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残響
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それから俺の仕事はにわかに忙しくなり、筆のことも寺のことも想いを馳せる暇などなかった。
ある風の強い日、空も暗くなってきているし雨が降りそうだ、こんな風じゃあ客のひとつも来やしないと店じまいしていると、ふいに戸が乱暴に揺れた。
風のせいかと見にゆくと、鼻までを布で覆った女が店のなかに立っていた。
目しか出ていないので幾つなのか判らないが、お京と変わらないように見える。それなのに着ている着物は地味だし、田舎から出てきたばかりの娘にも思える。
「もう、しまいなんですよ」
女はハッと顔をあげ、すみません、とたどたどしくか弱い声で言った。
「髪結いの良吉さんとは、ぬしのことでありんすか」
貧相な身なりでの突然の廓言葉に驚いた。
「へ、へえ。俺ですが‥‥」
「では、お京ちゃんのお兄さんとは、ぬしのことでありんすか」
心臓が飛び出るかと思った。お京のことを知っているのか、この女は。
そうだ、お京は吉原に出入りして女たちの世話をしていたではないか。簪やらなにやらを持たせてくれたではないか。
それに、顔を布で覆っている遊女とは、あの寺の住職が話していた人物と同じかもしれない。
「お京のことを知っているんですね」
「あちきは吉原の火事で逃げのびたひとりでありんす。吉原にいたときはお京ちゃんにお世話になりんしたので、お礼を言いたくて参りんした。そいで、あのお寺でぬしのことを聞いたので訪ねたくなったのでありんす」
「そう、でしたか」
座って、と普段はお客を座らせるところへ女を促す。
女はちいさく頷き、浅く腰かけた。
「あの、その布は‥‥」
訊いてはいけないことかと思ったが、遊女だった女の顔を見たくなって訊ねてしまった。
「おゆるしなんし、あの火事で顔に火傷をしたものでありんすから、こうして隠していんす。化粧ではどうにもなりんせん ‥‥」
「それは申し訳ねぇ」
「気にしないでくんなまし。これでも吉原一の太夫でありんしたが、いまこうなってしまっては身を売ることもままなりんせん」
女は顔を覆っている布を強く握りしめ、俯いてしまった。
がたん、と風が強く戸を叩く。
「あちきはあのお寺には、よく行くんでありんす。そうしたらぬしが筆のことで訪ねてきたと聞いて、お京ちゃんのことを思い出してしまって」
「ということは、与四郎のことも知って?」
「はい。いま江戸で起きている筆の怪異は、与四郎さんが――そのご新造さん、そいで 、髪を切られた女たちがもたらしていると思っていんす」
「髪を切られた女が?」
つまり、お京も関わっているというのか。
女は膝に乗せた手を落ちつきなく撫でている。よく見れば手の甲や爪などが変色し、焼け爛れた跡がある。
「あの方がつくる筆には魔力がありんす。ですから廓の女たちもみなあの筆の虜になってしまいんした。‥‥あちきもそのひとりでありんしたから判るでありんす」
「では、あなたも与四郎に髪を切られたのですか」
「あちきがおしまいに与四郎さんとお京ちゃんを見たのはあの火事の晩でありんす。炎に包まれ崩れた柱に身体を挟まれながらも、生き長らえてしまいんした。助けだされたあちきは、朦朧とするなか路地を駆けてゆくふたりを見たんでありんす」
やっぱり、与四郎がお京を――
「与四郎さんがつくる筆には人を魅了する力があるのでおす。そこへ髪を切ったそれぞれの女たちの情念も交わり怪異をもたらしていると、あちきはそう思いんした」
「確かに、髪は禍事を宿すと言う」
俺が言うと、女は布から覗く黒目がちな瞳でこちらをキッと睨んできた――ように見えた。
「血が滴るのは、女たちの涙であり恨みの血でありんす。与四郎さんの筆たちは、いまもなお生きて苦しんでいるのでおす」
