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第一章
28 相違
しおりを挟む「…アマリール…。」
落ち着いたのか、いつの間にかルーベルの身体の震えは止まっていた。
「違うわルー。お願いだからあの頃みたいに呼んで…?」
少しだけ身体を離して顔を見るとアマリールは照れ隠しに頬を膨らませている。あの頃よくしていた仕草だ。
「…本当に思い出したんだな…。」
ルーベルの大きな手がアマリールの頬を優しく撫でる。その目にはまだ涙が滲んでいた。
「…リル…。」
優しい声はアマリールの心にじわじわと染み込んで行く。あんなに彼の事が怖かったのに…記憶を取り戻した今、胸の奥から湧き出る愛おしさに心が震えた。
しかしアマリールの表情がどこか重い事をルーベルは見逃さなかった。
「リル…顔色が悪い。大丈夫か?」
脳を無理やり抉じ開けるようにして流れ込んで来た記憶。酷い頭痛は収まったものの、まだ少しはっきりとしない。
「…少しだけ頭が痛むの…ごめんなさいルー…」
もっとたくさん話したい事がある。聞きたい事だって。
「…俺はどこにも行かない。大丈夫だから寝ていろ。」
ルーベルはアマリールを優しく包むように抱き、一緒に横になった。
「…ルー?」
「なんだ?」
「あの鍵…最初は銀だった?」
「…まだ記憶がぼやけてるみたいだな。あれは最初から金で作らせてある…。」
金…?
じゃあさっき見えたのは私の思い違い…?
「鎖なんてつけなければ良かったと思った。お前はあれが鳴る音が綺麗だとはしゃいで…」
「…鎖が鳴る音が綺麗だったのは本当だけど…ルーとお揃いのものを貰ったのが嬉しくてはしゃいじゃったの…ごめんなさい…。」
「…もういいんだ…謝るな。だが石畳の上でお前の薄紫のドレスが赤く染まって行く時はさすがに肝が冷えたぞ。」
「薄紫…? 黄色じゃなくて…?」
「ふふ…やっぱりまだ完全に思い出してはいないみたいだな。あの日お前は薄紫のドレスを着てたんだ。ちょうどその色の花が咲く頃だったからな…。」
……薄紫。
何故だろう。そう言われればそうだった気もする。けれど私がさっき見た記憶では確かに黄色。そして銀の鍵だった。
「少し眠れ…起きたらまた話そう。俺もお前に話したい事がある。」
「…話したい事…?」
しかしルーベルはそれ以上何も言わなかった。アマリールはルーベルの温もりに身を委ね目を閉じる。
(…きっと思い違いだわ…。)
そして訪れた眠気を受け入れたのだった。
***
「アマリールが全て思い出した。皇宮へ連れて帰るぞ。」
感情を読み取る事が難しい主の声はわかりやすく弾んでいた。…と言ってもこれが普通の人間だったら“不機嫌”と捉えられても仕方ないような声音なのだが。
「ローザ様はどうされます?」
ローザは未だルーベルの執務室の隣で暮らしている。それが軟禁だと本人は露程も思っていないが。
「何か理由をつけて早くアーセルへ出発させる。話自体は纏まっているんだ。問題無いだろう。」
「…シェリダン皇妃の反発が予想されます。ローザ様御本人も。」
「そこはゲイルの腕の見せ所だ。早馬を出せ。“何とかしろ”とな。」
リディアはあの口煩くて嫌味なモノクル男のげんなりする顔が浮かび、良い気味だと口元を緩めた。
(…しかし…穏やかには行かないだろうな…。)
ルーベル自らが動くのが一番だろうが主は今それどころではない。焦がれてやまなかったアマリールがついに記憶を取り戻したのだ。しばらく皇宮へは戻らないだろう。今だって寝室から出てきたのは奇跡だ。
離宮の一件でルーベルがアマリールを逃がしたと聞いた時は耳を疑った。しかもただ自分から逃がすのではない。他の男にくれてやるために逃がしたと言うのだ。狂気じみた言動は今までも多々あったが今回は気が触れたとしか思えなかった。だがルーベルはその後リディアを呼び出しアマリールのいる別荘へ潜り込む事を指示した。そしてこう言ったのだ。
『…もしもアマリールが俺の名を呼んだならすぐに知らせろ。』
名など呼ぶはずがない。他の男と逃げたのだ。アマリールが口にするのは主の名ではなくあの金髪タレ目のハニエルという男の名だろう。
しかしルーベルの目は真剣だ。
(信じていたのだろうな…幼き日の彼女の愛を……。)
記憶を無くした彼女だからこそ自分の元から飛んで行く事を許したのだろう。けれど助けを求めたのならいつでも救う気だった。
まるでアマリールに待ち受けている運命を知っていたかのように。
繰り返される暴力に心も身体もボロボロになっていく彼女。これを予想していたのだとしたら殿下はどんな気持ちだっただろう。良い気味だとでも?…いや違う。けれど必要な事だと考えた上でだろう。
そして彼女は呼んだ。出ない声を振り絞るようにして、私達も知らない二人だけの呼び名を。
(こうなる事がわかっていたのだとしたら、もはや殿下は預言者だ。まぁ、これまでも近いものはあったけど…。)
「皇宮に戻るにあたってアマリールの身辺の警護を増やす。その選抜も頼む。」
「何名ほど?」
「交代の数も考えて最低二十名だ。」
「二十!?皇帝陛下だってそこまで引き連れて歩かないですよ!?」
自分の周囲にだって“鬱陶しい”とか何とか言って、何度注意しても最低限の護衛しかつけてくれないのに。これは舞い上がっているのか? 仏頂面すぎてその心を読み取る事は出来ないが、ようやく両想いになれて浮かれちゃってるのか?
「アマリールは俺の…帝国の世継ぎを生むただ一人の女だ。それくらい当たり前だ。」
いやあなたのお母様だって唯一の世継ぎの君の生母ですけど公式行事に護衛二、三人が関の山ですよ?ていうか皇宮内は警備も万全ですし!
「…いや、二十では足りないか…やはり三十……ダメだな。数が多すぎると動きが悪くなる……。」
恋と愛に我を忘れる人間らしい主の姿にある種の感動も覚えたが、どうにも不安でならない。だからつい口から出たのだろう。
「…窮屈すぎていつかアマリール様に逃げられますよ。」
しかしせっかくのリディアの忠言も、今のルーベルには届かなかった。
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