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百合
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駅から家までの道中、相変わらず会話はない。行き交う車と人々がその沈黙を埋めるように流れている。
俺の手首を掴む環の手は家に近づく程強くなり、早まる足取りも相まって嫌な予感が蓄積していく。
その不安要素は取り除かれることなく自宅に着いた。
「鍵」と短く言って手を差し出す環に、馬鹿正直に鍵を手渡せば躊躇うことなく家に上がった。
両親の出勤時間は遠くに過ぎており、家はもぬけの殻だ。それを環が知っていたのかも思い出せない。これまでの環が家に上がる時、「お邪魔します」と声かけしていたかも。
「靴、脱がないの?」
「脱ぐよ、脱ぐ」
「そんなに学校行きたかったわけ?」
「そうじゃねぇけど……」
「じゃあ、早くしなよ」
どうして環は焦っているんだろう。焦る必要なんかどこにもない。ないはずなのに。
些細な言動1つ1つが胸に引っかかる。引っかかり、内側に積もって、じわじわと追い詰めてくる。
真綿で首を締められているようなその感覚で、呼吸がしづらい。
「早く」
急かすように腕を引っ張られて、ゆっくり足を引き抜いた。
途端、待ってましたと言わんばかりに腕を引っ張られる。俺が上り框に足を引っ掛けても、環の足は止まることなく廊下を進む。迷いのない足取りで、俺の部屋の扉を開けるのだ。
何もおかしくない。病人はベッドに寝かせるのが普通で、環が開けたのはそのベッドがある部屋だ。
おかしくない。おかしくないと解っているはずなのに、俺の手は無意識にドア枠を掴んでいた。
「どうしたの?」
「……俺、やっぱ学校行く」
環の焦りの理由を知りたくない。それを知るのは今じゃなくていい。
部屋の入り口で立ったまま踏みとどまる。
明日か明後日か。冬休み明けでもいい。とにかく、胸に広がるこの焦燥感がなくなってからでも遅くはない。
「手、離して」
「……は?」
絞り出すようなその声の低さに肩が跳ねた。環の指が手首に一層食い込み、顔が歪む。
「手痛いから離して。お願い」
「……やだ」
「お願い」
「やだ」
「頼むから」
「やだ!」
環が一歩近づく。その分だけ後ずさってしまったのは無意識だ。
そんなつもりは1ミリもなくて、ただ、意識の表層下に芽生えた不信感が自己防衛のために足を動かす。
再び詰められた距離に足を浮かせたが、それが着地する前に強く腕を引っ張られた。
勢いのまま部屋に引きずり込まれる。体にぶつかりそうになり腕を突っ張れば、環の顔がグシャリと歪んだ。
「何で今日そんな嫌がんの?」
「今日は調子悪いから」
「なのに学校行くとか矛盾してない?」
「それは――」
「そんなに学校好きだったっけ。あぁ、楽しみが増えたのか」
「どういう意味」と口を開けた時には視界が回転していた。
背中に広がる柔らかい感触に、ワンテンポ遅れて押し倒されていると気づいた。
俺の身体をベッド押しつける環の手がコートの裾から潜り込み腹を撫でる。
その手つきに欲が孕んでいるように感じるのは、きっと気のせいだ。気のせい、気のせい……。
「や、やだ!」
気が付けば覆いかぶさる環の体を押しのけていた。
ピンと伸ばした腕の分だけ距離ができた。けれど、それだけだ。
腹を這う手はそのままに、不愉快そうに眼を細めた環は、咎めるように腰を掴んだ。そして、これから何をするのか分からせるように自身の熱を下腹部に押し付けてくる。
「な、なぁ環」
「何?」
「何で、こんなことすんの?」
環の体がピクリと跳ねる。感情のこもっていない環の顔を真っすぐに見上げた。
一瞬、環の目が動揺に揺れた気がした。
答えを急かす様に見つめ続けていれば、何を考えているのか分からない、あの顔に戻っていた。溜息交じりに乾いた笑みを溢した環の身体が再び近づく。
「何でって、どうしたの急に。今更じゃん」
「そういう気分だから?」
自分の行動を妨害する俺の腕を除けて再び行為を再開しようとする環にもう一度投げかけた。俺の真意を探るかのように見下ろされる。
俺の真意はただ一つだ。嘘でもいい。この場をしのぐための方便でもいいから、俺の欲しい答えを言ってほしい。それだけだ。
