全てを恨んで死んだ悪役令嬢は、巻き戻ったようなので今度は執事を幸せにします

水谷繭

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1巻

1-1




   プロローグ


「ごめんなさい……私が間違ってたわ……」

 ナイフを握りしめ、もう何度目かわからない謝罪の言葉を口にした。
 いくら謝ったところで私の言葉は届かない。
 あんなに執着していたはずの王子殿下のことが、今はもうどうでもよかった。
 ただ、私の身代わりになって死んでしまった、執事のサイラスのことばかりが頭を巡っている。
 サイラスはあんなに私を大事にしていてくれたのに。私がいくら落ちぶれようと決して見捨てなかったのに。
 それに感謝することもしないまま、彼を死なせてしまった。

「ごめんなさい。ごめんなさい、サイラス……」

 涙が後から後から溢れて止まらなかった。
 心配してハンカチを差し出してくれるサイラスはもういないのだと思ったら、余計に涙が溢れてくる。
 いなくなってから一番大切な人が誰だったか気づくなんて、私はどこまで愚かなのだろう。
 私は静かにナイフを自分の胸に突き立てた。
 もしも次の人生というものがあるのならば、どうかサイラスが幸せになれますように。
 サイラスが幸せになってくれるなら、私はどうなっても構わないから。
 鋭い痛みとともに真っ赤な血が溢れてドレスを染めていく。
 意識がだんだんとぼやけていった。
 朦朧とする意識の中で、私はゆっくりと目を閉じた。



   第一章 二度目の世界


「エヴェリーナ・アメル! 貴様はカミリアに嫉妬して、私の見えないところで散々嫌がらせしてきたそうだな。お前のような女を王妃にするわけにはいかない。婚約は破棄させてもらう!」

 王宮で行われたパーティーの最中、私の目の前で、ジャレッド王子は聖女カミリアの腰を抱きながら言った。怖い顔をしているジャレッド王子の腕の中で、カミリアは目を潤ませている。
 なんでも、私との婚約を破棄し、新たに聖女カミリアと婚約をし直すつもりらしい。
 予想通りの光景だ。
 いや、記憶通りと言うべきか。
 二度目のことなので、前回のように動揺はない。
 演劇でも観るような気持ちで、私は二人をじっと眺める。
 私の反応が悪いからか、王子はさらに語気を荒らげ、拳を握りしめて言った。

「カミリアが涙ながらに教えてくれたんだ。お前に階段から突き落とされたり、取り巻きを引き連れて暴言を吐かれたりしたと……。聖女であるカミリアにそのような非道な行いをするなど、とうてい許されることではない。二度とカミリアに近づくな!」

 そんなに言わなくても、私の答えはすでに決まっているのに。
 私は、彼の言葉がようやく途切れたタイミングでにっこり微笑んだ。

「わかりました。婚約破棄、謹んでお受けいたします。カミリア様にも近づきません。お二人とも、どうぞお幸せに」

 淑女らしい礼もつけてみる。
 顔を上げると、王子もカミリアも、周りの人たちもぽかんとした顔でこちらを見ていた。
 ……よし、もう十分だろう。こんな所で長居している場合ではない。私には会いに行かなければならない人がいるのだ。
 彼らが停止しているのをいいことに会場を出て、王宮の廊下を、ひたすら走る。ドレスを着ているせいで速く走れないのがもどかしい。
 早く、早く行かなきゃ。本当に会えるのだろうか。本当にここにいるのだろうか。
 心臓が痛いほどばくばく音を立てている。

「お嬢様!」

 すると、廊下の向こうから、執事服を着たブラウンの髪の青年――サイラスが私を呼んだ。私の執事にして、前世の最大の後悔の種。
 懐かしいその姿に息が止まりそうになる。
 ずっと会いたかった人。本当に会えた!

