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第四章 終焉
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一、
与四郎は女を殺し続けた。
筆をつくり続けた。
お沙は絵を入れ続けた。
筆は売れる。
大金が入る。
だが、筆づくりをやめなかった。
ふたりは、目的を失っていた。
与四郎の筆は評判になっていった。
大金を得たが、生活は慎ましいままで、寂れた長屋で暮らしを続けている。
そして、誰もが与四郎に訊いた。
「この筆はなにで出来ているんだい?」
軸に入られた華やかな絵。
それだけでも珍しいものだが、さらに、穂が黒いのである。
墨を浸した、くすんだ黒さではない、艶のある黒。
与四郎の筆は、筆記用ではなく、観賞用として評判だった。
黒く艶のある穂を黒に浸してしまうのはもったいない。
煌びやかな絵の入った軸を汚してしまってはもったいない。
人々は筆を観賞する。
この美しい黒い穂は、一体なにで出来ているのだろう。
問われる度に、与四郎は、
「お答えできませぬ」
と、口を割らなかった。
もし、人の髪と知られれば、世間を騒がせている、髪を切る辻斬りと自分が結びついてしまう。
しかし、やはり、気づく者はいるものである。
与四郎の筆は、なにでつくられているかの話題をしているところへ、ひとりの男がやってきて、
「あれは、人の髪でつくられているという噂だ」
と言う者がいた。
良吉であった。
吉原炎上の晩、お京が屍で見つかり、与四郎に詰め寄った。その時、
「例の辻斬りの仕業じゃないか? 吉原の火事に紛れてやったのだろう――」
与四郎はこう言った。
良吉は、この言葉を信じた。
お京を失った哀しみで、しばらく心をどこかへやっていた。
そのうち、世間が〝髪切り〟の辻斬りで騒ぎ出した。
髪切り
辻斬り
髪――
お京は髪を切られていた。
吉原炎上の晩。
お京はなぜ吉原に行ったのか。
与四郎に頼まれたからである。
与四郎は髪を欲していた。
与四郎は筆職人である。
与四郎から直接、言われてはいなかったが、察しはついた。
そして、与四郎の筆が評判になっている。
同じくらい、髪切りの辻斬りも騒がれている。
――やはり、与四郎ではないか
良吉は、そう考え至った。
与四郎の筆が髪でつくられている、という噂に、世間は大きく揺らいだ。
自然と、辻斬りと結びついてしまう。
与四郎の筆が〝評判〟から〝騒ぎ〟になった頃、良吉が与四郎を訪ねた。お沙も一緒に出迎えた。
「ずいぶんと評判が良いじゃないか、与四郎」
良吉が言った。
与四郎は良吉を睨んでいる。
与四郎は、すこし痩せていた。お沙も痩せていた。夫婦は、忙しさのあまり、ろくに寝ていなかった。
「お前だろう、良吉。筆のことを喋ったのは」
「そう怖い顔をするなよ」
「忙しくて、お前のことまで気がまわらなかった。しくじったよ――良吉、なにをしにきた」
「今日は、本当のことを訊きに来た」
「本当のこと?」
「お京のことだ」
与四郎の顔が、一瞬、険しくなる。
お沙は、小さく震えている。
「お京を殺したのは、お前だな、与四郎」
「――それを訊いてどうする。おれはあの時言ったはずだ。辻斬りの仕業だろう、と」
「では、辻斬りはお前だ」
「なに?」
「辻斬りはお前だよ」
良吉は、もう一度言った。
「髪切りの辻斬りはお前だ。以前の辻斬りのことは知らない。だが、お京を殺した辻斬りはお前だ」
はっきりと言った。
与四郎は黙って睨んでいる。
「――奉行所へゆけ、与四郎」
「―――」
「お沙さん、あんたもだ」
お沙は、与四郎の手を握った。
幾人もの命を奪い、血で汚れた手を。
「まこと、しくじったなぁ。観月さんに初めて会った日‥‥他言しないでくれとお京ちゃんに頼んだ時、お京ちゃんは言っていたよ。おれのやりたいことを兄も判っていると思う、と。ぬかった。良吉、お前は早いうちに気がついていたんじゃないのか、髪切りの辻斬りがおれの仕業だと」
「すぐに思いついたさ。おれは、お前が自分から罪を白状してくれると信じてた。だから、いままで黙っていた」
「だが、ついに我慢できなくなったと。下手人が誰だか言いたくてたまらなくなったと」
