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第一章
14 忘我混沌
しおりを挟む「ここにエレンディール帝国皇太子ルーベルとクローネ侯爵家アマリールの婚約を認める。」
婚約の証である書状へのサインと指輪の交換を済ませると、広間からは絶え間ない盛大な拍手が贈られた。
「アマリール、来い。」
差し出された手を取りバルコニーへ出ると、この日を祝うために駆け付けた国民が二人を大歓声で迎えた。
「ルーベル殿下!おめでとうございます!」
「エレンディールとお二人に幸あれ!!」
「ルーベル殿下!アマリール様!どうぞ末長くお幸せに!!」
アマリールを側に置くようになってからルーベルは変わったともっぱらの評判だった。行き過ぎた制裁も鳴りを潜め、それも全てクローネ侯爵令嬢が側にいるお陰だろうと臣下達の間ではアマリールの評判も上がった。“血の皇太子”の側面以外は素晴らしく優秀なルーベルがこれから先作り上げるだろう治世に、国民の祝賀ムードも最高潮に達していた。
「どうした、緊張してるのか?」
眼下に広がる光景はアマリールにとってあまりにも尊く重いものだった。
この人の妃になるという事はこれほどまでに重い責任が伴うのか…。そんな気持ちに押し潰されそうになっているアマリールをルーベルは腰を抱いて引き寄せた。
「何も恐れることはない。お前には俺がいる。」
「…ルー…。」
真っ直ぐ前を向く彼が今どんな気持ちでいるのかはわからない。けれどさっきのローザ様の事もそうだが今も私を守ろうと手を差し伸べてくれた。
(…やっぱりこの生は前とは違うのかもしれない。このまま彼の手を離さなければ私は幸せになれるのだろうか…)
ルーベルの隣で微笑みながら手を振るアマリールをエメラルドグリーンの瞳が見つめていた事を彼女はまだ知らない。
***
夜は内輪だけの宴が開かれた。出席者は王族と国を支える重臣のみだ。普段あまり公の場に姿を見せない第二皇妃のトリシア様、そしてハニエル様のお父上アルザス公爵も…。
今日の式典にハニエル様はいなかった。詳しくは聞いていないがおそらく殿下が招待客リストから外したのだろう。
一生私と会わせないつもりなのだ。
宴には父も出席していた。私が存外大切に扱われていることに安堵した父は振る舞われた上等な酒を口に運んでいる。
「めでたいついでに皆に知らせたい事がある!」
少し顔の赤い陛下が御機嫌な様子で声を上げた。殿下も何も聞いていなかったようで不思議そうな顔をして陛下の顔を見ている。
「ルーベルとアマリールがいればこの国の繁栄は間違いない!そしてエレンディールの更なる発展のためにローザをアーセルへ嫁がせる事にした!」
「ええっ!?」
ルーベルの不興を買い末席で大人しく息を潜めるようにしていたローザが悲鳴にも似た声を上げた。
「素晴らしいですな陛下!アーセルと言えば最近特に力を付けてきた国。ローザ様が嫁がれれば我が帝国との絆も強固なものになりましょう!…で、お相手は?」
「相手は国王からの信頼も厚いロウ公爵の長男アレクサンドル殿だ!ローザには最高の相手だろう!」
列席する者達から飛んだ質問に“どうだ”と言わんばかりにアヴァロンは語った。
しかしローザの隣に座るシェリダンは悔しさに震える。
(…アーセルの…しかも王子ではなく公爵ですって…!?)
アヴァロンには皇太子ルーベルの他に娘が三人いる。ルーベルの姉クロエは隣国ローランの第一王子に嫁ぎ昨年男児を出産した。第二皇妃トリシアの生んだ二人の娘もまたそれぞれ別の国の王子の元へと嫁いで行った。
(それなのになぜ…なぜローザだけ公爵なんかに嫁がなきゃならないの!?)
しかし悔しがるシェリダンに第二皇妃トリシアは誰にも聞こえぬよう囁いた。
「…残念でしたわね。卑しい血統を受け入れて下さる寛容な王族が見付からなくて。」
「何ですって!?」
「おぉ怖い。これだから下賎の出は…。せっかく陛下に媚を売って娘を皇籍に入れて貰ったというのに、全部無駄になってしまいましたわね。でも貧乏貴族だった女の娘が公爵家に嫁げるだけありがたいと思わなくちゃ…ね?うふふ。」
トリシアは年齢を感じさせぬ無邪気な笑顔で笑っていた。周りから見ればトリシアがシェリダンに祝いの言葉を述べているように見えた事だろう。
「ルーベル!ローザの将来も決まってお前も肩の荷が下りただろう。あとはお前達の子が出来るのを待つだけだ!」
アヴァロンの言葉にルーベルはやれやれと言う顔をしたが、特に反論もしなかった。
そしてそんなルーベルの姿を見てローザは絶望していた。
(どうして…?どうして反対してくれないのお義兄様?ローザはどこにもやらないって言って…!)
