終わらない幸せをあなたに

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 幾多の星が我先にと煌めき始める夏の夕方。
 この日、王城には星たちに負けじとたくさんの明かりが灯され、夜会の会場となる大広間は着飾った貴族たちで賑わっていた。
 王家の権力の象徴である絢爛豪華な宮殿。
 その中でも最も優美な場所とされる意匠の凝らされた長く広い回廊に、大きな物音と罵声が響き渡った。

 「身の程を弁えろと言っただろう!?目立つような真似をするんじゃない!」

 たまたま通りがかったアナスタシアの視線の先には、背格好の似た二人の青年が向かい合っていた。
 雰囲気からして間違いない、喧嘩だ。
 そしてさっき怒声と共に聞こえたのは、おそらくどちらかが相手を殴った音だろう。
 (嫌な場面に出くわしてしまったわね)
 アナスタシアは思わず顔を顰める。
 そして、今にも二人の仲裁に飛び出して行きそうだった自身の護衛に、黙って見ているよう唇に人差し指を立て、目配せをした。

 「お前はラザフォード侯爵家の面汚しなんだ!だから黙って突っ立ってるだけでいいんだよ!」

 “ラザフォード侯爵家”
 アナスタシアはその家名を聞き、二人の素性と、なぜ揉めていたのかを理解した。 
 おそらくあの二人は、社交界でもとりわけ有名なラザフォード侯爵家の兄弟だ。
 本妻の産んだ兄ヴィンセントに、愛人が産んだ弟アーヴィング。
 二人は生まれ持った特徴は違えど容姿端麗だった。 
 高貴な血筋の麗しい兄弟はただでさえ人目を引いた。だが隠しきれなかった家族・兄弟間の確執が表沙汰になるなり、人々はこぞって好奇の目を彼らに向けたのだ。
 アナスタシアが耳にした話によると、どこで知り合ったのかは甚だ謎だが、ラザフォード侯爵の愛人は平民の女性だったらしい。
 当時、長男に物心つく前の夫の不貞にラザフォード侯爵夫人は怒り狂ったという。
 しかし話はただの不貞では終わらなかった。
 なんと数年後ラザフォード侯爵は、怒り狂う妻を後目にアーヴィングを侯爵家の籍へ入れたのだ。
 理由は単純。アーヴィングが兄ヴィンセントよりも遥かに優秀だったから。
 認知されぬ私生児として市井で暮らすことを思えば、彼はなんという幸運に恵まれたのだろうか。周りは口々に囃し立てた。
 しかし彼を待っていたのは侯爵家次男としての輝かしい未来ではなく、継母と、半分だけ血の繋がった兄からの執拗な苛めだった。
 彼ら兄弟の待遇の違いは、少し離れたこの場所からでもわかる。
 今夜のためにあつらえたのだろう皺ひとつない正装に身を包むヴィンセント。
 反対にアーヴィングが着ているのは正装ではあるが、明らかに着古されて皺の寄ったもの。     
 デザインも数年前に流行った型だ。大方ヴィンセントのお古だろう。
 ラザフォード侯爵はアーヴィングの才能を見込んで引き取ったとはいえ、彼の身の回りのことはすべて夫人に丸投げだった。
 そんな経緯に加え、目の前で繰り広げられるこの光景からも、彼がラザフォード侯爵邸で相当に辛い生活を送ってきたことは想像に難くない。
 (本当に……よくある話と言えばそうだけど、最低だわ……)

 「わかったならそこらへんで大人しくしていろ!いいな!」

 ヴィンセントは一方的にアーヴィングにそう言い渡すと、夜会の行われている会場の方向へと乱暴な足取りで去って行った。
 アーヴィングは靴の先に仄暗い視線を落としたまま顔を上げようとしない。
 どうしてあんなひどいことをされたのに、無表情でいられるのだろう。アナスタシアは不思議でたまらなかった。
 けれど、もしかしたら一人の時でも素直な感情を吐露することすらできなくなるくらい、精神的に追い詰められているのかもしれない。

 「殿下、そろそろお戻りになりませんと……」

 「コリン。あなた少しここで待っていなさい」

 夜会へ戻ることを促す護衛のコリンを置いて、アナスタシアは足早にアーヴィングの側まで寄った。
 華奢なヒールが床を鳴らす音に気づいたアーヴィングは、ようやく顔を上げた。
 見れば彼の薄く形のいい唇には血が滲んでいる。さっき殴られた時に口の中を切ったのだろう。
 アナスタシアは無意識に手を伸ばしていた。

 「痛そうね……」

 突然現れたアナスタシアにか、それとも心配そうに赤く腫れる頬に手を添えられたことに対してなのかはわからないが、アーヴィングは目を見開き大きく身体を震わせた。

 「そんなに怯えなくても大丈夫よ。私はあなたの味方だから」

 「……アナスタシア……王女殿下……?」

 なぜ王女が突然現れて自分の怪我を気にしているのか、皆目見当がつかないといった風だ。
 彼はアナスタシアよりも年上だったはずだが、戸惑う様子がなんだかやけに可愛らしい。
 
 ──私が、最後にやりたいことを見つけたわ

 アナスタシアは自分よりも大きなアーヴィングの手を取り、自身の白魚のようなそれをそっと重ねた。
 そして頭一つ分高い位置にある、透き通るブルーグレイの瞳を真っ直ぐに見つめた。

 「アーヴィング・ラザフォード。私と結婚しましょう。私は、必ずあなたを幸せにしてみせる」


 グランベル王国第一王女アナスタシア、この時十八歳。
 

 医師から告げられた命の期限まで、あと十年と少し……



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