小径

砂詠 飛来

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残響

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 とても古いが、大きな寺だった。

 名前は聞いたことがあったが、訪れるのは初めてだった。

 大きな門をくぐり、どこへ声をかけたものかとうろうろしていると、石畳を掃く音がしたのでそちらのほうへ行ってみた。

 年齢は判らないが俺よりも遥かに歳上であろう坊主頭の男が箒を持って掃いている背中が見えた。

「もうし、お訪ねしたいのですが」

 驚かさないように、かつ、しっかりと聞こえるように声をかける。

 住職と思しき男は、さっと振り返り皺だらけの顔に微笑みをつくった。

「なんでしょう」

「あの、いきなりで悪いのですが、こちらのお寺では筆の供養をされていると聞いて‥‥」

 住職は一瞬険しい顔を見せたが、すぐに微笑みに戻って返事をしてくれた。

「しておりますよ。詳しいお話はこちらで」

 ついてきなさい、とこちらに背を向けて建物へ向う。見た目のわりに歩くのが早い。


***

 与四郎の幼馴染で仕事仲間である吉井が亡くなったことは聞いていたが、その妻の忍も亡くなり同じ寺に埋葬されたことを住職に教えてもらうまでは知る由もなかった。

 あの長屋を訪ねる前に吉井の屋敷を訪れてはいたのだが、誰の気配もしなかったのはこのためだったのかと、いまになって合点がいく。

「開口一番、筆のことを話されるのであなたも供養のために訊ねたのかと思いました」

 住職はきれいに剃られた坊主頭をざりざりと撫でながら、柔和に笑う。

「最初に聞いたときはどう思いましたか、血の滴る筆のこと」

「ははあ、まことに奇怪だと思いましたよ。恐ろしいこともあるもんだなぁと」

 そんなことを言いつつ、住職はゆったりと境内を歩いてゆく。俺は急く気持ちを抑えて坊主頭についてゆく。

 あの歩きの速さはどこへいったのか、俺の歩みが遅いのかいまや足並みを揃えてくれているらしい。

「どのように供養されるのですか」

「普通のお焚きあげと変わりませぬよ。念仏を唱えながら火のなかへ放るのです」

 畳の間に通され、座るように促される。

 俺が正座すると、住職は座りしなにちいさな木箱を持ち出した。

「こちらに入っております」

 カタ、となかに入ってるものが音を立てる。

「開けてみてください」

 住職が微笑んでいる。

 ――恐れていてもしかたあるまい

 見た目のわりに重い蓋をそっと開けた。

 三本の筆が入っていた。

 軸が黒く、名前は判らないが各々にちがう花の絵が描かれている。そこだけ見ればたいへん美しい筆なのだが、その穂先は赤黒く固まってしまっている。

「すでに幾本か読経をし焚き上げてしまって残っておりませぬが、またそれだけ集まりましたのでとっておいた次第ですよ」

 俺には、どれがお京の髪でつくられた筆なのかは判らない。しかし、直感だがこのなかには無い気がした。

「俺は、この筆をつくった男を知っているんです」

「ほう」

「でも、その男は妻とともに無残な死を遂げてしまいました。ふたりにとっては幸せな最期だったのかもしれませんが、友としては、もうすこし助けてあげられたのではないかなと思うのです」

「ではあなたは、その友人夫妻のために訪ねられたのですね」

「‥‥それもあるのですが、実は別の目的がありまして」

「ほう」

 住職は諭すように話していたが、興味でも持ったのかわずかに眉を動かして笑みを深めた。

「ご住職は、この筆がなにでつくられているか知っていますか」

「――すこし前に流行った、髪切りの辻斬りですかな」

 髪の毛でできている、と言えばいいのに妙な言い方をしたのが気になったが、やはり与四郎のやったことは江戸中が知っているのか。

「俺にはお京という七つ下の妹がおりましたが、その妹の髪でも筆がつくられたのです」

「なるほど。つまり、その筆をお探しということですな」

「はい。でも、どんな筆かは見ても触ってもいないので判らないのです。妹も筆をつくった夫妻ももうこの世にはおりません。確かめようがなく途方に暮れていたところに、血の滴る筆があると聞いてここに来ました」

「そうでしたか‥‥。拙僧が見たところではどの筆も一本と同じ絵柄のものはありませんでしたねぇ。それぞれに意味があったのかまでは判じることはできないものの、これらの筆をつくった職人さんはとても粋な方だったんだなぁと思いましたよ」

 確かに、与四郎と喋ったり酒を飲んだりしているときはとても気分がよかった。気持ちのいい男であったのは間違いなかったのだ。

「ああ、そういえば」

 言いながら住職は箱のなかから一本の筆を取り出して俺に差し出した。

「美しい筆でしょう。その筆をお持ちくださった方は吉原で働いていたという遊女の方でね。布で顔の半分を覆っていたので表情はよく見えなかったんですが、品の良さは伝わってくる人でしたよ。坊主といえども吉原には一度行って女を買ってみたいものですなぁ」

 かかか、と住職は笑ったがそんなことどうでもいいと、俺はその筆を受け取った。

 与四郎がつくったであろうものをこの手にするのは初めてかもしれなかった。

 穂先は赤黒く固まってしまっているが、その軸には満月と散る桜が描かれている美しい筆だった。

 食い入るように触って眺めていると、ふっと皺だらけの手が視界に入ってきて筆をとりあげた。

「供養前ですので、あまり触れられますと....」

「?」

「呪われるかもしれませぬよ」

 それまでの柔和な住職の顔がひときわ厳しくなって言った。
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