花は咲く

柊 仁

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中学生編

洗礼

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 ピーヒョロロロロロロロ……。

 トンビだろうか。さっきからずっと大きな鳥が僕の頭上を行ったり来たりしている。

 ——にしてもここ本当に何も無いな……。

 朝幾ばあの家を出てから二十分。適当に気になった道を歩いてみたけど、コンビニやスーパーなどの店らしき建物は一つも見当たらなかった。ここの人達は一体どうやって暮らしてるんだ……。僕だったら三日で死ぬぞ。

 これは九戸からの洗礼だ。東京から来た都会っ子の僕を餓死させてなんかの儀式で生贄として山の神に捧げる気なんだ……。

 はぁ、田舎なんて来るんじゃなかった……。

 草木に囲まれた一本道をひたすら歩く。

 一本道の終点、森の入り口らしき場所にたどり着いたところで僕は足を止めた。

 僕の身長の何倍もある木々が、果てが分からないほど横に続いている。
 そのスケールのでかさはまるで異世界の入り口のようだった。

 こんな所に入って大丈夫だろうか。道に迷わないだろうか。ただでさえ体力が無いのに。いやでもまだ朝だから明るいしなんとか……。

 そう頭の中で現実と好奇心両者の葛藤を繰り広げていると、森の中から何かが流れる音が聞こえてきた。

「この音は……川……?」
 
 目を閉じて耳を澄ませてみる。

 ザー……さらさら……ぴちゃぴちゃ……ザー……ザー……ざわざわ……。

 ……うん。やっぱり川だ。

 水の流れる音、雫が滴(したた)る音、草木のざわめき、様々な自然の音色が優しく耳に入り込んできた。

 ……歩いて喉も乾いたし、水でも飲みに行くか。

 適当な後付けにより結局好奇心が勝ったので、森の中に入ってみることにした。



 ***



 生い茂る草木の中、細い獣道が音の鳴る方へと続く。
 ジャリッジャリッとスニーカーの靴底と固い地面が歩くたびに擦り合わさる。

 こうして自然に触れてみるのも案外悪くないかも……。

 辺りの静けさ、自然が織りなす美しさに僕は初めてここでの生活に充実感を感じた。
 
 風になびくブナの葉、コンコンと木をつつくキツツキ、目に見える全てが僕にとっては新鮮で今までの嫌な事をまっさらにかき消してくれるような、そんな優しさがここにはあった。
 
 そうこうしているうちに前方に開けている場所が見えてくる。

 あそこから音がする……川はすぐ近くだ……!

 僕は音の鳴る方へと少し歩くペースを速めた。

 


 着いた……。

 視界が開けた瞬間、目の前にまばゆい光と共に幻想的な光景が飛び込んできた。

 水は澄み、上流から透明な糸がうねりを打ってサラサラと流れている。

「……」

 こんな天国のような場所がこの世に存在していたのかと僕はその場で立ち尽くして言葉を失った。

 ……ハッ。そうだ、水を飲みに来たんだった。

 しばらく景色に見惚れた後、今にも壊れそうな橋の真ん中に向かって歩き出す。

 そーっと橋に足を踏み入れた瞬間、下流の方から誰かの笑い声がした。

「あはははは——」

 ……? こんな所に誰かいるのか?

 恐る恐る下流の方に顔を覗き込む。

 男の子……だろうか。半袖半ズボンをこれでもかというほど捲(まく)り上げている僕と同じくらいの歳の子がバシャバシャとずぶ濡れになってはしゃいでいた。

 暖かいとはいえどまだ春だぞ?僕には到底できない。気づかれないようにさっさと水飲んで帰ろう……。

 僕は手で器の形を作って川の水をすくう。

 つめたっ! あいつこんな冷たい水の中で遊んでるのか……。田舎民恐るべし。

 顔を手の器に近づけてゴクッと一杯。
 ひんやりとした自然の恵みが僕の渇いた喉を通る。

「うまい……」

 あまりの美味しさに声が漏れてしまった。
 
 こんな美味しい水飲んだことない。僕はすかさずもう一杯すくって飲み込む。

 喉が渇くほど飲み物が美味しいとはよく言うが、これは別格だった。
 口にした瞬間にほのかに香る岩苔の匂い、舌で感じる優しい甘さ。まるで僕の中の乾いた砂漠に潤いをもたらすオアシスのようだった。

 美味い。美味すぎる……。

「……そろそろ帰るか」

 しばらく水の余韻に浸った後、もう一度下流の方を見てみる。
 彼はまだ同じテンションでキャッキャとはしゃいでいた。……僕と同じくらいなのによくやるよな……。

 ボーっと彼を見つめていると結構な距離があるのにもかかわらずパチリと目が合ってしまった。
 彼はこっちに気がつくと笑顔でおーいと両手を大きく振ってくる。

 げっ気づかれた。あんな変な奴と関わってたまるか。早く帰ろう……。
 僕は無視して小走りで来た道を戻った。



 ***



 


「ねぇ幾ばあ。ここら辺に僕と同じくらいの男の子っている?」

 僕はお昼ご飯のそうめんを啜りながら向こう側に座る幾ばあに尋ねる。

「男の子?んなもんここら辺じゃ璃都くらいだべ」

 え? じゃあ僕が見たのはもしかして……幽霊?

「……幾ばあ。僕幽霊見たかもしれない」

 僕は朝の出来事を全て話す。

「……へっへっへ! 璃都は幽霊様に目ぇつけられたんだべ。もうすぐ呪われてしまうんでねぇの」

 幾ばあはさらっととんでもない事を言ってくる。

 え? 僕ここまで来て呪われるの……? まだ来た一日しか経ってないのに?

「もう無理……田舎やだ……」

 僕はばたりと畳に倒れ込みながら、瞳から冷たい涙を流したのだった。
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