紺青の鬼

砂詠 飛来

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其のさん・青鬼の眼、耳切りの坂

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       十二、

「まったく、どんな急ぎだっていうんだい」

 お保は、悪態をつきながらおしづのあとをついてゆく。

 おしづは、黙って歩く。

「末吉め、話があるなら家に帰ってきてからでもいいじゃないか」

 ぶつぶつと、おしづの背に悪態をぶつける。

 おしづは黙っている。

 そして、大きな木と道祖神の傍まで来ると、くるりとお保に向き直り、

「おうちに忘れものしちゃった! ばあちゃん、ここで待っててくれる?」

「忘れもの? しょうがないね。さっさと行くんだよ」

 おしづは来た道を戻っていった。

 お保は駆けてゆくおしづを見つめ、ひとり待った。

 ふいに、どうっと風が吹いた。

 落ち葉や砂埃が舞いあがる。

 ──と

 お保の背後に、ゆっくりと迫るものがあった。

 皺の浮いたお保の頸筋に、気の陰からすっと手が伸びてゆく。

「!」

 お保が慌てて振り返ると、青鬼の面をつけた女が立っていた。

 着物を見て、

「あんた、おつただね!」

 と声を荒げた。

「末吉が呼んでるなんて、子どもを使ってわたしを騙したのか!」

 お保は金切り声をあげる。

 面の女──おつたは声を高くして笑う。

「わたしとおしづを馬鹿にするからです! すこしは痛い目に遭ってもらわないと気が済みませんよ!」

 おつたは叫ぶ。

 くぐもった声。

「あんた、その面は舞で使うものじゃないか。そんな子どもみたいな真似をして、恥ずかしくないのかい!」

「余計なお世話ですね、まったく!」

 そう言って、おつたは面を外そうとした。

 しかし、面は顔にぴったりとくっついて外れない。

 慌てるおつたのようすに、お保は鼻で笑う。

「いつまで遊んでるんだい。早くお取りよ」

「は、外れないんです、これ‥‥」

「冗談はよしとくれ。いつまでも騙されないよ」

 面は、顔よりもひとまわり小さくできているはずだが、おつたの顔のものを見ると、その顔を大きく包み込むほどになっている。

「ちょっと、おつた、大丈夫なの──」

 お保も、さすがに心配して声をかける。

 おつたは呻きながら、面を爪でがりがりと掻く。

「本当に取れないのかい?」

 おそるおそる、おつたの面に手を伸ばす。

 面は、熱を帯びている。

「こりゃ、一体──」

「うっ」

 おつたは、ひとつ呻いてその場に突っ伏してしまった。



       十三、
 
 すぐにひとを呼び、おつたの顔に張りついた面を外しにかかった。

 熱を帯び、おつたの顔をまるまる包み込むようにして張りついたそれ、、は、容易に外れなかった。

 住職の光衣が呼ばれ、経を唱えたが無駄であった。

 その場に居た誰もがことばを失くし、光衣の経のなか、突っ立っていた。

 そのなかでも、とくに青ざめていたのが末吉だった。

 末吉は、ついさっきまでその面をつけて舞の練習をしていた。それに、毎年その面をつけて奉納祭で舞っているのだ。

 声も出せないほどぐったりとした妻のようすと、その面に末吉は眼を逸らす。

 見ていられない。

 光衣の経が止んだ。

「外れそうもない」

「では、どうすれば‥‥」

 掠れた声で末吉が訊いた。泣きそうな顔である。

「無理やり外すしかない」

「無理やり? どうやってです」

「首を落とす」

 光衣は言った。

「首を? ほかに方法は無いのですか‥‥!」

「おつたさんは、もう死んでいるも同然。面は外さなければならない。首を落としたほうが外しやすくなるだろう」

「そんな‥‥」

 光衣は、おつたの脈を取るために手首に指を添わせる。

「ほれ、もう弱い。脈など無いに等しい」

 血の気が引いて、おつたの手は真っ白である。

 お保は、おしづとともに家へ戻っていた。

 陽は、もう暮れている。

 光衣は、鋸を用意させた。

 冷たく、重くなったおつたの身体を地面に横にし、頸に刃をあてがう。

「許しておくれ」

 光衣は呟き、経を唱えはじめた。

 そして、鋸を握る手に力を入れた。

「ちょっと待ってください!」

 傍で見ていた末吉が、光衣を止めた。

「待ってください、やっぱり首を落とすなんて厭です」

「そうしないと面は外れない」

「もうすこし、もうすこしだけ待ってください。おれがなんとかしてみせますから!」