「サイラス!」

 足がもつれそうになるのも構わず走り、私は思いきり彼の胸に飛び込んだ。

「お、お嬢様? 急に何を……」
「ああ、サイラス。会いたかった」

 動揺するサイラスに構わず、ぎゅうぎゅう力を込めて抱きしめる。サイラスの声。なんて懐かしいんだろう。目頭が熱くなってくる。


「お嬢様、一体どうなさったのですか。私などに抱きついてはいけませんよ」
「いいじゃない。すっごく久しぶりなんですもの」
「久しぶり……? 今朝だってお屋敷で顔を合わせたではないですか」

 抱きついたまま見上げると、サイラスは困った顔をしていた。私は何も言わず頬を緩めてその顔を見つめる。夕日のように赤い瞳がまっすぐ私を見つめ返す。

「エヴェリーナお嬢様。先ほど侍女が駆けてきて、ジャレッド殿下がお嬢様との婚約を破棄なさったと教えてくれました。……そこまで混乱なさるほどショックだったのですね」

 サイラスはそう言って、会場の扉を悔しげに睨みつける。その表情を見て胸が締めつけられた。
 そうだった。サイラスはずっと私の婚約を心配してくれていた。前世の私がジャレッド王子に夢中で、そのことに気がつかなかっただけで。
 私は首を横に振り、微笑んだ。

「そうなの。パーティー会場でジャレッド王子に、私との婚約は破棄するって言われちゃった。新しいお相手はカミリア様になるんですって。でも、そのせいで混乱なんてしてないわ」
「なっ」

 サイラスが驚いたように目を見開く。私は笑顔で首を横に振り、またぎゅっと彼を抱きしめた。

「本当よ。婚約破棄のことなんて全く気にしてないの」
「しかし……ジャレッド殿下、公の場で婚約破棄するなど、絶対に許せません……! 聖女様もそのような他人の婚約者を奪うなど……」
「気にしないで。せっかくやり直すチャンスをもらったんだから、婚約者に捨てられたことも、冤罪をふっかけられたことも気にしないことにする。私、今度の人生ではあなたに恩返しするために生きるから!」
「えええ……?」

 サイラスは目をぱちくりさせて呆然としている。私はそんな彼の表情を見られることすら嬉しくて、ただにこにこ笑っていた。

  



   第二章 恩返し


「お嬢様、本当にどうなさったのですか?」

 王宮を出てアメル公爵家の馬車に乗り込むと、サイラスは困惑した顔で口を開いた。
 私はサイラスが隣にいるのが嬉しくてたまらず、よくわからない返事ばかりしていた。
 夢みたいだ。もう二度と会えないと思っていたのに。
 サイラス・フューリーは、子供の頃からずっとアメル公爵家で働いてくれている私の専属執事だ。アメル領の街の一つにある大きめの服飾店の次男で、私より一つだけ年上の十九歳。
 今から十年前、私のお父様はアメル家の忠実な使用人になれる子供を探していた。そこで、ちょうど訪れた服飾店の息子のサイラスを気に入って連れてきたのだ。
 利発で忠実そうなところが気に入ったのだとか偉そうに言っていた。
 お父様はアメル家でのサイラスの働きぶりを見てさらに気に入り、私の専属執事にした。なので、私は子供の頃から彼に世話を焼かれながら過ごしてきた。
 子供の頃の私は本当にサイラスが大好きで、何をするにもぴったりくっついて過ごしていた。サイラスも忙しかったはずなのに決して邪険にしたりせず、たくさん遊んでくれた。
 それなのに、馬鹿な私はいつしかサイラスのことを見なくなっていった。


 王宮の廊下を歩く間も馬車に乗っている間も、私がサイラスの腕を捕まえて片時も離さなかったので、サイラスはすっかり困りきっているようだった。

「お嬢様、あの、腕を離していただけるとありがたいのですが……」
「嫌? サイラスが嫌なら我慢するわ」
「いえ、むしろ嬉し……いや、そうではなくてですね。アメル公爵家のご令嬢が執事に気安く触れてはいけませんよ」