「違う。お前は筆職人だ。下手人なんかにしたくなかった。だから、自ら打ち明けてくれるのを待っていたんだ。お前にはまだ人の心があると」
「‥‥良吉、お前のなかでおれを勝手に良い人間にしないでくれ」
与四郎の言葉に良吉は顔を歪め、お沙に向いた。
「お沙さん、あんたも悪い。こんなになるまでどうして与四郎を放っておいた。ずっと傍に居たあんたなら気がついたはずだ」
「気が、つく? 気がつくもなにも、与四郎さんは昔からずっとこうですよ」
「お沙さんまで気が狂ったのか? あんたらになにがあったんだ! なにがそうさせた?」
「良吉――言うことはそれだけか」
与四郎は、良吉をまっすぐ見据えて言った。
「言いたいことはたくさんある。まだまだある。お京のことだって、おれはまだ納得がいっていない」
「人は変わる」
ぽつりと呟いた与四郎の言葉に、良吉はそれ以上なにも言えなくなった。
やつれ、全身に陰りが窺える幼馴染みを前にして、言葉がかけられなくなった。
なぜ気がつかなかった、とお沙のことを責めたが、自分だってどうして気がつかなかったのか。
お京を殺した下手人が誰だとか、髪切りをしているのが誰だとか、そんなことよりも、どうして友人の変わってゆくさまに気がつかなかったのか。
「良吉、お前にこんな姿を見せて悪かったな」
「あぁ――」
良吉は短く答える。
「本当に、すまない」
「―――」
「これはお前に返すよ」
言って、与四郎は懐から鋏を取り出した。
血で錆びた鋏。
「これは‥‥」
鋏を受け取り、幼馴染みの顔を見る。
与四郎は寂しく笑う。しかし、
「あ、いや‥‥やっぱり、もうしばらく貸しておいてくれないか」
渡したばかりの鋏を指す。
「これか――」
「あぁ」
「‥‥いいぞ」
良吉は、鋏を返した。
「すまないな。それと、良吉――あと十日ばかり待ってくれないか」
「‥‥逃げるのか?」
「逃げはしない」
与四郎は、お沙の手を握りかえした。
優しい手だった。
血で汚れ、美しい筆をつくり出す優しい手。
「最後に、お沙のためになにかしたい」
「与四郎さん‥‥」
「お沙には迷惑をかけてばかりだった。いつもおれを見守り、支え、助けてくれた。なにかお礼がしたい」
与四郎は、優しい笑みを妻に向ける。
それを見た良吉は、
「――あぁ、判った。大切にしてやれ」
そう言って、その場を辞した。
与四郎は女を殺し続けた。
筆をつくり続けた。
お沙は絵を入れ続けた。
筆は売れる。
大金が入る。
だが、筆づくりをやめなかった。
ふたりは、目的を失っていた。
与四郎の筆は評判になっていった。
大金を得たが、生活は慎ましいままで、寂れた長屋で暮らしを続けている。
そして、誰もが与四郎に訊いた。
「この筆はなにで出来ているんだい?」
軸に入られた華やかな絵。
それだけでも珍しいものだが、さらに、穂が黒いのである。
墨を浸した、くすんだ黒さではない、艶のある黒。
与四郎の筆は、筆記用ではなく、観賞用として評判だった。
黒く艶のある穂を黒に浸してしまうのはもったいない。
煌びやかな絵の入った軸を汚してしまってはもったいない。
人々は筆を観賞する。
この美しい黒い穂は、一体なにで出来ているのだろう。
問われる度に、与四郎は、
「お答えできませぬ」
と、口を割らなかった。
もし、人の髪と知られれば、世間を騒がせている、髪を切る辻斬りと自分が結びついてしまう。
しかし、やはり、気づく者はいるものである。
与四郎の筆は、なにでつくられているかの話題をしているところへ、ひとりの男がやってきて、
「あれは、人の髪でつくられているという噂だ」
と言う者がいた。
良吉であった。
吉原炎上の晩、お京が屍で見つかり、与四郎に詰め寄った。その時、
「例の辻斬りの仕業じゃないか? 吉原の火事に紛れてやったのだろう――」
与四郎はこう言った。
良吉は、この言葉を信じた。
お京を失った哀しみで、しばらく心をどこかへやっていた。
そのうち、世間が〝髪切り〟の辻斬りで騒ぎ出した。
髪切り
辻斬り
髪――
お京は髪を切られていた。
吉原炎上の晩。
お京はなぜ吉原に行ったのか。
与四郎に頼まれたからである。
与四郎は髪を欲していた。
与四郎は筆職人である。
与四郎から直接、言われてはいなかったが、察しはついた。
そして、与四郎の筆が評判になっている。
同じくらい、髪切りの辻斬りも騒がれている。
――やはり、与四郎ではないか