 末吉は、おつたの身体にすがって泣いた。

「──では、好きなようにせい」

 光衣は一歩さがり、その場を末吉に任せて見ていることにした。

「おつた、おつた──許しておくれ。お前と言い争いをしたまま別れるのは厭だ。仲違いをしたままなど、お前も死んでも死にきれんだろう‥‥」

 横たわる妻にとりすがり、その着物を涙で濡らす。

「せめて、最後にお前の顔が見たい。おつた、どうかお前の顔を見せておくれ──」

 言って末吉は、おつたの顔の面にそっと手を伸ばす。

 優しく撫でる。

 おつたの手や首筋、身体は冷たいのに、この青鬼の面だけは妙に熱い。

「おつた──」

 面と皮膚の境に指をかける。

 ぐい、と力を入れる。

「──おつた、頼む」

 外れない。

「おつた‥‥」

 誰もがこの哀れな夫婦を黙って見つめている。

「頼むよおつた。もういっぺん、その顔をおれに見せてくれ。おつた、おつた──」

 末吉は力まかせに妻の身体を揺さぶる。

 末吉の声もだんだんと荒々しくなってくる。

「おつた、おつた!」

 常軌を逸した末吉のようすに、まわりで見ていた者が、

「末吉、すこし落ちつけ!」

「やめないか末吉!」

 と末吉の身体を押さえつける。

「放せ! おれはおつたの顔を見るんだ! お前ら、おれじゃなくておつたを押さえてくれ!」

 末吉は抵抗する。

「末吉、もう無駄だ!」

「うるさい! 押さえろと言っているんだ!」

 末吉の怒声に、場は静まり返る。

 血走った眼でまわりの者をぎょろりと見て、光衣に静かに言った。

「和尚、そこの男たちは使えません。話の判るあなたが押さえててくれませんか?」

 ぬめり、と光衣を見る。

「──末吉」

「さぁ、早く」

 普段とは違う末吉のようすに、光衣は一瞬たじろぐも、すぐに男たちに指示する。

「ほれ、お前らも末吉の言うとおりにせい。わしは力が無いでの」

 光衣に言われては、男たちも従うしかない。

 幾人かの男たちが、おつたの肩や腕、脚を押さえた。

「誰か、頸を押さえるひとはおらんか」

 末吉が言った。

 すでに要所を押さえている男たちは、顔を見合わせる。

 それを見た末吉は、

「お前らじゃ腕が足りん。和尚、やっぱりあなたの力が必要です」

 と、光衣を見あげる。

「わ、わしもか」

「頸です。早く。くれぐれもきつく締めないでくださいね。苦しいですから」

「お、おう‥‥」

 光衣は、そっと頸に手を伸ばす。

 冷たく、脈は無い。

 ──もう、死んでいる

 光衣がそう思った時、末吉が声をあげた。

「このままじゃやりにくい。身体を起こしましょう。それで、和尚は耳を持ってください」

「耳を?」

「面が外れにくいので、押さえててほしいのです」

「わ、判った、耳だな」

 すぐにおつたの上体を起こし、それぞれが、身体を動かないようにと押さえつけた。

 おつたの息はすでに無いため、勝手に動き出すことはないが。

 年季の入った手で、おつたの耳をつかむ。

 光衣が後ろからおつたの両の耳をつかみ、末吉はおつたの正面にまわって面を外す。

「いきますよ」

 末吉が声をかける。

 口を開いて返事はしないが、頷く光衣と男たち。

「せぇの」

 ぎぎぎ、と軋む厭な音が面から聞こえる。

 だが、外れない。

「まだまだっ」

 末吉が言う。

 ぎぎぎ、

「もうすこし」

 ぎぎぎ、

「まだゆけ」

 ぎぎぎ、

「そらゆけ」

 ぎぎぎ、

「まだだぞ」

 ぎぎぎ、

「ふんばれ」

 ぶつっ

 なにか厭な音がした。

 末吉は、力を入れるあまり、眼を硬く瞑っていたが、ゆっくりと開いた。

 見ると、光衣が仰向けで転げている。

 おつたの身体も無造作に投げ出されている。

「和尚、大丈夫ですか」

 光衣の手になにかが握られている。

「!」

 年季の入った両の手に、赤いものが滲む、青白いしわくちゃのものが握られている。

 ──耳であった。

「あ、まさか──」

 末吉は、慌てておつたを見る。

 見事に両の耳がちぎれていた。

 まるで、耳だけ念仏を書き忘れ、亡者に持ってゆかれたかつての僧のごとくであった。

「──」

 一同、声もなにも出ない。

 光衣が、のっそりと起きあがる。

「なにが起きたのじゃ」

「和尚、和尚──耳が、耳が」

 面を外そうとする力と耳を押さえている力がお互いに強く、脆い耳がちぎれてしまったのだった。
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