「‥‥あんたの髪でつくられた筆は?」
「いまごろ、灰となっているでしょう」
「お京の筆はどうなったか、ご存知で?」
「いいえ‥‥」
女は立ちあがり、
「お京ちゃんのお墓を教えてくんなまし」
と言った。
「あ、ああ。それは構わねぇけど‥‥あんたの名前、まだ聞いていねぇ。教えてはくれないか」
「あちきは、観月と申しいす」
風がひときわ強く吹いて戸を揺らした。
***
雨が降り始めていたが、女――観月は帰ると言ってきかなかった。
このまま濡らして帰すわけにもゆかないので、どこかの客が忘れていった破れ傘を貸してやることにした。
観月はしきりに頭をさげ、薄暗い江戸の町へ消えていった。また会うことがあるのだろうか。
最後に観月は「あまり、深入りせぬほうがぬしのためと思いんす。このままお京ちゃんの分も生きてほしいと、あちきはそう願うばかりでおす。どうかどうか、与四郎さまとお京ちゃんの影を追うことはなさらないでくださいまし....」と美しくも恐ろしい声音で言い残した。
かつて吉原の一番であったと判る身のこなしだと思った。火傷してしまったとはいえ、布で隠された顔を見てみたいと思った。
観月とやらは俺に、筆のことにはもう関わるなと言いたいのか。俺のやることはもう、お京の最期を知ることしかないというのに。
強い風と雨音が、孤独をさらに際立たせる。本当に俺はひとりになってしまったらしい。
箪笥の抽斗から、お京が遊女たちからもらった簪を取り出してみる。
虚しくしゃらりと鳴るだけで、お京は戻ってくるわけでもないし恨み節を与四郎にぶつけられるわけでもない。
お京がどのような最期だったのか、もはや知ることはできないが、最期のそのときまで与四郎と一緒に居たのは間違いないだろう。ここまで知ってしまったら、ますますお京の筆の行方が気になる。
だからといって毎日毎日あの寺に通うなんてことはできない。
与四郎は筆づくりのために女の髪を求めたが、はじめから吉原へゆくのが目的だったのだろうか。考えた末、吉原にたどり着いたのだろうか。
お京の筆を手にすれば、死の真相が判るのだろうか。
ある風の強い日、空も暗くなってきているし雨が降りそうだ、こんな風じゃあ客のひとつも来やしないと店じまいしていると、ふいに戸が乱暴に揺れた。
風のせいかと見にゆくと、鼻までを布で覆った女が店のなかに立っていた。
目しか出ていないので幾つなのか判らないが、お京と変わらないように見える。それなのに着ている着物は地味だし、田舎から出てきたばかりの娘にも思える。
「もう、しまいなんですよ」
女はハッと顔をあげ、すみません、とたどたどしくか弱い声で言った。
「髪結いの良吉さんとは、ぬしのことでありんすか」
貧相な身なりでの突然の廓言葉に驚いた。
「へ、へえ。俺ですが‥‥」
「では、お京ちゃんのお兄さんとは、ぬしのことでありんすか」
心臓が飛び出るかと思った。お京のことを知っているのか、この女は。
そうだ、お京は吉原に出入りして女たちの世話をしていたではないか。簪やらなにやらを持たせてくれたではないか。
それに、顔を布で覆っている遊女とは、あの寺の住職が話していた人物と同じかもしれない。
「お京のことを知っているんですね」
「あちきは吉原の火事で逃げのびたひとりでありんす。吉原にいたときはお京ちゃんにお世話になりんしたので、お礼を言いたくて参りんした。そいで、あのお寺でぬしのことを聞いたので訪ねたくなったのでありんす」
「そう、でしたか」
座って、と普段はお客を座らせるところへ女を促す。
女はちいさく頷き、浅く腰かけた。
「あの、その布は‥‥」
訊いてはいけないことかと思ったが、遊女だった女の顔を見たくなって訊ねてしまった。
「おゆるしなんし、あの火事で顔に火傷をしたものでありんすから、こうして隠していんす。化粧ではどうにもなりんせん ‥‥」
「それは申し訳ねぇ」