懇願するように環の腕に縋りつき、乾いた唇を舐めた。笑ってしまいそうになるほど小さく震える唇を潤し、もう一度問いかける。
「性欲発散するために、セックスすんの……?」
違うと言ってほしい。たった一言だ。首を振るだけでも構わない。本心でなくてもいい。
性欲のためじゃないよと言ってくれれば、それだけで満足する。環の真意が何であれ、1回だけ否定してくれれば、なんだっていい。その後に続く言葉が何であれ受け入れる。だから、1回だけ、どうか――。
「……そうだよ」
小さな答えが部屋に落ちる。
はっ、と短い空気を漏らした俺を見下ろした環は、腹部に這わせていた手でシャツを捲り始めた。緩めたベルトの隙間に指を入れ肌をなぞり、下腹部へと下りながら言葉を繋げていく。
「そう、溜まったら発散しないと体に悪いでしょ。あざみだって、その方が都合いいんじゃない」
頭を殴られたみたいだった。
たった一つの希望が無くなり体から力が抜ける。環の腕に縋るように巻きつけていた手がだらりと落ちた。
俺の意見なんて関係ない。こちらを窺うように行為を進めていた環はもうどこにもいないのだ。
きっと、環の瞳に映っている今の俺は、幼馴染の水野あざみではなくて、都合のいい性処理道具だ。
拒絶されることもない。関係を終わらせようとも、雑に扱おうとも誰かに言いふらされない。リスクのなく体を重ねられる。それだけの存在だ。
脱力を肯定とみたのだろうか。大胆な手つきでまさぐられ、性感を煽るように首筋に舌が這う。
その仕草のすべてが、俺のためではなく性欲を満たすために行われていると知ってしまった今、快楽を拾うことができず虚しさだけが残った。
俺以外にも、そういう存在が現れたらそっちに行くんだろう。
かつて、飽きたと捨てられた玩具たちみたいに、俺のこともいつかは捨ててしまうんだ。
そして、はじめから何もなかったかのように忘れて、その矛先は新しい何かに向かう。
俺には環しかいないのに。環以外何もいらないのに。
俺も、環にとってそういう存在でいたかった。それが叶わないのなら。いつ捨てられるのか怯えるくらいなら。
「……もう、しない」
零れた小さな本音は、静かな部屋には十分すぎる程大きかった。時が止まったかのようにすべての動きを止める環に言い聞かせるようにもう一度呟く。
「もうお前と、こういうことしない」
環に捨てられるくらいなら、いっそ俺から捨ててしまえばいい。
俺の手首を掴む環の手は家に近づく程強くなり、早まる足取りも相まって嫌な予感が蓄積していく。
その不安要素は取り除かれることなく自宅に着いた。
「鍵」と短く言って手を差し出す環に、馬鹿正直に鍵を手渡せば躊躇うことなく家に上がった。
両親の出勤時間は遠くに過ぎており、家はもぬけの殻だ。それを環が知っていたのかも思い出せない。これまでの環が家に上がる時、「お邪魔します」と声かけしていたかも。
「靴、脱がないの?」
「脱ぐよ、脱ぐ」
「そんなに学校行きたかったわけ?」
「そうじゃねぇけど……」
「じゃあ、早くしなよ」
どうして環は焦っているんだろう。焦る必要なんかどこにもない。ないはずなのに。
些細な言動1つ1つが胸に引っかかる。引っかかり、内側に積もって、じわじわと追い詰めてくる。
真綿で首を締められているようなその感覚で、呼吸がしづらい。
「早く」
急かすように腕を引っ張られて、ゆっくり足を引き抜いた。
途端、待ってましたと言わんばかりに腕を引っ張られる。俺が上り框に足を引っ掛けても、環の足は止まることなく廊下を進む。迷いのない足取りで、俺の部屋の扉を開けるのだ。
何もおかしくない。病人はベッドに寝かせるのが普通で、環が開けたのはそのベッドがある部屋だ。
おかしくない。おかしくないと解っているはずなのに、俺の手は無意識にドア枠を掴んでいた。
「どうしたの?」
「……俺、やっぱ学校行く」
環の焦りの理由を知りたくない。それを知るのは今じゃなくていい。
部屋の入り口で立ったまま踏みとどまる。
明日か明後日か。冬休み明けでもいい。とにかく、胸に広がるこの焦燥感がなくなってからでも遅くはない。
「手、離して」
「……は?」
絞り出すようなその声の低さに肩が跳ねた。環の指が手首に一層食い込み、顔が歪む。
「手痛いから離して。お願い」
「……やだ」
「お願い」
「やだ」
「頼むから」
「やだ!」
環が一歩近づく。その分だけ後ずさってしまったのは無意識だ。