 サイラスは困った顔のまま言う。

「そんなこともういいじゃない。公爵令嬢といったって、王子殿下に婚約破棄されて聖女様に敵認定されてしまったのよ? もう大した価値がないわ」

 私が晴れ晴れした気持ちで言うと、サイラスは顔を青くしながら否定してきた。

「そんなことは……!」
「そんな顔しないで。私、もうジャレッド殿下のことなんて本当にどうでもいいんだから」
「しかし、お嬢様はあんなにジャレッド殿下のことをお慕いしていらっしゃったのに」
「ジャレッド殿下を慕う気持ちなんてとうに消え失せたわ。さっきも言った通り、私これからはあなたに恩返しするために生きるの」

 きっぱりそう言うと、サイラスは戸惑ったように首を何度か横に振った。

「お嬢様に恩返ししていただくようなことはしておりません。むしろ恩を受けてきたのは私のほうです」

 まっすぐ見つめられて胸が痛んだ。
 やはりサイラスは一度目の世界のことを覚えていないのだ。
 多分覚えていないだろうと思ってはいたけれど、それでも少し寂しくなる。

「サイラスはやっぱり覚えていないのね……。あのね、実は私一回死んでいるのよ。サイラスが私のために死んでしまったから悲しくて悲しくて、あなたの想いを無駄にするようで申し訳なかったけれど、耐えられなくなって胸にナイフを突き立ててしまったの。本当にごめんなさい」

 思わずそう言うと、サイラスは信じられないものを見るような目で私を見つめた。

「お嬢様。何をおっしゃっているんですか? お嬢様も私も死んでおりませんよ? やはりショックが」
「違うって言ってるじゃないの! 女神様は自分の命を粗末にした私なんかを憐れんでくださったみたいなの……! 一度死んだ私を、サイラスが死ぬ前の世界に戻してくれたのよ!」
「お嬢様、一度ゆっくり休まれたほうがいいのではないでしょうか」

 サイラスは悲しそうな顔でこちらを見て、気遣うように言う。

「違うんだってば! 私は今までにないくらい元気よ! ほら、もうお屋敷に着いたわ。早く降りましょう」
「ええ……?」

 私はわけがわからないという顔をしているサイラスの手を引っ張って、馬車から降ろした。
 アメル邸の大きな門をくぐり、お屋敷の敷地内に足を踏み入れる。
 私の生家であるアメル家は、リスベリア王国に四つしかない公爵家のうちの一つだ。だから王太子の婚約者に選ばれたのだけど、それはもう過ぎたことだ。

「お嬢様、ひとまず旦那様のところへ行って今日会場で起こったことの相談をしませんか」
「そんなこと後でいいわ! 私はサイラスをもてなさなければならないの。サイラス、ちょっとここで待っててね。すぐに戻ってくるから!」
「えっ、お嬢様!」

 私は応接間までサイラスを引っ張っていき、強引にベルベットのソファに座らせると、すぐさま厨房に向かった。


   ***


 準備ができたので、厨房から応接間まで戻る。
 応接間では、サイラスが私に座らされた体勢のまま所在なさそうにしていた。私は彼の手を引いてダイニングルームまで連れていく。
 サイラスは私に手を引かれながら、わけがわからないという顔をしていた。

「さぁ、中へどうぞ!」
「お嬢様。これは一体どういうことでしょうか……」

 サイラスが、呆気にとられた様子で言う。
 ダイニングルームのテーブルの上には溢れ返るほどの料理が並んでいたからだ。
 私の昼食用だった仔牛肉のステーキにオニオンスープ、野菜のロースト、クリームパイ。デザートにはプディングと小さな砂糖菓子をたくさん出してもらった。
 先ほど厨房に駆けていって、思いつくままにシェフに用意してもらったものだ。

