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第二章

28 祈り

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 「姉上の宮が騒がしいな。」

 いつも静かな宮に侍女の出入りが激しい。
 ルーベルは自室に戻るなりタミヤに声を掛けた。

 「はい。どうやらアマリール様がクロエ様の宮にお泊りになるそうでございます。」

 「アマリールが!?姉上の宮に!?」

 「は、はい。なんでもアマリール様の方からクロエ様にお会いしたいとの申し出があったそうで。ですがお帰りになる前にこの雨に見舞われてしまったようですね。」

 「……で?」

 「は?」

 明らかにルーベルは苛ついている。
 今の話の中のどこに主を苛つかせる要素があったのか。タミヤは焦った。

 「だから……で?」

 「殿下、仰る意味が……」

 ルーベルの言わんとする事が理解できずに発せられたタミヤの言葉にルーベルは顔を赤くして怒鳴った。

 「だから!俺の所にはいつ挨拶に来るんだと聞いている!!」

 「…………………………は?」

 タミヤは絶句した。
 主は一体何を言っているのか。
 アマリール様は何か急用があってクロエ殿下を頼られたに違いない。だってアマリール様がクロエ様にお会いするのは先日が初めての事。しかもまだ一週間も経っていないのだ。
 そして急なだけに殿下と会えるなどとは思ってもいないだろうし、むしろいきなり押し掛けて“会いたい”などと言う図々しい事はあの少女には出来ないだろう。
 まだまだ言いたい事はたくさんある。それらを全部踏まえた上で再度聞き返したい。『は?』と。

 しかし口を開けたままのタミヤにルーベルは
 “もういい!!”とだけ言い残し部屋の鍵をかけてしまった。


 **


 「私のお下がりでごめんなさいね。でもとっても可愛いわ!持つべきものは面倒くさい弟よりも可愛い妹ね~!」

 クロエ様に貸して頂いた夜着は当たり前だがぶかぶかで(特にお胸が……)少しばかり侍女の方が即席で裾上げして下さった。
 それでも丈は長く、広がる裾はまるで花嫁の衣装のよう。

 「殿下が面倒くさい……そうなんですか?」 

 「うふふ。だってあの子色々素直に言えないし、思ってもいない事を言って人を傷付けてばかりいるんだもの。」

 思ってもいない事ばかり……?

 「“うるさい!”は“この俺によく意見した”だし、“このクズが!”は“もう一度学び直して出直して来い”だし、“勘違いするな”は“その通りだ”なのよ。」

 “勘違いするな”はその通り……?

 「まあ本気で言ってる時もあるんだけれど……そう言われて真に受ける臣下の方が圧倒的に多いわ……。あの子は試してるだけなのにね。」

 「試してる……ですか?」

 「……そう。……あの子だけじゃない……誰だってどんなに強そうに見えても人間なのよ……何も変わらないわ。だから求めたくなるの。絶対に自分を裏切らない気持ちをね。」

 「絶対に自分を裏切らない気持ち……」

 「アマリールちゃん……どうかルーベルを一人にしないであげて。」

 「殿下を……一人に?」

 殿下の周りにはたくさんの人がいる。
 もちろん下心のある人間だっているだろうがゲイル様やアドラー公子のように誠を尽くす人だって……

 「愛と忠誠は違うわ……。有り難い事にルーベルは忠義には恵まれてる。でも愛は……愛はままならないものだから……。」


 
 ルーベルの宮は近い。
 風を感じるのが好きなクロエは暇な時はいつも窓を開けて部屋で過ごしていた。

 《うふふ……ふふ……もう!ルーったら!!》

 風に乗って可愛らしい声が聞こえてくる。愛しさに溢れるような声が。

 《わかってるよ。でも俺達は結婚するんだからいいだろ?》

 (結婚!?誰が!?)
 しかし今聞こえてきたのは万年仏頂面の弟の声に間違い無い。

 こっそり部屋を抜け出して声の主を探すとそこには弟と……後ろ姿しか見えないが金色の髪の少女が芝生の上で楽しそうに内緒話をしていた。
 弟は自分に一度も見せた事のない顔で少女に向かって笑っている。

 (……あの時はそれが誰なのかわからなかったけど……あなただったのね。)

 金色の髪に世にも珍しい菫色の瞳の少女。
 鈴の鳴るようなこの可愛らしい声は間違い無くあの日に聞いた声。
 可愛い弟が何よりも愛しんでいただろう声。

 この少女が皇宮内で事故に遭い、記憶を一部失ったと先日聞いた。そしてそれを発見したのが弟だとも……。

 弟はどうやっても父のようには生きられないだろう。
 傲慢で苛烈かれつ、そして狡くてしたたかで、時に悪魔のように甘く優しい。そんな父は正に帝位に就くために生まれて来たような男だ。しかし弟は違う。
 帝位に相応しくないと言うのではない。
 ルーベルは父とは違う形で良い国を作り上げるだろう。けれどあの子はもうそれだけでは生きていけない。
 何故なら知ってしまったから。
 曇りない愛を。ただひたすらに自分に向けられる純粋な気持ちを。
(……アマリールちゃん……あなたが大切なものをあの子に教えてしまったのよ……)
 知らなければこの醜い世界で楽に生きて行けたかもしれない。虚しいだけの己の心に気付く事も無く……。

 
自分がこの少女に力を貸せるのもおそらくあと僅か。

 「大丈夫よアマリールちゃん。あなたならできるわ。だから……ルーベルをよろしくね。」


 クロエは祈らずにはいられなかった。
 優しい奇跡がこの醜い皇宮で起こる事を……。


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