「気にしないでくんなまし。これでも吉原一の太夫でありんしたが、いまこうなってしまっては身を売ることもままなりんせん」
女は顔を覆っている布を強く握りしめ、俯いてしまった。
がたん、と風が強く戸を叩く。
「あちきはあのお寺には、よく行くんでありんす。そうしたらぬしが筆のことで訪ねてきたと聞いて、お京ちゃんのことを思い出してしまって」
「ということは、与四郎のことも知って?」
「はい。いま江戸で起きている筆の怪異は、与四郎さんが――そのご新造さん、そいで 、髪を切られた女たちがもたらしていると思っていんす」
「髪を切られた女が?」
つまり、お京も関わっているというのか。
女は膝に乗せた手を落ちつきなく撫でている。よく見れば手の甲や爪などが変色し、焼け爛れた跡がある。
「あの方がつくる筆には魔力がありんす。ですから廓の女たちもみなあの筆の虜になってしまいんした。‥‥あちきもそのひとりでありんしたから判るでありんす」
「では、あなたも与四郎に髪を切られたのですか」
「あちきがおしまいに与四郎さんとお京ちゃんを見たのはあの火事の晩でありんす。炎に包まれ崩れた柱に身体を挟まれながらも、生き長らえてしまいんした。助けだされたあちきは、朦朧とするなか路地を駆けてゆくふたりを見たんでありんす」
やっぱり、与四郎がお京を――
「与四郎さんがつくる筆には人を魅了する力があるのでおす。そこへ髪を切ったそれぞれの女たちの情念も交わり怪異をもたらしていると、あちきはそう思いんした」
「確かに、髪は禍事を宿すと言う」
俺が言うと、女は布から覗く黒目がちな瞳でこちらをキッと睨んできた――ように見えた。
「血が滴るのは、女たちの涙であり恨みの血でありんす。与四郎さんの筆たちは、いまもなお生きて苦しんでいるのでおす」
「‥‥あんたの髪でつくられた筆は?」
「いまごろ、灰となっているでしょう」
「お京の筆はどうなったか、ご存知で?」
「いいえ‥‥」
女は立ちあがり、
「お京ちゃんのお墓を教えてくんなまし」
と言った。
「あ、ああ。それは構わねぇけど‥‥あんたの名前、まだ聞いていねぇ。教えてはくれないか」
「あちきは、観月と申しいす」
風がひときわ強く吹いて戸を揺らした。
***
雨が降り始めていたが、女――観月は帰ると言ってきかなかった。
このまま濡らして帰すわけにもゆかないので、どこかの客が忘れていった破れ傘を貸してやることにした。
観月はしきりに頭をさげ、薄暗い江戸の町へ消えていった。また会うことがあるのだろうか。
最後に観月は「あまり、深入りせぬほうがぬしのためと思いんす。このままお京ちゃんの分も生きてほしいと、あちきはそう願うばかりでおす。どうかどうか、与四郎さまとお京ちゃんの影を追うことはなさらないでくださいまし....」と美しくも恐ろしい声音で言い残した。
かつて吉原の一番であったと判る身のこなしだと思った。火傷してしまったとはいえ、布で隠された顔を見てみたいと思った。
観月とやらは俺に、筆のことにはもう関わるなと言いたいのか。俺のやることはもう、お京の最期を知ることしかないというのに。
強い風と雨音が、孤独をさらに際立たせる。本当に俺はひとりになってしまったらしい。
箪笥の抽斗から、お京が遊女たちからもらった簪を取り出してみる。
虚しくしゃらりと鳴るだけで、お京は戻ってくるわけでもないし恨み節を与四郎にぶつけられるわけでもない。
お京がどのような最期だったのか、もはや知ることはできないが、最期のそのときまで与四郎と一緒に居たのは間違いないだろう。ここまで知ってしまったら、ますますお京の筆の行方が気になる。
だからといって毎日毎日あの寺に通うなんてことはできない。
与四郎は筆づくりのために女の髪を求めたが、はじめから吉原へゆくのが目的だったのだろうか。考えた末、吉原にたどり着いたのだろうか。
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