせずとも共に歩いていた通学路を1人でなぞることは、初めこそ風通りのいい隣に違和感も覚えていたが、それが1週間も続けば隣に誰もいないことに体が馴染んできて、自分の冷たい一面に心が沈むばかりだった。
毎日一緒にいた2人が会話を交わさないことに違和感を覚える人はそこそこいたらしい。「早く仲直りしろよ」と蒔田には毎日のように言われている。環以外のクラスメイトとの交流が少なかったから、直接事情を聞き出そうとする人はいなかったが、移動教室のとき1人で歩いていればちらちらと煩わしい視線を感じるようになった。裏で何か言われているのだろうかと考えるだけでため息が零れる。それもあと数日の我慢だと言い聞かせた。冬休みは直前まで迫っている。
「なぁ、水野。本当に大丈夫かよ」
「大丈夫だって」
「本当かよ……」
玩具を買ってもらえなかった子供のように眉を下げた蒔田に思わず吹き出す。はは、と声を上げてもそれが元に戻ることはなく、それどころか一層垂れ下がった。おちゃらける印象が強い蒔田にそんな表情をされると、吐き出した笑いも尻すぼみになる。
「やっぱ保健室行った方がいいって」
「本当に大丈夫」
「でも……」
どうやら顔色が悪いらしい。蒔田だけではなく、母親にも指摘されたから余程なのだろう。原因は分かりきっている。環との関係性が途絶えてから、病気の症状がみるみると悪化していったのだ。環か柳田を振ったことを知った日から、自分の想いが届くことこそないが、誰かに奪われることもないことに安堵したためか、花を吐く頻度と量が減っていた。しかし、最近は毎日のようにせり上がってくる。喉を押し広げる異物の感覚が、食道に食べ物を通すときにも蘇り食事ができなくなった。それでも全く食べないとなれば、両親に心配をさせてしまうかもしれないと、無理やり押し込んでいたが、量が減ったことに変わりはない。栄養不足か、それとも精神的なものなのか。とにかく、クラスメイトにも分かる程ひどい顔をしているらしい。
「よし、休もう。次戸田センだし。休み明けの戸田センはキレキレらしいから、そんなんだとすぐ目付けられるぞ」
窓枠に体を預けたまま、声を荒らげる強面教師を想像した。蒔田の言う通りだと重い体を起こすよりも早く、腕を引き上げられる。
「迷ってないで行くぞ」
そう言って廊下へ向かう蒔田の後を大人しくついて行った。
保健室に入るやいなや「先生ーコイツ体調悪そー」と声を上げた蒔田を「静かにしなさい」と一蹴した看護教諭は、俺の顔色を見てすぐにベッドへと案内した。手渡された体温計に表示された数字は至って平常通りであったが、追い出されることはなく、エチケット袋をベッド脇の小さな台に置きながら「気分が悪いときは声かけてね」とカーテンを閉じられた。そんなに顔色が悪いだろうか。今朝歯を磨く時に見た顔は普段よりも隈が目立つ程度で、ここまで心配される程ひどくはなかったはずだ。それでも、授業に戻って昭和基質な戸田に注意されるよりマシだと、そのままベッドに身体を沈ませた。
保健室は音が少ない。体調不良のものが休息をとる場所なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、時折、校外の車の音や紙にペンを走らせる音がするだけで、それ以外の音は自分から発せられる呼吸と鼓動くらいのものだ。グラウンドに面しているため、体育の授業でもあればまた違った様相を見せたのだろうが、今はないらしい。
そんな静かな場所で何をするでもなく体を横たわらせていれば、嫌でも環のことが頭に流れ込んだ。瞼の裏にあの日向けられた冷たい瞳が浮かびあがるのだ。静かな怒りを込め俺を見下ろすどろりとした視線が俺の呼吸を制する。結局、あの苛烈な感情の理由が分かることはなかった。その機会さえも与えられず、ただ背中を見つめることしかできない。きっと、あの隣を歩くことはもうできないのだろう。小中の友人たちとの交流が途絶えたように、いつか俺のことも記憶の片隅へ追いやって、いつしか忘れてしまうのだ。その時環と肩を並べているのは、俺じゃない。
瞼に浮かぶ映像をかき消すように、シーツを頭の上まで引き寄せた。忘れようとすれば忘れようとする程、俺の気持ちを否定するようにより鮮明になる。この気持ちは消さなければならない。そんなことは分かっている。これ以上引きずってもいいことなんてない。心の奥底に、埋めて、埋めて。誰にも、自分でさえも見つけられない奥深くに隠さなければならない。そうすれば、親友の立場は俺のものだ。俺のだけのもの。その立場だけは、誰にも譲りたくない。
