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砂詠 飛来

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第四章 終焉

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    二、

「与四郎さん‥‥」

「本当にすまなかったね。出来の悪い夫で申し訳ないね」

「そんなこと、ありません‥‥」

 お沙は涙をこぼす。

「そうやって、いつも泣かせてばかりだ、おれは」

 与四郎は、お沙の涙を拭う。

「いつから外れてしまったのだろう、おれたちは」

「―――」

「どうして、ここまで来てしまったのだろう。いつだってお沙が道を正そうとしてくれていたというに――」

「わたしは、いつだってあなたが正しいと思っていましたよ」

「いや、違う。おれがお沙にそう思わせていたんだ。狂い始めたおれを、どうにか止めようとしてくれていたのに」

 お沙の涙を拭い、髪を優しく撫でる。

「お沙の髪はいつでも美しいな」

「与四郎さん‥‥」

「お沙のために、お沙のためだけの筆をつくりたい。――最後におれが出来るのは、こんなことくらいだ」

「でも、もう髪は――」

「そう、だったね」

 与四郎は嘲笑した。

「なにからなにまで、最後の最後まで、おれはだめな夫だったね」

 お沙の髪を撫でる。

「―――」

 お沙は、自分の髪を撫でる与四郎の手を優しく包んだ。

「わたしの髪を使ってください」

「――え?」

「わたしのための筆ならば、わたしの髪を使ってください」

「お沙、自分がなにを言っているのか判っているのか‥‥」

「判っています」

 凛とした声で言った。

「お沙‥‥」

 お沙は、おもむろに与四郎の懐から懐刀を取り出し、すっと立ちあがった。

「なにをする――」

 お沙は、結っていて髪を解き、左手でそれをひと房つかんだ。
右手に持った懐刀を、その髪の根元にあてがう。

「よせ‥‥!」

 与四郎は慌ててお沙の手首をつかむ。

「放して!」

「やめろ!」

「どうして? わたしの髪をつかってほしいのよ!」

「お沙!」

 抵抗するお沙の頬を、与四郎が叩いた。

 渇いた音が響く。

 隙をついて、与四郎が懐刀を奪った。

「やめておくれ、お沙――おれは、お前が大切だ」

「最後くらいは、わたしの好きにさせてください」

「―――」

 お沙は泣き崩れた。

 両の手で顔を覆う。

「もう、厭――」

 お沙は小さくこぼした。

 その場にくずおれ、声を押し殺して泣く。

 与四郎は、妻を静かに見る。

 妻を泣かせてばかりの、最低な夫だ――

 いま思い出せば、あの火事の晩、観月に言われたじゃないか。

 ――ご新造さんを大切に

 そんなことも忘れ、おれはなにをしているのか。

 解かれたお沙の髪が、小さな肩にかかり、するりと流れる。

 黒く艶がある髪――

 与四郎は、愛おしい妻を静かに見下ろしていた。



    三、

 良吉は、吉井の屋敷を訪ねていた。

 屋敷内は閑散とし、人の気配がしない。

「御免!」

 声をかけても、なにも返ってこない。

「どうしたのだろうか――」

 良吉は首を傾げる。

 いくら叫んでも待っても人の気配がしない。

 吉井が亡くなったと与四郎たちに聞いてから、その妻のことが心配になって訪ねてきたのだ。

「不在か?」

 良吉は、屋敷を後にして与四郎の家へ向かった。

「おい、居るかい。与四郎、与四郎」

 長屋の戸口に立ち、良吉は幼馴染みの名を呼んだ。

 ――返事がない。

 誰か出てくる様子もない。

「――与四郎?」

 胸騒ぎがする。

 良吉は戸を開けた。

「うっ」

 むっと漂ってくるなにかの濃い臭い。

 良吉は、袖で鼻を押さえる。

「与四郎? お沙さん?」

 親しい夫婦の名を呼ぶが、返事がない。

 まだ朝である。

 どこかへ出かけたのか――逃げたのか。

「与四郎?」

 家のなかは薄暗い。

「――それにしても、ひでぇ臭いだ」

 居間に入り、良吉が一歩踏み出すと、なにかやわらかいものに触れた。

「なんだ?」

 眼を凝らして見る。

 ――与四郎であった。

 与四郎が、居間で寝そべっていた。

「なんだ、居るじゃねぇか。すまんな、寝てたの、か――」

 与四郎の姿を見つけて安堵したが、寝そべるその身体の傍に眼をやった瞬間、良吉の顔が硬直した。

「お沙、さん――」

 与四郎の身体の隣に、寄り添うようにしてお沙が寝ていた。

 それは確かにお沙であった。

 しかし――

 お沙の髪はざんばらに切られ、血に染まっていた。

 頸が掻き切られている。

 いままで夫婦がやってきた髪切りの辻斬りと同じ方法で、事切れているお沙。

 畳は血に染まり、茶色く変色している。

 傍には件の鋏が落ちていて、刃に鮮血が付着している。

「どうして‥‥与四郎、どうして‥‥」

 その場に膝をつく良吉。そのまま与四郎の頬に手を添える。

 ひんやりとした、幼馴染みの顔。

 ――与四郎も事切れていた。

 見れば、与四郎の頸からも大量の血が噴き出した痕が。

「与四郎‥‥お沙さんへのお礼が、これか? 迷惑をかけた妻へのお礼がこれだというのか?」

 返事は無い。

「やはり、お前は‥‥」

 次ぐ言葉が出ず、良吉は与四郎から視線を逸らす。

 逸らした先、床に投げ出された与四郎の手が、なにかを握っている。

 ――筆であった

 黒く艶を放つ、真新しい一本の筆。

 軸には、赤く鮮やかな血の花が咲いていた。その穂は黒い。

「まさか、この筆――」

 夫婦の身体は血に濡れながら、眠るように寄り添っていた。


 了
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