嘘つきな獣

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 ロートス王国は、温暖で肥沃な大地に恵まれ、一年を通じて多種多品目の農・畜産物が生産されている。
 それに加え鉱物資源も潤沢で、諸国との交易が盛んに行われていた。
 富める国ロートス。
 だがその豊かさ故に、虎視眈々とロートスを狙う者も多かった。
 シャロンは現ロートス国王の長女としてこの世に生を受けた。
 
 二十二歳を迎えたシャロンには婚約者がいた。
 相手は同盟国であるエドナの王太子セシル。

 エドナは元々馬を移動手段とし、非定住生活を送る遊牧民──騎馬民族であった。
 長きにわたり大陸をさまよい続けた彼らは、ある日定住の地を見つけ、王国を築いた。

 当時のロートス国王は、エドナが建国されるやいなやこれ幸いと、武術に長けた彼らに同盟を持ち掛けた。
 エドナの近隣に位置し、他国と四方を接するロートスは、常に侵略の脅威にさらされていたからだ。
 建国したばかりなこともあり、自給率の乏しかったエドナは、ロートスからの食料支援と引き換えに同盟を受け入れた。
 こうしてエドナの武力を手中にしたロートスは、侵略を企む他国を牽制することに成功したのだ。

 セシルとシャロンの婚約は、両国の結束をさらに強めるために交わされたものだった。

 セシルはシャロンの四歳年下で、透き通る青灰色の瞳が印象的な少年だった。
 最後に会ったのはもうずいぶん前だが、その頃はセシルよりもシャロンのほうが背が高かった。
 思春期真っ只中なせいか、それとも自分より四つも年上の花嫁を貰うのが嫌なのか、初めて顔を合わせた日、セシルは必要なこと以外は一切口を開かなかった。
 目を合わせることすらしない。
 正式に婚約を結んだ日もそう。
 たとえ政略結婚とはいえ、せっかく縁あって夫婦になるのだから……と、シャロンはセシルと打ち解けようと色々試みたが、結局一度たりとも彼の笑顔を見ることはできなかった。

 ──それでもきっと、いつかは心を通わせることができるはず

 シャロンはまだ見ぬ結婚生活に憧れるとともに、希望を抱いていた。
 しかしセシルと最後に会ってから数年が経過したある日、父であるロートス国王から告げられた言葉にシャロンは愕然とする。

 「セシル殿との婚約を破棄して、エウレカのマヌエル殿の元に嫁げ」

 シャロンは耳を疑った。
 なぜならセシルとの婚儀は目の前に迫っていたからだ。
 花嫁衣裳だってもう出来上がっている。
 セシルがシャロンのために誂えさせたという純白のドレスは、ひと月前から部屋に飾ってある。
 シャロンは当然受け入れられないと父王に抗議したが、取り合ってはもらえなかった。
 エウレカは海軍を持つ南の島国。
 マヌエル殿下はこれまでに数度我が国を訪れたことがあるが、両国は未だ同盟を結ぶまでには至っていない。
 きっと父は、エウレカの軍事力が欲しかったのだろう。
 婚約破棄くらいでセドナとの同盟が揺らぐはずがないと高を括っているのだ。

 そしてシャロンの意思を無視して、婚約を破棄する書簡がエドナに届けられた。
 その後どうなったのか、セシルは婚約を破棄することにどんな反応を示したのか。
 父の命令により、エウレカへ嫁ぐ日まで軟禁状態になってしまったシャロンがそれを知る術はなかった。

 そしてシャロンがエウレカへ旅立つ三日前、それは起こった。
 武装したエドナの軍隊が、突如ロートス王城に攻め入ったのだ。
 兵士たちの怒号と逃げ惑う人々の悲鳴が城内に響く。
 状況がわからないシャロンは、部屋の隅でひとり震えていた。
 やがて大勢の足音が向かってくるのが聞こえ、金属のぶつかり合う音がしたあと、目の前の扉が蹴破られた。
 室内にいた侍女たちが一斉に悲鳴を上げる。

 「いました!」

 先頭の兵士が叫ぶと、彼らの後方から男たちをかき分けるようにして長身の男が前へ出た。
 侍女たちが一様に腰を抜かしてその場にへたり込む中、男はゆっくりとシャロンに向かって歩を進める。
 (誰なの……)
 男の瞳は怒りとも憎しみともつかぬ激しい感情を宿していた。
 立派な体躯から発せられる恐ろしいほどの圧。
 シャロンはその場に縫い留められたかのように動けなくなった。

 途中、男は部屋に飾ってあった花嫁衣装に目を留めた。
 それは、エドナから届けられたセシルとの婚礼のためのものではなく、エウレカより届けられたもの。
 男はそれを手に持っていた剣で躊躇なく切り裂いた。

 「きゃあっ!!」

 刃がトルソーごとドレスを切り裂く音に、シャロンと侍女たちは小さく悲鳴を上げた。
 そして男はシャロンの目の前まで来ると、乱暴に腕を掴んだ。
 
 「……っ!!」

 柔肌に、男の指が食い込むほどの強い力。
 痛みと恐怖で思わず目を瞑るシャロンに、男が口を開いた。

 「久しぶりだな」

 ぞっとするほど低く、冷たい声に背筋が凍る。
 恐る恐る顔を上げたシャロンの目に映ったのは、透き通る青灰色の瞳だった。
 忘れもしない、美しい色彩。

 「……あなたもしかして……セシル殿下なの……?」

 「俺の顔を憶えているとは光栄だな」

 そう言うと彼はより一層憎々しげな目をシャロンに向けた。

 「行くぞ」

 彼は力任せにシャロンの手を引き、兵士に向かって指示を出した。
 廊下を出ると、部屋の前にいた衛兵が倒れていた。
 床一面を染める赤い血にヒュッと喉が鳴る。
 見れば同じような死体があちらこちらに横たわっていた。
 すべてロートスの兵士だ。
 およそこの世のものとは思えぬ地獄のような光景に、悪い夢でも見ているような錯覚に陥る。
 前方から走ってきたエドナの兵士がセシルの前で跪く。

 「セシル殿下!王宮内は制圧いたしました!」

 (制圧……まさか、こんなにあっけなくロートスの城が彼らの手に落ちたというの?)
 いくらなんでもまさか、そんな。

 「争いごとをすべて俺たちに押しつけて、訓練もせずにのうのうと暮らしていたんだろう。無様だな」

 同じ血の流れている人間なのに。
 同盟国の兵士とは、志を同じくする仲間ではないのか。
 感情のない横顔に、得体の知れない恐ろしさを感じ、ゾッとする。
 父王は、臣下たちはどうなってしまったのだろう。
 生きているならおそらく全員同じ場所に集められているはず。
 そしてこのまま自分もそこに連れて行かれ、彼らから下される処分を待つのだろう。
 しかしシャロンの予想を裏切りセシルが向かったのは、父や重臣たちが捕らえられているであろう玉座の間ではなく、正門だった。
 正門前にはエドナ兵の馬が繋がれていた。
 セシルは側近と思しき男に今後のことを指示したあと、シャロンを自身の馬に乗せ、僅かな兵を引き連れ出発したのだった。
 





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