良吉は、そう考え至った。
与四郎の筆が髪でつくられている、という噂に、世間は大きく揺らいだ。
自然と、辻斬りと結びついてしまう。
与四郎の筆が〝評判〟から〝騒ぎ〟になった頃、良吉が与四郎を訪ねた。お沙も一緒に出迎えた。
「ずいぶんと評判が良いじゃないか、与四郎」
良吉が言った。
与四郎は良吉を睨んでいる。
与四郎は、すこし痩せていた。お沙も痩せていた。夫婦は、忙しさのあまり、ろくに寝ていなかった。
「お前だろう、良吉。筆のことを喋ったのは」
「そう怖い顔をするなよ」
「忙しくて、お前のことまで気がまわらなかった。しくじったよ――良吉、なにをしにきた」
「今日は、本当のことを訊きに来た」
「本当のこと?」
「お京のことだ」
与四郎の顔が、一瞬、険しくなる。
お沙は、小さく震えている。
「お京を殺したのは、お前だな、与四郎」
「――それを訊いてどうする。おれはあの時言ったはずだ。辻斬りの仕業だろう、と」
「では、辻斬りはお前だ」
「なに?」
「辻斬りはお前だよ」
良吉は、もう一度言った。
「髪切りの辻斬りはお前だ。以前の辻斬りのことは知らない。だが、お京を殺した辻斬りはお前だ」
はっきりと言った。
与四郎は黙って睨んでいる。
「――奉行所へゆけ、与四郎」
「―――」
「お沙さん、あんたもだ」
お沙は、与四郎の手を握った。
幾人もの命を奪い、血で汚れた手を。
「まこと、しくじったなぁ。観月さんに初めて会った日‥‥他言しないでくれとお京ちゃんに頼んだ時、お京ちゃんは言っていたよ。おれのやりたいことを兄も判っていると思う、と。ぬかった。良吉、お前は早いうちに気がついていたんじゃないのか、髪切りの辻斬りがおれの仕業だと」
「すぐに思いついたさ。おれは、お前が自分から罪を白状してくれると信じてた。だから、いままで黙っていた」
「だが、ついに我慢できなくなったと。下手人が誰だか言いたくてたまらなくなったと」
「違う。お前は筆職人だ。下手人なんかにしたくなかった。だから、自ら打ち明けてくれるのを待っていたんだ。お前にはまだ人の心があると」
「‥‥良吉、お前のなかでおれを勝手に良い人間にしないでくれ」
与四郎の言葉に良吉は顔を歪め、お沙に向いた。
「お沙さん、あんたも悪い。こんなになるまでどうして与四郎を放っておいた。ずっと傍に居たあんたなら気がついたはずだ」
「気が、つく? 気がつくもなにも、与四郎さんは昔からずっとこうですよ」
「お沙さんまで気が狂ったのか? あんたらになにがあったんだ! なにがそうさせた?」
「良吉――言うことはそれだけか」
与四郎は、良吉をまっすぐ見据えて言った。
「言いたいことはたくさんある。まだまだある。お京のことだって、おれはまだ納得がいっていない」
「人は変わる」
ぽつりと呟いた与四郎の言葉に、良吉はそれ以上なにも言えなくなった。
やつれ、全身に陰りが窺える幼馴染みを前にして、言葉がかけられなくなった。
なぜ気がつかなかった、とお沙のことを責めたが、自分だってどうして気がつかなかったのか。
お京を殺した下手人が誰だとか、髪切りをしているのが誰だとか、そんなことよりも、どうして友人の変わってゆくさまに気がつかなかったのか。
「良吉、お前にこんな姿を見せて悪かったな」
「あぁ――」
良吉は短く答える。
「本当に、すまない」
「―――」
「これはお前に返すよ」
言って、与四郎は懐から鋏を取り出した。
血で錆びた鋏。
「これは‥‥」
鋏を受け取り、幼馴染みの顔を見る。
与四郎は寂しく笑う。しかし、
「あ、いや‥‥やっぱり、もうしばらく貸しておいてくれないか」
渡したばかりの鋏を指す。
「これか――」
「あぁ」
「‥‥いいぞ」
良吉は、鋏を返した。
「すまないな。それと、良吉――あと十日ばかり待ってくれないか」
「‥‥逃げるのか?」
「逃げはしない」
与四郎は、お沙の手を握りかえした。
優しい手だった。
血で汚れ、美しい筆をつくり出す優しい手。
「最後に、お沙のためになにかしたい」
「与四郎さん‥‥」
「お沙には迷惑をかけてばかりだった。いつもおれを見守り、支え、助けてくれた。なにかお礼がしたい」
与四郎は、優しい笑みを妻に向ける。
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