「サイラスは何が好き? 全然知らなかったから、できるだけ色んな種類の料理を出してもらったの」

 扉の前でぽかんとしていたサイラスを無理やり椅子に座らせながら、私は言う。
 サイラスは私の好みを熟知してくれているというのに、私の方は彼の好きなものをよく知らなかった。改めて私はサイラスにしてもらうばかりだったのだと反省する。恩返しするためにも、これからはサイラスの好みをちゃんと把握していかなくてはならない。

「いや、お嬢様。ちょっと……」
「好きなだけ食べて。それでどれが好みか教えてね。リクエストがあればなんでも言ってちょうだい!」
「いえ、お嬢様! こんないいものをいただけません。そもそも勤務中ですから」

 がっしりと肩を押さえつけると、私を振り払うわけにもいかないようでサイラスは困りきった顔をしている。
 私は彼の隣に立つと、ふふんと胸を張った。

「勤務中? 大丈夫よ。あなたは今日から仕事をしなくていいわ」
「え? どういうことですか?」
「あなたの仕事は別の人を雇ってやらせるから。あなたはもう何もしなくていいの」
「それはクビということですか⁉」

 にっこり笑って言うと、サイラスは顔を青ざめさせて言った。予想外の反応に私は口を尖らせる。

「違う! あなたはただここにいてくれればいいのよ」
「そういうわけにはまいりません。私は執事として雇われているのですから」
「私からお父様に言っておくわ。サイラスには今日から何もやらせないでって」
「お嬢様、本当にどうなさったんですか……⁉」

 笑顔で提案したのに、サイラスは絶対にだめだと言って譲らない。
 しばらく問答したが、全く折れてくれそうにないので諦めることにした。
 仕方ない。サイラスが執事の仕事をする傍ら、私がもてなすしかないようだ。
 けれどせめてこの料理だけでも食べてほしい。なかなか料理に手をつけないサイラスに、私はスプーンでスープを掬って口に運ぶ。

「サイラス。はい、あーん」
「お、お嬢様、おやめください。そのようなことをしていただくわけには」
「せっかくシェフが作ってくれたのよ。さぁ、早く食べて」

 私がぐいぐいスプーンを口に近づけると、サイラスは顔を赤くしておろおろする。それから観念したように口を開いてスープを飲み込んだ。

「……おいしいです」

 赤い瞳がふわりと緩む様子にホッとする。ご飯を食べて顔をほころばせているサイラスをまた見られるとは思わなかった。

「本当? ……よかった。夜もサイラスの分を用意してもらうから、今日から使用人用の食堂じゃなくてダイニングルームで一緒に食べましょうね!」
「お嬢様、これでもう十分です! これ以上はお許しください……!」

 サイラスがあんまり困った顔をするので、ダイニングルームで一緒に食事をするのも諦めることになった。サイラスに喜んでほしいのだから、彼を困らせることをしたくない。
 でも、自分で思いつくのはそんなことばかりだった。

「次は新しいあなたのお部屋を用意したいのだけど」

 サイラスが料理を食べ終わると、私はおずおずと言った。
 サイラスは首を傾げている。

「部屋? お部屋ならすでに使用人寮の一室をいただいておりますよ」
「使用人寮の部屋ではなくて、もっといいお部屋を用意してあげたいの」

 私はそう言ってサイラスの手を引いて歩きだした。
 階段を上り廊下の奥へ進み、ドアの前で立ち止まる。私はメイドに支度をさせた部屋を指さした。

「ここなんてどうかしら? 家を出た二番目のお兄様が使っていたお部屋よ。模様替えをすれば使えると思うわ」

 今度こそは気に入ってくれるはず。
 そう思って、ドアを開けてみてほしいと言っても、サイラスはかしこまるばかりだ。

「何をおっしゃっているんですか……! ご子息様が使っていたお部屋を使用人が使うなんて聞いたことがありません」
「サイラスはただの使用人じゃなくて私の命の恩人なのよ。このくらいの待遇を受けて当然よ。むしろ全然足りないくらいだわ」
「命の恩人ってなんですか。私はお嬢様にそこまでしていただくようなことをしておりません……!」

