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第一章
27 目覚め
しおりを挟む「お前は母上の茶会がある日は必ず俺の元へ現れた。そして他の用で皇宮を訪れる時もな…。」
幼いアマリールはルーベルの元へ何度も通った。まさか彼が皇太子だなんて思いもせずに。しかし数度の茶会を経て、皇后マデリーンの目に適った令嬢があらかた決まったところでルーベルは茶会に姿を現した。もちろん皇后から顔を出すように言われたからだが、思っていた通りアマリールは目を見開き、ただただ驚いていた。
もう来ないだろう。ルーベルはそう思った。自分が世間でどう噂されているかくらいは知っている。唯一の後継者。傲岸不遜。気に入らない人間はすぐ切り捨てる冷酷な皇太子。下心が無ければ近付きたくもない存在だろう。未来の皇后の座というご褒美が無ければ。あの少女はそういうものとはかけ離れている。
「ルー!!」
しかしその日もアマリールは俺の元へやってきた。
「…お前…何やってんだ…?」
「酷いわルー!!本当はルーベルって名前だったのね!?」
あまりの衝撃に思考が停止した。馬鹿なの?この子馬鹿なの?
「何で嘘ついたの!?」
何でって……
「俺の知り合いなんて嫌だろ…?お前だって冷酷皇太子の噂くらい聞いたことあるだろうが。」
「ないわ!!」
自信満々に言うその姿に開いた口が塞がらなくなった。
「それにルーは冷酷なんかじゃないからその噂は間違いだわ!!」
「……は、はは…はははっ!!」
「どうしたのルー?」
「お前馬鹿だな、大馬鹿だよ。」
「ちょっとひどいわルー!私ちゃんとお勉強してるのよ!このまえだって…わぁっ!!」
ポフンとアマリールを抱き締めてルーベルは笑った。温かく柔らかい身体…そして鼻を掠めるほのかに甘い香り。手放せない…いつの間にか膨らんでいた気持ちを強く自覚した。
「お前…茶会休むなよ。」
頼むから頑張って母上に気に入られてくれ。
そうすればきっと……
「…願った通りお前は母上のお気に入りとなった。理由はお前も知っているだろうがクローネ侯爵領の持つ財力だ。…だが俺はそんなのどうでも良かった。お前が選ばれるのなら何だって…。」
ルーベルは仰向けになり何もない天井をぼんやりと眺めていた。
「お前は俺の事をいい遊び相手くらいにしか思っていないのだろうとそう思っていた。でもそれは違った。お前も俺と同じ気持ちでいてくれたんだ…。」
あの日の二人だけの秘密の誓い。
信じられる者などいないこの皇宮で、唯一信じられた清らかなもの。こんな俺に偽りのない愛を捧げてくれたお前を一生守って見せる。
「…待ち遠しかった。そう遠くない未来なのにそれでも待てなかった。」
俺の婚約者に内定すればお前はきっと周りの悪意に晒される事になる。だから我慢した。でも心の底ではお前は俺のものだと言いふらしてやりたかった。
「だからせめて…俺のものだという証を持たせようと思った…。」
ルーベルは胸元からあるものを取り出した。
「……鍵……?」
それは光を受けて七色に輝く大粒の宝石が埋められた金の鍵だった。
ネックレスになっていて、無理に引っ張れば子供の手でも千切れそうな華奢な鎖はシャラシャラと美しい音を立てる。
「…その鎖ならたとえどこかに引っかけてもお前を傷付ける前に切れるだろう?」
繊細で精巧な作りの鎖は幼いルーベルが、更に幼いアマリールの事を思い何度も熟考し、エレンディールが誇る職人が試作を重ねた末にようやく完成したものだった。
「これは鍵ですか?それともネックレス?」
「鍵だ。俺の部屋のな。それを持てるのは俺の妃になる者だけ。その宝石は俺の持つ鍵に付いているものの双子石だ。」
(殿下の部屋の鍵……。殿下はそこまで私の事を…。)
シャララン…シャララン…と鎖は囁くように鳴る。
『…綺麗……こんな素敵なもの…本当に貰ってもいいの…?』
(え…………?)
頭の中に響いたのは幼いが、しかし間違いなく自分の声。
(何……?今のは一体……)
『絶対に失くすなよ。今日みたいな雨の日は冷えるから、それを使って俺の部屋に入って待ってろ。』
『うん!!…あ、雨があがったみたいよ!』
(…何なの…これ……)
自分の意思とは関係なしに、次から次へと流れ込んでくる誰かの記憶。
『あのねルー!さっきここに来る途中で見たんだけど、苺の薔薇の蕾が開きそうだったの!雨を吸ったら元気になって咲いてるかもしれないわ!』
『お前はこんな時にも苺なんだな…。いいよ、見に行こう。でも絶対に走るなよ!あの石畳は滑りやすいんだ。』
(…行ったら駄目…お願い戻って…!!)