毎日一緒にいた2人が会話を交わさないことに違和感を覚える人はそこそこいたらしい。「早く仲直りしろよ」と蒔田には毎日のように言われている。環以外のクラスメイトとの交流が少なかったから、直接事情を聞き出そうとする人はいなかったが、移動教室のとき1人で歩いていればちらちらと煩わしい視線を感じるようになった。裏で何か言われているのだろうかと考えるだけでため息が零れる。それもあと数日の我慢だと言い聞かせた。冬休みは直前まで迫っている。
「なぁ、水野。本当に大丈夫かよ」
「大丈夫だって」
「本当かよ……」
玩具を買ってもらえなかった子供のように眉を下げた蒔田に思わず吹き出す。はは、と声を上げてもそれが元に戻ることはなく、それどころか一層垂れ下がった。おちゃらける印象が強い蒔田にそんな表情をされると、吐き出した笑いも尻すぼみになる。
「やっぱ保健室行った方がいいって」
「本当に大丈夫」
「でも……」
どうやら顔色が悪いらしい。蒔田だけではなく、母親にも指摘されたから余程なのだろう。原因は分かりきっている。環との関係性が途絶えてから、病気の症状がみるみると悪化していったのだ。環か柳田を振ったことを知った日から、自分の想いが届くことこそないが、誰かに奪われることもないことに安堵したためか、花を吐く頻度と量が減っていた。しかし、最近は毎日のようにせり上がってくる。喉を押し広げる異物の感覚が、食道に食べ物を通すときにも蘇り食事ができなくなった。それでも全く食べないとなれば、両親に心配をさせてしまうかもしれないと、無理やり押し込んでいたが、量が減ったことに変わりはない。栄養不足か、それとも精神的なものなのか。とにかく、クラスメイトにも分かる程ひどい顔をしているらしい。
「よし、休もう。次戸田センだし。休み明けの戸田センはキレキレらしいから、そんなんだとすぐ目付けられるぞ」
窓枠に体を預けたまま、声を荒らげる強面教師を想像した。蒔田の言う通りだと重い体を起こすよりも早く、腕を引き上げられる。
「迷ってないで行くぞ」
そう言って廊下へ向かう蒔田の後を大人しくついて行った。
保健室に入るやいなや「先生ーコイツ体調悪そー」と声を上げた蒔田を「静かにしなさい」と一蹴した看護教諭は、俺の顔色を見てすぐにベッドへと案内した。手渡された体温計に表示された数字は至って平常通りであったが、追い出されることはなく、エチケット袋をベッド脇の小さな台に置きながら「気分が悪いときは声かけてね」とカーテンを閉じられた。そんなに顔色が悪いだろうか。今朝歯を磨く時に見た顔は普段よりも隈が目立つ程度で、ここまで心配される程ひどくはなかったはずだ。それでも、授業に戻って昭和基質な戸田に注意されるよりマシだと、そのままベッドに身体を沈ませた。
保健室は音が少ない。体調不良のものが休息をとる場所なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが、時折、校外の車の音や紙にペンを走らせる音がするだけで、それ以外の音は自分から発せられる呼吸と鼓動くらいのものだ。グラウンドに面しているため、体育の授業でもあればまた違った様相を見せたのだろうが、今はないらしい。
そんな静かな場所で何をするでもなく体を横たわらせていれば、嫌でも環のことが頭に流れ込んだ。瞼の裏にあの日向けられた冷たい瞳が浮かびあがるのだ。静かな怒りを込め俺を見下ろすどろりとした視線が俺の呼吸を制する。結局、あの苛烈な感情の理由が分かることはなかった。その機会さえも与えられず、ただ背中を見つめることしかできない。きっと、あの隣を歩くことはもうできないのだろう。小中の友人たちとの交流が途絶えたように、いつか俺のことも記憶の片隅へ追いやって、いつしか忘れてしまうのだ。その時環と肩を並べているのは、俺じゃない。
瞼に浮かぶ映像をかき消すように、シーツを頭の上まで引き寄せた。忘れようとすれば忘れようとする程、俺の気持ちを否定するようにより鮮明になる。この気持ちは消さなければならない。そんなことは分かっている。これ以上引きずってもいいことなんてない。心の奥底に、埋めて、埋めて。誰にも、自分でさえも見つけられない奥深くに隠さなければならない。そうすれば、親友の立場は俺のものだ。俺のだけのもの。その立場だけは、誰にも譲りたくない。
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