上 下
24 / 38

24 理由

しおりを挟む



スカーレットの使っていた客間の椅子に座り、マティアスは手に持ったカードをぼうっと見ていた。

カードに書かれた文字にそっと触れる。
結婚前にやり取りした手紙のものと同じ美しい文字。
間違いなく、スカーレットの字だ。

スカーレットが初めて帰宅しなかった夜。

嫌な予感がして客間を開けてみれば、中は綺麗に整理されていた。
まるで誰にも使われていなかったかのように。

スカーレットの私物は一切なかった。

残されていたのはテーブルの上に置かれていた、今、マティアスが手にしているカードのみ。

それに書かれていたのは―――


――「貴方に相談したかった私の夢を見つけ、
叶えてくださりありがとうございました。
今後のことは大人になってから、話をしに伺います」――


マティアスは呆然とし、
ネイトはすぐにスカーレットの王都の実家の屋敷に出向いたが、
すでに彼女は領地へと旅立った後だった。


客間のドアがノックされ、「やはりこちらでしたか」と言ってネイトが入ってきた。

マティアスはカードに目を落としたままでいる。
ネイトはマティアスの持つカードをちらりと見て言った。

「《女性にも爵位と領地を持つ権利を》と国王陛下にお願いすることは
スカーレット様が旦那様に《相談したかった夢》だったのですね」

「……そうだな」と、マティアスが力なく言った。

ネイトは続けた。

「ならその夢が叶った今、
スカーレット様はどうして屋敷を出て行かれたのでしょう」

「……やはり結婚式での私の暴言が許せるものではないからだろう」

「そうでしょうか」


マティアスは椅子に座り直した。

「それより。何か用があったのではないのか?」

「ああ、そうでした。
手紙が届いておりましたので、お持ちしました」

「手紙?―――スカーレット嬢からか?」

マティアスは期待を込めて聞いたがネイトは首を振った。

「いいえ。ですが、スカーレット様の執事ベス殿からです」

「スカーレット嬢の執事殿から?」

スカーレット本人からではない。
それでもやはりマティアスは期待した。
スカーレットに繋がることが書かれているのではないかと急ぎ封を開ける。

だが。

便箋にはただ、3行。
短い文が書かれていただけだった。


《地方の領地経営の課題》
《領地管理と法廷》
《作物の備蓄法および管理について》


「これは……いったい……」

マティアスは首を傾げた。
そして助けを求めるように手紙をネイトに渡す。

渡されたベスからの手紙を見て、すぐにネイトが言った。


「ああ。全て本のタイトルですね。屋敷にありますよ。
二年……いえ、二年半ほど前に、旦那様がお取り寄せになった物です」

「……二年半前に、私が?」

「間違いありません。私が手配したので覚えていますよ。
全て同じ日に注文されました。
確か本屋で購入していた方がいて。
少し見せてもらったら良い本だったので同じ物が欲しいと。
タイトルを控えさせてもらったという紙を持って、上機嫌で帰宅されました」

「―――――」

マティアスは目を見開いた。

気づいたネイトがもう一度、便箋を見て言った。

「え……待ってください。
その本のタイトルを、何故、ベスさんが知っているのですか……?」


ネイトの声はもうマティアスには聞こえていなかった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



二年半前。
王都でも大きく有名な本屋でのことだ。


「令嬢の読む本じゃないだろ」


目当ての本が並ぶコーナーに足を踏み入れたマティアスに聞こえてきた声。
数人の子息の含み笑い。

心ない言葉を投げられた人なのだろうと思われる令嬢は、一人ぎゅっと数冊の本を抱えて立っていた。
帽子を深く被り俯いていたが、どんな表情をしているか見えるようだった。

頭に血が上った。
次の瞬間には、マティアスは子息たちを睨みつけていた。

そんな視線に気づいた子息が逆にマティアスを睨みつけ、肩を怒らせて彼の方に歩いてきたが――仲間の一人が「おい。まずいぞ、マティアスだ」と止めた。
マティアスを――彼が高位貴族の息子だと知っていたらしい。

マティアスは喧嘩が強いわけではない。痛いのは苦手だ。
親の地位のおかげというなんとも情けない理由だが、助かった、とマティアスは胸を撫で下ろした。

ふと見ると、本を数冊抱えた令嬢と目が合った。

帽子を深く被った令嬢だった。
だから顔はよく見えなかったのだが、とにかく目が合った気がした。

マティアスは急に恥ずかしくなって照れ笑いをした。
令嬢も――目深く被った帽子の下で、笑ってくれた。

自然に近づき、そして……話した。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「……そのご令嬢のお顔は見なかったのですか?」