しかし少女は駆け出して行く。何よりも大切な金色に輝く宝物を握り締めて。
『ルー!雨粒がキラキラ光ってとっても綺麗よ!早く早く!』
『アマリール!危ないから走るな!!』
でも幸せで幸せで、走らずにはいられなかったのだ。
そして弾かれた雨粒で光る石畳の上、アマリールの身体は宙に浮く。
後を追うルーベルの手は届かなかった。
一面に広がる血と千切れた鎖。
ルーベルの想いだけは最後までアマリールを傷付ける事は無かった。
(……全部見えた……全部……)
しかしルーベルは戸惑うアマリールの様子に気付かない。
「…石畳で頭を打って運ばれた皇宮の医務室で、お前はずっと目を覚まさなかった…。」
周りの目を盗んで何度も何度も顔を見に行った。何度も何度も届かない声を掛け続けた。
「目を覚ました時は奇跡だと思った。でも……お前は俺に関する記憶を全て失っていた…。」
これは何の罰なのだとこの身を呪った。
だがほんの一時の記憶障害の可能性もあると言われ、それからアマリールが回復して、母上の茶会が開かれる度に俺は顔を出した。
けれどいつまで経ってもお前は俺と目を合わせようとしない。それどころか少しでも近付こうものなら先に遠ざかり逃げて行く。
…それからだ。渇きを…満たされる事のない渇きが俺の心をも干からびさせた。
『おっ…お許し下さいルーベル殿下!!』
失敗を詫び頭を垂れる臣下が塵屑のように見えた。使えるか使えないか、有能か無能か、従順か強情か…。
使えないなら捨てる。無能でも捨てる。強情なら血を流してでも従わせ、それでも駄目なら斬り捨てた。
辛かった。世界が止まない雨に覆われたようだった。
そしてある時知る事になる。ハニエルのお前への想いが姉へのそれではないことを。目が耳が口が手が…僅かな動きや仕草が全てを物語っていた。お前を愛していると。
『私が誰かに取られる前に絶対にルーのものにして』
約束した。“絶対に”と。
そして焦っていた。お前がハニエルに向ける笑顔が、あの日俺に向けていた笑顔とよく似ていたから…。
いつでも渡せるようにと懐に忍ばせておいた鍵は、結局渡せないまま今日まで来た。
「…これが俺達の間に起こった全ての事だ。アマリール…?どうしたアマリール!」
過去を思い出しながら天井を眺めていたルーベルは、アマリールが苦しそうに顔を歪めて頭を押さえていた事に気付き慌てて身体を起こした。
止まらない記憶の流入に頭がどうしようもなく痛む。
(痛い痛い痛い……!!…………あぁ……!!)
最後に見えたのは花の妖精のような黄色いドレス。
笑顔で走る私。そしてその手には…
銀色の鍵……?
「大丈夫かアマリール!?アマ「…ルー…」
その瞬間、ルーベルのアマリールへと伸ばした手が硬直した。
“ルー”。今までもそう呼ばせていた。でも違う。今のは記憶を無くしたアマリールが呼んでいた“ルー”じゃない。
『ルー!!』
これはあの日の…俺に向かって真っ直ぐ響いたあの日の“ルー”。
「…アマリール…?」
ルーベルの声は震えた。
期待するな。今までだって何度も裏切られた。今日こそ思い出してくれるんじゃないか、今日こそは…!そうやってもう何年もの時が過ぎた。これ以上は耐えられない。それなら記憶なんて戻らなくていい。最初から何も無かった事にした方が諦めがつく。
「…ごめんなさいルー…!!」
しかしルーベルを見たアマリールの顔は涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。
「…私が…私が言ったのに…お嫁さんにしてってお願いしたのに…!!」
けれどルーベルの表情は僅かに動揺の色が見えるだけ。
(…話を合わせているのか…?昔の思い出に囚われる俺を憐れに思って…。)
信じられなかった。こんなことで思い出すなんてとても信じる事が出来なかった。
「…あの日…ルーのくれたこの鍵の鎖がシャラシャラと鳴るのが嬉しくて…ルーは首に着けてくれるって言ったのに私…私は手に持って走った…」
『失くさないように首に着けてやるから貸してみろ。』
しかしアマリールは頬を膨らませて嫌がった。
『ダメ!だって首に着けたら見えなくなってしまうもの!もう少しだけ見ていたいの。』
初めて貰ったお揃いの鍵。そしてそれは世界でたった一人、ルーのお嫁さんだけが貰える物。
「嬉しくて嬉しくて…ずっと手元ばかり見てたから、石畳の上の水溜まりに気付かなかったの…!!」
「…アマリール…お前…!!」
そこまで詳細な事は話していない…!
本当に…本当に思い出したのか!?
「でもルーが私を助けようと手を伸ばしてくれたのは知ってる…!最後にちゃんと見えてたの!!見えてたのよ!!」
そこまで言ってアマリールは声を上げて泣き始めた。感情の制御が出来なくなった子供のように。
「アマリール!!」
ルーベルはアマリールの身体を強く抱き寄せた。逞しい身体はその力強さとは反対に弱々しく震えている。
「ごめんねルー…!!ずっと…ずっと一人にしてごめんなさい…!!」
頭の上からきつく絞り出されたようなルーベルの嗚咽が聞こえる。
アマリールはその細い腕を精一杯伸ばしルーベルの身体を抱いた。ルーベルの震えが止まるまでずっと…。
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