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第八話
しおりを挟むこの日は初めての通常授業だった。学校にも通い慣れてきた僕は少し学校を探検してみたくなったので、昼休みに無条さんと星護を連れだって、僕がまだ利用したことのない学校の施設を案内してもらうことにした。
「正門をくぐってすぐの右手にあります、こちらの建物が体育館になりまーす」
「今日も相変わらずハイテンションだなぁ……」
無条さんの口調、というか彼女の周りから、なぜか近くにいる人々までも元気にしてしまうような「何か」が常に流れている。今日もその例外ではなかった。それが意味するのは───
「この体育館はなんと、築四年でございます。私たちよりもはるかに若いんだよ!で、その天井からぶら下がっている電球は、すべてダイオードなんだよ!中に入ってみる?」
「ううん、いいよ。遠慮しとくよ……」
そう。彼女がハイテンション=長話が始まる、ということなのだ。僕はそんな詳細ではなく、大まかな施設の位置とそれの用途を知りたかっただけなので、彼女の話を最後まで聞いていると昼休みが終わってしまう。
そんなわけで、次にやってきたのが音楽室。さっきのやり取りが効いたのか、無条さんのテンションも少し落ち着いてきた。誰もいない音楽室は、図書室以上に静かだった。この静寂の中で星護は突然、謎の言葉を残して、準備室の方へと入っていく。
「まさかと思うけど、光地之君みたいな人が『音楽室といえばピアノ』なんて言うわけないよね」
「は?」
最初、僕は彼の言葉が何を表しているのか、その真意をくみ取ることができなかった。音楽室、といえば多分大半の人があの「黒い物体」を思い浮かべるだろう。しかし、星護と僕はその「大半の人々」に含まれていなかった。彼がイスとイスの間を抜けて壇上に登っていく。そのステップ、オーディエンスに向かって一礼をするその姿、そして何よりも、彼の右手に握られていたその「白い物体」が僕の疑念を確信に変える。そう、彼は───
「光地之君、君は俺の宿敵であり、あの会場で俺が唯一感服した、天才ヴァイオリニストだった。俺はあの時の───」
「エントリーNо.8、最年少出場者、西園 星護」
「君の次に輝いた、優秀なヴァイオリニストだよ」
僕は自分の奥底へ封印していた、過去の栄光の記憶を鮮明に思い出す。当時、あの大会で最も注目されていた僕が唯一恐れた出場者が、まさに彼―――苗字こそ変わっていたが、西園 星護そのものだった。
「いやぁ、でも君は本当にすごかったよ。うわさで聞いていた通り、いやそれ以上の『何か』、桁違いの圧力があったよ。今思えば、あの年齢で、この体格で、よくあんなオーラを出せたよな。あの時初めて、生きていてよかったと思えたんだからね」
「そうなんだ……」
「だから、今から俺とジョーに披露してよ、あのときの」
「えっ……?いや、それはちょっと……」
苦々しい記憶が少しずつ僕を蝕んでいく。
「もしかして、天狗になって練習サボってたとか?」
そうだね。と言うべきだった。しかし、僕の中の「あの記憶」が静かに炸裂した。
「いい加減にしてくれない?もう僕は……、ヴァイオリンが好きじゃないんだ」
「えっ……」
星護は心底驚いているように見えた。少なくとも、まったく話についていけない無条さんでさえも驚いていたのだから。彼女は僕たちの過去を整理しているようだった。
「えっ……えっ……?もともと、星護と光地之君は知り合いだった。で、光地之君のことを尊敬していた星護は今もヴァイオリンを続けていて、光地之君は、もうやめた。でもなんで?光地之君はどうしてヴァイオ───」
「やめてくれ……。それ以上言わないでくれ」
「貧弱な光地之」を演じ続けたきたつもりだったが、即席の演技ではやはりぼろが出てしまう。急に弱いところを突き付けられると、つい本音が出てしまう。人間の大半がそうだろう。その部類に漏れなかった僕は彼女たちとの人間関係を崩したくなかったので、焦る気持ちとさっきの言葉を隠すようにしれっと言い直す。
「えっとね……。いろいろな理由が重なって、続けれれなくなったんだ。まぁ、すべては自分のせいなんだけどね」
「……、……」
無言で僕のウソを聞き続ける星護の頬を小さな白いものが、いくつも、次から次へと、とめどなく、流れ続けた。僕は本当に悪いことをしたと思った。しかし、この時の僕はなぜか───笑っていた。彼の期待を裏切り、ウソをついて自分を過去の記憶から守り、そして彼を───
「もうっ!私、こーんなしんみりした空気だーいっきらいなの!私は平凡な人間だから、『音楽室といったらピアノ』しか思いつかないんだよ!」
なぜか無条さんはピアノの方へ歩み寄っていく。イスに座り、左右のペダルに足を置いて、鍵盤に指を置いて───まさか。このシルエット、まさか、無条さんが、あの、僕の心を揺さぶった───?そんなわけ、信じられない。まさか───
“キーンコーカーンコーン”
彼女が一音目を引き始める前に、チャイムが鳴った。僕は、安心と少しの落胆を感じていた。彼女が本当に「あの人」なのか、確かめたい気持ちと、知りたくない気持ちの入り混じった、複雑な気持ちだった。無条さんには、あくまでも「二週間前に初めて会った無条さん」でいてほしかった。「彼女」のイメージを崩したくはなかった。
「はぁー、よかった。チャイムに助けられたよ。私、ほんとはピアノなんてひけないの」
はぁー、よかった、はこっちのセリフだよ!という言葉を自分の中に閉じ込める代わりに安堵の息を吐く。
「ん?どうしたの?溜息なんかついて」
「いや、本当にありがとう。無条さんのユーモアに助けられたよ」
僕は心の底からそう思った。無条さんと「あの人」は同一人物ではない、その安心感に浸っていたので、さっきだったらきっとここから立ち去っていたであろう、星護の皮肉にも苦なく応答することができた。
「ヴァイオリンとピアノ……、どちらからも見放されたんだね、君たちは」
「まぁ、少なくとも、僕はそういうコトになるかな。無条さんがどうかは知らないけどね」
星護の言葉に、僕は何か引っかかるような気がしたが、今はそれどころではない。
「早く教室に戻ろ?先生に怒れちゃうよ」
星護は再び準備室の方へ入っていった。彼の大きな背中が少しずつ遠ざかっていくのを見ながら、性格も見た目も変わっていないのは自分だけだな、と周囲の環境の変化に自分だけが取り残されている気がした。
~続く~
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