 サイラスは戸惑いきった顔で言う。
 本当はその戸惑った顔すら嬉しい。サイラスにお嬢様と呼ばれるだけですごく嬉しい。
 生きてサイラスと話していること自体が、夢みたいに幸せだった。でも、その喜びは説明しようがない。私にはサイラスに返しきれない恩があるのに、この世界でそれを言ったってわかってもらえるはずがないからだ。
 ――けれど、何としてでも恩返ししなければ。
 今度こそ、サイラスにはめいっぱい幸せになってほしいのだから。

「お嬢様、本当に私は何もいりませんから。今受けている待遇で十分です。お気持ちだけ受け取っておきます」

 サイラスは少しかがんで私と視線を合わせると、子供をあやすように言った。どうやらお部屋をあげる作戦も断念するしかないようだ。
 その後も私は、欲しい物はないかと街の有名店から商人を呼んでみたり、私の部屋にある宝石や美術品などを持ってきてどれが欲しいかと尋ねてみたりした。
 しかし、全て断られてしまった。
 品物より現金の方がいいのかと思い、金貨を渡そうともしてみたが、それすらも拒否される。
 早く恩返しがしたいのに。一体何なら喜んでくれるんだろう。

「……もう、なんで何も受け取ってくれないの!」

 もうあげるものを思いつかなくなり、自室で涙目になって叫んだ。横ではサイラスがくすくす笑いながら紅茶をれている。
 私のもとに、紅茶の入ったカップをすっと差し出しながら、サイラスが微笑んだ。

「お嬢様。私はお嬢様に尽くす立場の人間です。お嬢様に何かを頂戴することなどできません」
「私があげたいと言っているのに?」

 さとすように言われ、私は口を尖らせる。

「ねぇ、一体何なら受け取ってくれる? 私はサイラスに喜んでほしいのよ」
「お心遣いは大変ありがたいのですが……」

 サイラスはまた困った顔になる。それからふいに目を泳がせると、躊躇ためらいがちに言った。

「では、一つお願いしてもよろしいでしょうか。ずっと夢見ていたことがあるのです」

 やっと要望を口に出してくれた。これでやっと恩返しができる! 
 ようやくの有力情報に、思わず身を乗り出して尋ねる。

「もちろんよ! なになに?」
「お嬢様と一緒に街へ行きたいのです。ついてきてくれますか?」

 サイラスは恥ずかしそうにそう言った。あまりにも簡単な頼みに拍子抜けしてしまう。

「もちろんいいわよ。けれど、そんなことでいいの?」
「はい。望みを聞いてくださるなら、ぜひお願いしたいです」
「サイラスがいいならいいけど……」

 腑に落ちないまま了承する。もっと贅沢を望んでくれればいいのに。利用価値がなくなったとはいえ、せっかく公爵家の娘なのだ。私は昔からそれほど散財するタイプでもなく、月々に自由にできるお金が降り積もっている。
 そんな私がなんでも頼みを聞くと言っているのに、サイラスは欲がなさ過ぎる。

「ありがとうございます。楽しみにしています」

 でも、サイラスは私の返事を聞いて、とても嬉しそうに笑った。
 巻き戻ってから見た中で一番幸せそうな笑顔。
 その顔を見たら腑に落ちないながらも、まぁいいか、と思ってしまった。


 翌日、サイラスと街へ向かう。
 サイラスはいつもの執事服ではなく、白いシャツにダークグレーのベスト、黒のズボンというシンプルな格好をしている。
 私のほうも街に出るには邪魔だろうと思い、いつも着ているようなきらびやかなドレスはやめにして、薄緑色のワンピースにショールを羽織るだけの格好をしてきた。
 馬車を降りると、さらりとサイラスが私の手を取った。