そんなつもりは1ミリもなくて、ただ、意識の表層下に芽生えた不信感が自己防衛のために足を動かす。
再び詰められた距離に足を浮かせたが、それが着地する前に強く腕を引っ張られた。
勢いのまま部屋に引きずり込まれる。体にぶつかりそうになり腕を突っ張れば、環の顔がグシャリと歪んだ。
「何で今日そんな嫌がんの?」
「今日は調子悪いから」
「なのに学校行くとか矛盾してない?」
「それは――」
「そんなに学校好きだったっけ。あぁ、楽しみが増えたのか」
「どういう意味」と口を開けた時には視界が回転していた。
背中に広がる柔らかい感触に、ワンテンポ遅れて押し倒されていると気づいた。
俺の身体をベッド押しつける環の手がコートの裾から潜り込み腹を撫でる。
その手つきに欲が孕んでいるように感じるのは、きっと気のせいだ。気のせい、気のせい……。
「や、やだ!」
気が付けば覆いかぶさる環の体を押しのけていた。
ピンと伸ばした腕の分だけ距離ができた。けれど、それだけだ。
腹を這う手はそのままに、不愉快そうに眼を細めた環は、咎めるように腰を掴んだ。そして、これから何をするのか分からせるように自身の熱を下腹部に押し付けてくる。
「な、なぁ環」
「何?」
「何で、こんなことすんの?」
環の体がピクリと跳ねる。感情のこもっていない環の顔を真っすぐに見上げた。
一瞬、環の目が動揺に揺れた気がした。
答えを急かす様に見つめ続けていれば、何を考えているのか分からない、あの顔に戻っていた。溜息交じりに乾いた笑みを溢した環の身体が再び近づく。
「何でって、どうしたの急に。今更じゃん」
「そういう気分だから?」
自分の行動を妨害する俺の腕を除けて再び行為を再開しようとする環にもう一度投げかけた。俺の真意を探るかのように見下ろされる。
俺の真意はただ一つだ。嘘でもいい。この場をしのぐための方便でもいいから、俺の欲しい答えを言ってほしい。それだけだ。
懇願するように環の腕に縋りつき、乾いた唇を舐めた。笑ってしまいそうになるほど小さく震える唇を潤し、もう一度問いかける。
「性欲発散するために、セックスすんの……?」
違うと言ってほしい。たった一言だ。首を振るだけでも構わない。本心でなくてもいい。
性欲のためじゃないよと言ってくれれば、それだけで満足する。環の真意が何であれ、1回だけ否定してくれれば、なんだっていい。その後に続く言葉が何であれ受け入れる。だから、1回だけ、どうか――。
「……そうだよ」
小さな答えが部屋に落ちる。
はっ、と短い空気を漏らした俺を見下ろした環は、腹部に這わせていた手でシャツを捲り始めた。緩めたベルトの隙間に指を入れ肌をなぞり、下腹部へと下りながら言葉を繋げていく。
「そう、溜まったら発散しないと体に悪いでしょ。あざみだって、その方が都合いいんじゃない」
頭を殴られたみたいだった。
たった一つの希望が無くなり体から力が抜ける。環の腕に縋るように巻きつけていた手がだらりと落ちた。
俺の意見なんて関係ない。こちらを窺うように行為を進めていた環はもうどこにもいないのだ。
きっと、環の瞳に映っている今の俺は、幼馴染の水野あざみではなくて、都合のいい性処理道具だ。
拒絶されることもない。関係を終わらせようとも、雑に扱おうとも誰かに言いふらされない。リスクのなく体を重ねられる。それだけの存在だ。
脱力を肯定とみたのだろうか。大胆な手つきでまさぐられ、性感を煽るように首筋に舌が這う。
その仕草のすべてが、俺のためではなく性欲を満たすために行われていると知ってしまった今、快楽を拾うことができず虚しさだけが残った。
俺以外にも、そういう存在が現れたらそっちに行くんだろう。
かつて、飽きたと捨てられた玩具たちみたいに、俺のこともいつかは捨ててしまうんだ。
そして、はじめから何もなかったかのように忘れて、その矛先は新しい何かに向かう。
俺には環しかいないのに。環以外何もいらないのに。
俺も、環にとってそういう存在でいたかった。それが叶わないのなら。いつ捨てられるのか怯えるくらいなら。
「……もう、しない」
零れた小さな本音は、静かな部屋には十分すぎる程大きかった。時が止まったかのようにすべての動きを止める環に言い聞かせるようにもう一度呟く。
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