ネイトに聞かれたマティアスは頭に手を置き考えていた。
だが。

「……よく覚えていない。
立ち話だ。
彼女は帽子を深く被っていたし、身長差もあった。
無理だよ。
下から覗き込みでもしなければ、ちゃんと顔が見える状態ではなかった。
……それに……その。
一緒にひとつの本を見ていたから。
私のすぐ横に彼女がいて、私は……。
女性が、息づかいを感じられるほどすぐ隣にいたことなどなかったので。
……彼女の方に視線を……向けられなくて……」

「……はあ」

「そのうち私は、彼女の本と話に夢中になってしまっていたし……」

「旦那様……」

「最後、彼女は侍女らしき女性二人に呼ばれ、慌ただしく帰ってしまって。
本のタイトルを控えさせてもらうのが精一杯で、ろくに挨拶もできないまま別れたしで……」

「ご令嬢を追いかけようとは思わなかったのですか?」

「あっという間の出来事だったんだ。
そんなこと、思いつきもしなかった。
……話が弾んだことが嬉しくて。
ああ、あんな女性がいたんだと思っただけで胸がいっぱいで」

「ご令嬢のお名前は?聞かなかったのですか?」

「う……」


ネイトは小さく息を吐いた。

「……そうでしょうね。わかっていました。
旦那様はひとつ目のいくことがあると、他が全く見えなくなりますからね。
ですが、そのご令嬢について何か覚えていることはないのですか?
ひとつくらいあるでしょう」

「顔……はよく見えなかったし覚えていない。名前も……聞かなかった。
覚えているのは……そう。
彼女の明るい話し方と、笑い方。そして……そうだ!髪色。
温かそうな濃い茶色の―――」

はっとしてマティアスは呟いた。

「あの時の女性が……スカーレット嬢?」


ネイトが一人頷いた。

「だから旦那様だったんですね。やっとわかりました」

「……え?」

「スカーレット様が結婚相手に旦那様を選ばれた理由ですよ。
どうしてもわからなかったのですが、ようやくわかりました。
人の考えはさまざまですが、
貴族の男性なら大抵は本屋で令嬢を揶揄った子息側だ。
スカーレット様には受け入れ難いでしょうね。
ですが、旦那様は違った。
本屋でスカーレット様が旦那様と出会っていたなら、旦那様の結婚の申し込みを受けるのは自然なことではないですか?
話が弾んだのでしょう?」


マティアスは一瞬、戸惑い
それから俯いた。

「そう……なのだろうか。
私は……《スカーレットが結婚相手に望む条件に合うのが私だったから》結婚の申し込みを受けてくれたのだと」

「合っていたからではないですか。
旦那様の結婚の申し込み書には《一緒に領地経営をしてもらいたい》と一筆添えたのですよ?」

ネイトが言えばマティアスは否定した。

「そうではなくて。
私は、自分が結婚相手に望む条件に合っていたからスカーレット嬢に結婚を申し込んだ。
だからスカーレット嬢も同じだと思っていたのだ。
私は親戚に、養子に望めそうな男の子が多く、
高位貴族の息子で国王陛下に謁見を許される者だ。
……そのせいかと」


ネイトがスカーレットが使っている客間から持ってきた風景画と自分の親戚の名簿を見た時。
スカーレットの、領地への思いの深さを知った時。
スカーレットが、本当は自分自身が領地を継ぎたいのだと察した時。

《ああ、だからスカーレットは私と結婚することにしたのだ》と。

マティアスは納得したのだった。

正直、胸は痛んだが
貴族の結婚なんて普通そんなものだ、と。

それでもいいと思った。

結婚前にした手紙のやり取り。


大変な出来事だった。
自ら鍬も握った。
領民と何度も衝突もした。

領主が自分ではなく、前領主――父だったら良かったと
領民たちから罵声を浴びせられたこともある。

それでも思い返してどこか充実した《楽しかった時間》だと思えるのは
手紙をくれたスカーレットの存在がある。


親戚に、養子に望めそうな男の子が多いから。
高位貴族の息子だから。

スカーレットが自分を選んでくれた理由はそれでもいい。
自分を存分に利用してくれていい、と。

マティアスはそう思っていたのだ。


だが……違った?


「スカーレット嬢が私を選んでくれたのは……。
本屋でのことを。私を、覚えていてくれたからなのだろうか……」


マティアスがそう言えば

「そうとしか思えません」とネイトが答えた。


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ヒヨクレンリ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:482pt お気に入り:884

復讐します。楽しみにして下さい。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:120pt お気に入り:223

夫婦にまつわるすれ違い、または溺愛を描く短編集

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:426pt お気に入り:3,536

王子に転生したので悪役令嬢と正統派ヒロインと共に無双する

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:603pt お気に入り:276

処理中です...