けれどどんなに視線でルーベルに助けを求めても彼は隣にいるアマリールを目に映すばかり。
「アマリール、もう少ししたら先に戻れ。父上に付き合っていたら何時になるかわからん。俺も頃合いを見て抜けるから……」
“戻ったら抱くから起きていろ”
誰にも聞こえないように耳の中へ唇を割り込ませ、一舐めして彼は言った。その瞬間今まで感じた事のないような甘い疼きがきゅうっと下腹部を締め付ける。赤く染まる顔で殿下を見れば彼はそんな私を面白がるように微笑んだ。
「もう…あまりからかわないで下さい…。」
ルーベルはグラスを傾けながら柔らかな表情でアマリールを見つめていた。
「おお、熱い熱い!この様子だと後継ぎの事も安心だなマデリーン!」
「ふふ、陛下ったら飲み過ぎですわよ。でも本当ですわね。アマリール、ルーベルをよろしく頼みますよ。」
皇后マデリーンもアマリールへ微笑みながら声を掛ける。
ローザの事など誰も気にも留めていない。
まるでローザなど最初から存在していなかったかのように…。
***
宴の喧騒から一足先に抜け出したアマリールは、待っていた侍女達にたっぷりと磨きあげられた。
火照った身体でテラスに出ると風がカサカサと草木を揺らす音がする。湯上がりの肌に夜風が気持ちいい。
「…アマリール…!!」
「!?」
庭園の方角から自分を呼ぶ声が聞こえた。
しかもこの声は…
「ハニエル様…!!」
現れたのは夜の闇に紛れるようにして黒いマントに身を包んだハニエルだった。
「アマリール!!」
ハニエルは驚いてその場に立ちすくむアマリールに駆け寄って強く強く抱き締めた。
懐かしい彼の匂いに胸が潰されそうになる。
「ハニエル様…どうしてここに?こんなところをルーベル殿下に見付かったら…!!」
「アマリール!逢いたかった…!ごめんよ遅くなって…僕に力が足りないばかりに君をこんな目に遭わせてしまった…全部僕のせいだ!!」
「ハニエル様……」
私がこうなったのはハニエル様のせいじゃない。むしろハニエル様は私を救ってくれた。一生よすがに生きていけるほどの想い出をくれたのだ。
「謝らないでハニエル様…ハニエル様は何も悪くない。」
ルーベル殿下に比べて少し細身の身体。傷付いた私をこの胸の中に包んで何度も優しく愛してくれた。そして彼は可愛い弟から大切な男の人へと変わった…でも…
「お戻り下さいハニエル様…もうすぐ殿下が戻ってきてしまう…。」
大好きだったその優しい手を自分の身体から外すのが身を切られるように辛かった。
本当はこのまま一緒にここから逃げてしまいたい。けれどそんな事出来るはずがないのは私もハニエル様もよくわかっている。あの人から逃れて生きる事のできる場所などこの世のどこにもありはしない。ありはしないのだ…。
「アマリールどうして!?もう僕の事は愛していないの!?あいつに…あいつに抱かれて心変わりしたとでも言うの!?」
ハニエル様の顔は悲しみに歪み、私を強い力で自分の腕の中へと引き戻した。
「お願いだからそんな事言わないでハニエル様…!殿下に見付かったらあなたが殺されてしまう。そんなの…そんなの耐えられない…!!」
「僕はあんな奴に殺されたりはしない。今はまだ君をあいつに預けておく…。でも待っていてアマリール!絶対にここから救い出してあげるから!」
「ハニエ…んっ……!」
重ねられた唇からハニエル様の焦燥が伝わってくる。
私を愛するが故にこんな危険を冒してまでその言葉を伝えに来てくれたのだ。
もう十分だ。その気持ちだけでもう。
「…もういいの…私の事はもう忘れて下さい…。」
彼は驚いた顔で私を見た。
「アマリール!?」
本当はわかってた。私は幸せになんてなれないんだって。
でもあなたは違う。あなたはこれから結婚して二人の可愛い子供に恵まれる人生が待っているのだ。
だからせめて…せめてあなただけは…
「…幸せになってハニエル様…。」
私は呆然とする彼をその場に残し、部屋へ戻って窓の鍵を閉めた。
もう全て失った。
ほんの僅かに残る希望さえも自分の手で消してしまった。
身体から魂ごと力が抜けて行くようだ。私はその場にペタリと腰を下ろし、真っ暗な部屋の中をただぼんやりと眺めていた。
「…アマリール…僕は絶対に諦めない…必ず君を取り戻して見せる!!」
マントを翻し再びハニエルは闇の中に消えて行った。この時、闇に紛れてこの逢瀬を見ている者がいたとはアマリールもハニエルも夢にも思わなかった。
「…見ーちゃった…。」
ローザは手に握っていた短剣を静かに鞘の中へとしまう。
「殺してやろうと思ったけど、殺すよりもっと良い方法がみつかっちゃったわ…ふふ…ふふふ…」
ローザはルーベルの宮の前でしばらくの間嗤い続けていた…。
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