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第一章
36 ゲイルの頭痛の種(後編)
しおりを挟む皇宮で開かれる大規模な夜会。たとえ貴族といえどおいそれと参加する事の許されないその集まりの中に彼女はいた。その美貌を武器に近付いた格上の貴族の同伴者として乗り込んで来たのだ。
寡婦といえど若く美しいシェリダンの姿に周囲の男達の目は釘付けとなった。それは皇帝アヴァロンも例外では無かった。
蝶のように優雅に舞い、小鳥が鳴くように可憐に喋る。すべてはより上質な男を籠絡しようと練りに練られた計算だったが、まさかそれに皇帝が引っ掛かるなどとは本人も夢にも思わなかっただろう。
若い女を寝所に連れ込んだ夫に皇后マデリーンは怒り狂った。更にその瘤付きの下級貴族の寡婦を皇妃に据えると言うのだ。
マデリーンは絶望したが皇后として、国母としての矜持が既の所で自暴自棄になりそうな心を持ち堪えさせた。
しかしシェリダンは皇妃の座についただけでは満足しなかった。“後ろ盾の無い身で自分に何かあったら……”言葉巧みにローザに皇籍を与えるよう仕向けたのだ。
これにはマデリーンだけでなく第二皇妃のトリシアも怒りを露にした。
(…まだまだここまでは良かったとしましょう…)
皇籍を賜ったとはいえ所詮は血の繋がらない娘。帝位を脅かされる心配は無いし、政治に使える駒が増えるのはこちらとしてもありがたい。アヴァロンもそう睨んでの事だったはず。
(でもここからが最悪…。)
ローザの身の安全は確保した。では自分は?
皇帝が崩御しようものなら第三皇妃の自分がこの皇宮で権勢を振るう事など夢のまた夢。それに帝国側も用の無くなった第三皇妃に贅沢な暮らしをさせるほど寛容ではない。そこでシェリダンは捕らえる事にしたのだ。若く才能ある将来有望な若者を。
『ゲイル様はお若いのに本当にご立派でいらっしゃいますわね。今の殿下があるのもゲイル様のお力添えが大きいと周りから聞いておりますわ。』
身の毛がよだつとはこの事だ。
急に皇妃宮に呼び出されたと思ったら、まさか自分がこの女の将来の後ろ盾にと狙いを定められるとは。
ゲイルはげんなりとしながら当時の事を思い出す。
『実は…ローザと殿下はどうやら想い合っているらしいのです。』
しばらく時が止まったかのようだった。
そんなはずあるか。はっきりと聞いた訳では無いが殿下には想う女性がいる。
いつも側にいるからこそわかる。その熱の籠もった視線を追えば必ずそこに彼女がいる。クローネ侯爵家のアマリール嬢だ。
直接話した事はないがクローネ侯爵家はこの帝国内で知らぬ者はいない名家。はっきり言えば名ばかりで使えない皇妃と皇女よりも彼女の方が格は上だ。そして彼女は皇后陛下の御眼鏡にも適っていると聞く。
いくら皇妃といえど殿下の婚約者候補くらい把握しているだろうに。それらを差し置いて自分の娘とルーベルをくっつけようとしてるのか?まったく馬鹿げてる。
しかしそんなゲイルの思いとは裏腹にシェリダンは続ける。
『殿下とローザが結ばれれば…将来殿下を宰相としてお支えするゲイル様とも家族同然…もっと親しくさせていただきたいと思いまして…』
大胆に胸元の開いたドレスにむせ返るような香水の匂いを纏い、シェリダンはゲイルの側へと寄った。
年上は嫌いじゃないし人妻が専門外な訳でもない。自分自身の武器と使い所を良くわかって行動を起こす計算高い生き方も否定はしない。むしろどんどんやってくれて構わない。しかしそれはあくまで政治の場でだ。
意外だと思われるかも知れないが、こと恋愛に関して自分は純粋なのだ。こんな乳牛に負けるようなチャラい理性なんて持ち合わせていないのだ。
しかしここで無礼を働けば皇帝陛下と父からどんなお仕置きが待っているか…。ゲイルはその優秀な頭脳を総動員して考えた…けど全然答えが出なかった。
答えが出ずに固まるゲイルを自分に満更でもないのだと勘違いしたシェリダンは気を良くし、寄せる乳の圧力は更にハードになる。
(生き地獄ってああいうのを言うんだろうなぁ…。)