「お嬢様、今日は私のわがままに付き合っていただいてありがとうございます」
「いいえ、こんなのちっともわがままではないわ。どこか行きたい場所があるの?」
「特に行きたい場所はないのですが……お店を見て回りたいです」
「わかった。じゃあ、入りたいお店があったら言ってちょうだい。欲しいものがあったらなんでも買ってあげるわ」

 そう言うと、サイラスは素直に「ありがとうございます」とお礼を言った。
 あまりに簡単なお願いに拍子抜けしてしまったけれど、考えてみれば街歩きも悪くないかもしれない。これならサイラスの好きそうなお店に入ってたくさんプレゼントを買ってあげることができる。私があげたいものを押しつけるよりもずっといいはずだ。
 そう思っていると、早速サイラスが一軒のお店の前で足を止めた。

「あ、お嬢様! ここに入りたいです!」
「いいわよ。……って、え? ここに入りたいの?」
「はい! 行きましょう、お嬢様」

 サイラスは笑顔で手招きする。水色の屋根に白い壁のかわいらしい建物。そこは明らかに女性向けのアクセサリーのお店だった。
 誰かにあげたい物でもあるのだろうか。姉妹……はいなかったはずだから、もしかすると恋人とか? 
 私としてはサイラス本人が使う物をプレゼントしたかったけれど、まぁそれでもいいか。
 ちょっともやもやしながらも自分を納得させ、私はそのお店のドアをくぐった。

「わあ……」

 店の中は若い女の子たちで混み合っていた。彼女たちは棚の上に並んだ色鮮やかな髪飾りやアクセサリーを見て、楽しげに話している。
 普段私が買い物するときは、お店の人間が家にやってきて、ビロード張りの小箱に厳選されたアクセサリーを見せてくる。公爵家に、そして自分の年齢と立場にふさわしいものを、と考えたら選択肢なんてないに等しい。
 だから、誰も彼もが嬉しそうにアクセサリーを選ぶ光景が、私にはとても眩しく映った。
 その光景をぼんやり見ていると、サイラスの手が私の肩に触れた。

「お嬢様、こちらのブレスレットはいかがですか? お嬢様によく似合いそうです」

 差し出されたのは、白い花がいっぱいに並んだデザインのブレスレットだ。
 貝のビーズでできているらしいそれは、窓からの光をはじいてきらきらと輝いている。

「まぁ、綺麗……って、私のじゃなくて! 自分の欲しい物を探しなさいよ」
「あはは、ここには私が使えそうなものは売っていませんよ」
「え、じゃあどうして来たの?」

 サイラスは私の質問に笑うだけで答えない。
 そしてどんどん新しいアクセサリーを持ってきて、「こちらはどうですか?」「こちらも似合いそうですね」なんて言いながら、次々と私に試させる。
 私の買い物をする予定ではなかったので戸惑ってしまう。けれど色んなアクセサリーを試しているうちに、なんだかわくわくしてきた。
 このお店に置いてあるアクセサリーはどれも良心的な価格で、私が普段身につけている物とは大分質が違う。色鮮やかでカラフルで、ちょっとチープで、とても可愛い。
 実を言うと平民の女の子たちがこういう髪飾りやブレスレットをつけているのを見て憧れていたのだ。お父様に叱られるから絶対に口には出せなかったけれど、一度こんなお店に入って自由に買い物してみたいと夢見ていた。
 お店に入ってしばらくする頃には、私はすっかりアクセサリーを見るのに夢中になっていた。

「あぁ、すっごく楽しかったわ!」

 可愛いアクセサリーをたくさん見て、すっかり満足して店を出る。
 興奮してつい声を上げると、サイラスは嬉しそうに私を見た。

「お嬢様、以前からこのようなお店に入りたそうにしていましたもんね」
「え? 気づいていたの?」

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