何とか誤魔化してその場を逃げ果せたものの、その後もしばらく皇妃宮への誘いが後を絶たなかった。
あの母娘のお陰で“私も一発当てられるかも”と奮起した上流下流すべての婦女子が夜会の度に皇帝→殿下→私の順に突撃してくる事となり、最後の受け皿的な私はたまったもんじゃない。
そして殿下には…とにかくこの皇女ローザだ。義理とはいえ兄妹の仲。そして殿下は自分の姉達がローザをいびり倒しているのを知っていたから情けが湧いている。
それを良いことにローザは周囲に自分達は真に想い合っていると吹聴し、殿下に近付くものを牽制した。
(まぁ…その中にアマリール様が入っていた事で殿下の怒りを買った訳だけど…。)
何とも下品な母娘だ。周囲にいびられるのも自業自得なのだが本人達にその自覚はまったく無い。
殿下も可哀想だ。ただでさえ陛下の下半身事情のせいで蛙の子は蛙と睨んだ貴族共に追い掛け回され、肝心のアマリール嬢には近付こうにも近付けなかったというのに。
ゲイルはさっきから自分を睨み付けるローザを見た。
…こんなのに付き纏われたばかりに、記憶を失った事で引き裂かれてしまったアマリール嬢との仲は更にズタボロに裂かれた。
でももうそれもすべて終わる。
そう。この女さえアーセルへ嫁げば。
「ロウ公爵は頭脳明晰、なかなかの美丈夫だそうですよ。良かったですねローザ様。」
ゲイルは目の前でわなわなと怒りに震えるローザに向かい、にっこりと微笑んだのだった。
*****
肌寒さに目を覚ますとまだ外は暗かった。
(肩が出てたのね…)
どうりで寒いはず。温泉から出た後もベッドの上でルーベルにたっぷりと愛され、二人裸で気を失うように眠ったようだ。隣で眠るルーベルからは小さな寝息が聞こえてくる。
毛布をルーベルの肩まで引き上げてやると、彼も寒かったのだろうか“んん…”と声をもらし、柔らかな毛布の感触に眉間の皺が緩んだ顔を見せる。
(…結局前世の事は何も話せなかったな…。)
それを話す事が本当に良いことなのかも未だに判別がつかない。けれどルーはすべてを受け入れると言ってくれた。前世などとすぐには受け入れられないだろうがきっと信じてくれるだろう。
(でも…せっかく記憶を取り戻し、二人の運命がうまく回りだしたところで余計なことを言わない方がいいんじゃないかしら…。)
「……リル…眠れないのか…?」
「起こしちゃった?違うの。少し寒くて…」
そう言うとルーベルはアマリールを自分に引き寄せ足を絡ませた。
「…あの日も身体が冷たかった…」
「あの日…?」
「お前が記憶を失った日だ…。雨の中でずっと俺を待っていて、とても冷えていた…。」
今なら思い出せる。“ルーに会える” それだけで鬱陶しく降り続く雨も輝いて見えた。身体が冷えるのなんて気にならなかった。
「…寒さなんて気にならなかったわ…ただあなたに会いたい一心で…。」
そう。待っている時間だって幸せだった。
だって会えばいつもルーが優しく包んでくれるから。寒くたって平気だった。
「ルー…?」
「何だ…?」
「…あの…朝までまだ時間があるから…」
あんなにしたのにはしたないと思われるかもしれないけど、ルーの肌に触れたい。ルーに愛されていたい。これからはずっと一緒なのに、もっともっとと求めてしまうのはなぜなんだろう。
するとルーは身体を起こし私の上になった。
「俺は構わないが明日は移動だ。寝ておかないと辛いぞ?」
「…ルーに触れてないと淋しいの…ルーとずっと繋がっていたい…」
「随分甘えてくれるんだな…」
ルーの顔はとろけるように甘く微笑んだ。
こんな顔ずるい。急に胸がぎゅうっと締め付けられる。
「わかった。今度は終わっても抜かない…だからお前も離れるなよ…」
「うん…もう絶対に離れない。だから…」
“だからルー、私を離さないで”
唇が触れる瞬間、ルーの目を見ながらお願いした。
力強い腕が私を包む。
“わかった”
そう言うように。
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